経営研究レポート
MJS税経システム研究所・経営システム研究会の顧問・客員研究員による中小・中堅企業の生産性向上、事業活性化など、経営に関する多彩な各種研究リポートを掲載しています。
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2024/11/05 人事労務管理
昨今労務事情あれこれ(203)
1.はじめに去る9月27日に行われた自民党総裁選挙において、ある候補者が現状の解雇規制や時間外労働規制の緩和を政策として訴えたことが物議を醸しました。世間の反応があまりに悪く反発を招いたため、徐々にトーンダウンする結果となりましたが、働き方改革の進展に伴う各種の制度整備などにより長時間の時間外労働は確かに以前に比べれば減ってきた印象があります。企業側も時間外労働の削減に対しては法令遵守の意識が高まってきているように思えますが、問題の解消が進まない企業も少なからず存在します。平成31年4月に施行された労働安全衛生法の改正において「社員の労働時間の客観的把握」が企業に義務付けられました。これは長時間労働を原因とする過労死や精神疾患などの防止といった安全衛生の面だけでなく、労務管理面、例えば正しい賃金計算による未払い賃金発生の防止や労働時間の上限規制への対処などでも、労働時間の把握は不可欠であり、企業経営をしていく上でベースとなる要素の一つと言っても過言ではないと考えます。今回は労働時間の適正な把握について考えていきたいと思います。2.労働基準監督署による定期監督の実施結果国内各地の労働局や労働基準監督署においては、労働基準監督官や監督署の職員が事業所に直接訪問して行う調査や監督署への呼び出しによる調査により、積極的に監督指導が行われています。そうした調査の結果、違反状態であることを指摘され是正勧告などを受ける事項には様々なものがありますが、労働時間に関連する事項も、多くの事業場が指摘を受けています。東京労働局では、毎年、管下の労働基準監督署が実施した定期監督等の実施結果を発表しています。令和5年11月に発表された、令和4年度の定期監督等の実施結果(注1)によると、定期監督等を実施した事業場数15,160事業場のうち7割を超える11,050事業場で何らかの労働関係法令違反が指摘されています。労働基準法等の違反を指摘された上位の内容に関しては、労働時間に関するものが2,215件(24.4%)、割増賃金に関するものが2,032件(22.4%)、労働条件の明示に関するものが1,478件(16.3%)となっており、上位2つの項目で、労働時間に関連する項目に違反が見つかっていることがわかります。これは不適切な労働時間管理が行われた結果として割増賃金の未払いが発生するというパターンが多いのではないかと考えられます。次に、労働基準関係法令違反があった事業場の数を業種別で見ていくと、違反事業場数11,050件のうち建設業が5,455件、次いで商業が1,550件、製造業が901件となっています。建設業や商業、製造業の定期監督実施数がそもそも多いということもあるのでしょうが、各業界とも、コロナ禍後の業務正常化における人手不足などの要因もあり、目先の業務を回すことに精一杯で労働時間管理が行き届かない状況の結果として多くの違反件数につながっているものと考えられます。先述の通り、賃金は基本的に労働時間をベースとして算定されるものですから、労働時間管理が適切に行われていないと、未払い賃金の発生状況を認識することすらできないということにもなりかねません。また、労働者の労働時間を正確に把握していないことで、過重労働による心身の不調を招き、休職や退職につながった末に人手不足にさらに拍車がかかってしまうことにもなりかねません。こうした面から考えても、適切な労働時間把握の重要性はご理解いただけると思います。3.労働時間とは?そもそも、労働時間とはどのように定義されるものなのでしょうか。法令には労働時間を明確に定義づけしたものはありませんが、判例により「労働時間とは労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」(三菱重工長崎造船所事件H12.3.9最高裁小法廷)とされ、労働契約や就業規則で定められた労働時間だけでなく、客観的に見て従業員の行為が使用者から義務付けられたか否かにより判断されるものとされています。例えば、以下のような時間も指揮命令下で義務付けられた行為であれば労働時間に含まれるとされています。業務開始前の制服・作業着への着替え他の就業を準備する行為業務開始時の朝礼・体操・業務引き継ぎ実際に業務を行っていないが、指示があればすぐに業務として対応しなければならない待機時間(手待ち時間)参加が義務付けられている研修等の受講や会社指示による学習時間このような時間を含めて使用者は労働時間を客観的に把握することが義務化されたのが平成31年の労働安全衛生法改正です。そして労働時間を把握する対象者は、いわゆる正社員だけでなく、パート・アルバイト、短時間労働者の他、裁量労働制や事業場外のみなし労働時間制の適用を受ける者、管理監督者を含む管理職他とされており、企業としては、実質的に雇用形態、勤務時間、役職等を問わずほぼ全ての従業員の労働時間を把握する義務があるものとされています(注2)。では、企業は、適正な労働時間把握のためにどのようなことを行わなければならないのでしょうか。4.適正な労働時間把握の方法とは?労働時間把握について法令においては「事業者は、(中略)厚生労働省令で定める方法により労働者の労働時間の状況を把握しなければならない」(労働安全衛生法第66条の8の3)とされており、厚生労働省令で定める方法として以下が示されています。(労働安全衛生規則第52条の7の3)タイムカード・PCの使用時間(ログイン~ログアウトまでの時間)やICカードによる記録などの客観的方法による記録使用者による現認・記録また、これらの記録は3年間保存しなければなりません。なお、厚生労働省令で定める方法によることが難しい場合には例外的に労働者の自己申告に基づき把握することも認められていますが、その場合は以下の措置を講じなければなりません。自己申告制を導入する前に、その対象となる労働者に対して、労働時間の実態を正しく記録し、適正に自己申告を行うことなどについて十分な説明を行うこと。自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に応じて実態調査を実施すること労働者の適正な申告を阻害する目的で時間外労働時間数の上限を設定するなどの措置を講じないこと。また時間外労働時間の削減のための社内通達や時間外労働手当の定額払等労働時間に係る事業場の措置が、労働者の労働時間の適正な申告を阻害する要因となっていないかについて確認するとともに、当該要因となっている場合においては、改善のための措置を講ずること管理職者などが各従業員の労働時間をいちいち現認という方法は現実的ではないですし、例外的に自己申告としても煩雑な各種措置が必要……となると、多くの場合タイムカード・PCなどにより把握することになるかと思います。しかしながら、法令上の義務とはいえ機材導入コストなどの問題もあり、出勤簿などのアナログ的な方法からの対応に追われている企業も少なくないのではないでしょうか。対応ができないままでいると、法令上の義務が果たせない状態を看過しているだけでなく、例えば、未払い賃金等に関して労使間で紛争状態となった際には、会社側は正当性主張するための材料を持てないことになってしまいます。こうなると、裁判所に会社側の労働時間管理がずさんであったと判断されてしまい、紛争解決のために多額の資金が流出する可能性も否定できません。適切な労働時間管理は賃金計算他の労務管理面や従業員の健康管理などの安全衛生面のほか、従業員の間の業務量を適切に判断し、ある従業員の労働が長時間にわたる理由が業務量の偏りによるものであれば、他の従業員に業務を割り振るなどの業務効率化に向けての対応や方向性が見えるようになるという側面もあります。人手不足、採用難の時代にあって、労働時間を適切に管理せず、サービス残業が常態化しているようでは、会社は遠からず淘汰の波に飲まれてしまうことでしょう。確かに当座は相応のコストがかかることになるかもしれませんが、良好な労働環境を従業員に提供し、必要で優秀な人材が活躍できる職場になれば、要したコストは遠からず回収していけるのではないでしょうか。<注釈>令和4年度定期監督等の実施結果(東京労働局)https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/001641249.pdf高度プロフェッショナル制度の対象者は除かれる。ただし、この場合でも別途、健康管理時間の把握義務はある。提供:税経システム研究所
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2024/10/31 医療経営
戦略的医療機関経営 その161
【サマリー】今回のレポートは、「基本診療料」です。基本診療とは、病院全体を評価する診療点数なので、全体的な取り組みが記載されている。入院料などは、病院の収入の過半数を占めるので、この施設基準が守られていないと入院収入が少なくなり、経営に非常に大きな影響を及ぼす。1.今後の執筆予定施設基準とは(構造、主な要件、用語)基本診療料(主な施設基準、入院基本料)重症度、医療・看護必要度、在宅復帰率特掲診療料施設基準の届出適時調査入院時食事療養費、入院時生活療養費、保険外併用療養費2.基本診療料とはサマリー部分にも記述しましたが、医療機関の収入を大きく左右する「基本診療料」ですが、さらに病院が提供する「医療の質」を評価する側面もあります。□基本診療料の構成診療報酬は、上図のように「基本診療料」と特掲診療料に分かれます(特掲診療料は、別途)基本診療料は、初診料や再診料などが該当する外来と、入院基本料や特定入院料などが該当する入院に分かれます。「外来診療」に係る初・再診料は、「初診料」「再診料」そして「外来診療料」の3つに区分されます。これらの中にコロナで注目されたオンライン診療料や感染対策に関する施策が診療点数の算定要件に組み込まれている点数が多くあります。「入院診療」に係るものは、「入院基本料」「入院基本料加算」「特定入院料」「短期滞在手術等基本料」「看護職員処遇改善評価料」の5つで構成されています。患者が入院した場合、「入院基本料」あるいは、「特定入院料」を算定し、諸条件の要件が満たされていれば、「入院基本料加算」も算定できます。看護職員処遇改善評価料は、2022年10月に看護職員の処遇を改善するために必要な措置を実施している病院の評価として新設されました。算定要件は、救急医療加算を届け出ており、救急搬送の受け入れが年間200件以上の病院が算定できます。入院基本料などは医業収益の過半数を占める重要な項目です。施設基準をしっかり理解していないと、本来算定可能な診療点数を算定しないという「機会喪失」の状態となってしまいます。短期滞在手術等基本料は、近年医療技術の発展により、長期の入院が必要な手術等に関して、早いもので日帰り、長くても四泊五日の入院医療に対し、包括的に評価する診療点数です。入院基本料又は特定入院料を算定するためには、以下の5つの基準が必要になります。入院診療計画書入院の際に医師、看護師などから「入院から退院までの期間に提供される医療内容等についての総合的な診療計画」のことです。入院診療計画書(クリニカルパス)院内感染防止対策医療法により、すべての医療機関には院内感染防止対策のための体積確保が義務付けられています。さらに院内感染対策指針の策定も求められています。そして、入院基本料の算定に当たっては、この院内感染防止対策は必須項目となっています。医療安全管理対策この医療安全も医療法によって、医療安全管理の指針の策定などが義務付けられています。医療安全とは、医療事故*や医療過誤*のような医療トラブルを未然に防止し、安全な医療サービスを提供できる状態を作る取組みの事です。医療事故:対象は「患者」だけではなく「職員」も対象となる。事故の原因は必ずしも病院側とは限らない医療過誤:対象は「患者」のみ。患者に危害を加えた原因は医療機関側にある。褥瘡対策褥瘡(いわゆる床ずれ)の管理をおろそかにすると、感染症に移行する場合があります。さらに死亡に至るケースや入院が長期化するケースも珍しくありません。褥瘡は局所の圧迫による血流の阻害など血行不良によって引き起こされます。通常は寝返りなどで血行不良などは起きませんが、患者のQOL(生活の質)が低下すると、寝たきりとなってしまい、自身で寝返りができなくなってしまいます。その結果褥瘡ができてしまうということです。褥瘡対策としては、体圧分散マットレスや褥瘡防止機能付き電動ベッドや人が計画的な寝返りを行うなどがあります。栄養管理体制「食事」は、立派な医療です。病院での食事には、管理栄養士、医師、看護師、薬剤師など名の連携により良質な栄養管理の体制は非常に重要とされています。したがって、入院基本料の必須条件となっています。具体的には、常勤の管理栄養士が1名以上配置。管理栄養士、医師、看護師、その他の医療従事者が共同して栄養管理を行う体制を構築。入院時には特別な栄養管理が必要かどうか確認し、必要であればその内容を入院診療計画書(クリニカルパス)に記載するなどがあります。3.外来診療における基本診療料の施設基準□初診料/機能強化加算「機能強化加算」は、専門医療機関への受診の要否の判断などを含めた「初診時における診療機能」を評価した点数です。初診料:288点機能強化加算:80点□初診料、再診料/情報通信機器を用いた診療新型コロナウイルス感染症の拡大により、急速に「オンライン診療」が普及しました。この情勢の変化に対応した診療点数が子の診療点数です。特に注意が必要なのは、「オンライン診療の適切な実施に関する指針」に沿った運用です。情報通信機器を用いた診療では、オンライン指針をしっかり理解し、定められた要件を満たさなければなりません。指針では、オンライン診療を行う医師は、厚生労働省が定める研修を修了していることが要件になっています。4.入院診療における基本診療料の施設基準入院医療の診療報酬は、前述した基本診療料(下図)の入院基本料、入院基本料等加算、特定入院料、短期滞在手術等基本料、看護職員処遇改善評価料の5つです。患者が入院したら、入院基本料、特定入院料、短期滞在手術等基本料の3つの中から1つを算定(同一日に複数の基本料は算定できない)します。□入院基本料入院料はどのような病院(病棟)に入院したのかによって、診療点数が異なります。急性期一般入院料の数字が少なくなればなるほど、より急性期の状態の患者(重症度の高い患者や看護必要度の高い患者)が多く、医師や看護師などの医療従事者が多く必要な病棟ということです。医療従事者が多く必要なので、人件費も多く必要になるので、診療報酬点数も高く設定されています。より多くの入院医業収益を目指すのであれば、より高い点数が設定されている入院料を算定します。そのためには重症度の高い患者が集まるような病院でなければならなく、かつその重症度の高い患者を早く直して、転院、退院させる必要が同時に求められます。もちろん病棟には多くの看護師を配置しなければなりません。これは自院の医療の質、機能が高くないとできません。□入院基本料加算診療録管理体制加算診療録管理体制加算は、診療録(カルテ)を管理する体制を確保して患者に診療情報の提供を行っている医療機関を評価する点数です。□特定入院料/ハイケアユニット入院医療管理料基本入院料と特定入院料の違いは、基本サービスと付加サービスの違いと考えると分かりやすいと思います。したがって、病院としては付加サービスをしたほうが収益は増えることになります。ハイケアユニットとは、ICUなどの集中治療室にいるほど重症度は高くないが、一般病棟に入院するには重症度が高い患者を入院させる病室の事です。ハイケアユニット入院医療管理料の適用患者基準一般病棟に入院してもらうより、このハイケアユニット、ハイケアユニットよりICUなどの集中治療室に入院してもらうほうが、診療点数は高く設定されています。重症度が高い患者を多く入院させればそれだけ高い収益が得られる事になりますが、重症度の高い患者を治療する高い医療術も必要になります。□短期滞在手術等基本料医療技術の進歩により、従来は長期の入院加療(手術等)が必要な疾患の治療も非常に短い期間で治療が可能になってきました。そのような疾患の治療行為などをひと括りにした点数(包括点数)がこの短期滞在手術等基本料です。対象疾患例(抜粋)このように多くの疾患が短期滞在手術の対象疾患となっています。日帰り手術センター等の名称の施設を設立し、多くの患者を手術すれば多くの収入も得られる事になります。提供:税経システム研究所
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2024/10/31 企業経営
昨今の経済情勢を背景に地域企業経営はどう対処するのか(第2回)
【サマリー】原材料コスト、エネルギーコストの高騰に対する対策をご紹介します。本稿執筆時は自民党総裁選、立憲民主党党首選の最中です。自民党は前代未聞の多数の立候補があり、前回の総裁選から、地上波TVで候補者の討論会が催されるようになりました。このような状況は近年の社会情勢の不安定化を背景としているのでないでしょうか?このような中で第1回は企業を取り巻く経済環境は「スタグフレーション」であると述べました。そして課題別に企業が取るべき方向性を述べました。現在までのマクロ政策的対応はピントが合っているようには感じられません。早速ここ最近、メガバンクから地域金融機関まで横並びで金利を0.15%上げることが一斉に融資先に打ち出されました。第2回からは具体課題を取り上げて、できる限り具体的な対処方法、対策事例をあげてご一緒に考えて行きたいと思います。前稿であげました対応すべき環境変化は以下でした。「地域企業が全体としておくべき経営環境情勢」不景気の悪化原材料、エネルギーコスト等がさらに値上がり人手不足、人件費高騰税金社保料等の負担増金利の上昇資金調達の難易度が上がる大別すると3つに分けられると思います。コスト高の強い圧力で収益性が圧迫される→もうけが出にくくなる顧客増加生産性が鈍化する圧力→売上があがりづらくなる上記2点と関連して資金調達の難易度があがり調達コストがあがるです。コロナ禍の経済活動強制ストップのような状況から、まだ正常化しているとは言い難い中で、増税ラッシュをはじめとしたコスト高の急速な動きは、企業経営にとってはたまったものではありません。口を開けば文句があふれ出ますが、文句を言っていても何も解決しませんので、我々実務家は粛々と対策を打ち、競合に差をつけるチャンスだという方向に思考を進めてきたいものです。(1)コスト高対策(原材料コスト、エネルギーコスト等のアップ)目の前で切実に感じる問題である「コスト高の圧力」対策から述べます。①仕入購買におけるコスト高仕入購買におけるコスト高の原因は大きく2点エネルギーコスト高円安による輸入関連品のコスト高①-1:原油高の原因コロナ禍で世界の石油需要が急速に落ち込んだため、中東では精製設備を一部ストップさせて生産量を調整しました。需要が回復しても精製プラントはすぐに稼働できないどころかある程度時間がかかってしまい、もとの生産水準になかなか戻らないことは明確でした。つまり、石油が高騰することはもともとわかっていたことです。これに対して即効性のある政策を打たなかったため、石油コスト高は明確に人災です。石油コスト高は、原材料高やエネルギーコスト高となって降りかかっています。この間に政府は自然エネルギーへのシフトなどという計算できない政策を強力に進めました。これがこのようなエネルギーコスト高を招きました。さらに太陽光等のエネルギー設備のための賦課金を課すというような理解に苦しむ制度が出てきまして、呆然とする状況があります。原材料高対策はほとんど聞こえてきませんでした。①-2:原材料高に対する対策企業実務の中で考えますと、原材料高に対する対策とエネルギー高に対する対策は異なります。いずれも難易度が高いことは明白です。まず、実務で最初に取り組まれるべきことは、「代替品のリサーチ」です。原材料購買はルーティンワークに属する業務ですので、担当部署はあまりリサーチや改革が得意ではありません。しっかり現在の原材料のルート、品質対価格のリサーチすることはもちろんですが、代替品のリサーチも広く深く進める必要があります。簡単に「手はない」というネガティブな結論づけをすることなく、粘り強くリサーチを続けることで、その後の未来が開ける可能性が生まれることを知っておくべきかと思います。実際に某国がレアメタルの輸出を規制したことで、一部の業界では大変なことになりましたが、結局某国に頼らない供給構造がスピーディーに構築された事実などがよい参考例になると思います。構造手段としては原材料生産企業のM&A、原料生産地とのルート開拓なども視野に、購買部署の垣根を超えて社長をはじめ役員会が全社的に協力してことにあたる類の課題とアクションであると考えます。②エネルギーコスト高に対する対策一般的に最も影響力が高いものは電気代かと思います。企業でも家庭でも電気の消費シェアがあがるような政策や社会情勢になってきていました。実際は石油の全発電量に占める割合は3%程度で天然ガスLNG35%、石炭30%です。石油のみならず天然ガスはこの三年で3倍、石炭は4倍の価格に上昇しています。2010年に全体の28.6%を占めていた原子力発電は2021年には7.5%に減少し、その分の補完は再エネでは賄えていません。2010年1.1%から2021年12.8%となり、コストとしては賦課金などの登場で、むしろコスト上昇圧力になっています。一般財団法人省エネルギーセンターでは、「省エネ対策」を列挙して啓蒙してます。https://www.eccj.or.jp/whatsnewj/2022spr/index.html従来から、企業ではエネルギーコストの削減は重点的に取り組まれており、財団法人の挙げる省エネ対策は、人手や手間がかかる従来からの策となっています。多くの企業ではそのレベルは既に対策済みと思います。そこで企業でまだ積極的に取り組まれていない構造的な対策を例示します。これらは社長や役員などの幹部が個別で打てる策で、従来の全社的取組みではないので、エネルギーコスト削減対策に「数字が読める」「効率が良い」策となります。②-1:オフィス等の電気代(主たる消費は空調費)オフィスの縮小、あるいは撤退による空調照明面積の削減コロナ禍の結果、オンラインで仕事ができる(不足は色々あれど)ことがわかってきました。企業のDX化を進める政策や補助金も活用できます。そこで思い切ってオフィスを無くすことを検討する策があります。現時点でさほど積極的に取り組まれていませんが、それはオフィスそのものの削減には様々な課題が見えるためです。しかし、オフィス削減で想定される課題に対策を引き当てる事を真剣に行うことでオフィス面積を相当に削減できます。それにはわが国では遅れているIOTの推進、仕事の役割分担の変革など、取り組むことができますとオフィス面積の削減は削減面積に基本的に比例してエネルギーコストを削減する事ができ、さらに企業の仕事の仕方そのものを合理化できる機会とすることができます。(事例)自社ビルの自社オフィス面積を半減させ、エネルギーコストが40%削減された。発生した余剰スペースを賃貸で貸し出すことと並行して、ビルインのトランクルーム事業開設などで補助金申請をし、売上を積み増した。②-2:経済産業省、資源エネルギー庁などの関係官庁の支援策活用経済産業省、資源エネルギー庁、中小企業庁、地方公共団体などが出している、エネルギーコスト高対応策をフル活用します。メディアも所管官庁も支援策について積極的にアナウンスをしてくれません。会社で情報を取りに行かねば情報が入ってきません。まずは各地方に所管官庁の地方局がありますので、そちらに出向いて案内を受け、担当部署の方に個別的に相談してみてください。経済産業局などに出向く非日常的なアクションは心理ハードルがあるかもしれませんが、ほとんどの場合歓待してくれて丁寧に教えてくれます。ネット検索よりも実際には効率がよい場合が多く、官庁の担当者とつながりができることで、エネルギーコスト高支援策以外の経営課題の支援策等の相談に行きやすくなります。税負担が急速上がって社会的に圧迫感が強まっている昨今ですが、税金から予算化される支援策を1つ残らず受益しようという企業は意外なほどの少ないのが現実です。実際資源エネルギー庁などは申請せずに自動的にエネルギーコストを値引きする策などを実施しています。支援策の活用度が上がらない理由は、内容や申請が難解で、手間がかかるためですが、経営幹部個人の時間と努力で済むことを考えると、企業としての手間はむしろかからない施策だと思います。様々な支援策を活用する企業の在り方は、他にそのような企業があまりないため、取引金融機関でも「経営に熱心」で「経営能力が高い」と認識されます。②-3:製造工場の電気代製造業ではエネルギーコスト高は製造原価を直撃します。製造業は他業態よりも1歩進んだ対策を取っており、「これ以上はもうできない」という認識に至るまでエネルギーコストの削減策を打っています。工場のいくつかでは建物内の空調を止めて、酷暑の中で従業員が働いているという、あってはならない領域まで足を踏み入れてエネルギーコスト高と戦っておられます。ところがほとんどの製造業で気づいて対処されていない有効な課題対策はあります。それをご紹介します。工場には製造設備が設置されており、そのほとんどは電力で動作しています。当然すぎる話ですが、設備を動かす際に電力ロスが出ます。それを全てカットする施策を打つことが可能です。多くの工場では生産量が変動する場合でも設備の能力は一定になっています。設備の能力はMAXに設定され(繁忙期の生産性を維持するため)ていることが多く、生産量が減ってもこまめに設定は変更されません。これは大きなロスを生んでいます。また、内部構造上発生する電力ロスを物理的、電気的対策でカットします。工場には電気、機械の専門知識を持っている人が必ずおられます。彼らは専門職のプライドにかけてすべての対策を打っていると断言されますが、人間なので見落としによる機会損失はあります。上記指摘のような対策を指示すれば、専門職人材はその専門性にかけて対策に取り組みます。また専門職人材が不足している工場では、大学の機械工学、電子工学の研究者でこのような分野に詳しい方に依頼して、サーベイを行い、対策を打っている企業もあります。提供:税経システム研究所
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2024/10/31 企業経営
企業探検家 野長瀬先生の経営お悩み相談室(第15回)
毎回いろいろな企業経営者のお悩みをテーマとし、その悩みを解決する糸口を企業探検家・野長瀬裕二先生がアドバイス形式で解説していきます。筆者が見てきた様々な企業の成功例や工夫の事例、そこから見えてくる普遍的なノウハウを紹介し、各回のテーマの悩みに寄り添う情報をお伝えします。<相談内容>地方の中小外食店の50歳の経営者です。親から受け継いだ店は、地域密着の大衆食堂で固定客に恵まれています。地方の国道沿いのロードサイドに、親が残してくれた土地があり、そこに店舗は立地し、駐車場スペースも十分あります。メニューが豊富で、値段の割に「デカ盛り」の良心的な店として知名度もあります。現状、経営状況は安定しているのですが、将来の戦略について迷いが出ています、最近は、地域の人口も減少傾向にあり、固定客の高齢化が進んでいて「デカ盛り」は今後のニーズに合わないのではないか、という不安を感じるようになってきました。大学生の娘は店を継ぎたい意向があり、後継者についてはめどが立っています。今後の事業戦略について、どのように考えていけばよいでしょうか。■大手外食チェーン店はどう動くか外食産業については、まず大手チェーン店の事業戦略を見るとよいでしょう。日本の人口が全体的に減少し、特に人口減少の進む地方圏の店舗をどうするかは、御社と同様の悩みを大手チェーン店も持っています。大手の戦略は下記のパターンに分かれていくでしょう。「海外進出」と「M&A」、あるいはそれらの複合戦略です。イタリアンや回転寿司のチェーン店は、中国をはじめとするアジア市場を既に押さえています。ラーメンチェーンもアジア市場のみならず、欧米市場にも進出しています。うどん、牛丼、さらにはカレーや中華料理も海外市場に進出しつつあります。寿司とうどんのように日本の古くからの料理文化に由来しているのに、海外市場で既に愛されている場合もあります。一方、イタリアン、ラーメン等は、海外の料理文化を日本市場でブラッシュアップし再輸出したものです。いずれにせよ、日本市場における激烈な競争を勝ち抜いたこれら各ブランドが海外市場を奪いに行っているわけです。これらの大手チェーン店は、海外市場で高成長し、日本市場は低成長を見込む。そのような経営計画と今後なっていきます。海外に進出する余力の無いブランドは、今後は成長力に陰りが見えていき、他社を買収するか、あるいは他社に事業売却するかということとなります。これらの状況を考えると、今後、各大手チェーン店は投資を海外とM&Aに優先的に行い、国内市場においては、採算性が悪化した地域からは徐々に撤退するという経営シナリオが有力となるでしょう。大手流通業などにおいても、同様の経営シナリオとなることが予測されます。国内市場において投資するのは、東京圏、大阪圏、名古屋圏、さらには福岡圏、仙台圏などの人口減少が少ない地域が中心となります。外食チェーンにおいても、これらの地域ではある程度店舗網が維持されるでしょう。問題は、それ以外の地方圏の店舗をどうするかです。地方圏においては、各ブランドに必要な商圏人口の有無により店舗網を維持するか否かを決めていくことになるでしょう。今後、さらに地域の中小外食業の廃業も続きます。コロナ前後の事業不振の事例ばかりではなく、地域名店であっても店主の急逝や後継者難による廃業がこのところ相次いでいます。もちろん、これからやる気のある経営者による新しいお店も生まれるでしょう。しかし、地域のプレイヤーが減少していく流れの中、自社の得意とする「顧客層、商圏」を意識して事業戦略を立案するべき時期に御社はあると思われます。御社は、後継者もいらっしゃるようですので、長期的な視点から物事を考えることができます。■どのように戦略の体系を考えるかまずは、事業戦略を体系的に考える際には、図1に示される損益分岐点分析を行うことがオーソドックスな方法となります。図1損益分岐点分析の概念基本的な手法ですので、過去に学ばれていると思いますが、事業戦略を体系的に考える上での起点として復習してみましょう。費用(C)は変動費(V)と固定費(F)に分解されるので、C=V+Fと表現されます。変動費(V)は材料費のように売上高に比例して増減する費用で、固定費(F)は家賃などの一定の費用です。総費用線は、費用(C)が変動費の存在により、売上高に比例して増える状況を示しています。売上高と総費用が交わる点を損益分岐点(BEP)と言います。その時の売上高(S)は損益分岐点売上高(Sb)と表現されます。利益(G)は、S-C=Gと表現され、Sbの時、G=0となります。売上高(S)から変動費(V)を除いたものを限界利益(M)と呼び、M=S―Vと示されます。M/Sを限界利益率(m)と呼びますが、損益分岐点売上高は、「Sb=F/m」により求められます。損益分岐点比率(BER)は「Sb/S」により求められ、この値を引き下げることが優良企業となることにつながります。具体的には、表1に示される通り、1.分母のSを大きくする、2.分子のSbを小さくすることが事業戦略の体系の柱となります。表1事業戦略の体系事業戦略の構成要素は表1のa-dにより分類されます。これらa-dの各構成要素について深く考えていくと、他の構成要素についても関連して考える機会が出てきます。それぞれを独立して考えてもよいのですが、最終的には統合化された事業戦略に落とし込んでいくこととなります。また、aとdは、価格を見直すと限界利益率も影響を受けるという関連性がありますのでまとめて考えても良いでしょう。bの販売数量について考察する際には、どのような顧客に何を売るべきかという「製品―市場」の組み合わせが重要なポイントとなります。cの固定費について考察する際には、どのような投資をすべきか、さらには増強すべき人材や設備の明確化が重要なポイントとなります。■地域密着と広域化の両立ここでは、上記の事業戦略の構成要素のうち、b(販売数量の引き上げ)、a+d(価格と限界利益率の引き上げ)を中心に考えていきましょう。御社は、地域密着の大衆食堂として「デカ盛り」を看板に、良心的な価格設定で繁盛してこられました。しかも、公共交通の不便な地方都市で、広い駐車場がある国道沿いの立地は好条件となっています。ご相談にある通り、「デカ盛り」の需要は確かに固定客の高齢化と共に低下する可能性はありますが、もう少し掘り下げて分析する必要があります。後継者を予定されているお嬢様に、その分析を委ねるのも一考に値するかと。まさに事業承継の際に考えるべき事項の一つだからです。御社の固定客は、1.客単価をいくら使っているのか、2.どのような人がどのメニューを好んでいるのか、3.客単価の高いお客様はどのような人か、を調べることで顕在化されたニーズが把握できます。普通は、ガッツリ系の「デカ盛り」を好むのは、若者やカロリーを消費する労働者ですが、4.近隣の学校や企業の工場などの動向、5.それら事業所への訪問客の動向もデータとして押さえておくことが重要です。「製品―市場」の組み合わせ、すなわち「どのような顧客にどのようなメニューを提供すべきか」について、分析を通じて明らかにしていくことが求められます。「デカ盛り」の有名店を遠方から巡礼するような需要も最近はあるそうです。駐車場の車のナンバーを定期的に観察することで、6.地域外から来て下さるお客様の可能性について分析することも可能です。潜在的なニーズとしては、国道沿いのロードサイドの立地ということで、7.トラック運転手たちの休憩スポット、となる可能性はないかも調査する必要があります。厚生労働大臣によるトラック運転手の労働条件に関する「改善基準告示」は、2024年4月1日から適用されるようになりました。連続運転時間、拘束時間、休息などについて基準が示されたことで、高速道路のサービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)は、トラック運転手たちの場所取り合戦が繰り広げられる状況となっています。SAの食堂は、デカ盛り系の定食が用意されています。高速道路を降りて一般道で休憩するニーズもあり、御社の駐車場にトラック用のスペースを確保できるかです。食堂によっては、長距離運転後の運転手用のシャワー施設を併設し、これを有料化している事例も見られます。御社のような地方都市の国道沿いでは、土日のゴルフ場帰りなどの8.レジャー客のニーズも無視できません。地域の学生や工場は平日に需要があり、土日の需要をとらえることで平準化された店舗運営が可能となります。ゴルフ客は、ゴルフ後にクラブハウスで飲食や消費をすることが多いのですが、テイクアウト可能な食品や名物を創り出すことで新たな需要をとらえる可能性もあります。これらの顕在化されたニーズ、潜在的なニーズに関する調査を行い、地域密着と顧客の広域化を両立し、販売数量の引き上げを目指すことが必要です。大手外食チェーン店は海外市場で成長し、国内市場では大都市を中心に店舗網を維持し、必要に応じてM&Aなどを実施しようとしています。海外進出するだけの経営資源を持たない中小外食店は、地域内の顧客にさらに密着し残存市場を抑え、地域外の顧客へのアクセスを強化して、顧客基盤を広域化していく。そうすることが、今後の人口減少社会においては、地方都市の中小外食店の標準的な事業戦略となるでしょう。■限界利益率をどのように改善するかデカ盛りで良心的な値段で、さらに美味しい。こうした状態を努力により続けてきたからこそ、御社はこれまで固定客に愛され、良好な経営状況を保ってきたのです。一方、デカ盛りで良心的な値段ということは、材料費などの変動費(V)の売上高に占める割合が大きいということになります。ですから、限界利益率(m)は低めに抑制されることになります。変動費は売上高が発生すると避けることは出来ないので、不可避費用(UnavoidableCost)と呼ばれキャッシュアウトにつながります。限界利益率(m)が低いということは、損益分岐点売上高(Sb)も損益分岐点比率(Sb/S)も高くなり、売上高が落ちると赤字に転落しやすいということです。御社は、地域密着により固定客がたくさん来店して下さったために、売り上げ規模が維持されて黒字を続けることが出来たということになります。例えば、上記4,5の調査を行い、地域の学校や工場の縮小・廃止が判明した場合は、早く手を打たなければなりません。逆に新しい企業の進出が決まるといった明るい話題があると、他社との競合を想定することになります。また、値上げにより限界利益率(m)を改善するという手法もあるのですが、トレードオフ、つまり来客数(N)が減ることで限界利益の金額が減ってしまうというリスクも想定されます。良心的な価格を捨てて高級路線に走るには、別ブランドの高級レストランを立ち上げるといった投資を行えばよいかもしれません。しかし、地方都市でそうした高級レストランのニーズがどの程度あるかは十分な調査をしなければわかりません。ですから、顧客離れをおこさないように価格を見直し、地域外から顧客を呼び込み、損益分岐点比率を保っていく努力を事業承継と並行して行なうのがベースラインシナリオとなります。現在、高単価のメニューを注文してくださる顧客の属性を明らかにし、そうした顧客層向けにメニュー開発を行い、トッピングなどで追加注文を可能とし、テイクアウト需要をとらえるといった努力も増収のためには必要です。高齢化社会において、デリバリーの需要もあると思われますが、フードデリバリー専業企業の決算を見ると収益確保に課題がある場合もあるようです。デリバリーという仕事に付加価値を加えていく努力をしない限り、収益の足を引っ張る可能性もあり、実施する前に緻密な収支計算が必要です。地域内の顧客の将来動向を把握し、限界利益を確保し、地域外の顧客を取り込んでいく。そうすることで損益分岐点比率を低くし、事業承継後も安定した経営状況を維持できます。すべきことを着実に実行していくなら、御社にはさらなるご発展が期待できるでしょう。提供:税経システム研究所
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2024/10/10 行政DX
マイナンバーカードを活用した救急業務の迅速化・円滑化
1.はじめに現在、マイナンバーカードの健康保険証としての利用が進み、全国の医療機関等でオンライン資格確認等システムを活用して、患者・医療従事者の利便性を向上させるための環境整備が進んでいる。消防庁でも、当該システムを救急現場で活用して、救急業務に必要な傷病者情報を正確かつ早期に把握することで、迅速・円滑な救急活動が期待できるとして、2022年度から、マイナンバーカードを活用した救急業務(以下マイナ救急)の迅速化・円滑化の検討を救急業務のあり方に関する検討会(注1)内に設置されたWGにおいて行っている。現在の救急活動においては、救急隊が傷病者の搬送先医療機関の選定等に必要な情報を傷病者本人もしくは家族等の関係者から直接聴取しており、関係者がいない場合には症状に苦しむ本人から聴取することとなるが、これは傷病者に対する大きな負担となる。また、複数の基礎疾患を有する高齢者の救急事案では、本人が病歴や受診した医療機関名を思い出せないことや、関係者が傷病者の情報を把握していないことも少なくない。このため、救急現場で傷病者が保有するマイナンバーカードを活用して、救急業務に必要となる情報を正確かつ早期に把握することができれば、より迅速・円滑な救急活動の実施が期待できるとされる。一方で、救急の現場では、医師ではない救急隊員等が、医療に関わる情報を参照することになるため、プライバシーの侵害や、本人の同意をどのように扱うか等の課題も多く存在しており、これら課題をどのように解決するかの検討も必要となる。このため、消防庁は、本年度、マイナ救急に関する実証事業を進めており、マイナ救急の運用方法や効果等の検証を進め、あらゆる関係者にメリットのある仕組みを構築し、導入するための検討を行っている。本稿では、現在想定されているマイナ救急の仕組みを解説し、現在の課題と今後の方向性を見ていきたい。2.マイナンバーカードを活用した救急業務(マイナ救急)消防庁は、令和5年度に開催したマイナンバーカードを活用した救急業務の全国展開に係る検討WGにおいて、「救急隊員が傷病者の医療情報等を閲覧する仕組みの骨子」(注2)を取りまとめた。この中で、救急出動件数、救急搬送人員は、一貫して増加傾向にあり、今後も搬送率が高い高齢者の人口が増加する見込みであることに加え、救急需要が多様化していることから、傷病者本人及び救急隊員の負担を極力抑えながら、医療機関との更なる連携強化を図ることが必要であるとし、このために、救急業務において傷病者の健康保険証利用登録済マイナンバーカード(いわゆる「マイナ保険証」)を活用し、オンライン資格確認等システムから救急隊員が傷病者の医療情報等を閲覧する仕組みを構築することで、傷病者自身の情報伝達にかかる負担を軽減するとともに、救急隊員が正確な傷病者情報を把握して搬送先医療機関の選定を行うことで、救急業務の迅速化・円滑化を目指すとしている。現在の救急現場では、救急隊が傷病者から口頭で「傷病者の病歴、受診歴、服薬している薬」等の情報を聴取しているが、傷病者が会話できない場合や傷病者本人が病歴や受診した病院等を忘れている場合、傷病者が意識の無い場合においても、救急隊がマイナンバーカードを用いて正確な傷病者情報を早期に把握することができれば、情報の聴取時間が短縮され、傷病者に適応する搬送先医療機関の選定迅速化が図られる。また現在は、オンライン資格確認等システムを用いて、患者本人の同意のもとで医療機関等に医療情報の提供を行っているが、厚生労働省は、意識障害等で患者意思を確認できない状況等の「患者の生命、身体の保護のために必要がある場合」に、同意取得が困難な場合でも、医療機関内で医師等が医療情報の閲覧(救急時医療情報閲覧)を可能とするためのシステムを令和6年10月より運用開始するとしている。このため、消防庁では、ここで運用されるオンライン資格確認等システムの救急時医療情報閲覧の仕組みを活用し、救急隊において生命、身体の保護の必要があるとして傷病者の搬送を判断した場合に、傷病者の救急時医療情報等を閲覧する仕組みの検討を進めている。(表1)表1情報閲覧の同意取得に係るフロー(救急では黄色の部分のみを対象とする)図1マイナンバーカードによる救急時医療情報閲覧(参考文献3の図を参考に作成)ここで、救急現場での運用を想定しているマイナンバーカードによる医療情報閲覧(図1)のフローは次のようになる。救急隊員は救急現場に到着後、傷病者に生命・身体の保護の必要性があるかを判断する。救急隊員は、救急隊閲覧用端末にログインし、オンライン資格確認等システムに接続する。病院等への搬送が必要と判断した場合、マイナンバーカードの提示を求める。カードを所持していない場合や情報提供の同意が得られない場合には、通常の聴取等の救急活動を行う。同意が得られた場合及び同意取得が困難な場合には、救急隊員が、カード券面の顔写真を用いて傷病者がカード所有者であることを確認し、マイナンバーカードを情報閲覧端末にかざす。オンライン資格確認等システムは、PINの入力なしにカード所有者の確認を行う公的個人認証サービスの特定利用者証明機能を用いてカード所有者を確認し、カード所有者の救急時医療情報を端末に表示する。また、いつ、どの消防本部が、情報を閲覧したかを履歴として記録する。救急隊員は、表示された情報を用いて、搬送先医療機関を選定する。傷病者は、マイナポータルから、いつ、どの消防本部が、情報を閲覧したかを確認できる。このように想定フローでは、救急車内に置かれた救急隊閲覧用端末を用いて救急隊員が要配慮個人情報である医療情報等を閲覧することになる。通常医療機関では、医療従事者のみが立ち入り可能な医療機関内の管理された区域に置かれた端末を用いて医療情報の参照を行っているため、医師等の認証については、ID/パスワード等の比較的簡便な方法をとっていることが多い。一方、救急車では、救急隊員以外の関係者や傷病者の関係者等が立ち入る可能性があるため、閲覧資格の無い者が医療情報閲覧を不正に行うリスクが高まるとされる。このため、マイナ救急では、確実に救急隊員のみが情報閲覧を行うようにするために、厚生労働省の定める「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン」(注4)に従い、閲覧用端末へのログイン時に、ID/パスワードとともに生体認証、USBキー、ICカードのいずれかを併用した二要素認証を行う方針である。また、救急隊員が操作できる状態で端末が放置・盗難されるリスクや気づかないうちにマルウエア等をインストールされてしまう等のリスクがあることから、実運用を想定したセキュリティアセスメントを実施し、その結果を基に、マイナ救急の閲覧端末等におけるセキュリティ対策の策定および消防本部におけるセキュリティガイドラインの作成を本年度行うこととしている。さらに、マイナ救急を実施するにあたっては、日ごろからマイナンバーカード携帯し、マイナ保険証として利用してもらう等、国民の協力が必要不可欠であることから、救急業務において傷病者のマイナ保険証を活用することについて、その必要性や目的を国民に対してわかりやすい形で広報・周知していくとしている。3.マイナ救急の実証事業消防庁は、本年5月より、マイナ救急の実証実験を全国35都道府県・67消防本部・660救急隊において実施している。今回の実証実験は、令和4年に実施した実証実験の結果を踏まえて、様々な課題の解決を目指して実施しているものであるため、まずは、令和4年の実証実験で明らかになった課題から説明したい。令和4年の実証事実験当時のマイナンバーカード保有率は50%程度(注5)であり、マイナ保険証も開始されたばかりでほとんど普及していなかったため、比較的保有率が高い全国6自治体を選択して実証実験を実施したが、傷病者がマイナ保険証として登録されているカードを所有していた割合は救急隊の出動件数のうち3.1%しかなく、本人同意のもとで情報の閲覧に至った割合はわずか2.6%であった(注6)。また、すべての事例について、厳格な本人同意を必須とし、医療機関に設置されている顔認証付きカードリーダーを使用した同意の取得、もしくは書面での同意取得を行ったため、顔認証がスムーズに実施できない場合や傷病者が意識のない場合には対応できなかった。さらに、情報の閲覧を救命救急士に限定したが、救命救急士は通常救急隊に1名のみの配属となるため、救急隊内部での役割の分担がスムーズに行えない等の課題も発生した。このために、令和4年の実証実験では、マイナンバーカードを活用して情報を確認した事案における平均の現場滞在時間が23分25秒となり、令和3年の出動事案(実証実験と同期間に実証実験実施消防本部が出動した事案)の平均滞在時間である16分56秒と比較して6分29秒延伸することとなり、メリットを十分訴求できない結果となっている。このため、今回の実証実験では、119番通報受電時に、通報者に対してマイナンバーカード利用についての事前説明や準備の依頼を行うことで、円滑なマイナ救急を実施する。救命救急士だけでなく、全救急隊員に閲覧アカウントを付与し、救急時医療情報を閲覧可能とすることで、柔軟な運用(役割分担)を可能とする。書面等での同意取得ではなく、口頭での同意取得を可能とすることで、同意取得に必要な時間を短縮する。また、意識不明時等で同意取得が困難な場合は、同意なしでの情報閲覧を実施する。救急隊向けのシステムの閲覧プロセスを最適化し、ログインしてから情報閲覧までの画面遷移数等を、医療機関で用いられるオンライン資格確認等システムと比較して大幅に削減する。これにより、操作時間の短縮を目指す。等の対策を講じることで、救急隊員の負荷を減らし、スムーズなマイナ救急を実施する予定である。また、2024年7月31日現在のマイナンバーカード保有率は74.5%、さらに健康保険証利用登録は、マイナンバーカード保有者数の80.0%(注7)であるため、前回よりも多くの情報閲覧の実施を見込んでいる。一方で、現時点では解決に至っていない以下の課題があり、これらは継続検討となっている。意識不明者のマイナンバーカードの取扱い現在の救急業務では、傷病者が意識不明等で意思疎通が困難かつ家族や知人等の同伴者がいない場合には、警察官が傷病者の所持品検査を行って免許証や健康保険証等を確認し、氏名や年齢、住所等の情報を取得している。マイナ救急の効果を十分発揮するためには、できるだけ早い段階で傷病者のマイナンバーカードを利用して意識不明者の医療情報を参照することが望ましいが、現在の消防法の規定では、傷病者の身元確認のために救急隊が所持品検査を行ってマイナンバーカードを探すことが許容されているとは言えず、必ず警察官の立ち合いが必要となる。この件については、今年度実証事業を行う消防本部の意見を参考に、制度等の整備の必要性を整理することとしている。他の救急業務システムとの連携救急車内では、救急隊員、消防署、医療機関間を連携し、救急活動を効率化する救急業務システム等の多種の情報システムが利用されている。マイナ救急は、医療用に整備された専用のネットワークを利用して救急時医療情報の参照を行う仕組みであるため、インターネット等を利用した他システムとの連携はセキュリティの観点から容易ではなく、例えば、救急隊がマイナ救急を介して入手した傷病者の既往症やアレルギー情報、薬歴等を搬送先医療機関と容易に共有することができない。また、傷病者のこれら情報を通信指令センターとも共有できないため、搬送先病院の選定を救急隊員と通信指令員が連携して行うことが難しい場合もある。このため、今後連携先システムのセキュリティ要件の見直しやセキュリティ機能の追加等を検討し、救急業務全体の効率化に向けた検討を行うこととしている。救急隊員による閲覧拒否の事前意思表明について厚生労働省は、医療機関内から救急医療時に医療情報閲覧を可能とする仕組みの整備を進めており、意識不明時等の場合には、救命行為を行う医師が同意なしに救急時医療情報の参照を可能としている。一方で、マイナ救急での情報閲覧は、主として搬送先病院の決定等を行うために用いられるものであり、直接的な救命行為に結びつかない場合もあることから、救急隊員による情報閲覧を希望しない傷病者がいることが想定されている。このため、消防庁では、意識不明等で意思表示ができない状況に備えて、事前に閲覧拒否の意思表示するための方法を今後検討するとしている。4.終わりに本稿では、消防庁で実施しているマイナンバーカードを活用した救急業務の迅速化・円滑化に向けた検討の現状と課題を解説した。本年度の実証実験は、すでに一部の地域で始まっており、実施した救急隊からは、「外出先での事故で、お薬手帳を所持していなかったが、マイナ救急により正確な薬剤情報を共有できた」、「薬剤情報を閲覧し、抗凝固薬の服用の確認が取れた(血栓等を防止する薬を服用している場合、止血等の処置を慎重に行う必要があるため)」、「外国人の傷病者で、日本語が通じにくい中、医療情報を閲覧できたのは有用であった」等の意見が挙がっていることから、今後更なるマイナ救急の有効性が示されることが期待される。消防庁は、令和7年度に全国の消防本部において、本年度の実証を踏まえて改善を加えたマイナ救急システムの実証を行う検討を進めており、これにより、ほぼすべての国民がマイナ救急の恩恵を受けられるようになると想定される。一方で、マイナ救急の一層の活用を進めるためには、国民が、いつどのような場所でも常にマイナンバーカードを所持することが必要であり、いざという時に備えてマイナンバーカードを常に所持することが有効であることを理解してもらうよう、本取組を国民に広く周知・広報していく必要がある。また、現在のシステムで閲覧可能な救急時医療情報は、オンライン資格確認等システムをベースとしており、そこで扱われる情報は、レセプト(医療機関が保険者に対して請求する医療費の明細書)から抽出したものであるため、閲覧可能な薬剤等の情報は、おおよそ2か月程度前の情報となる。これに対して、厚生労働省は電子カルテ情報共有サービスの構築を進めており、そこでは、電子処方箋情報等との連携により、ほぼリアルタイムに薬剤等の情報や検査情報の共有が可能となる。今年度の実証実験での意見にもあったように、薬剤については、今何を服用しているかの情報が非常に重要であり、マイナ救急においてもオンライン資格確認等システムだけでなく電子カルテ情報共有サービスの情報を取り込み閲覧することが望まれる。本年12月からのマイナ保険証への本格移行は、現時点で賛否がほぼ拮抗している状況(注8)ではあるが、反対意見を持つ人の多くは、マイナ保険証のメリットを知らない、イメージがつかないことも明らかになってきている。マイナ救急は、いざという時のために用意されるものであり、普段はその恩恵にあずかれるものではないが、当事者にとっては自らの命を救ってくれる有用な仕組みとなることは明らかである。今後、政府には、マイナ保険証を利用することによる有用性を広く周知し、マイナンバーカード、マイナ保険証の社会受容性を高めるため活動の実施を期待したい。<注釈>令和6年度救急業務のあり方に関する検討会(消防庁),https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/post-151.html「令和5年度救急業務のあり方に関する検討会報告書」の公表(消防庁),https://www.fdma.go.jp/pressrelease/houdou/items/240325_kyuuki_01.pdfマイナンバーカードを活用した救急業務(マイナ救急)の全国展開に係る検討(消防庁),https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/post-151/01/shiryou1.pdf医療情報システムの安全管理に関するガイドライン第6.0版(令和5年5月)(厚生労働省),https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000516275_00006.htmlマイナンバーカードの市区町村別交付枚数等について(令和4年10月末時点)(総務省),https://www.soumu.go.jp/main_content/000844027.pdf令和4年度救急業務のあり方に関する検討会報告書(消防庁),https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/post-118/04/houkoku.pdfマイナンバーカードの普及に関するダッシュボード(デジタル庁),https://www.digital.go.jp/resources/govdashboard/mynumber_penetration_rate#dataマイナ保険証に関する調査概要と調査結果(三菱総合研究所),https://www.mri.co.jp/knowledge/insight/hd2tof000000h87a-att/mer20231215.pdf提供:税経システム研究所
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2024/10/07 企業経営
事例で学ぶ~資本調達に成功する資本政策の読み方・作り方
【サマリー】2024年6月に東京証券取引所グロース市場に上場した株式会社ライスカレーの資本政策を、公表されている有価証券届出書等により分析して研究する。ライスカレーは創業直後の2016年から2022年まで、計6回の第三者割当増資で合わせて8億2千万円を調達。GMOグループほかVCが資本参加。上場前にグループ会社を株式交換で完全子会社化して、新株を交付。最後の第三者割当増資の株価2,127円(株式分割考慮後)に対して、上場時の公募価格は1,420円で、いわゆるダウンラウンド上場となった。1はじめに今回は、2024年3月に東証グロースに上場した株式会社ライスカレーの資本政策の研究です。ライスカレーは、CCXcloudと称するSNSやECから収集されるマーケティングデータをクラウド上に保有し、その分析データをB2B(エンタープライズ領域)で提供するデジタルマーケティングのプラットフォームの運営事業を行っています。またそのプラットフォームをブランディング等のマーケティング戦略に活用して自らECそのものを事業(コンシューマー領域)として行っています。(出典:有価証券届出書)CCXcloudでは、SNSをはじめとしたコミュニティから取得できるユーザーのインサイトやECの購買データなど多様なデータ(コミュニティデータ)の蓄積・分析が可能です。ライスカレーがネット上で自社運営しているコミュニティ(自社コミュニティ)と同社グループが支援する顧客のコミュニティに『CCXcloud』が導入されています。ライスカレーは、2016年4月の設立。2016年7月に大久保遼氏がオーナーとして経営参画した上で、株式会社GMOベンチャー通信スタートアップ支援ほかエンジェル等がシード期の投資をしています。その後、2018年から2022年にかけてCVCあるいは上場会社としてはGMOグループを中心に電通及び丸井グループが資本参加、VCとしてはみずほキャピタル、SMBCキャピタルなどが投資を行い、総額825百万円の資本調達を行っています。2019年3月に行われた増資後の時価総額(ポストバリュー)は約10億円。調達額は1億円で10%の希薄化でした。ポストバリューはその後、2020年3月に15億円(調達額50百万円)、2021年6月には26億円(調達額1億円)、2022年5月には55億円(調達額570百万円)と増加しています。2023年3月にはグループ会社でコミュニティEコマースのRiLiを株式交換により完全子会社化。RiLiの株主に新株式を交付しています。株式交換後の時価総額は58億円(株式分割後の1株あたり株価は2,127円)となりました。ところがブックビルディングで決まった公募売出価格は1,410円と大幅なダウンとなりました。公募増資2億3千万円を含む上場時の時価総額は42億円となっています。2第三者割当増資の状況以下は、ライスカレーの有価証券届出書第二部【企業情報】、第4【提出会社の状況】1【株式等の状況】(3)資本金の推移の表です。上記「発行済株式総数及び資本金等の推移」の注1~注6では、普通株式による第三者割当増資に、それぞれに示されている割当先が参加していることが示されています。添付の資本政策表においては、この表だけでは把握できない部分を、有価証券届出書の第四部【株式公開情報】第3【株主の状況】の情報によってとプレスリリース情報によって推計しました。この中で、みずほ成長支援第3号投資事業有限責任組合(以下「みずほ3号組合」)が参加した2019年2月と2021年6月の第三者割当増資及び、丸井グループが資本参加した2022年5月の第三者割当増資を例として見てみましょう。2019年2月の増資における発行価格は1株あたり4,584円。4,500株が発行されており、そのすべてを、みずほ3号組合に割当てています。2021年6月の増資の発行価格は1株あたり11,084円、発行総数9,472株のうち、4,511株をみずほ3号組合が引き受けていると考えられます。みずほ3号組合の取得した株数は合計で9,011株、その取得金額は合計で70,627千円となります。平均取得価格は7,838円です。なお2021年6月の増資後の発行済株式総数は235,026株で、みずほ3号組合の保有シェアは3.83%。この時点の時価総額は、235,026株×11,084円=26億円と計算されます。一方、2022年5月の増資における発行価格は1株あたり21,275円。丸井グループに9,400株、高橋理志氏に470株の合計9,870株が発行されています。増資後の発行済株式総数261,816株に発行価格を乗じた時価総額は55億7千万円です。丸井グループの取得シェは3.59%。取得価額は9,400株×21,275円=199,985千円でした。3M&Aによる事業拡大とグループ会社の組織再編ライスカレーでは、創業時より子会社を事業ごとに設立するグループ会社経営を行ってきましたが、上場までに間にグループ戦略を見直してきた経緯があります。同社は2016年4月に株式会社ライスカレー製作所として設立後、インフルエンサープロデュースブランドの立ち上げ、運用を支援するマークドバイ株式会社を子会社として設立しています。その後、ライスカレー製作所は2019年4月に社名を株式会社SUIRINHOLDINGSに変更し、新設分割により100%子会社として同名の株式会社ライスカレー製作所を設立しました。SUIRINHODINGSの傘下に事業ごとに子会社を設立あるいはM&Aをしていく方針であったと思われますが、経営効率の観点から方針を見直し、2020年9月には株式会社SUIRINHOLDINGSに株式会社ライスカレー製作所及びマークドバイ株式会社を吸収合併し、社名を株式会社ライスカレーへ変更しています。さらに2022年4月にはコミュニティデータマネジントツールの開発を担う株式会社パスチャーを100%子会社化後に吸収合併。さらに、2022年7月に株式交換により株式会社RiLiの全株式を取得して完全子会社化しています。上場審査においては、子会社の株式の一部を特別利害関係者が保有している等の場合においては、原則として合併または100%子会社化が求められています。ライスカレーにおいてもグループ会社の合併及び100%子会社化が進められたと考えられます。このうち、「発行済株式総数及び資本金等の推移」の注7に示すとおり、株式交換によって100%子会社化されています。RiLiの株主であった同社の役員等に対してライスカレーの新株式が交付されています。この株式交換による増加資本はすべて資本準備金として、その金額は257,287千円と示されています。新たに発行された株式数は12,093株であることから、1株あたりの発行価格は21,275円であったことがわかります。これは直近の第三者割当増資の発行価格と同額です。「企業結合に関する会計基準」(企業会計基準第21号)では、共通支配下の取引(親会社が子会社を完全子会社化する株式交換や合併等の取引)か、非支配株主との取引(子会社ではない会社の株式交換や合併等の取引)によって異なる会計処理が必要とされています。前者においては、内部取引として適正な帳簿価額を基礎に取引にかかる会計処理を行いますが、後者では時価により取得したものとした会計処理が求められます。RiLiの株式交換取引においては、時価による適正な交換比率によって株式交換が行われたと考えられ、資本準備金の増加額が時価を基礎として算定されていることから、非支配株主との取引であったと考えられます。株式交換によって交付された株式のうち、RiLiの代表取締役、岩片麻翔氏には7,524株が交付されています。時価評価では、岩片氏のライスカレー株式の取得価額は7,524株×21,275円=160,073千円と計算されます。すなわち保有していたRiLi株式も160,073千円で評価されたということになります。仮にRiLiの完全子会社化を株式交換ではなく現金取引で行ったとすると、ライスカレーから総額で257,287千円の資金が流出し、岩片氏にはそのうち160,073千円が支払われることになります。株式交換による取得を選択した理由としては、資金の流出を避けることができることに加え、岩片氏を含むグループ会社の役員に対して親会社の株式を保有することによるインセンティブを与えることができるメリットがあったと考えられます。役員個人に対する税務上の取扱いが気になるところですが、ライスカレーの1株あたり純資産は2022年3月末時点で117円。岩片氏の例では純資産評価による取得価額は880千円に過ぎません。個人に対する課税は、RiLiの株式譲渡に伴う譲渡益ですが、最大でも取得価額を控除した後、分離課税で20%となりますから、ほとんど負担はありません。一方、現金で譲渡した場合には、最大で32百万円の課税が発生する可能性があったことになります。この点においても、このケースでは株式交換が優れていたと言えましょう。4上場時の公募売出上場日の直前には公募売出が行われて、一般投資家が株主として参加します。証券取引所では、流動性を確保することを目的に上場基準として、株主数や流通株式総数、流通株式比率の最低ラインを定めています。ライスカレーの有価証券届出書の【証券情報】に示された上場時の公募株式数は229,500株、売出株式数は581,900株(オーバーアロットメントによる売出105,900株を含む)とされています。想定売出価格によってまず仮計算による売出の想定金額が示されており、その後、ブックビルディングによって売出価格が決定された際には、改めて「訂正有価証券届出書」が提出されます。想定売出価格は1,420円とされて計算されています。その後、仮条件の下限1,240円〜上限1,420円とするブックビルディングが行われ、その結果、売出価格は想定売出価格と同額の1,420円に決定しました。ライスカレーの上場時には、創業メンバーに加えて第三者割当増資に応じたCVC、VC等の一部が売出を行っています。先に例示したみずほ3号組合は、保有していた90,110株のうち18,110株を売出により放出しました。売却収入は18,110×1,420円=25,716千円で、取得価額18,110×784円(分割考慮後)=14,198千円を控除した売却益は11,518千円。残った保有株式の含み益は、72,000株×(1,420円-784円)=45,792千円と計算されます。一方、最後の増資にて資本参加した丸井グループは、売出を一切行っていません。ダウンラウンド上場となったことから保有株式に含み損が発生しました。その額は、94,000株×(2,127円-1,420円)=66,458千円と計算されます。なお、創業者の大久保氏は売出でオーバーアロットメントを含めて240,900株を放出しており、その売却収入は342,078千円であったと計算されます。売出後の保有株式数は1,126,830株、保有シェアは38%となっています。5おわりにライスカレーの上場初日の初値は1,560円と公募売出価格の1,420円に対して9.9%の上昇となりました。しかし、その後の株価は低迷しており、2024年8月19日の終値では916円と上場来最安値となりました。公募売出価格からの下落率は35.4%となっています。ライスカレーの事業は、冒頭で述べたように、デジタルマーケティングのプラットフォームの提供にあります。一方で、ECとして各種ブランドを構築しており、その成果が業績に直結するほか、提供するプラットフォームの評価にもつながります。好循環になれば、相乗作用が期待できますが、逆循環となるリスクも孕んでいると言えましょう。ライスカレーが運営する口腔美容のブランドMiiSのコミュニティECサイト以下は、ライスカレー過去5年間の業績の推移(2023年3月期以降は連結)をグラフ化にしたものです。上場直前期(N-1期)までは創業来、赤字が継続。上場申請期の2024年3月期に初めて黒字化しています。公募売出価格によるPERは38倍と高めではありますが、成長性を考慮すれば妥当ではないとは言えません。ただ、その後の株価推移を見る限り、公募売出価格が割高であったというのが市場の評価であると言わざるを得ません。以下のグラフでは、2025年3月期の業績予想も示しています。当期純利益は2024年3月期の109百万円に対して、2025年3月期の予想では269百万円と2.4倍の水準。予想通りの業績が上げられた場合、仮に同じPERの38倍で計算すれば、公募売出価格は3,473円、時価総額は103億円となります。つまり1年待って上場すればダウンラウンドとなることを避けることができた可能性があったわけです。業績の推移(単位:百万円)(有価証券届出書より筆者が作成)少なくとも時価総額で50億円を超えている最後の第三者割当増資が行われた2022年5月時点における資本政策では、100億円以上の時価総額での上場を想定していたと思われます。このタイミングでの上場になったのには、様々な背景があることとは思いますが、できれば、十分な業績を上げたうえで、堂々とした上場をしていただきたかったところです。提供:税経システム研究所
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2024/09/30 人事労務管理
退職に関わるトラブル回避(第6回) ハラスメントに関する解雇1
【サマリー】前回は、休職中の年次有給休暇や産休・育休、副業の可否、休職を巡る裁判例等について解説いたしました。今回は、職場でハラスメントが発生した場合、それが法律に抵触する場合、法律には抵触しないが就業規則に規定されている禁止事項に抵触した場合等は、直ちに懲戒処分や解雇が認められるのか?など、ハラスメントの加害者とされた従業員の処分について、ハラスメントのレベルにも触れながら解説いたします。1.職場におけるハラスメント令和5年度の厚生労働省の調査※1によると、過去3年間に各ハラスメントの相談があったと回答した企業の割合は、パワハラが64.2%と最も多く、セクハラ(39.5%)、顧客からの著しい迷惑行為(カスハラ)(27.9%)、妊娠・出産・育児休業等ハラスメント(10.2%)、介護休業等ハラスメント(3.9%)、就活等セクハラ(0.7%)となっています(図表1参照)。図表1:過去3年間のハラスメントの相談有無(ハラスメントの種類別)※1:厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査」令和3年にパワハラ防止法が制定されてからも、職場におけるパワハラが減少している印象はなく、まだまだ意識が低い経営者や幹部社員が多く、無意識のうちにハラスメントが起きている場合もあります。労働施策総合推進法30条の2第1項に、パワハラとは、①優越的な関係を背景とした言動で、②業務上必要かつ相当な範囲をこえたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①~③までの要素を全て満たすものと定義されています。①の「優越的な関係」というのは、上司と部下の関係に限らず、先輩と後輩、成績優秀者とそれ以外の者、正社員と契約社員、営業社員と事務社員など、職場におけるあらゆる人間同士の言動等も対象になります。②の「業務上必要かつ相当な範囲をこえたもの」というのは、図表2の通り、具体的に6類型に分類されています。図表2:パワハラの6類型また、「仕事を強制すると、パワハラになるのでは?」とか「相手がパワハラと感じればパワハラなのでは?」と思われている方が多く見受けられますが、それは間違いです。「業務上必要でかつ相当な範囲」をこえない指示、注意、指導等は、たとえ相手が不満を開示したとしても、直ちにパワハラとはなりません。③の「就業環境が害されるもの」とは、労働者が能力を発揮するのに重大な悪影響を及ぼすような看過できない程度の支障のことを指します。この状況に該当するかどうかは、たとえば精神的苦痛を与えられた労働者本人がどう感じているかではなく、「平均的な労働者の感じ方」として就業する上で看過できない程度の支障が生じるかどうかが基準となります。パワハラが疑われた場合、実務上では、その行為がどの類型に該当するのか、その行為を理由として就業環境がどの程度害されているのか、慎重に判断することになります。2.ハラスメントのレベル職場におけるハラスメントの中でも、相談件数が圧倒的に多いパワハラとセクハラについては、その悪質性などに応じて、次の4レベル(段階)に分けることができます。刑法上の違法行為(犯罪)ハラスメントの中でも極めて悪質な行為で、逮捕・起訴されて刑事罰を受ける可能性が高い行為となります。もはやハラスメントの域を超えて、暴行罪(刑法208条)、傷害罪(刑法204条)、名誉棄損罪(刑法230条)、強制わいせつ罪(刑法176条)、不同意性交罪(刑法177条)などに該当する違法行為です。民法上の不法行為(権利侵害)違法行為とは言えなくても、故意または過失によって他人の権利を侵害し、損害を与えた場合は不法行為に該当します(民法709条)。指導の範疇を超えた言動等により精神的なダメージを与えたり、度重なる恫喝やセクハラによって、PTSDに陥らせたりするような行為も、不法行為に該当します。このような場合は、加害者のみならず、企業にも安全配慮義務違反(労働契約法5条)や使用者責任(民法715条1項)に基づき、被害者に対する損害賠償責任を負う可能性があります。行政法上定義される行為前述のパワハラ(労働施策総合推進法30条の2第1項)の他、セクハラ(男女雇用機会均等法11条第1項、同条の3第1項)、マタハラ・パタハラ(育児・介護休業法25条第1項)など、各ハラスメントの定義を明確化しているとともに、企業に対して、ハラスメントの防止・対応のために必要な措置を講ずるように義務付けています。上記①、②に該当するか否かにかかわらず、企業は適切な措置を講じなければならず、義務を怠った場合、行政処分(指導、是正勧告、企業名公表等)の対象となります。企業秩序違反行為社内規程等で独自のハラスメント基準などを定めた場合は、企業はその基準に従ってハラスメントに該当するか否かを判断することになります。どのようなハラスメントが懲戒処分の対象になるのかなどを細かく規定しておく必要があります。なお、実際には上位レベルのハラスメントに該当する場合は、下位レベルのハラスメントも該当することになります。また、マタハラ・パタハラは、その性質上①および②のレベルは想定されていません。3.ハラスメントを理由とした懲戒、解雇ハラスメントが発生した場合、加害者(行為者)と認定された従業員の扱いは、就業規則等に規定されているいずれかの懲戒処分となるのが一般的ですが、場合によっては普通解雇や懲戒解雇の可能性もあります。ハラスメントのレベルが①の場合は、そもそも犯罪なので、懲戒解雇は社会通念上当然の処分といえます。レベル②の場合は、犯罪とまではいえなくとも、被害者からすれば身体的・精神的苦痛を強いられていた場合が多いので、加害者および会社に対して慰謝料や損害賠償請求はもとより、会社と和解する条件として加害者の解雇を要求される可能性も高いでしょう。ただし、実際にはレベル①②が職場内で発生するのはごく稀で、職場内でのハラスメントのほとんどはレベル③④に該当する場合です。これらの場合、懲戒処分、または普通解雇や懲戒解雇という重い処分とするためには、労働契約法15条の「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」、および労働契約法16条「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」という原則となるルールに照らして、慎重に処分を検討しなければなりません。実務上では、加害者とされた従業員・被害を訴える従業員双方から事情聴取、必要に応じて他の従業員からも意見を聴いたうえで事実確認、ハラスメントと認定された場合、加害者の弁明の機会を与え、懲罰委員会等で懲戒処分を検討し指導・教育を経て、それでも改善されなければ解雇という流れになります。とはいえ、ハラスメント行為の再発が危惧され、被害者の保護が必要であったり、他の従業員に悪影響を与える恐れが強い場合、さらに職場の規律を維持するために、加害者に辞めてもらうのが最善の道ということもあります。そのような場合は、退職勧奨を行い、合意退職に持ち込むことも検討すべきです。退職勧奨を行う際、特にセクハラは加害者と被害者2人の場面で行われることが多いため、事実認定が困難になるので、確固たる証拠を収集したうえでより一層慎重に行うべきです。4.適正な処分基準では、実際に職場内でパワハラやセクハラが起きてしまった場合、裁判等になった場合、不当処分や不当解雇とならないようにするには、具体的にはハラスメントの加害者に対する懲戒処分をどのように選択すればよいのでしょうか?処分を決定する際に、考慮しなければならない重要なポイントは次の5つです。ハラスメントの加害者の処分を決定する場合、以上のさまざまな要素を検討する必要がありケースバイケースの対応となるので、一律の基準を示すことは困難ですが、上記①~⑤に照らしてつぎの通りおよその目安を示します。※前提条件:就業規則にハラスメントが確認された場合は懲戒処分または悪質な場合解雇等が規定されていること。(懲戒処分は、「戒告」→「減給」→「降格」・「出勤停止」→「諭旨解雇」→「懲戒解雇」という順に重い処分。A:ハラスメント行為が行われたが、その後、加害者が十分に反省して被害者に謝罪し、被害者も謝罪を受け入れて、表面上は和解できているようなケース。処分内容:再犯の恐れが低ければ「戒告」として始末書・誓約書を書かせる、あるいは重くても「減給」程度。B:ハラスメントの被害者が多数あり、それが原因で休職者や退職者が発生していて、しかも加害者が反省していないようなケース。処分内容:職場環境を著しく悪化させているので、「降格」、一時的に「出勤停止」。このようなケースでも、加害者が過去にハラスメントで注意や懲戒処分を受けたことがない場合は、「懲戒解雇」は重すぎると判断される可能性が高いです。解雇が難しい場合、退職勧奨して退職してもらうことも検討すべきでしょう。C:過去にもハラスメントについて懲戒処分歴がある従業員で、さらにハラスメントを繰り返したケース処分内容:「諭旨解雇」あるいは「懲戒解雇」を検討する必要があります。会社が初犯の時から厳格に対応していれば、加害者に改善の余地がないとして、「懲戒解雇」が認められる可能性が高いです。以上が目安ですが、前述の通り、一律の基準を示すことは困難です。ハラスメントの加害者に対して懲戒処分をする際は、あらゆる状況を加味して慎重にする必要があることをおさえておきましょう。また、使用者(会社)の対応によっては、加害者のみならず使用者も損害賠償請求される可能性も高いので、ハラスメントの申し立てがあった場合は、速やかに、申し立てた従業員、加害者とされた従業員、必要であればその周囲の従業員から事情聴取を行い、ハラスメントに該当する行為があったのか否か、今後も継続するおそれがあるか否かを判断し、その判断に基づいて、速やかに必要な措置を取らなければなりません。次回は実際の裁判例をいくつかご紹介いたします。提供:税経システム研究所
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2024/09/30 企業経営
中小企業のM&Aと企業価値評価(第13回)
【サマリー】引き続き我が国の中小企業におけるM&Aと企業価値評価の実務について解説します。前回の第12回目は実際に筆者が実施した株式価値評価プロセスの事例について説明しました。本稿ではマーケット・アプローチによる株式価値評価について事例を用いて説明します。本稿では、マーケット・アプローチに基づく株式価値評価のうち、株価倍率法(マルチプル法)の事例について紹介します。株価倍率法とは、評価対象企業と類似する上場企業の株式時価総額または事業価値を、純資産額や利益などの財務数値で割って株価倍率を算定して、当該株価倍率を対象企業の財務数値に乗じて評価対象企業の株式価値または事業価値を算定する方法です。株価倍率法は公表されている上場企業の財務数値や市場価格などの指標がベースとなるために客観性が高いというメリットがある一方で、評価対象企業と規模や業種が類似している上場企業の選定に恣意性が入るおそれがあるというデメリットも指摘されることは以前に説明しました。株価倍率法のイメージは以下のとおりです。【図表1株価倍率法のイメージ】上記イメージのように、上場企業の株式時価総額が間接的に評価対象企業の株式価値に影響を与えていることが理解できると思われますが、前回のDCF法でも同様、類似する上場企業をどのように選択するかで評価額も変わってくるためにより高度な判断が求められます。それでは株価倍率法を実際どのように行うかについて事例を用いて説明します。まず、本事例では評価対象企業の類似企業を5社(J社・K社・L社・M社およびN社)選定しました。選定にあたっては、評価対象企業との業種、売上高や利益の財務的規模、収益性や成長性などを勘案することになりますが、評価対象企業が非上場で一般的に財務数値も小規模であることに対して類似企業は上場企業となるために、仮に業務が類似していてもあまりにもかけ離れた企業を選択するとかえって評価を誤るリスクが高まるためになるべく財務的規模を意識して選択する必要があります。以下の図表は類似企業5社の株式時価総額及び事業価値、各社の予想財務数値、株価倍率を表したものです。【図表2類似企業の株価倍率】類似企業5社の株式時価総額はインターネット等で容易に検索可能です。また、事業価値については直近の決算書(有価証券報告書や決算短信等)から以下の算定方法に従って求めることになります。なお、5社の決算期はそれぞれ異なりますが、評価対象企業の評価基準日に近いタイミングで算定すればよいと思われます。(事業価値)=(株式時価総額)+(非支配株主持分)+(有利子負債(借入金など)-(現金預金)-(非事業用資産(有価証券や貸付金など))各社の予想財務数値ですが、決算短信や「四季報」という書籍に掲載されている業績予想数値を用いるのが良いと考えます。簿価純資産については直近の決算書に記載された純資産価額に予想当期純利益を加減すれば算定できます。EBIT(イービット)については予想営業利益、EBITDA(イービットディーエー)については予想営業利益に直近の損益計算書に記載された減価償却費を加算するのが簡便的な方法といえます。当期純利益については予測値をそのまま使用します。なお、予想数値ではなく直近の決算書から実績値を用いることも可能ですが、株価は投資家が投資対象企業の将来利益やキャッシュ・フローを予測して投資した結果が反映されていると考えられるために、予想数値を用いるのがより理論的と考えます。株価倍率ですが、簿価純資産と当期純利益については株式時価総額、EBITとEBITDAについては事業価値が対応します。この理由ですが、まず簿価純資産は会計上の株主の持分を表す数値、当期純利益は有利子負債に対する支払利息を控除した後の金額であり株主にとっての利益を表す数値であるためにそれぞれ株式時価総額に対応することによります。また、EBIT及びEBITDAは受取利息や配当金、支払利息の金額が計上される前の利益であり、有利子負債や非事業用資産の影響を除いた純粋な事業から作り出されたものですので事業価値が対応します。図表2には類似企業5社について4種類の株価倍率が示されておりますが、M社のEBIT倍率及び当期純利益倍率は他の株価倍率と比較して明らかに異常値であると考えられます。このような場合には当該倍率は計算の対象外とするのが一般的です。図表3は5社のそれぞれの株価倍率の平均値または中央値を計算した表になりますが、上記M社の2つの倍率は除外して計算されております。【図表3株価倍率の平均値・中央値】株価倍率が算定できましたので、いよいよ評価対象企業の株式価値算定のフェーズに移ります。ここで平均値と中央値のどちらを選択すべきかですが、どちらを選択しても構いません。本事例では平均値を採用することとしました。評価対象企業のそれぞれの指標の実績値に株価倍率を乗じますが、簿価純資産と当期純利益については株価倍率を乗じた結果は株式価値となります。一方でEBITとEBITDAについては事業価値となりますので、現金や非事業用資産を加えて有利子負債を差し引くことで株式価値が算定されます。図表4では4種の株価倍率を用いた株式価値が示されております。【図表4株価倍率法による株式価値算定結果】上記の結果から最終的に評価対象企業の株式価値をどのように考えるべきかですが、本事例ではEBIT倍率による結果(5,037百万円)を上限、EBITDA倍率による結果(3,397百万円)を下限としたレンジと結論付けました。DCF法による株式価値評価の算定でも説明しましたが、株式価値評価結果は一定のレンジを示すことが多いために今回もそのような結論としました。マーケット・アプローチに基づく株式価値算定はDCF法による方法と比較すると採用頻度は少ないですが、実務で使用されるケースもあるために本稿で紹介しました。提供:税経システム研究所
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2024/09/27 人事労務管理
昨今労務事情あれこれ(202)
1.はじめに去る7月3日に、5年に1度実施される公的年金の財政検証の結果が発表されました。この財政検証は、公的年金の財政状況をチェックし、将来の給付水準の見通しを示すものです。今回の検証の結果によると、過去30年間と同じ程度の経済状況が続いた場合、給付は目減りするものの、現役世代の平均収入の50%以上は維持できるとしています。年金制度の先行きについては、世間ではあまり明るい見通しが語られることは多くはないのが実情ですが、少なくとも今回の検証結果を信じるならば、当面の給付水準は大きく変わらないものと考えてよさそうです。そうした状況の中で、10月からは社会保険の適用拡大が最終局面を迎えることになります。どのような内容に変わるのか、新たに適用となる従業員にはどのように説明したらいいのかなど、多くの中小企業に影響を与える今回の制度改正について考えてみたいと思います。2.社会保険の適用拡大とは「社会保険」という言葉は、よく耳にしたり、口にしたりしているのではないかと思います。なんとなくイメージで「労働者を対象に国が運営している保険」くらいに考えている方が多いように思いますが、そもそも「社会保険」とはどのような制度なのでしょうか。社会保険は、病気やケガ、災害、失業などに見舞われた際に、国が労働者に対して経済的な補償や生活支援をするための制度です。一般的には「労災保険」「雇用保険」「健康保険」「厚生年金保険」「介護保険」を総じて広義の「社会保険」と称しますが、その中でも「健康保険」「厚生年金保険」「介護保険」の3つが狭義の「社会保険」として区分され各種手続きも連動しており、「労災保険」と「雇用保険」は「労働保険」の区分で切り分けされています。今回の適用拡大は「健康保険」「厚生年金保険」「介護保険」の各保険の適用外であった従業員にも適用対象を広げる制度改定です。社会保険の適用拡大は、企業の従業員規模によって2016年から順次行われてきました。当初は「従業員500人超」から始まり、2022年に「従業員100人超」と基準が引き下げられて、2024年10月からは「従業員51名以上」の企業まで対象が拡大されます。従業員51名以上の企業で働く従業員のうち、これまで適用対象となっていなかった短時間労働者(パート・アルバイト等)が新たに社会保険の適用対象となります。では、雇用しているパート・アルバイト従業員全てに対し社会保険を適用しなければならないのでしょうか。3.新たに社会保険が適用となる従業員とは今回対象となるのは、以下の条件を全て満たした短時間労働者とされています。1.週の所定労働時間が20時間以上であること雇用契約上1週間の所定労働時間が20時間以上の場合です。この「20時間」には残業や休日勤務など臨時に発生した労働時間は含まれませんが、週の所定労働時間が20時間に満たない場合でも、実労働時間(残業等を含んだ労働時間)が2ヶ月連続で週20時間以上となり、翌月以降も引き続き20時間以上の実労働時間となることが見込まれる場合は、3ヶ月目から適用対象となります。2.所定内賃金が月額88,000円以上であること所定内賃金には、時間外・休日深夜や通勤・家族・皆勤などの各手当を含みません。3.雇用期間が2ヶ月を超える見込みであること4.学生でないことただし、夜間学生や休学中の学生は対象です。4.加入することのメリットは?上記の条件全てに該当するパート・アルバイト等の従業員は、本年10月1日以降、原則として社会保険に強制加入となります。当然のことながら加入すれば保険料負担が発生することになりますが、これまで負担していなかった保険料が賃金から控除される従業員からは、戸惑いや反発が出ても不思議なことではありません。保険料を負担するからには、強制加入とはいえ、それなりのメリットがないとなかなか納得が得られないでしょう。パート・アルバイト等従業員が新たに社会保険に加入した場合のメリットはどのような点にあるのでしょうか。メリット1:傷病手当金・出産手当金業務外の病気やケガで就労できなかった場合や出産のために休業した場合、傷病手当金は休業4日目から最大1年6ヶ月の期間、出産手当金は産前42日、産後56日の期間、給与の2/3相当の金額を受け取ることができます。(健康保険より支給)パート・アルバイト等の従業員は、賃金体系が時給ベースで決められていることが多いため、病気やケガ、出産での欠勤はダイレクトに賃金にはね返ってしまいます。これらの手当てにより、万一長期に渡り就労不能となってしまった場合でも、当面の生活に及ぼす影響が少なくなるものと考えます。メリット2:年金額の増加が見込めるこれまでは国民年金の被保険者(第1号または3号)として自身で保険料を支払っていたのですが、社会保険加入後は、厚生年金保険の被保険者として、賃金から保険料が控除されます。国民年金のみの加入ですと、老後の年金は老齢基礎年金のみとなり、20歳から60歳までの40年間分の保険料を全て支払った場合、年金額は816,000円(令和6年度)となりますが、厚生年金に加入すると、老齢基礎年金に加えて老齢厚生年金も支給されますので、一般的には国民年金の加入期間だけよりも将来の年金額の増加が見込まれることになります。また、万一、本人が亡くなってしまった場合、遺族に遺族厚生年金が支給されますし、心身に障害が残り、就労が困難になってしまった場合には障害厚生年金の支給対象となる場合もあります。保険料負担により、目先の手取りが減少してしまうことを理由に、従業員から相談を受けたり反発が出たりといった場合には、上記のメリットを丁寧に説明し納得感を高めるようにしたいものです。5.企業側の対応は―助成金の活用も一方で、企業側にもさまざまな準備や対応が必要となります。最も大きい影響として、新たな加入者の社会保険料負担が発生することによるコスト増が挙げられます。特に飲食、スーパーなどはパート・アルバイト等が従業員の多くを占めていることもあり、大幅に社会保険料負担が増加してしまうことがあるかもしれません。コスト増を避けるために、先述の条件に該当しないような従業員に切り替えることも考えられますが、労働力不足が顕在化している昨今にあって、新たな採用や採用後の教育のことを考えると、あまり現実的な方策ではないように思えます。企業としては、まずは新たな加入対象者を把握し、それによりどれだけ会社負担の保険料が増加するのか、増加したコストをどのように吸収していくのかなどについて検討し、自社の対応方針を決定していきましょう。行政側でも、今回の適用拡大を受けて、新たに労働者を社会保険に加入させるとともに、収入増加の取組をおこなった企業に対し助成金を支給することにより支援する姿勢を見せています。このような制度も活用しながら、自社の人材活用について考えていきましょう。【参考】将来の公的年金の財政見通し(財政検証)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/zaisei-kensyo/index.htmlパート・アルバイトの方向け社会保険加入のメリット(厚生労働省)https://www.mhlw.go.jp/content/001189599.pdfキャリアアップ助成金(社会保険適用時処遇改善コース・賃金規定等改定コース)https://www.mhlw.go.jp/content/001295075.pdf提供:税経システム研究所
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2024/09/13 行政DX
診療報酬改定から見る我が国の医療DX
1.はじめに診療報酬とは、保険医療機関が行う診療行為等に対する評価として公的医療保険から支払われる報酬のことで、公的医療保険の適用となる診療行為の範囲については、厚生労働省告示「診療報酬の算定方法」(注1)で定められている。また、実際の診療報酬の額については、上記告示の別表である「診療報酬点数表」(注2)に医用行為ごとに点数(1点の単価は10円)として定められており、患者が公的医療保険を利用して医療機関を受診した場合には、患者が1~3割の一部負担金を医療機関の窓口で支払い、残りは医療機関が審査支払機関を通じて保険者に請求し、受け取る仕組みとなっている。この診療報酬点数表は、薬価については1年に1回、その他の報酬や価格については2年に1回改訂されており、2024年は、物価高騰や賃金上昇、人材確保の必要性への対応、ポスト2025年の医療・介護に向けた医療DX等を考慮した大幅な改定が行われた。特に医療DXについては、政府から2023年6月に示された「医療DXの推進に関する工程表(以下工程表)」(注3)に記載のある、オンライン資格確認等システムをベースにした全国医療情報プラットフォームの整備を促進するための施策を着実に実行するための加算項目等が盛り込まれた。本稿では、この改定内容から、今後の我が国の医療の目指す方向性を見ていきたい。2.2024年診療報酬改定の概要2025年は、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となるため、医療・介護サービスの利用者が大幅に増加する一方で、生産年齢人口の減少により、これらのサービスを支える担い手が不足しつつあるため、医療従事者の安定した確保が難しくなり、需要と供給のバランスが崩れると危惧されてきた。このため、従来の診療報酬改定においても、医療機能の分化や連携、医療と介護の役割分担や連携等を着実に進めるための改定が行われてきている。特に、政府は、2014年6月に「医療介護総合確保推進法」を成立させ、将来人口推計をもとに2025年に必要となる病床数を医療機能ごとに推計することで病床の機能分化と連携を進めており、効率的な医療提供体制を実現する取り組みを推進するための診療報酬点数が追加されてきた。一方今回の改定は、団塊ジュニア世代が高齢化し、65歳以上の人口が全人口の約35%になると予想される2040年を意識した内容へと変化している。2040年は、高齢者人口は依然増加し、医療・介護需要の更なる増大が見込まれる一方で、生産年齢人口は現在より約1000万人減少すると予想されており、このままでは、現行の社会保障制度を維持することが困難になると言われている。このため、「令和6年度診療報酬改定の基本方針(以下基本方針)」(注4)では、医療と介護の役割分担と切れ目のない連携を着実に進め、医療・介護の複合ニーズを有する者が、必要なときに「治し、支える」医療や個別ニーズに寄り添った介護を地域で完結して受けられるようにする社会を目指すことが重要であるとして、ポスト2025年のあるべき医療・介護の提供体制を見据えつつ、DX等の社会経済の新たな流れも取り込んだ上で、効果的・効率的で質の高い医療サービスの実現に向けた取組を進める必要があるとしている。3.医療DX推進のための改定項目今回の基本方針では、「治す医療」から、「治し、支える医療」への転換をより明確に打ち出しており、医療・介護を提供する主体の連携により、必要なときに治し、支える医療や個別ニーズに寄り添った柔軟かつ多様な介護が地域で完結して受けられること地域に健康・医療・介護等に関して必要なときに相談できる専門職やその連携が確保され、さらにそれを自ら選ぶことができること健康・医療・介護情報に関する安全・安心の情報基盤が整備されることにより、自らの情報を基に、適切な医療・介護を効果的・効率的に受けることができることの3つの柱を同時に実現することを目指している。そして、①、②に挙げるポスト2025を見据えた地域包括ケアシステムの深化・推進を実現には、③で示す健康・医療・介護情報に関する情報基盤の整備・活用、つまりは、これまでバラバラに管理されていた患者情報を連携させて、より良い医療・介護を提供する仕組みを作ることが必要としている。この情報基盤の整備・活用については、工程表で示されるように、オンライン資格確認等システムをベースとした全国医療情報プラットフォームを創設し、電子処方箋管理サービスの普及、電子カルテ情報共有サービスの構築と運用に取り組み、日本の医療分野のDXを進めることが必要としている。次に、医療DXに関する診療報酬改定のポイントについて見ていきたい。表1オンライン資格確認等システムの導入状況(2024年4月末時点での運用機関の割合)病院医科診療所薬局98.1%89.4%95.3%(参考文献5をもとに作成)1)医療情報取得加算・医療DX推進体制整備加算の新設現在は、オンライン資格確認等システムの導入が実質義務化され、多くの保険医療機関等で医療情報システムの基盤整備が進んできている状況にある(表1)。図1施設別マイナ保険証の利用率の推移(参考文献6より転載)しかしながら、ニュース等でも報道されているように、オンライン資格確認等システムを用いたマイナンバーカードの保険証利用(以下マイナ保険証)の利用率が低迷しており(図1)、本年12月に予定されているプラスチックカードや紙の保険証の廃止がスムーズに進まないことを危惧する声もある。このため、すでに政府は、利用率アップを促進するため、本年5月~7月を「マイナ保険証利用促進集中取組月間」として、昨年10月のマイナ保険証利用人数からの増加人数に応じて、最大10万円(病院は20万円)の定額給付を実施し、医療機関から患者に利用の呼びかけを行う取り組みを実施している。このような状況のもと、今回の診療報酬改定では、マイナ保険証に対応するシステムを普及させる段階から、その先のマイナ保険証を利用して診療情報や薬剤情報の取得し、それを活用する段階への移行という視点での見直しが行われている。つまりは、患者に医療機関にマイナ保険証を持参してもらうという評価から、医療従事者がマイナ保険証を活用して過去の医療情報を取得し、それを診療に利用することを評価するという方向にシフトしていると言える。このため、従来の、オンライン資格確認等システムの体制整備を評価する加算である「医療情報・システム基盤整備体制充実加算」が廃止され、新たに、初診時等の診療情報・薬剤情報の取得・活用を評価する加算である、「医療情報取得加算」及び「医療DX推進体制整備加算」が新設された(注7)。(表2)医療情報取得加算については、従来の医療情報・システム基盤整備体制充実加算が、オンライン資格確認等を実施するためのシステムが導入されている医療機関に対する加算であったのに対して、患者に対する十分な情報を取得して診察を行うことが加算要件となっている。また、マイナ保険証を利用した場合の加算点数が抑えられており、マイナ保険証を利用する患者は、オンライン資格確認等システムを活用して過去の診療情報・薬剤情報を取得することで、より質の高い効果的・効率的な医療を受けられるようになるとともに、加算点数が低くなるため、医療費の自己負担も少なくなるというメリットがあることが分かる。表2医療情報・システム基盤整備体制充実加算の見直し一方で、医療DX推進体制整備加算は、医療機関等が医療DXのための体制整備を行っていることを評価するものであり、オンライン資格確認等を実施するためのシステムの導入に加えて、取得した診療情報・薬剤情報を実際に診療に活用可能な体制を整備するとともに、電子処方箋及び電子カルテ情報共有サービスを導入し、質の高い医療を提供している医療機関に対する加算となっている。厚生労働省は、薬の処方・調剤情報を全国の保険医療機関・保険薬局で確認可能とし、薬の重複や、注意を要する飲み合わせのチェックを容易に行えるようにする等、患者に最適な薬物療法を提供することに加え、患者自らが服薬等の医療情報を電子的に管理し、健康増進へ活用するための、電子処方箋管理サービスを昨年1月より運用開始している。しかし、本年2月の段階での運用開始率は、病院で0.4%、医科診療所1.0%、薬局19.6%と低迷しており、工程表で示す2024年度末に概ねすべての医療機関・薬局で導入されている状態にするためには、大きなテコ入れが必要となっている。また、来年度からの導入を目指している電子カルテ情報共有サービスは、オンライン資格確認等システムで入手できるレセプトに基づく患者情報に加え、ほぼリアルタイムに患者の傷病名や検査情報、処方情報を医療機関間や医療機関と薬局との間で共有することを可能とするとともに、アレルギー情報、感染症情報、薬剤禁忌情報等も記録・参照できるようになるものであるが、医療機関においては、電子カルテの導入がほぼ必須となる等、システム導入のための経費負担が増加すると予想されている。この加算項目については、これら厚生労働省が進める医療DX施策に対応するものであり、医師が取得した診療情報を診察室や手術室等において閲覧又は活用できる体制を有していること、電子処方箋を発行する体制を有していること、電子カルテ情報共有サービスを活用できる体制を有していること、マイナ保険証利用について一定程度の実績を有していること等が加算要件になっているために、ハードルが高いものであるが、これら要件を満たした場合には、マイナ保険証の利用の有無に関係なく、来院するすべての患者に対して、初診時に8点(80円)の加算が可能となるため、電子処方箋管理サービスや電子カルテ情報共有サービスの普及促進に効果があるものと期待されている。2)救急時医療情報閲覧機能の施設基準への導入本年10月より、厚生労働省は、患者の生命、身体の保護のために必要な場合、マイナンバーカード又は4情報(氏名、住所、生年月日、性別)による検索で本人確認を行うことによって、患者の同意取得が困難な場合でも、オンライン資格確認等システムを用いて医療情報等の閲覧を可能とする「救急時医療情報閲覧機能」の導入を計画している。医療機関は、この機能を用いることで、救急搬送された意識障害等により同意取得が困難な患者に対しても、レセプト情報に基づく薬剤情報や手術情報等の情報を閲覧し、迅速かつ適切な検査・治療等が行えるようになる。このため、この機能を有効に利用し、過去の患者情報に基づいて適切な治療を行うことを推進するために、総合入院体制加算、急性期充実体制加算、救命救急入院料を請求可能な医療機関の施設基準として、「救急時医療情報閲覧機能を有していること」を新たな要件に追加している。3)在宅診療、在宅看護の推進厚生労働省は、自身の住み慣れた環境で家族と一緒に、普段の生活に近い形で暮らしながら療養することでQOL向上が図られるとして、在宅医療を推進している。すでに述べたように、医療機関内の診療においては、オンライン資格確認等システムを用いて保険資格の確認や患者情報の取得による質の高い医療の提供を目指しているところであるが、本年4月より、在宅診療やオンライン診療においてもオンライン資格確認が可能な、居宅同意取得型のオンライン資格確認等システムの運用が開始され、在宅診療等においても患者の過去の診療情報や薬剤情報を参照することが可能となった。このため、今回の改定では、居宅同意取得型のオンライン資格確認等システムと電子処方箋、電子カルテ情報共有サービスを用いて取得した患者の診療情報や薬剤情報を活用して、質の高い在宅診療、訪問看護を提供した場合においては、在宅医療DX情報活用加算(1か月に1回、10点)、訪問看護医療DX情報活用加算(1か月に1回、5点)を加算できるとされた。4)オンライン診療、遠隔医療の拡大地方やへき地等では、専門的な医師が不在であったり、そもそも医師自体が不足している状況にあることを踏まえて、情報通信機器を用いて行う診療の適用範囲が拡大された。オンライン診療は、得られる情報が対面診療に比べて少ない、オンライン診療特有の技術が必要となる、高齢患者は情報通信機器に不慣れな人が多い等の課題があるため、看護師と一緒にいる患者を、オンラインで遠方の医師から診療する、いわゆるDtoPwithN形式でのオンライン診療が期待されている。このため、今回の改定では、医師不足が喫緊の課題であるへき地医療において、へき地診療所に看護師と一緒にいる患者を、拠点病院等の医師がオンラインで診療を行う場合の評価として看護師等遠隔診療補助加算(50点)が新設された。また、専門的な医師の不足に対応するため、患者が医師といる場合に専門医等が遠隔から診療を行う形式(DtoPwithD)による遠隔連携診療料(3か月に1回、750点)の適用患者に指定難病患者が追加された。さらに、昨年「情報通信機器を用いた精神療法にかかる指針」(注8)が策定されたことを受け、心療内科や精神科を受診する患者に対して、オンラインで診療を行う場合の通院精神療法(診療時間により357点か274点)や、小児科や心療内科の医師が発達障害等の精神疾患を持つ小児に対してオンライン診療する際の小児特定疾患カウンセリング料(条件により696点、522点、435点、348点のいずれか)を算定できるものとされた。5)サイバーセキュリティ対策の推進近年、医療機関に対するサイバー攻撃が急増しており、長期間診療を停止せざるを得ない状況も発生していることから、厚生労働省は2023年5月に改訂した医療情報システムの安全管理ガイドライン第6.0版の中で、医療機関がサイバー攻撃対策として取るべき安全管理措置が明確化する等、医療機関に対して、非常時に備えた対策の整備を求めてきた。今回の改定では、BCP(事業継続計画)の策定・訓練等、高度なセキュリティ対策をとっている医療機関に対する診療録管理体制加算を100点から140点にする一方で、医療情報システム安全管理責任者の設置を求める医療機関の規模を、400床以上から200床以上の医療機関に拡大しており、従来よりも小規模の病院においてもできるだけ高度なサイバー攻撃対策をとることを促すものとなっている。4.終わりに今回の診療報酬改定では、オンライン資格確認等システムを用いて患者情報を取得し、それを診療に生かす点を評価する項目が多く盛り込まれている。今後、超高齢社会が到来すると、介護や医療の需要が高まる一方で、労働力人口は減少傾向となるため、病院数や医師数が必要数に足らず、今のままでは需要と供給のバランスが崩れてしまう可能性が高い。このため、2040年問題が生じる前に現在の医療提供体制を進化させ、ICTを利用して少ない医療従事者でも信頼できる医療を提供できる体制の整備が間違いなく必要になる。例えば、今回、在宅診療でも保険資格確認や患者情報の入手・活用が可能となったが、後期高齢者医療保険の保険証は年1回夏が更新時期となっており、今までは保険証の情報を更新するために、更新された保険証をスマホ等で撮影し、その情報をカルテに取り込む等、医師や看護師等に多大な負担がかかっているとされる。これに対して、今回の改定は、このような医療従事者に余計な負担を強いている状況の改善を診療報酬という面から支援するものと考えることもできる。コロナ禍を契機に、在宅診療や遠隔診療等が広く認められるようになる等、日本の医療の姿も大きく変わりつつある。医療は、国民にとって非常に身近なものであるため、医療DXの進展による状況の変化に戸惑うことも多いと思うが、自身の健康だけでなく、子や孫世代の日本の医療のために必要な変革であると考えて、今後も診療報酬改定の話題が出た際には、日本の未来の医療の姿について改めて考えていただければと思う。<注釈>診療報酬の算定方法(厚生労働省),https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=84aa9729&dataType=0&pageNo=1医科診療報酬点数表,診療報酬の算定方法別表第一(厚生労働省),https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/001251499.pdf医療DXの推進に関する工程表(内閣官房),https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/iryou_dx_suishin/pdf/suisin_kouteihyou.pdf令和6年度診療報酬改定の基本方針(社会保障審議会医療保険部会、医療部会),https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/001200476.pdfオンライン資格確認の都道府県別導入状況について(厚生労働省)https://www.mhlw.go.jp/content/12400000/001257851.xlsxマイナ保険証の利用促進等について(厚生労働省保険局)https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001243199.pdf医療DX推進体制整備加算・医療情報取得加算の見直しについて(厚生労働省保険局医療課)https://www.mhlw.go.jp/content/10200000/001277499.pdf情報通信機器を用いた精神療法にかかる指針(厚生労働省令和4年度障害者総合福祉推進事業)https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/001113657.pdf提供:税経システム研究所
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