商事法研究レポート
MJS税経システム研究所・商事法研究会の顧問・客員研究員による商事法関係の論説、重要判例研究や法律相談に関する各種リポートを掲載しています。
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2025/08/29 重要判例紹介
中小企業における取締役退職慰労金の不支給
1はじめに近時、退任する取締役の退職慰労金を不支給又は減額したところ、退任取締役が代表取締役や会社に対して、退職慰労金の支払いを求める判例・裁判例が散見されます。退任取締役の退職慰労金の減額に関する最判令和6年7月8日民集78巻3号839頁については、既に、大久保拓也教授の「取締役会決議によって退職慰労金を減額支給できるか-近時の最高裁判例を踏まえて-」にて、詳細な解説がなされております。そこで、本稿では、取締役の退職慰労金不支給に関する判例、学説を確認した上で、中小企業において退任する取締役の退職慰労金が不支給とされた事案に関する近時の裁判例である福岡地判令和4年3月1日判タ1506号165頁(以下「福岡地判令和4年」といいます)、福岡高判令和4年12月27日金判1667号16頁(以下「福岡高判令和4年」といいます)をご紹介し、おわりにで、若干の実務上の留意点に言及することといたします。2取締役の退職慰労金不支給に関する判例、学説会社法361条1項は、取締役の報酬、賞与その他の職務執行の対価として株式会社から受ける財産上の利益(報酬等)について同項1号から6号までに掲げる事項は、定款に当該事項を定めていないときは、株主総会によって定める旨を規定しています。判例・学説上、退任取締役の退職慰労金は、その在職中における職務執行の対価として支給されるものであり、「報酬等」(会社法361条1項1号)に含まれ、定款又は株主総会決議でその額を定める必要があると解されています(注1)。そのため、判例・学説上、退職慰労金は、原則として、定款又は総会決議によって金額が決定されることによって、それが会社と取締役間の契約内容となり、取締役に退職慰労金請求権が発生すると解されています(注2)。そして、総会が取締役会への一任決議を行い、取締役会が退職慰労金の具体的金額を決議した場合については、取締役会決議と同時に、具体的な退職慰労金請求権が発生すると解されています(注3)。中小企業においては、退任取締役と支配株主である代表取締役との間で争いが生じた場合に、代表取締役が、退任取締役についての退職慰労金支給に関する議案を株主総会に付議しない、退職慰労金を不支給とする旨の議案を付議するということが行われことがあります。そのような場合につき、学説上、退任取締役の退職慰労金不支給について救済すべく、以下のような理論構成が提唱されています。まず、定款の規定又は株主総会決議は会社内部の意思決定手続を定めたものにすぎず、取締役の報酬請求権は取締役が個人として会社に対して有する債権であり、しかも、退職慰労金は報酬の後払いであることから、株主総会が本来支払われるべき退職慰労金を支給しない旨の決議をした場合には規定の趣旨を逸脱した権利の濫用であり、報酬請求権は具体的請求権に転化されることから、取締役は、債務不履行に基づく損害賠償請求をできるとする見解があります(注4)。次に、慣例化された基準で支給するのが慣行となっている会社、総会への付議に関する内規や一般的に適用される内規があるとか、内規によって支給するのが慣行となっている会社では、退職慰労金は取締役任用契約の一内容となり、権利性を有し(注5)、取締役及び代表取締役は会社の負っている義務を履行するために、取締役会を招集し、慰労金の議題を決定・付議すぎであり、正当な理由なく、取締役会を招集しないで、基本金額を下回る議案を提出することは取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に違反するとする見解があります(注6)。そして、代表取締役が退任取締役に対し退職慰労金の支給を約束し退職慰労金が不支給とされた場合には、退任取締役は、退任取締役と代表取締役の間で、議決権拘束契約が成立しており、代表取締役に対し債務不履行に基づき損害賠償請求でき、会社に対しても退職慰労金の支給の約束が会社を拘束するとする見解があります(注7)。3取締役の退職慰労金の不支給に関する近時の裁判例(1)福岡地判令和4年事案の概要株式会社Y1(被告。以下「Y1社」といいます)は、九州地区を拠点として、パン及び菓子類の製造販売等を業とする株式会社です。Y1社の発行済株式総数は、平成31年3月31日時点で3210株であり、Y2が1058株、その親族が合計570株を保有していました。Y1社の役員服務規程(以下「本件役員服務規程」といいます)及び役員退職慰労金支給内規(以下「本件退職慰労金内規」といいます。以下、本件役員服務規程と本件退職慰労金内規を合わせて「本件各内規」といいます)には、退職慰労金を不支給とするのは、本件役員服務規定に違反する行為により役員を退任する場合のみを挙げていました。また、Y1社においては、平成20年6月から平成31年3月までの間に退任した役員9名に対し、退職慰労金を支給し、退職慰労金を支給しなかったのは、経営状況が危機的な状況にあった平成13年当時、独断で融資を実行し、1億円の損失を出した役員のみでした。Y2(被告)は、Y1社の元社長の娘婿であり、平成4年5月、Y1社の代表取締役社長に就任し、平成24年6月、社長を退き、Y1社の代表取締役会長となり、以後も、Y1社の経営に関する責任者としての地位を有していました。X(原告)は、平成26年6月、Y1社の取締役に就任し、平成29年6月、Y1社の代表取締役社長に就任し、遅くとも平成26年頃から、Y1社の取引先である株式会社Hなどとの交渉を担当していました。Y1社の最も東にある工場は山口県にあり、同工場より東側の地域への商品供給は物流費増大の原因となっていました。Y1社は、九州以外の地域に商品を供給することによる物流費の負担が大きいことから、平成28年11月、四国地区のH社への商品供給の一部をI社に委託しました。ところが平成29年10月9日、I社は、Xに対し、H社の四国の地区の店舗へ商品供給を終了する旨の意向を伝えました。Y2は、そのことについてXの業務日報で知りました。Xは、I社が撤退した場合の対応について、H社とその後の交渉を営業本部の担当者に任せました。そうしたところ、Y1社は、平成30年4月、経営に関する重要事項について定期的に開催して決定する経営会議での検討を経ないまま、I社に代わってH社の四国地区の店舗への商品供給を行うこととなりました。Y2は、同月の予算会議で、Y1社がH社の四国地区の店舗への商品供給を引き受けたことを初めて知りました。Y1社の業績は、H社の四国地区への商品供給を開始して以降、物流費が増大し、物流費を補うだけの売上がなかったことから、業績が急激に悪化しました。Y2は、会議等においてXに対し、無能だ、サラリーマンだから辞めればいいと思っている、馬鹿だなどと述べました。その後も、Y2のXに対する暴言が続き、平成31年2月16日、Xは、うつ病と診断され、同年3月末日で、取締役を退任しました。本件各内規に形式的にあてはめると、Xの退職慰労金は1200万円となります。Y1社の取締役会において、Xに対する退職慰労金支給の総会の議案は上程されず、Xに退職慰労金は支給されませんでした。Xは、Y1社に対しては会社法350条に基づき、Y2に対しては民法709条又は会社法429条1項に基づく損害賠償請求を求めて提訴しました。判旨福岡地裁は、以下のように判示し、請求を一部認容しました。「取締役会決議によって定められた本件各内規の定め及びY1社の役員に対する退職慰労金の支給状況からすれば、Y1社の代表取締役であるY2には、取締役会決議によって定められた本件各内規に従って取締役会にXへの退職慰労金支給についての株主総会の議案を上程するか、本件各内規に反して退職慰労金を支給しないのが相当とするならば、これを取締役会に諮るべきであった。これに対し、Y2は、上記義務を負っていたにもかかわらず、独断で、前記認定のとおり、Xが退任するに当たって取締役会に対し退職慰労金を支給する旨の株主総会の議案を提案せず、また不支給についての議案も取締役会に提案しなかったのであるから、これらについての義務違反があり、取締役の善管注意義務に違反したというべきである。」「Xは、平成29年6月からY1社の代表取締役社長に就任した後も引き続き株式会社Hとの交渉の責任者であったものの、経営会議での検討を経ないまま平成30年4月からI株式会社に代わって株式会社Hの四国地区の店舗への商品供給を開始し、それに伴いY1社の負担する物流費が増大したことに端を発して、Y1社の業績は同年5月から急激に悪化して、困難な経営状況に陥った。このような同月以降のY1社の困難な経営状況は、株式会社Hとの交渉に責任を負う代表取締役であるXの職責によって生じたことを否めず、Xの代表取締役社長としての業務評価として、Xに代表取締役期間における退職慰労金相当額の分が株主総会で議決され支給されたということはできない。…そうすると、多くてもXが受け取ることができた退職慰労金の額は、Xの取締役在任時のものに限られるというべきである。そして、…Y2は、Xに対しXの取締役時代の退職慰労金に相当する850万円を支給してもよいと考えており、前記前提事実のとおり、Y1社の発行済株式総数は3210株であり、平成31年3月31日時点で、Y2が1058株、その親族が合計570株(D370株、E100株、F100株)を所有し、その合計は1628株であって、Y2の親族でY1社の発行済株式の過半数を超える株式を所有したのであるから、Xの退職慰労金850万円を支給する議案が株主総会に上程されれば、同議案は可決されたものということができる。以上によれば、Y2が退職慰労金の支給する旨の株主総会の議案を取締役会に上程しなかったことと相当因果関係のある損害は、取締役在任時の退職慰労金相当額である850万円というのが相当である。」(2)福岡高判令和4年事案の概要Z株式会社(以下「Z社」といいます)は、自動車タイヤ・チューブの更新ならびに修理を主たる目的として設立された株式会社であり、発行済株式総数は44万株でした。Z社の役員退職慰労金規定(以下「本件規定」といいます)には、退職慰労金は、本件規定により計算すべき旨の株主総会決議に従い、取締役会が決定した額とする旨、退職慰労金は、最終報酬月額×役位系数×役員在任年数により算出する旨、会社に特に重大な損害を与えた者に対しては、減額ができる旨の規定がありました。本件規定の制定後に退任したZ社役員14名中13名に退職慰労金が支払われ、支給されなかった1名は従業員退職金の支給を受けたため、辞退したものでした。X(原告、控訴人)は、Z社の大株主の一人であり、Z社に入社前大手企業に勤務中、祖父と父の要請を受け、入社と同時に、平成6年11月25日にZ社の取締役に就任し、平成10年11月28日にZ社の代表取締役に就任しました。Y(被告、被控訴人)は、Z社の大株主の一人であり、遅くとも平成5年ころにはZ社の取締役であったが、令和元年11月29日にはZ社の代表取締役に就任しました。令和元年11月29日のZ社の株主総会(以下「本件株主総会」といいます)の直前の株主構成は、Xグループが19万6570株、Cグループが15万5870株、Yグループが8万7560株でした。ところが、本件株主総会直前に、Yは、Cグループの保有する株式を買い受けることについて合意し、Cグループより委任状を取得しました。Xは、Cが委任状をYに交付した旨を聞き及ぶと、同月27日、Z社事務室のYのもとを訪れ、委任状の件を問いただし、Yともみ合いになり、Yの顔面を平手で押す暴行を加え、その際に、事務室窓ガラスにひびが入りました。この件で、Yは傷害を負っておらず、Xは、起訴猶予とされました。Z社の本件株主総会において、Y、A、Bの三名が取締役に選任され、Xは選任されず、その後の取締役会でYが代表取締役に選任されました。Xの退職慰労金支給について、Z社の総会で付議はされていません。本件規定によれば、Xの退職慰労金額は、4536万円でした。Xは、Yに対して、退職慰労金等の支払いを求めて、不法行為に基づく損害賠償請求をしました。原審(福岡地久留米支判令和4年6月20日金判1667号26頁)は、Xの請求を棄却しました。判旨福岡高裁は、以下のように判示し、原判決を取り消し、請求を一部認容しました。「…しかしながら、XとZ社との取締役任用契約締結時には、既に役員退職慰労金について定める本件規定が存在したところ、…本件規定は、退任した役員に支給すべき慰労金は、本規定により計算すべき旨の株主総会の決議に従い、取締役会が決定した額とするとした上で、具体的な算定方法を定めている。また、本件規定が制定されて以降、Z社において14名の役員が退任し、平成21年11月30日に退任した訴外D以外については、それぞれ役員退職慰労金の支給に関する議題が株主総会に付議され、同支給決議がなされて、役員退職慰労金が支給された…。なお、前記Dは、従業員退職金を得たことから役員退職慰労金を辞退し請求しなかった…。さらに、Xが平成6年にZ社の取締役に就任したのは、当時大手企業に勤務中、祖父E及び父Fの要請を受け、これに応じたものであり…、また、Xは入社と同時に取締役となったものであるから…、Z社の従業員であった時期はなく、したがって、XがZ社の従業員退職金の支給を受けたような事情もない。…以上の本件規定の存在及びこれに基づく運用並びにXの取締役就任時の状況に照らせば、Xについては、他の取締役が受ける措置のうち相当と認められるものを受けることができることが黙示に合意されていたものというべきであるから、XとZ社との間の取締役任用契約には役員退職慰労金を支給する黙示の特約があったものと認められる。」「…Z社の実質的な支配株主であり、かつ、代表者であるYは、合理的期間内に、Xの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議することを取締役会で決定する義務を負うものというべきである。」「Yが取締役会決議を行ってXの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議しなかったこととXに支給されるべき役員退職慰労金相当額との間に相当因果関係があると認められる。」「…Xが本件株主総会前頃にYに対してZ社の事務室内で暴行を加えたこと…、Z社の従業員らの中にはXのパワハラを訴える者もおり…、前記暴行の存在も考慮すると、パワハラの事実は措くとしても、Xの対応がZ社の従業員の士気に影響を与えているといえること、更生タイヤ業界の状況の影響があるとはいえ、Z社の経営状況は悪化しており、利益がさほどない状況であって…、取締役としての経営責任は指摘され得ることなどの事情を考慮すると、「在任中、特に会社に重大な損害を与えた者」(本件規定9条)といえないものとしても、これに準ずる事情があるとして、Z社の取締役会は、Xの役員退職慰労金につき、本件規定により算出される額よりも相当額の減額をすることが許されるものと解されるが、本件に現れた一切の事情を考慮すると、その役員退職慰労金の額を、少なくとも1000万円を下回るものとすることは相当ではない。…したがって、本件における損害額は、役員退職慰労金相当額1000万円及びその弁護士費用相当額100万円とすることが相当である。」4おわりに本稿では、中小企業における取締役の退職慰労金不支給につき、関係する判例や学説を確認した上で、近時の裁判例をご紹介してきました。近時の裁判例である福岡地判令和4年は、退職慰労金の内規、内規に従った支給の運用が認められ、不支給とすべき程の経営状況の悪化や非違行為がないにもかかわらず、退職慰労金支給に関する議案が取締役会に上程されなかった事案において、支配株主兼取締役に退職慰労金の議案を取締役会に上程すべき義務を課し、会社法429条1項に基づく損害賠償請求を認めています。福岡高判令和4年は、不支給とする程の退任取締役の非違行為や業績の悪化がないにもかかわらず、支配株主である取締役と対立したことにより、退職慰労金支給に関する議案が株主総会に付議されなかった事案において、退職慰労金の内規、内規に沿った退職慰労金の支給に関する運用と退任取締役の取締役就任時の事情を考慮して、会社との黙示的な合意を認定し、退職慰労金支給についての法律上保護されるべき利益を認め、支配株主である取締役に不法行為による損害賠償請求を認めています。近時の裁判例を前提とすると、退職慰労金を不支給とする程の退任取締役の非違行為や業績の悪化がないにもかかわらず、退任取締役が支配株主である取締役と対立したことにより、退職慰労金支給に関する議案が取締役会に上程されなかったり、株主総会に付議されなかったりした場合には、支配株主である取締役には、会社法429条1項や不法行為に基づく損害賠償請求が認められることがある点に留意が必要です。<注釈>最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)486-487頁最判昭和56年5月11日判タ446号92頁、江頭・前掲(注1)488頁東京地方裁判所商事研究会『類型別会社訴訟Ⅰ〔第3版〕』(判例タイムズ社、2011年)117頁川島いづみ「取締役報酬の減額、無償化、不支給をめぐる問題」判タ772号(1992年)81頁青竹正一「取締役退職慰労金の不支給・低額決定に対する救済措置(上)」判例評論412号(1993年)166頁青竹正一「取締役退職慰労金の不支給・低額決定に対する救済措置(下)」判例評論413号(1993年)181頁江頭憲治郎「総会決議のない取締役退職慰労金の給付約束」ジュリ1103号(1996年)151頁提供:税経システム研究所
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2025/08/22 topics
「ストックオプション・プール」制度概要と発行までの流れ
1.はじめに現代のスタートアップエコシステムにおいて、優秀な人材の獲得と維持は当該スタートアップ企業の成長に不可欠な要素です。特に、創業後間もないステージにあるスタートアップ企業にとって、資金力に頼らずにインセンティブを提供できるストックオプション(募集新株予約権)は、強力な武器となります。本稿では、スタートアップ企業の資本政策に欠かすことのできないストックオプションの中でも、産業競争力強化法に基づく募集新株予約権(以下、「ストックオプション・プール」と称します)に焦点を当て、その制度概要から具体的な発行の流れについて解説いたします。2.ストックオプション制度の基本的理解と種類ストックオプションは、会社法でいう新株予約権(会社法第236条以下)に該当し、あらかじめ定められた価格(権利行使価額)で新株予約権を発行する会社の株式を取得できる権利そのものを指します。具体的には、発行会社が役員や従業員に対し、新株予約権を発行した後、付与を受けた者は一定期間内に権利行使価額を払い込むことで発行会社の株式を取得することになります。実務において、会社の役員や従業員に対してストックオプションを付与する場合は主に税制適格ストックオプションの構成を採用しますが、ここでいう税制適格ストックオプションとは、一定の要件(無償発行、譲渡制限、権利行使期間・限度額等)を満たすことで、権利行使時に課税はされず、株式売却時の譲渡益に対して課税されることになる新株予約権を指します(注1)。以上のように、ストックオプションは、企業側からしても現金流失を伴わずに優秀な人材の確保をできる可能性を高める制度であり、付与された者からしても業績が向上することは自社の株価の上昇につながる可能性をもつため、ストックオプションを保有する者に業績向上に対するモチベーションを与え、それが巡り巡ってストックオプション保有者の経済的利益をもたらすことにつながる好循環を産む可能性をもつ制度です。3.産業競争力強化法に基づく募集新株予約権の機動的な発行(ストックオプション・プール)制度の概要1.1総説非公開会社におけるストックオプションの発行は、優秀な人材確保のための重要なインセンティブ手段であるにもかかわらず、従来の会社法の下ではその機動的な運用が困難という課題を抱えていました。具体的には、募集事項の決定として、発行する募集新株予約権の内容を株主総会の特別決議で定める必要があり(会社法第238条第2項)、また取締役会に募集事項の決定を委任したとしても、その委任期間が1年間に限定される(会社法第239条第3項)ため、企業成長のタイミングに合わせた柔軟なストックオプションの発行が難しいと指摘がされていました。こうした実情を踏まえ、スタートアップ企業の経営陣がより機動的にストックオプションを発行し、優秀な人材を惹きつけ、育成できる環境を整備することを目的として、令和6年に会社法の特例として産業競争力強化法が改正され、「募集新株予約権の機動的な発行(ストックオプション・プール)」に関する制度(以下、「本制度」といいます)が創設されました。本制度は、従来の会社法がストックオプションの発行に際し、株主総会の関与を求めていたところ、その点に関する制約を緩和し、スタートアップ企業の経営陣にとって当該企業のステージに合わせて効果的な人材採用を展開できるような設計となっています。1.2本制度の効果:産業競争力強化法第21条の19第1項本制度は、非公開会社におけるストックオプションの発行に関して、以下の特例を設けることで、より機動的な運用の実現を目的としています。取締役会への委任期間の延長従来の1年間という制限を大幅に緩和し、設立後最長15年間にわたり募集事項の決定を取締役会に委任することが可能となります。これにより、企業の成長フェーズや人材ニーズの変化に合わせた、長期的な視点でのストックオプション戦略を策定・実行することが容易になります。委任事項の拡大従来は委任ができなかった権利行使価額および権利行使期間の決定についても、取締役会に委任できるようになります。これにより、企業価値の上昇後の株価に即応した権利行使価額を設定するなど柔軟なストックオプションとすることが可能となり、インセンティブとしての魅力を高めることができます。以上のことから、本制度を活用することは、特に事業環境の変化が速く、優秀な人材の獲得競争が激しいスタートアップ企業にとって、戦略的な人材マネジメントを行う上で極めて重要な意味を持つものといえます。2.1本制度利用のための要件:適用対象となる企業と求められる条件本制度がスタートアップ企業の成長を促進するという目的をもつため、本制度を利用するためには、以下の要件を全て満たす必要があります。設立の日以降の期間が15年未満であること本制度は、創業期の成長フェーズにあるスタートアップ企業を主な対象としています。そのため、企業の設立から15年未満(注2)であることが要件となります。この期間を超過した場合、本制度を利用して募集新株予約権を発行することはできません。非公開会社であること本制度は、会社法において取締役会決議による機動的な新株予約権の発行が認められていない非公開会社を対象としています。これに対し、公開会社の場合、会社法は取締役会決議による発行を可能としているため、本制度を利用するメリットがなく、確認の対象にはならないとされています(注3)。経済産業大臣および法務大臣の確認を受ける必要があること本制度の適用を受けるためには、事前に経済産業大臣および法務大臣による確認(以下、「確認」といいます)を受ける必要があります。この確認は、後述する省令の要件を満たしているかを審査するものであり、本制度の適正な運用を担保する重要なプロセスです。省令の要件を満たしていること本制度を利用して募集新株予約権を発行するためには、産業競争力強化法に基づく募集新株予約権の機動的な発行に関する省令(以下、「省令」といいます。)に定められた以下の要件を全て満たしている必要があります。この省令要件は、確認後においても、当該募集新株予約権の発行のそれぞれの時点で満たされていることが求められます。<省令第1条第1号=IPOやM&AによるEXIT(出口戦略)を想定している企業であることの確認>本制度は、将来的なEXITによる企業価値向上と、それを通じた人材へのインセンティブ付与を促進する目的を持つため、以下のいずれかの要件を満たし、明確なEXIT戦略を有していることが求められます。総議決権の3分の2以上の株主と上場や組織再編等の合意(上場等合意)がなされていること(理由:多数の株主が企業の将来的な上場やM&AといったEXIT戦略に賛同していることを示します。)投資事業有限責任組合(LPS)から出資を受けていること(理由:LPSは、投資先のEXITによるリターンを追求する性質を持つため、LPSからの出資はEXIT志向の表れと考えられています。)残余財産分配を内容とする種類株式または取得条項を内容とする種類株式が登記されていること(理由:これらの種類株式は、将来的な企業売却や上場時における株主間の利益調整を目的として発行されることが多く、EXITを前提とした資本政策がとられていることを示します。)<省令第1条第2号=ストックオプションの割当先が、人材確保の目的を達成するためであることの確認>本制度は、優秀な人材確保を目的とするため、確認申請時点において、以下のいずれかの対象者への割当てであることを表明する必要があります。発行会社またはその子会社の会社役員に対する割当てであること。発行会社またはその子会社の使用人(従業員)に対する割当てであること。発行会社に対して役務を提供する者(外部の人的リソース)に対する割当てであること。<省令第1条第3号=既存株主との間で将来発行するストックオプションから得られる利益に対する利益調整がされていることの確認>既存株主の利益を不当に害さないよう、以下の合意が求められます。新株予約権の発行条件や手続について、総議決権の3分の2以上の株主と合意(新株予約権発行合意)があること(理由:将来的な希薄化や価値変動の可能性について、主要な株主が理解・納得していることを確認する意味を有しています。)<省令第1条第4号=当該取締役会への委任が会社法によるものではなく、産業競争力強化法の規定による委任であることを株主が理解していることの確認>株主総会において、本制度により募集新株予約権の募集事項の決定を委任する場合の株主総会決議(以下、「特例委任決議」といいます。)を行う際に、本制度が会社法上の一般規定ではなく、産業競争力強化法に基づく特例であることを明確に説明することが求められます(理由:株主が制度の法的根拠と特例の性質を正確に理解した上で意思決定を行うことを保証するためであり、確認申請時点において、当該事項を表明すれば足ります。)。2.2確認の申請手続本制度を利用するために必要な大臣の確認を受けるためには、所定の申請書に加えて、一定の添付書類を提出する必要があります(注4)。具体的な必要書類は、経済産業省や法務省のウェブサイト(注5)で確認することが重要です。4.本制度を利用して募集新株予約権を発行する場合の流れ本制度を利用してストックオプションを発行する際には、以下の流れで進行します。特例委任決議株主総会において、本制度に基づく特例委任決議を行います。この決議では、以下の事項の決定することになります。その委任に基づいて募集事項の決定をすることができる募集新株予約権の内容(ただし、権利行使価額および権利行使期間を除く)。金銭の払い込みを要しないこととする場合には、その旨。上記以外の場合(金銭の払い込みを要する場合)には、募集新株予約権の払込金額の下限。前述のとおり、株主総会では、取締役会への委任が会社法によるものではなく、産業競争力強化法の規定による旨を説明することも必要です。なお他の要件を満たすことでいわゆる書面決議による株主総会の決議を省略することも可能となります。取締役会による募集事項の決定および株主への通知特例委任決議に基づいて、取締役会が以下の募集事項を決定します。権利行使価額および権利行使期間を含む新株予約権の内容。その他、募集新株予約権の募集に必要な事項。この募集事項を決定した後、割当日の2週間前までに、全ての株主に対して当該募集事項を通知する必要があります。これは、株主が当該ストックオプションの発行について事前に情報を得て、意見を述べる機会を確保するためです。以上のことから、募集事項の決定日と割当日の間には、最低でも2週間以上の期間を空ける必要があるとされています(注6)。割当決定/総数引受契約承認決議その後の流れについては、割当先の決定や総数引受契約の承認を行い、割当日をもって、当該ストックオプションの割当の効力が生じ、当該ストックオプションの発行は完了することになります(注7)。5.まとめ本制度は、非公開のスタートアップ企業が優秀な人材を惹きつけ、その成長を加速させるための画期的な仕組みです。会社法の特例として、投資契約等の契約ではなく、法規範として制度化されたことは、スタートアップ企業への支援に対し、本気で取り組んでいることが分かり、良い傾向にあると感じています。他方、本制度の利用には、経済産業大臣および法務大臣の確認に加え、株主の利益の確保に配慮しつつ産業競争力を強化することに資する場合として経済産業省令・法務省令で定める省令要件(EXIT戦略の明確化、人材確保目的の表明、既存株主との利益調整、制度内容の株主への説明)の遵守が制度利用を通じて求められており、スタートアップ企業にとっては注意深く管理しなければならない重要な規律となります。本制度の利用によって、スタートアップ企業の成長が速まることを期待し、今後の実務動向に注視していきたいと思います。<注釈>これに対し、税制非適格ストックオプションは、権利行使時に給与所得として課税され、その税率は最高で約55%となります。この他にも、権利行使時に課税されることということは実際に株式を売却して金銭を取得する前に納税することになるため、資金確保の面からも税制適格ストックオプションの方が役員・従業員にとって使い勝手が良いものとなります。株式公開までの基本的な期間や規制改革推進に関する中間答申における発言から本制度の期間が定められた旨を指摘するものとして、寺井大貴ほか「産業競争力強化法に基づく募集新株予約権の機動的な発行(ストックオプション・プール利用の会社法特例)に関する制度の解説」商事法務2391号(2025年)28頁。経済産業省・法務省「産業競争力強化法に基づく募集新株予約権の機動的な発行に関するQ&A」Q1-1前掲注3のQ1-6経済産業省「産業競争力強化法に基づく募集新株予約権の機動的な発行に関する制度」https://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/stockoptionpool/index.html前掲注2・33頁なお、前掲注2・34頁では、取締役会非設置会社においては、割当先の決定や総数引受契約の承認自体を株主総会決議で行うことになることから、定款に別段の定めを設けることで、新株予約権の割当ての決定や総数引受契約の承認権者を株主総会以外(例:代表取締役や特定の取締役)に委任することも検討する必要がある旨の示唆がされています。提供:税経システム研究所
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2025/08/08 論説
中堅企業の成長ビジョンとガバナンス・コード
1はじめに今年2月、経済産業省は、「中堅企業成長ビジョン」(注1)(以下、「ビジョン」といいます。)を策定・公表しました。同省が2024年に設置した「中堅企業等の成長促進に関するワーキンググループ」は、中堅企業等により活用可能な施策をまとめた「中堅企業成長促進パッケージ」を策定しているのですが、これらの施策も含めて、中堅企業の自立的な成長を促すために、中堅企業政策を体系的に構築していくことの重要性を認識して公表されたのが、この「ビジョン」(注2)です。経済産業省は、「ビジョン」の中で、中堅企業の持続的な成長には、経営者の能力に加えて、長期の成長ビジョンとその実現のための経営体制の整備、ステークホルダーへの情報発信を通じた経営資源(資金・人材)の確保等が必要であるとともに、企業の成長意欲の喚起や成長志向の可視化と、企業がステークホルダー(伴走支援者や資本市場・労働市場)と円滑に対話するための環境整備が必要であって、そのためには、適切なガバナンスの選択・整備が重要であるとし、2025年3月31日に、「ファミリービジネスのガバナンスの在り方に関する研究会」(注3)(以下「FBガバナンス研究会」といいます。)を設置し、規範策定に向けた検討を開始しました。本稿では、経済産業省の「ビジョン」が、なぜ、ファミリービジネスのガバナンスの在り方や規範策定に向けた検討につながったのか、その経緯を確認した後、非上場会社や中堅企業に関するガバナンス規範(いわゆるガバナンス・コード等)について、海外の例(シンガポールとイギリス)を簡単に紹介・検討することにします。2中堅企業の成長ビジョンとガバナンス(1)中堅企業はむしろ減少傾向「ビジョン」によれば、中堅企業の約半数弱を占める独立型中堅企業(親会社のない中堅企業)をみると、企業数は減少している一方で、労働生産性、1人当たり自社開発特許数、平均賃金は増加していて、大企業をも上回る水準に至っています。そのため、わが国の労働生産性の向上のためには、独立系中堅企業の数を増加させることが重要なのですが、前述のように中堅企業の企業数が減少する一方、中堅企業から中小企業になる企業数が増加しており、この流れを反転させるための成長環境の構築が必要である、といえます。そして、一定規模を有する企業の成長は、スタートアップや小規模企業よりも確実性が高いものの、難易度も高く、持続的な成長を通じて企業価値を増大させていくためには、価値創造の好循環を形成することが必要なのですが、しかしながら、中堅企業の特性を踏まえると、経営者個人の能力や経営資源獲得のための信用力が少ないだけでなく、ガバナンスの機能不全や強い安定志向となるリスク、さらに、未成熟な伴走支援者の市場も、好循環の形成を阻む課題となり得る、といえるようです。(2)中堅企業の持続的な成長には成長ビジョンと経営体制の整備が課題そこで、ここにいう課題の一つである中堅企業の成長ビジョンとガバナンスについてみると、中堅企業の持続的な成長には、成長ビジョンとその実現のための経営体制の整備が重要な課題とされますので、政府は、成長志向の企業が中堅企業へと成長していくことを後押しするシームレスな政策体系を構築する、とのことです。政府の施策の対象を成長志向の企業に重点化する方針を明確にし、そうした企業の認知度を高めて、企業の成長意欲を喚起し、支援企業の取組や成長ビジョンを広く社会に情報発信するとともに、企業がステークホルダーと円滑に対話するための環境を整備する、としています。さらに、ガバナンスについては、中堅企業の多くは、中小企業に比して財務健全性が高いので、金融機関からのデッドガバナンスも働きにくく、大企業に比べて株主・投資家からのエクイティガバナンスも働きにくいので、ガバナンスの機能不全が顕在化する例もみられます。そこで、中堅企業は、金融機関やPEファンド・投資家等の伴走支援者との対話・関与を強めていくとともに、顧客、従業員や地域社会等の幅広いステークホルダーからの成長期待を集め、双方にとって有益な関係を構築することが重要であり、持続的成長には、独立社外取締役の活用も有効である、としています。(3)中堅企業とファミリーガバナンス中堅企業には、様々な経営・所有形態の企業が存在し、最適なガバナンスは各社ごとに異なります。とはいえ、ステークホルダー全体の意向に配慮しながら、企業価値向上のために最適なガバナンスを選択することは、いずれの形態でも重要なのですが、上場企業にはガバナンス規範が一定程度整備されているのに対して、ファミリー等がビジネスに関する意思決定を行う仕組み(ファミリーガバナンス)については、政府指針は存在せず、ガバナンスのノウハウが十分に浸透していない、といえます。独立型中堅企業の過半を占めるのは、ファミリー等が意思決定を行うファミリービジネス(以下「FB」といいます。)ですが、FBは、一般に、経営者の独善的行為や成長意欲の減退、内部対立(お家騒動)による企業価値の毀損、親族内後継者の経営能力不足といった、短所となるリスクを有する、といえます。そこで、FBの長所を残しつつ、短所となるリスクに適切に対処するためのファミリーガバナンスが必要不可欠で、政府は、ファミリーガバナンスを構築するための規範を策定する、とFBガバナンスの規範策定へとつながっています。3海外事例の紹介(1)ファミリービジネスのためのスチュワードシップ原則(シンガポール)シンガポールでは、シンガポール金融管理局(MAS:MonetaryAuthorityofSingapore)の主導により、2001年にコーポレートガバナンス・コードが策定され、その後3回(2005年、2012年、2018年)改訂されています。いずれのコードもシンガポール取引所(SingaporeExchange:SGX)の上場会社を対象とするもので、カナダとイギリスの規制体制から影響を受け、また開示ベースの規制であるところはUS-styleである等と説明されています(注4)。もっとも、シンガポールでは、大規模上場会社の議決権は、政府系投資会社であるTemasek(TemasekHoldingsPrivateLimited)が支配していて、いわゆる機関投資家は少数派株主の役割しか果たしていない、といわれます(注5)。多くの上場会社に支配的な量の株式を保有する株主が存在し、それがファミリー企業である点で、シンガポールは英米の市場とは異なる特徴を有しているといえるようです(注6)。他方、シンガポールには、スチュワードシップ・アジア・センター(StewardshipAsiaCenter)というTemasekが支援する非営利組織があり、2018年に「ファミリービジネスのためのスチュワードシップ原則(StewardshipPrinciplesforFamilyBusinesses)」(以下「FBS原則」といいます。)を策定しています。FBS原則は7つの原則で構成され(図表1参照)、各々にinpracticeという具体性のある説明が付けられています。ファミリービジネスが、単に利益をあげることだけでなく、適切なガバナンスの下で社会に利益をもたらすことを目指す、と説明されていて、同族株主(ファミリー株主)と同族出身の経営者等が、FBS原則に基づいて、株主権等を行使するとともに業務執行と監督を行うべきである、という原則のようです。〔図表1〕FBS原則原則1Drivenbyasenseofpurpose,anchoredonvalues:企業価値に基づいて、ファミリービジネスの目的を明確化し、共有することを促す原則原則2Cultivateanownershipmentality:オーナーと従業員に対し、事業の長期的な発展のために責任を負うことを促す原則原則3Integrateshort-termandlong-termperspective:短期的な目標を長期的な目標と一致させることで、短期主義的な目標や利益を超えて、長期的な目標達成を促す原則原則4Expectchanges,nurtureagilityandstrengthenresilience:変化を予測し、機敏さを養い、対応力を強化することを促す原則原則5Embraceinclusivenessandbuildstrongstakeholderrelationships:多様なステークホルダーとの間で、強固で安定的な関係を築き、維持することを促す原則原則6Dowell,dogood,doright;contributingtocommunity:社会資本、共同体の絆、家族の評判、信念といった、非経済的な豊かさの重要性を促進すべきとする原則(注7)原則7Bemindfulofsuccess:同族の承継者ばかりでなく、同族外の専門知識や専門家を活用することによる時宜に適した計画的な成功の重要性を確認する原則(2)ウェイツ・コーポレートガバナンス原則(イギリス)イギリスでは、政府からの諮問に基づき、2018年12月、財務報告評議会(FRC)が「大規模私会社のためのウェイツ・コーポレートガバナンス原則(theWatesCorporateGovernancePrinciplesforLargePrivateCompanies)」(以下「ウェイツ原則」といいます。)を策定しています(注8)。背景には、当時、イギリスで起こった大規模私会社BHS(BritishHomeStores)による企業不祥事等があります(注9)。大規模私会社とは、簡単にいえば上場会社等ではない大会社を指します。イギリス会社法には、取締役は、会社の成功を促進するために行為しなければならず、その際、従業員の利益や顧客等との事業上の関係、地域社会や環境への影響等を考慮しなければならないと定める有名な条項(英会社法172条1項)がありますが、2018年の改正により、大会社には、戦略報告書において、この172条1項の義務をいかに果たしているかの説明(172条1項ステートメント)が求められることになり、かつ、この説明は、非上場会社についてもウェブでの公表が義務付けられました(英会社法430条)。また、従業員数2000名超であって、売上高2億ポンド超かつ貸借対照表総額20億ポンド超の会社では、取締役報告書で、コーポレートガバナンスの状況やコーポレートガバナンスに関する実務コードの適用状況の開示も求められることになりました(注10)。しかし、既存のUKコーポレートガバナンス・コードは上場会社等の利用を想定したものであったことから、非上場会社大会社のために策定されたのが、ウェイツ原則です。ウェイツ原則は、6つの原則と原則それぞれについての複数の指針(guidance)で構成されており、簡潔で普遍性の高い構造ということができます(図表2参照)。〔図表2〕ウェイツ原則FRCによれば、ウェイツ原則は、大規模私会社の多くによって最も採用されている原則です。エセックス大学の2021/22の調査によれば、調査対象である大規模私会社1815社のうち、547社(30%)がウェイツ原則を採用しているとのことです。もっとも、FRCによれば、開示の実情は、会社の目的の定義や、その目的と経営戦略・企業文化や企業価値との結合、ステークホルダーとのエンゲージメントが取締役会の意思決定に与える影響の説明などにおいて、意味のある開示を模索する段階にあり、当該会社に特有の関係を開示するよりむしろ、定型的な開示に過度に依存する(over-relianceon"boilerplate"disclosures)状況にある、と評されています(注11)。もっとも、このような傾向は、上場会社等によるCGコードの遵守状況の開示についても、みられるものです。4むすびに代えて本稿で取り上げた海外事例の特徴をまとめてみます。シンガポールは、上場会社の多くがFBという状況から、ガバナンス・コードに加えて、FBS原則を設けていますので、FBガバナンス研究会が想定する対象(中堅企業)とは、その適用対象が必ずしも一致しないようです。しかしながら、内容には、普遍性のあるものが含まれています。イギリスでは、会社法上の開示規制と連動する形で、ウェイツ原則が策定されており、その遵守状況等も、会社法の規定によってウェブ開示が求められるため、開示内容の質が一定程度担保され、第三者が比較・検証することも可能になっています。こうした状況も背景として、使いやすいウェイツ原則の大規模私会社による採用につながっているようです。上場FBに固有の問題として指摘されているのは、①創業家出身者が、資質・能力・経験等に関係なく取締役や監査役等に選任される、②創業家等との利益相反的な取引が行われやすい、③短期的な成長よりも事業の維持・継続が重視され、長期思考の故に資本収益性の水準に対する意識が低い、といったことです(注12)。より一般的には、不透明なガバナンスに加えて、お家騒動といったことも問題とされます。また、非上場会社の場合、株式の相続等も意識して、事業の拡大等より維持・継続が重視されがちであるといわれるようです。FBS原則の原則7やウェイツ原則の原則2には、①に対する抑止的な内容、また、ウェイツ原則の原則3には、②に対する抑止的な内容が盛り込まれています。③についてみると、長期的な事業の発展や短期的な目標と長期的な目標との一致を目指すFBS原則の原則2・原則3、持続可能な成功を促すウェイツ原則の原則4は、③の問題に対する対応策としても、機能する面があると感じられます。FBガバナンス研究会は、6月中旬、第2回研究会を開催し、ドイツのファミリーガバナンス・コードも参考に、ファミリーガバナンス規範の内容を検討する作業を行っており、今後、規範の原案策定と、社会浸透に向けた課題等の検討を行う予定とされています。同研究会による規範の策定・公表の暁には、規範の内容や関連する法的枠組等との関係を、改めて検討したいと考えています。<注釈>中堅企業とは、中小企業者を除き、常時使用する従業員数が2000人以下の企業と定義されています。中堅企業の上場企業数は1745者(令和6年1月時点)とのことです(経済産業省「中堅企業成長ビジョン」(令和7年2月)10頁脚注21)。https://www.meti.go.jp/policy/economy/chuuken/index.htmllastaccessedon15June2025https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/family_business/index.htmllastaccessedon15June2025LuhLuhLan,CorporateGovernanceinSingapore-TheRodeThusFar,[2023]JBL661,atp.666.D.W.PuchniakandS.S.Tang,Singapore'sEmbraceofShareholderStewardship-APuzzlingSuccess/D.Katelouzou&D.W.Puchniak,ed.,GlobalShareholderStewardship(2022),atp.298.少し古い数値ですが、M.Dielemanetal.,AStudyofSGX-listedFamilyFirmsによると、創業者やその親族が上位20位まで株主や取締役会構成員である会社は、SGX上場会社の60.8%を占める、とのことです(https://bschool.nus.edu.sg/cgs/wp-content/uploads/sites/7/2018/10/Success-and-Succession-2013.pdflastaccesson22June2025)。原則6はESGの考慮を反映するものであると理解されているようです(Puchniak&Tang,supranote5,atp.312.)。紹介として、上田亮子「英国における非公開会社に対するコーポレート・ガバナンスの強化-ウェイツ・コーポレート・ガバナンス原則の公表-」ディスクロージャー&IR,Vol.9(2019),146頁以下。BHSは、イギリスで巨大ホームセンターを営む著名な会社でしたが、破綻直前まで配当を行い、同社の会計監査役(auditor)もそのリスクを指摘できずにいました。詳細は、川島いづみ「英国のコーポレートガバナンス改革案」ディスクロージャー&IR4号(2018年)110頁。FRC,LargePrivateCompaniescontinuetofavourWatesPrinciples12August2024/https://www.frc.org.uk/news-and-events/news/2024/08/large-private-companies-continue-to-favour-wates-principles/accessedon7June2025上場ファミリービジネス固有の論点に関する論稿として、八木啓至ほか「コーポレートガバナンスに関する上場ファミリービジネス固有の論点とアクティビスト対応」商事法務2393号37頁以下(2025年)提供:税経システム研究所
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2025/07/25 論説
手形・小切手の廃止~電子交換所の終了~
1.はじめに手形と小切手は、企業間の決済手段として広く利用されてきましたが、全国銀行協会(全銀協)は、手形や小切手の決済システムである「電子交換所」の運用を2027年4月で終える方針を固めたため、手形・小切手は2026年度末で廃止されると報道されています(注1)。明治以来続いてきた手形交換所制度に終止符が打たれ、手形・小切手が廃止されることになりそうです(注2)。そこで手形と小切手がこれまでどのように利用されてきたかを概観したうえで、電子交換所の終了に伴って企業間の決済や短期の信用機能がどうなるのかを検討します。また最近の下請法改正の影響にも触れてみます。2.手形・小切手の種類と経済的機能手形には約束手形と為替手形があります。約束手形は、振出人が受取人又はその指図人に対して、支払期日(満期)に手形に記載された金額の支払いを約束する証券(支払約束証券)であり、手形割引を使って短期の金融手段として広く利用されてきました(信用機能)。また手形による金銭の支払請求等を目的とする手形訴訟では、反訴を提起できませんし(民訴法351条)、証拠調べは書証に限定されるなど(民訴法352条1項)、債権者は迅速かつ簡便に権利を行使することができます。約束手形を利用するには、まず銀行と当座勘定取引契約を結び、統一手形用紙を受け取ります。本来、手形用紙に制限はありませんが(注3)、統一手形用紙を使って振り出された約束手形は、満期に支払銀行に呈示され、銀行間の取決めで設置された手形交換所で決済されます。半年に2回、手形の決済ができずに不渡りを出すと、その振出人は銀行取引停止処分を受けることになり、そのことが手形の信用を高めました。統一手形用紙でなければ、銀行が手形割引などの取引に応じてくれませんし、企業間での信用度が低くて流通もほぼ不可能でした。手形交換所や不渡処分と相まって約束手形の信用機能が強化されています。為替手形は、手形の振出人が第三者である支払人に対して、受取人等への支払いを依頼する証券(支払委託証券)であり、支払人は引受によって初めて主たる債務者(引受人)となります(手形法28条)。所持人は引受を拒絶されたときは、満期前であっても振出人及び裏書人に対して遡求権を行使できます(手形法43条)。為替手形は主に送金手段として利用されますが、日本ではそれほど利用されませんでした(注4)。小切手も支払委託証券であり、振出人が支払人に対して、小切手所持人への支払いを依頼する証券(支払委託証券)です。しかし、もっぱら現金の代用物としての決済機能をもつ小切手は、満期は小切手要件ではなく、常に一覧払であり(小切手法28条1項)、振出後直ちに支払を受けられます。また小切手の支払の確実性と取立の便宜から、金融機関として社会的信用が高く、支払事務に習熟している銀行に支払人資格を限定するとともに、振出人と支払人との資金関係、具体的には、振出人と銀行の間で当座勘定取引契約を締結することを要求しています(小切手法3条)。つまり小切手の振出人は支払銀行から交付された統一小切手用紙を使って振り出します。3.手形交換所から電子交換所へ従来の金融機関は顧客から取立委任された手形・小切手について、各地の手形交換所を通じて交換し、決済を行っていました。手形交換所は、一定の地域内にある多数の金融機関が一定の時刻に集合し、各金融機関が持ち寄った他行を支払場所とする手形・小切手を呈示・交換して決済するための団体・施設です。ここでは統一手形用紙・統一小切手用紙の利用が前提です。2022年3月、日本政府は手形交換所における約束手形の取引を廃止するように要請したうえで、法務省は同年10月27日に「手形法第八十三条及び小切手法第六十九条の規定による手形交換所を指定する省令」を全面改正し、同年11月4日をもって同省令に定める手形交換所を全銀協が設置する電子交換所に全面的に移行することとしました(注5)。これを受けて、全銀協が電子交換所を設置し、各地の銀行協会で手形交換所の廃止が決定されました。1980年には全国184か所あった手形交換所が2022年には179か所になり、同年11月にはそのすべてが廃止されて、新たに設置された電子交換所へ移行しました。電子交換所は、金融機関が全国どこからでも利用できる単一のシステムであり、手形・小切手の交換を電子データで行うもので、金融機関が紙の手形を「イメージデータ」に変換して、電子交換所に送受信して処理する仕組みです(注6)。紙ではなく電子化された金銭債権を使うので、金融機関は手形・小切手を搬送する必要がなくなり、業務効率化を図れるほか、ペーパーレスのため郵送費がかからないこと、紛失や盗難のリスクがなくなること、災害等による影響を軽減できることなどが利点とされていました。その後も産業界・関係省庁と金融業界が連携して手形・小切手機能の全面的な電子化を最終目標とした取組みを強化するために、「手形・小切手機能の『全面的な電子化』に関する検討会」が必要な検討を行ってきました。2025年3月21日に開催された第19回検討会では、手形・小切手の電子化に関する中間的な評価が実施され、政府の方針の下、関係者一体で手形・小切手機能の全面的な電子化に向けた取組みを進めてきたものの、電子交換所における手形・小切手の年間交換枚数は2024年時点で依然として1,967万枚となっており、同年の年間削減枚数も目標値822万枚対比61%の501万枚に留まった現状等を踏まえ、中間的な評価として、一定の成果は見られるが、これまでの取組みだけでは目標の達成は困難であるとされました。こうした状況も踏まえ、同中間評価及び検討会における合意を経て、全銀協は、関係者における電子化の取組みを一層後押しし、自主行動計画の最終目標達成の実効性を高めるため、従来の取組みに加えて抜本的な取組みを行うこととし、2027年4月から電子交換所における手形・小切手の交換を廃止することを決定しました(注7)。電子交換所は、全面的な電子化が達成されるまでの過渡期的な対応として設立されたという経緯から、手形・小切手以外の証券(注8)についても電子化・削減を進め、わが国の生産性向上、コスト削減を図ることを目的に、電子交換所システムの更改は行わないとしています。そして、全銀協は手形の代わりに、ネットバンキングや、印紙税なしで債権を取引できる「全銀電子債権ネットワーク」(通称「でんさいネット」)への移行を促しています。4.「でんさい」と電子交換所のちがい紙の手形にかわるシステムとして、2013年2月に全銀協が設立した電子債権記録機関「株式会社全銀電子債権ネットワーク」が運用されています。コロナ禍で電子化が進んだことから、2021年以降、利用の増加ペースが一層強まっているようです(注9)。出所:でんさいネット「統計情報」ページ(https://www.densai.net/stat/)電子交換所は、手形・小切手の交換業務を電子化して行うシステムであるのに対して、電子記録債権(「でんさい」)は、紙の手形を全く使わず、電子記録によって債権が発生・管理されます。電子交換所は、手形・小切手のイメージデータを金融機関間で送受信して交換を行うため、手形・小切手を介した取引であることに変わりはなく、手形・小切手を振り出すことで債権が発生します。それに対し、「でんさい」は、電子債権記録機関における「発生記録」によって債権が発生し、手形のような有価証券を介さずに取引できます。そのため、「でんさい」のメリットとして、受取企業側では、①紙ではなく電子化された金銭債権を使うので、紛失や盗難のリスクがなくなること、②支払期日になると自動入金され、取立てのための手続きが不要であること、③紙の手形と異なりWeb上で管理できるため、事務手続の負担を軽減できること、④紙の手形では不可能な「債権の分割譲渡」が行えること等があげられますし、支払企業側では、①手形の用紙代や印紙代などのコストを削減できること、②ペーパーレスのため郵送費がかからないこと、③手形発行作業が紙よりも簡単で事務手続が効率化できること等があげられています(注10)。なお電子交換所は、手形・小切手を取引する金融機関間の取引に限定されますが、「でんさい」は、全国の多くの金融機関で利用できるため、利用範囲が広いとされています。出所:株式会社ミロク情報サービスホームページ「2026年約束手形は廃止へ手形に代わる“電子記録債権”の活用を!」(https://www.mjs.co.jp/topics/lp/densai/)5.手形・小切手の廃止と下請法改正約束手形には、受取人側の負担が大きいというデメリットもあります。約束手形の支払サイト(振出から支払までの期間)が3〜4ヶ月空くことが一般的で、その間、受取人側は現金を受け取れません。商品・サービスの提供が完了しているにもかかわらず、数ヶ月先まで現金が入ってこないことは資金繰りのうえで大きな負担となります。このような状況からも、紙の手形を利用することに対して消極的になる企業も増えていました。下請けいじめの温床になるとの観点から、政府は、2026年までの手形廃止を検討するよう経済界に要請していました。2021年3月31日に公正取引委員会が公表した通達では、手形・小切手廃止の一環として、①下請代金の支払はできる限り現金によるものとすること、②手形等により下請代金を支払う場合には、当該手形等の現金化にかかる割引料等のコストについて、下請事業者の負担とすることのないよう、これを勘案した下請代金の額を親事業者と下請事業者で十分協議して決定すること、③当該協議を行う際、親事業者と下請事業者の双方が手形等の現金化にかかる割引料等のコストについて具体的に検討できるように、親事業者は支払期日に現金により支払う場合の下請代金の額並びに支払期日に手形等により支払う場合の下請代金の額及び当該手形等の現金化にかかる割引料等のコストを示すこと、④下請代金の支払に係る手形等のサイトについては、60日以内とすること等の対応が事業者に求められました(注11)。2025年の通常国会には、発注者・受注者の対等な関係に基づき、事業者間における価格転嫁及び取引の適正化を図るため、下請代金支払遅延等防止法(下請法)及び下請中小企業振興法の改正案が提出され、5月16日に成立しました。改正下請法では、さらに一段進めて、紙の有価証券である手形については、下請法上の代金の支払手段として使用することを認めないこと、電子記録債権やファクタリングについても、支払期日までに代金に相当する金銭(手数料等を含む満額)を得ることが困難であるものについては認めないこととしています。なお本改正により、下請法は「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(中小受託法)に、下請中小企業振興法は「受託中小企業振興法」に改められました(注12)。手形に対する需要は、中小企業や地場の商店を中心に根強く残っているようですし、手形・小切手の廃止に対しては、手形等の利用が長年の商慣習になっているとか、中小企業・小規模事業者などの取引先が電子化対応できるのか懸念があるといった声も少なくないようです。手形貸付は利用できなくなるので、短期資金の調達手段が減ります。また手形の不渡処分がなくなるので、支払遅延リスクが増加するおそれがあります。2026年度末における電子交換所の終了は、手形・小切手の廃止を義務づけるものではなく、2027年度以降も企業や金融機関同士が郵送などで手形や小切手を交換することは可能ですし、それ以降の紙の手形・小切手の利用に対して罰則があるわけではありません(中小受託法14条以下参照)。しかし、政府・全銀協・金融界などが一体となって紙の手形・小切手の廃止に向けて精力的に動いており、手形・小切手の現金化を続ける金融機関はほとんどないでしょう。産業界でも自動車や流通など約40の業界団体が2026年までに利用をやめるよう呼びかけています。したがって、紙の廃止及び電子化の流れは今後一層加速すると予測されます。<注釈>日本経済新聞2025年3月23日。全銀協「手形・小切手の電子化に関する中間的な評価を踏まえた抜本的な取組み等について~2027年度初からの電子交換所における手形・小切手の交換廃止等~」2025年3月26日https://www.zenginkyo.or.jp/news/2025/n032601/日本では手形交換所は1879(明治12)年に大阪で初めて設けられました。第2次大戦末期に全ての手形交換所は解散させられましたが、戦後、ほとんどの手形交換所が地域の銀行協会の下で再興されました。融通手形等による悪質な不渡手形への対策として、銀行は審査を要する当座預金取引先にのみ手形用紙を交付することとし、様式も統一化した統一手形用紙制度の運用が1965年からすべての金融機関で開始されました。判例は、形式的には手形要件が記載されていても、信用利用や流通を予定せずに、もっぱら手形訴訟による簡易迅速な債務名義の取得を目的とする私製手形は、手形制度及び手形訴訟制度を濫用する不適法なものとしています(東京地判平成15.10.17判時1840-142、東京地判平成15.11.17判時1839-83、横浜地決平成15.7.7判タ1140-274)。手形法は、為替手形をまず規定し、次いで為替手形の規定の多くを約束手形に準用しています。利用の少ない為替手形をメインに規定したのは、手形法が1930年のジュネーブ統一手形条約を国内法化したものだからです。中世教会法には利息禁止の法理があり、約束手形はこれに反するが、為替手形は送金手段なので、違反しないという理屈で、欧米では為替手形が広く利用されていたためです。手形・小切手機能の全面的な電子化に関する取組みは、2017年の政府の「未来投資戦略2017」において、「オールジャパンでの電子手形・小切手への移行」が掲げられたことに端を発しています。その後、2021年6月には「成長戦略実行計画」において「5年後の約束手形の利用の廃止に向けた取組を促進する」、「小切手の全面的な電子化を図る」ことが明記されました。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/miraitousi2017_t.pdf手形交換所で扱う手形・小切手等の交換高は、2024年に75兆177億円(交換枚数2333万枚)でした。金額でピークだった1990年の4797兆円の1.5%程度まで減少し、枚数では、4億3486万枚あった1979年の約20分の1になりました。全銀協は、2018年12月の「手形・小切手機能の電子化に関する検討会報告書」に示された「全面的な電子化を視野に入れつつ、5年間で全国手形交換枚数の約6割を電子的な方法(手形は電子記録債権、小切手はEBによる振込)に移行すること」を中間的な目標として取組みを行った結果を踏まえたものであり、電子交換所は、全面的な電子化が達成されるまでの過渡期的な対応として設立されました。https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/abstract/council/tegata_denshi/tegata_denshi_report_1.pdfhttps://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/abstract/electronic/explanation.pdf手形・小切手機能の「全面的な電子化」に関する検討会(第19回)議事要旨(2025年3月21日)https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/abstract/council/tegata_denshi/tegata_denshi2021_19_1.pdf手形・小切手以外の証券は、株式の配当金を受け取ったことを証明する「配当金領収証」、一定金額を別の場所へ送金する際に利用する「定額小為替証書」、定額小為替証書よりも大きな金額を転送する際に利用する「普通為替証書」、金融機関が他の金融機関に対して支払いを指示する「振替払出証書」などです。これらの証券は、手形や小切手と同様に、電子交換所で電子データとして交換されます。でんさいネット・統計情報。https://www.densai.net/stat/2018年の推計によると、PC購入費・電子記録債権の契約などの初期費用が1195億円、印紙代・用紙交付料・取立手数料・郵送費などのランニングコストが▲732億円ですが、2年目以降は初期費用がかからなくなるため、一層のコスト削減効果が認められるとされています。「産業界における手形・小切手の利用実態等に関する調査」MUFJリサーチ&コンサルティング(2023年6月30日)https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/abstract/council/tegata_denshi/tegata_denshi2021_12_3.pdf公正取引委員会「下請代金の支払手段について」(令和3年3月)https://www.jftc.go.jp/shitauke/legislation/saito.html公正取引委員会・経済産業省「『下請代金支払遅延等防止法及び下請中小企業振興法の一部を改正する法律』の成立について」(令和7年5月16日)。この改正では法令用語も変更され、「親事業者」「下請事業者」はそれぞれ「委託事業者」「中小受託事業者」に、「下請代金」は「製造委託等代金」に改めています。改正法の施行期日は2026(令和8)年1月1日です。https://www.meti.go.jp/press/2024/03/20250311002/20250311002.htmlhttps://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2025/may/250516_toritekiseiritsu.html提供:税経システム研究所
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2025/07/11 topics
会社の法令違反と取締役の報告・公表義務
1はじめに株式会社は、営利を目的として事業活動を行うために、事業戦略を定め、従業員を雇用し、製造業ならば製造して販売する等、さまざまな活動をして行きます。事業活動の意思決定をし、決定した行為を執行する任務を負っているのが取締役です。取締役としての任務を行うにあたり、取締役は、善管注意義務(会社法330条、民法644条)と忠実義務(会社法355条)を負います。忠実義務は、法令及び定款並びに株主総会の決議を遵守し、株式会社のため忠実にその職務を行わなければならないという義務ですから、取締役は「法令」を遵守して職務を行わなければなりません。ここにいう法令は、取締役を名宛人としてその義務を定める規定に限らず、株式会社がその業務を行う際に遵守すべきすべての規定を含むと解されています(注1)。社会全体の利益を保護する見地から、取締役による会社の利益追求行動に対し、強行法規的な制限を課す趣旨と解釈されています(注2)。法令違反があった場合に、その事実を監督官庁に報告し、また一般に公表する義務があるでしょうか。この点が問題となった最近の事例に、大阪地判令和6年1月26日金判1697号21頁があります。この事件は、大臣評価基準に適合していない子会社製品の出荷について、親会社取締役が技術系の従業員の報告を信頼して大臣への報告や一般への公表をただちに行わなかったというものです。本稿は、この裁判例を紹介して、会社が法令違反を行ったことがわかった場合に、取締役はどのように報告・公表義務を果たすべきだったのかを検討してゆきます。2.大阪地判令和6年1月26日の概要(1)事実の概要タイヤ等を製造するA社は、その完全子会社であるB社に、建築用免震積層ゴム(免震積層ゴム:G0.39)を販売させていました。しかし、その免震積層ゴムは、出荷時の性能検査において、建築基準法37条所定の国土交通大臣評価基準に適合していませんでした。A社の株主Xは、A社の取締役Y1~Y4に対し、平成26年9月以降、免震積層ゴムに係る問題を国土交通省に報告するとともに一般に公表する判断をすべき善管注意義務の履行を怠ったことからA社に損害を与えたとして、会社法423条1項による損害賠償請求権に基づき、連帯して、1億円と遅延損害金をY社に支払うこと等を求める株主代表訴訟を提訴しました。(2)判旨前掲大阪地判令和6年1月26日は次のように判示して、Xの請求の一部を認容しました。Y1~Y4は、「平成26年10月23日の時点で…大臣評価基準を満たしていないものがあることについて、国交省に報告する判断をすべき義務(報告義務)を負うとともに、一般への公表をする判断をすべき義務(公表義務)を負っていたというべきである」「本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば、国交省への報告及び一般への公表に係る任務懈怠によって本件会社の信用が毀損され、これによって本件会社には信用毀損による損害として2000万円の損害が生じたと認めることができる」。3.大阪地判令和6年1月26日の検討(1)本判例の意義この事例は、国土交通大臣評価基準に適合していない免震積層ゴムを販売したA社の取締役の責任を追及した株主代表訴訟です。本判決は、(1)法令違反がある場合において、親会社取締役はその事実を監督官庁への報告や一般への公表をする義務違反の有無が争われており、本稿ではこれについて扱います。このほか、(2)経営判断原則や信頼の原則の適用がある場合における親会社取締役の善管注意義務違反が問われる場合の判断基準、(3)親会社取締役による子会社管理義務(注3)等、多くの論点があります。本判決は、取締役の会社に対する責任を認めており、先例として重要な意義のある裁判例といえます。(2)免震建築物と免震積層ゴムこの事例で争われた免震積層ゴムについて説明しておきましょう。免震建築物は、地面の上に免震装置があり、その上に建物がのっている構造のものです(注4)。この建築物では、地震時に免震装置が地震の揺れを吸収することで、建物に地震の揺れが伝わりにくくなり、建物には免震装置で吸収できなかった地震の揺れが少し伝わるだけですみます。免震装置に使われているアイソレータ(建物を支え、地震のときに建物をゆっくりと移動させるもの)の一つが、「積層ゴム」です。積層ゴムとは、「ゴム=柔らかいもの」と「鋼板=硬いもの」が交互に重なっているものです。「ゴムの柔らかさ」によって、地震時に水平方向にゆっくり揺れ、地震の揺れができるだけ建物に伝わらないようにし、「鋼板の硬さ」によって、重い建物を安定に支えるというものです(注5)。免震建築物では、免震積層ゴムが普段はしっかり建物を支え、地震の時は建物を支えながら水平方向に柔軟に変形し、地震の揺れをゆるやかにしてゆきます。図表1積層ゴムの例【出所】一般社団法人日本免震構造協会のホームページより抜粋(3)大阪地判令和6年1月26日における免震積層ゴムの対応(2)で述べたように建築物の基礎を支えるのが、免震積層ゴムです。大規模地震が頻発する日本では、その基礎を支える製品が十分な性能をもっていなければ建築物の安全性が著しく低下し、建築物を利用する者の生命、身体又は財産を危険にさらすおそれがあります。この免震積層ゴムの性能に問題があったのが、本事案です。本事案の検討に関連する部分について、時系列表でまとめておきます。平成26年5月頃出荷時の性能検査において、建築基準法37条所定の国土交通大臣評価基準に適合していないとの疑いがあったことから、A社は調査を開始。9月12日調査の結果、国土交通大臣評価基準に適合していないものがあるとして、弁護士に相談。同弁護士から同評価基準に適合しないものは出荷停止にすべきであり、国土交通省への報告が必要であると助言を受けました。9月19日午前の会議A社の取締役Y1・Y2らは、免震積層ゴムの出荷停止と国土交通省へ報告することにしました。9月19日午後の会議B社の工場にいたCとテレビ会議で、A社の本社会議室と接続。大臣評価基準を充足する旨のB社の製品技術本部長Cの報告を受けて、同日午前の会議で確認された方針が撤回され、出荷停止をしないと判断。この9月19日午後の会議が問題です。この会議は正式な取締役会ではありませんが、Cの報告を受けて出荷停止をしないと判断しています。この報告が適正なものであれば良かったのでしょうが、実際は独自の方法、つまりA社が大臣認定の取得のために国土交通大臣と指定性能評価機関に対して提出した性能評価書(黒本)に記載された方法とは異なる方法で行われ、性能基準を下回るものでした。さらに、その後の調査により、免震積層ゴムが大臣評価基準に適合しないことが明らかになりました。平成27年2月2日A社は出荷停止の判断を行いました。2月9日A社は国土交通省に対し、一定の物件について、大臣評価基準に適合しない免震積層ゴムが使用されている疑いがある旨の報告を行いました。4法令違反と取締役の報告・公表義務(1)取締役の公表義務取締役の任務には、法令を遵守して職務を行うことが含まれます(会社法355条)。その法令には、(1)会社・株主の利益保護を目的とする具体的規定(会社法156条等、356条等)だけでなく、(2)公益の保護を目的とする規定(刑法等)を含むすべての法令が該当し、取締役の責任原因となり得ます(会社法423条1項(注6))。法令違反があった場合に、その事実を監督官庁に報告し一般に公表する義務があるかどうかが問題となります。公表義務に関する先例として、大阪高判平成18年6月9日判タ1214号115頁があります。この事件は、食品衛生法上認められていない未認可添加物が混入した違法な食品を、それと知りながら公表せずに継続して販売した。判例は「重大な違法行為によってD社が受ける企業としての信頼喪失の損害を最小限度に止める方策を積極的に検討することこそが、このとき経営者に求められていたことは明らかである。ところが…被告らは…『自ら積極的には公表しない』などというあいまいで、成り行き任せの方針を、手続き的にもあいまいなままに黙示的に事実上承認したのである。それは、到底、『経営判断』というに値しないものというしかない」と判示して、取締役の善管注意義務違反を認めました。(2)本判決における取締役の報告・公表義務2(2)で述べたように、本判例は、Yらには、大臣評価基準を満たしていないものがあることについて、国土交通省への報告義務と一般への公表義務があったと判示しています。本判例は「免震積層ゴムである本件出荷品を含むG0.39は…国土交通大臣による大臣認定によって、備えるべき品質や性能等についての一定の基準が定められ、かかる基準に適合していることを前提に販売されているものであるほか、建物に作用する地震力を低減する機能を有する指定建築材料として建物の耐震性能の維持に直結する機能を有するものであって、G0.39を用いる建物の安全性に関わるものであるから、かかる製品を販売する企業の取締役としては、出荷済みの製品が大臣評価基準に適合しないものであった場合には、可及的速やかに国交省に報告するとともに、一般に向けてかかる事実を公表することが求められるというべきである」とする基準を挙げ、「かかる製品を販売する企業の取締役の国交省への報告及び一般への公表に係る注意義務については、その地位及び担当職務を前提に、大臣評価基準への適合性についての調査の進捗状況及び内容…当該取締役が認識した事情等の具体的な事実関係等を踏まえて、当該時点における報告・公表に係る具体的な注意義務の有無について判断されることになる」とする解釈を示しています。本判決のこうした判断は、(1)で前述した前掲大阪高判平成18年6月9日と同様の想定の下に、一般的な善管注意義務の問題として報告・公表義務を捉えているのでしょう(注7)。現在の判例・学説の傾向に沿った対応といえるでしょう。(3)取締役の報告・公表に関する判断の不十分さ免震積層ゴムについて、法令違反が判明してから報告・公表するまでに時間がかかっています。取締役Y1・Y2の判断はなぜ遅れたのでしょうか。本判決の事例に則して考えてみます。A社はタイヤ事業が売上高の約8割を占めるのに対し、免震積層ゴムの売上高はAグループの0.2%にすぎず、同事業はA社から完全子会社B社に移管されたものでした。YらはA社の取締役(Y1についてはB社の担当取締役でもある)ですが、いずれも免震積層ゴムの製造、出荷業務に直接従事した経験はありませんでした。つまり、免震積層ゴムはA社グループの中核事業ではなく、Yらも十分な知識はなかったのです。しかるに、取締役Y1・Y2は、3(3)で述べたように平成26年9月19日午前の会議で決めた免震積層ゴムの出荷停止の方針を一日のうちに180度転換しています。これは甚だ疑問であり、製品の安全性が問題視されているにもかかわらず「有時対応」が不十分であったといわざるを得ません(注8)。こうしたチェック体制の不備が不祥事を拡大させた原因といえそうです。(4)報告・公表の時期それでは、取締役が報告・公表を行うべき時期はいつからとすべきだったのでしょうか。A社は、免震積層ゴムの大臣評価基準への適合性について、平成26年5月頃から調査を始めていました。その調査は、3(3)で述べたように同年9月19日午後の会議においては、B社の製品技術本部長Cの報告をもとに調査を継続していたため、それよりも後の時点です。本判決は、その時期を平成26年10月23日としています。この時、Yらは、Cから、C報告にもとづく従前行われてきた補正の方法は適切ではないという報告を受け、Y2~Y4は、、リコールは不要であるとの見解に反対の意見を述べています。しかし、実際に、Yらが国土交通省に報告したのは、平成26年10月23日から3か月以上経過した平成27年2月9日のことです。建築物の基礎を支える免震積層ゴムは建物を大規模地震から守る装置であるから、あまりにも遅い報告・公表であったということができるでしょう。本判決が、取締役Yらの報告・公表が善管注意義務となると判示したのは妥当な判断ということができます。5結びに代えて前掲大阪地判令和6年1月26日を紹介し、会社が法令違反を行った場合における取締役の報告・公表義務について検討してきました。同様の問題が発生した場合に備えて、あらかじめチェック体制を整えておくことが重要です。そうした体制があっても違反が起こった場合には、早期に報告・公表することが、取締役の義務となりますので、しっかり対応できるように備えておく必要があります。<注釈>最判平成12年7月7日民集54巻6号1767頁。田中亘『会社法(第5版)』(東京大学出版会、2025年)282頁、288頁。論点(2)については、舩津浩司「判批」資料版商事483号(2024年)144頁、論点(3)については、同「判批」ジュリ1598号(2024年)3頁参照。免震建築物の説明については、一般社団法人日本免震構造協会の説明(https://www.jssi.or.jp/generalseismic_isolation/isolation_architecture)に拠った。積層ゴムについては、一般社団法人日本免震構造協会・前掲(注4)参照。江頭憲治郎『株式会社法(第9版)』(有斐閣、2024年)498頁。舩津・前掲(注3)資料版商事483号152頁。中村信男「企業不祥事における役員の善管注意義務」ビジネス法務24巻12号(2024年)106頁。提供:税経システム研究所
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2025/06/20 topics
カスハラについて ~安心して働くための過度なクレームへの対処法~
Ⅰはじめに近時、日本では、パワハラ、セクハラ、LGBTハラに加えて、カスハラも大きな社会問題となっています。カスハラ(customerharassment)はコンビニや中小の商店のレジや店頭ばかりでなく、大企業においても対応する従業員や企業自体にとって大きなストレスとなっています。カスハラは従業員や当該企業そして他の顧客等にとっても様々な悪影響を及ぼしますので、放って置くわけにはいきません。しかし、カスハラについては他の上記各種のカスハラと違って、直接的な関係法令はありません。そのかわり、事態の深刻さに対応して、近時、『「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」厚生労働省、カスタマーハラスメント対策企業マニュアル作成事業検討委員会(令和3年度厚生労働省委託事業、東京海上ディーアール株式会社受託)』(以下「マニュアル」と略記します。)が公表されており、これに準拠して最近は東京都、北海道、三重県はじめ多くの地方公共団体や各企業において、それぞれのカスハラ防止条例や対策基準が作成されてきています。そこで、本稿では、カスハラに関する諸問題に関し、この「マニュアル」および『あらましとQ&Aでわかるカスハラ』(弁護士法人中央総合法律事務所編)(きんざい、2020年)(以下「カスハラ」と略記します。)における説明の概略内容を紹介しようと思います。Ⅱカスタマーハラスメントとは「マニュアル」は、カスタマーハラスメントについて「顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」と意義づけています。そして、会社が顧客から受ける苦情(クレーム)を、①会社の経営やサービスの改善につながる有益なもの、②会社の経営やサービスの改善につながらないが、その内容や態様が悪質とまではいえないもの、③会社の経営やサービスの改善につながらず、その内容や態様が悪質なもの、に分類しています(カスハラ7頁)。このうち、③が会社がクレーマーから受ける悪質なクレームでして、カスハラに該当します。このカスハラに該当するか否かの判断基準としては、(1)顧客等の要求内容に妥当性があるか、(2)要求を実現するための手段・態様が社会通念に照らして相当な範囲か否かがあります。(1)の「顧客等の要求の内容が妥当性を欠く場合」の例としては、①企業の提供する商品・サービスに瑕疵・過失が認められない場合と、②要求の内容が、企業の提供する商品・サービスの内容とは関係がない場合があります。また、(2)の「要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当な言動」の例としては、(ⅰ)「要求内容の妥当性にかかわらず不相当とされる可能性が高いもの」と(ⅱ)「要求内容の妥当性に照らして不相当とされる場合があるもの」に分かれます。そして、(ⅰ)には、身体的な攻撃(暴行、傷害)、精神的な攻撃(脅迫、中傷、名誉毀損、侮辱、暴言)、威圧的な言動、土下座の要求、継続的な(繰り返される)あるいは執拗な(しつこい)言動、拘束的な行動(不退去、居座り、監禁)、差別的な言動、性的な言動、従業員個人への攻撃・要求があります。また、(ⅱ)としては、商品交換の要求、金銭補償の要求、謝罪の要求(土下座を除く)、があります(マニュアル7~8頁)。Ⅲカスハラ対策の必要性カスハラは当該企業の従業員や当該企業あるいは他の顧客に対し以下のような悪影響を及ぼしますから、会社は従業員に対し、労働契約上の安全配慮義務の観点から(最判昭和59・4・10、川義事件)、何らかのカスハラ対策を講じなければなりません。従業員への影響としては、その者の業務のパフォーマンスの低下、健康不良(頭痛、睡眠不良、精神疾患、耳鳴り等)、あるいは、現場対応への恐怖・苦痛による従業員の配置転換、休職、退職、等があります。当該企業への影響としては、時間の浪費(現場でのクレームの対応、電話対応、謝罪訪問、社内での対応方法の検討、弁護士への相談、等)、業務上の支障(顧客対応によって他の業務が行えない、等)、人員確保(従業員離職に伴う従業員の新規採用、教育コスト、等)、金銭的損失(商品、サービスの値下げ、慰謝料要求への対応、代替品の提供、等)、店舗・企業に対するブランド・イメージの低下、等があります。他の顧客等への影響としては、来店する他の顧客の利用環境・雰囲気の悪化、業務遅滞によって他の顧客がサービスを受けられなくなること、等です。Ⅵ企業が取り組むべきカスハラ対策1事前の準備カスハラに対する事前の準備としては、①事業主の基本方針・基本姿勢の明確化、このことの従業員への周知・啓発、②従業員(被害者)のための相談対応体制の準備、③対応方法・手順の策定、④社内対応ルールの従業員等への教育・研修、等があります(マニュアル18頁)。2実際の対応実際にカスハラが起こった際の対応としては、①事実関係の正確な確認と事案への対応、②従業員への配慮の措置、③再発防止のための取組、等があります(マニュアル19頁)。②に関しては。相談者のプライバシーを保護するため必要な措置を講じ、これを従業員に周知することや、相談したことを理由として不利益な取扱を行ってはならない旨を定め、従業員に周知すること、等があります。メンタルヘルスの不調への対応も必要です。カスハラにまで発展させないための現場でのクレーム初期対応の一つとしては、対象となる事実や事象に関し、明確かつ限定的に謝罪することがあります。「この度は不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありません。」等、不快感を抱かせたことを謝りますが、正確に状況が把握できない段階では、企業として非を認めるような発言をするのは望ましくありません(マニュアル30頁以下)。悪質クレーマーとは真摯に折衝しなければなりませんが、①議論はしないこと。正論を述べても怒りを買うことになります。②話をかみ合わそうとしないこと。かみ合っても新たなクレームのきっかけを与えることになります。こちらの言い分を繰り返し伝えること。③説得しないこと。説得しようとしてもかえって怒りを買うだけです。④できる限りその場で対応し、宿題をもらわないことに留意すること、です(カスハラ55頁以下)。相談対応者または窓口対応者が従業員から相談を受けた場合には、まず事実関係を整理し、ハラスメントに該当するか否かを判断しなければなりません。(ⅰ)時系列で、起こった状況、事実関係を正確に把握・理解すること。まずは、顧客の名前・住所・連絡先等の情報を得なければなりません。(ⅱ)顧客が求めている内容を把握し、それが妥当か否かを検討すること、(ⅲ)顧客の要求の手段・態様が社会通念上相当か否かを検討する必要があります(マニュアル36頁)。確認した情報は、現場監督者または相談窓口対応者と共有します。悪質クレーム案件の対応は、①情報収集、②対応方針の決定、③対応、となります。情報収集にあたっては、5W1Hを明確にしたうえで、時系列に従って把握することが重要です。すなわち、Who(誰が)、When(いつ)、Where(どこで)、What(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)、です(カスハラ21頁以下)。(ⅰ)顧客の話によればどういう5W1Hなのか、(ⅱ)当方の話によればどういう5W1Hなのか、(ⅲ)(ⅰ)と(ⅱ)を分ける重要な事実は何か、(ⅳ)顧客の主張対応はどのようなものか明確にします。会社がクレーマーの要求事項に対応する義務があるか否かについては、「一般人の感覚」すなわち「常識」で判断します。①競業他社の動向、②他事案との平仄、③これを実施するための、ヒト、モノ、カネ、時間、④レピュテーションリスク、⑤過剰要求の呼び水となるリスク等を考えて経営判断します(カスハラ26頁)。Ⅴハラスメントの行為類型と対応策カスハラは、以下のように分類されています(マニュアル26頁以下)。(1)時間拘束型:これは、居座りをしたり、長時間電話を続けるなどして、長時間にわたり従業員を拘束する形態です。この場合には、これ以上対応できない理由を説明したり、応じられないことを明確に伝えた後、膠着状態が一定時間を越えた場合には、お引き取り願うか、電話を切ることです。顧客が帰らない場合には、毅然とした態度で退去を求め、場合によっては弁護士への相談や警察への通報を検討しましょう。(2)リピート型:これは、理不尽な要望を繰り返し電話で問い合わせてきたり、面会を求める形態です。頻繁に来店し、その度にクレームをつけたり、複数の部署にまたがって複数回クレームをよこす行為などもあります。これに対しては、連絡先を取得し、繰り返し不合理な問い合わせがきたなら注意し、次回は対応できない旨を伝えましょう。それでも繰り返し連絡が来る場合には、リスト化して通話内容を記録し、窓口を一本化して、今後同様の問い合わせは止めることを毅然として伝えることです。弁護士への相談や警察への通報も検討することです。(3)暴言型:これは、大声で怒鳴ったり、「馬鹿」などの侮辱的発言や、人格を否定し名誉を毀損する発言をするものです。暴言で執拗にオペレーターを責めたり、店内で大声をあげて秩序を乱したり、大声で恫喝・罵声・暴言を繰り返す等の行為があります。これに対しては、録音し、程度がひどい場合には、退去を求めることです。(4)暴力型:これは殴る、蹴る、たたく、物を投げつける、わざとぶつかるなどの行為です。クレーマーとは、一定の距離を保って離れ、対応者の安全を確保するとともに、警備員に連絡し、複数名で対応し、警察に通報する必要もあります。悪質クレーマーの中には暴力・監禁等をする者もいます。悪質クレーマーの支配圏内(自宅等)での折衝は原則的にしないこと。やむを得ない場合には、複数人で入ること。訪問する担当者の氏名・人数を伝えて、了解を取り、面談時間についてもあらかじめ決めておくことです。(5)威嚇・脅迫型:これは「殺されたいか」等の脅迫的発言、反社会的勢力とのつながりをほのめかす言葉を発し、異常に従業員に接近し、怖がらせる行為をとるものです。「対応しなければ株主総会で糾弾する」、「SNSにあげる」、「口コミで悪く評価する」等のブランド・イメージを下げるような脅しをかける場合もあります。これに対しては、複数名で対応し、警備員と連絡をとりつつ、対応者の安全確保を優先する必要があります。警察への連絡も検討すべきです。(6)権威型:これは正当な理由なく、権威をかざして要求を通そうとするものです。断っても執拗に特別扱いを求め、文章等による謝罪や、土下座を要求することもあります。これに対しては、不用意な発言はせず、対応を上位者と交代し、要求には応じないことです。土下座の強要は強要罪にあたり、従う必要はありません。(7)店舗外拘束型:これはクレームの詳細がはっきりしない状態で、職場外にある顧客等の自宅や特定の喫茶店などに呼びつけるものです。基本的に単独で対応してはいけません。クレームの詳細を確認したうえで、対応を検討しましょう。事前に返金等に対する一定の金額基準、時間、距離、購入からの期間などについて制限を設けておいて、基準を作っておきましょう。対応の場所は公共性のある所を指定しましょう。クレーマーががんとして従業員を帰さないときは、弁護士への相談や警察への通報を検討しましょう。(8)SNSやインターネット上での誹謗中傷型:これはインターネット上に、名誉を毀損したり、プライバシーを侵害する情報を掲載するものです。これに対しては、掲載先のホームページ等の運営者(管理人)に削除を求めたり、投稿者に損害賠償を請求する方法があります。必要に応じて弁護士に相談しつつ、発信者情報の開示を請求しましょう。投稿者の処罰を望む場合には、弁護士や警察へ相談します。解決策や削除の求め方が分からないときは、法務局や違法・有害情報センター、「誹謗中傷ホットライン」「セーファーインターネット協会」に相談しましょう。(9)セクハラ型:これには特定の従業員の身体に触れる、待ち伏せする、つきまとう等の性的行動・猥褻行為、食事やデートに誘う、性的な冗談や性的内容の発言等があります。これに対しては、性的な言動については録音・録画を残し、被害者及び加害者に事実認定を行い、加害者には警告することです。執拗なつきまとい、待ち伏せに対しては、施設への出入り禁止を伝え、それでも繰り返す場合には、弁護士への相談や警察への通報を検討することです。Ⅵ折衝のしかた従業員が悪質クレーマーと折衝するときは、店頭ではせず、応接室等の個室に招いて、こちらは2人以上でいたしましょう。相手が感情的になっていても丁寧な話し方で冷静に対応することです。専門用語などは使わないようにしましょう。質問しながら要点のメモをとり、必要があれば相手の了解を得て録音しましょう。極力議論は避けて、問題を解決しようとする前向きな姿勢を感じさせましょう。折衝にあたっては、担当者を複数名用意し、折衝目的の確認、終了時刻の伝達、録音する旨を通知しましょう。終了時間が到来し、常識的な対応時間が経過したなら、相手方が了解しなくても折衝を打ち切りましょう。電話で対応する場合は、毅然とした真摯な態度で対応していることを示すために、大きめな声でおどおどせずにはっきりと話しましょう。メモをとりながら話を聞き、復唱して確認すること。対応できることとできないこととをはっきりさせ、相手に過大な期待を抱かせないようにしましょう。即時に回答できない内容については、事実を確認してから追って返事をするようにすること。途中で電話を中断するときは、社内で相談している内容が漏れないよう、電話の保留機能を利用することです。常に録音されていることを想定し、慎重に言葉を選んで対応しましょう。こちらも録音していることを伝えるのもよいことです。電話対応に関しては、苦情を専門に受け付ける専用電話を設置し、録音できるようにしておきましょう。基本的には第1受信者が責任を持ち、問い合わせ案件のたらい回しをしないようにしましょう(カスハラ60頁以下)。顧客のもとに訪問して対応する場合には、夜間や早朝の訪問は避けましょう。喫茶店など周囲から聞かれる場所や決められた場所以外には行かないこと。あらかじめ、訪問先や問題点について情報を集め、問い合わせ内容への対応方針を決めておくこと。まずは相手の言い分を聞くだけにしましょう。原因がはっきりしない時点では安易な推定で説明しないことです。面談する場合、毅然とした態度で、複数人で、真摯に対応すべきです(マニュアル32頁)。書面での折衝の場合には、伝えるべき事項を必要かつ十分に記載し、書きすぎないようにしましょう。書面の差出人、窓口となる担当者の氏名と電話番号を記載します。相手に「届いていない」といわせないためには特定記録郵便で出し、解除通知書や相殺の通知書のようにこちらの意思が到達することに法的意義がある場合には、配達証明付内容証明郵便で送付しましょう(カスハラ65頁)。メールでの折衝は、安易に返信してしまいがちであり、拡散性が高いので、なるべく避けるべきです。行わざるをえない場合には、拡散されても恥ずかしくない内容を記載してください(カスハラ68頁)。Ⅶむすびカスタマーハラスメントの場合、会社と顧客との間には雇用関係がないため、企業内ハラスメントの場合のように、行為者に対しては指導・懲戒等の措置をとることはできません。そのため、出入り禁止や行為の差止といった直接的措置を定めた利用規約や裁判が必要となります。個々の会社としては弁護士との連携、業界としては所轄官庁との連携が必要となります。カスハラを未然に完全に防ぐことは不可能でして、未然防止のための体制整備が必要です。実際の悪質クレーム案件に関しては、折衝状況をデータベース化して社内勉強会で共有しましょう。悪質クレーマーは1つのクレームを複数の部署に申し立てる傾向にありますから、会社としての言動に矛盾が生じないよう「窓口の一本化」をはかることが必要です。「社長を出せ」と言われても、出す必要はありません。「私が対応いたします」と伝えて対応するか、上司が出るかを選択しましょう(カスハラ33頁、108頁)。なお、カスハラが該当する罪としては以下のようなものが考えられます。傷害罪(刑204条)、暴行罪(刑208条)、脅迫罪(刑222条)、恐喝罪(刑249条1項)、未遂罪(刑250条)、強要罪(刑223条)、名誉毀損罪(刑230条)、侮辱罪(刑231条)、信用毀損罪及び業務妨害罪(刑233条)、威力業務妨害罪(刑234条)、不退去罪(刑130条)、等です。提供:税経システム研究所
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2025/06/06 論説
「税理士のコンプライアンスと留意点ー国税庁による処分事例を参考にー」
1はじめに税理士が脱税指南や無資格者への税理士の名義貸し等、税理士法上禁止されている行為を行う等して国税庁の懲戒処分を受ける事例が増加しているという問題は、既に10年以上前に新聞で報じられ、2014年度の懲戒処分事例が合計59件に上り、3年連続で過去最多を更新したことが紹介されていました(注1)。これに対し、税理士法の改正による罰則強化等の対策が講じられましたが、必ずしも奏功したとはいえないようです。国税庁のウェブサイトを見ると、令和元年度に43件あった税理士処分件数が令和2年度から令和4年度までの間は20件前後と半減していましたが、その後また増加に転じ、令和5(2023)年度は38件であった税理士処分件数が令和6(2024)年度は64件へと大幅増加している(注2)からです。筆者が某税理士会関係者から聞いたところでは、国税庁としてもこの状況を問題視し、税理士会またはその支部に対し実効的な対策の実施を求めているとのことです。(出典:国税庁「税理士等に対する処分等」https://www.nta.go.jp/taxes/zeirishi/chokai/chokai.htm)そこで、本レポートでは、上記の状況に鑑み、国税庁の税理士等に対する懲戒処分事例を参考に、税理士にとってのコンプライアンス確保の重要性・必要性を確認し、実務上の留意点等を検討することとします。2税理士業務によるコンプライアンス(1)税理士法上の遵守規定・禁止行為等税理士がその業務を適切に遂行するに当たり、関連法令を遵守すべきことはいうまでもありません。関連する各種税法はもちろんですが、本レポートでは、税理士業務を一般的に規律する税理士法との関係で、税理士がどのような規定を遵守する必要があるかを確認しておきます。国税庁による税理士処分事案は、基本的に税理士法の関連規定の違反を理由とする(注3)からです。税理士は、税理士法(以下、「法」と表記)1条に定める通り、「税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそつて、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ること」を使命とします。そのため、税理士業務の遂行に当たり基本となるのは、法1条所定の税理士の使命であり、これに即した行動をとることを求められます。その上で、法は36条以下でこれを具体化する各種の行為規範および禁止規定を定めており、その概要は以下の表に示した通りです。(表)税理士法上の行為規範・禁止規定法36条、48条の16不正に国税・地方税の賦課・徴収を免れること、不正に国税等の還付を受けることについて指示し、相談に応じ、その他類似行為をすることの禁止法37条、48条の16税理士の信用・品位を害する行為の禁止法37条の2、48条の16非税理士に対する税理士・税理士法人の名義貸しの禁止法38条守秘義務法39条所属税理士会・日本税理士会連合会の会則遵守義務法39条の2資質向上のための研修履修義務法41条帳簿作成・保存義務(帳簿閉鎖後5年間)法41条の2税理士業務のため使用する使用人その他の従業者に対する監督義務法41条の3委嘱者が不正に国税等を免れている事実等を知ったときの是正助言義務なお、税理士事務所では、税理士資格を有しない使用人・従業者を補助者として税理士業務に関与させることが少なくないと思料されますが、これら使用人等が委嘱者(顧客)と直接対面することもあるため、使用人等が税理士法に違反しないよう確保する必要があることから、法41条の2で税理士の使用人等に対する監督義務が法定されています。(2)税理士法違反がもたらす影響税理士が上記の各義務に違反した場合、税理士法違反となり、その結果として、第1に、国税庁による懲戒処分の対象となります。例えば、税理士が故意に、真正の事実に反して税務代理もしくは税務書類の作成をしたとき、または脱税相談等を禁止する法36条に違反する行為をしたときは、財務大臣により、2年以内の税理士業務の停止または税理士業務の禁止の処分に処せられます(法45条1項)。過失による場合は、当該税理士は、戒告または2年以内の業務停止処分に処せられます(同条2項)。また、不真正税務書類の作成または脱税相談等以外の税理士法違反行為または国税・地方税関連法令の違反行為があったときは、当該税理士は、戒告、2年以内の税理士業務の停止または税理士業務の禁止のいずれかの懲戒処分に処せられます(法44条、46条)。第2に、税理士法では罰則も法定されており、例えば、脱税相談等の場合は、違反者は3年以下の懲役または200万円以下の罰金に処せられます(法58条)。また、税理士でない者に対する税理士の名義貸しの場合は、違反者は2年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられます(法59条)。3国税庁の税理士懲戒処分事例にみる非違事例の類型と特徴(1)非違事例の類型税理士法は、同法1条の税理士の使命を実現する各種行為規範・禁止行為に対する違反に対し、懲戒処分や刑事罰をもって臨み、その実効性を確保しようとしていますが、冒頭に指摘したように、現実には違反事例が少なくないのが現状です。これが氷山の一角であるのか極めて限られた例外的事象であるのかは明らかではありません。いずれにせよ、税理士制度の信頼を確保するためにも、また個々の税理士が法的制裁・責任の追及リスクを極力小さくするためにも、国税庁の税理士懲戒処分事例を踏まえ、重点を置くべきポイントを押さえ、自らの行動を律することが必要です。また、懲戒処分の中でも税理士業務の禁止(法44条3号)は、当該処分を受けた日から3年を経過しない者は税理士の欠格事由とされているため(法4条6項)、要注意点です。そこで、まず、税理士・税理士法人に対する懲戒処分の理由となる非違事例を確認しておくと、筆者が国税庁公表の処分事例を調べたところ、非違事例は、大要、以下の7類型に整理されます。Ⅰ)故意による不真正税務書類の作成Ⅱ)過失による不真正税務書類の作成Ⅲ)非税理士に対する名義貸しⅣ)帳簿作成義務の懈怠Ⅴ)信用失墜行為Ⅵ)業務停止処分違反Ⅶ)税理士法人の不当な運営このうち、信用失墜行為は、(ⅰ)自己脱税、(ⅱ)多額かつ反職業倫理的な自己申告漏れ、(ⅲ)税務職員の調査妨害、(ⅳ)税理士業務を停止されている税理士に対する名義貸し、(ⅴ)業務懈怠、(ⅵ)会費滞納、および、(ⅶ)その他反職業倫理的行為が具体例とされています(注4)。(2)公表非違事例の特徴次に、国税庁の税理士等の懲戒処分事例を、直近の公表事例をもとに整理し、留意すべき点を確認します。国税庁の公表事例を見ると、第1に、上記の非違事例の中でも最多を数えるのが、故意による不真正税務書類の作成事案です。しかも、当該事案には、委嘱者である会社の法人税の確定申告に当たり、税理士が自らの判断で棚卸資産計上額を調整する等して不正に所得金額を圧縮する事例のように、税理士が自らの判断で意図的に真正でない税務申告を行う事例もありますが、多くは、委嘱者である会社の代表者や委嘱者である個人からの依頼・要請・指示により税理士が認識しながら真実でない税務申告を行うという事案です。この種の事案では、税理士は、法41条の3により、当該委嘱者に対して是正を助言すべき義務を負うはずですが、当該義務が履行されないケースが多いようです。ともあれ、故意による不真正税務書類の作成事案は、法36条違反ともなり得るだけに、同条違反事例が公表懲戒処分事案の中でも最多数を占めることは、由々しき事態であるとともに、税理士業務の適切な遂行の確保および税理士制度に対する社会的信頼の維持・向上の観点から、この種の事案をいかに抑制し減少させるかが重要な課題であるといえます。ちなみに、過失による不真正税務書類の作成事案は、公表事例を見る限り故意の事例に比し少数であり、故意による不真正税務書類の作成事案の多さが際立ちます。第2に、税理士でない者に対する税理士の名義貸しの事例も、件数が少なくなく、依然、非違事例の典型例として目立っています。この事例も、懲戒処分の事由となるだけでなく、罰則の対象となるので、故意による不真正税務書類の作成事案と同様、いかにその発生を抑止するかが、課題です。第3に、公表事例の中で故意による不真正税務書類の作成についで目立つのが、信用失墜行為のうち「多額かつ反職業倫理的な自己申告漏れ」の事案です。これは、税理士が自己の所得税等の確定申告に当たって、所得等の申告漏れや必要経費の過大計上等により所得金額等の申告漏れを生じさせる行為のことですが、信用失墜行為の上記類型の中でも群を抜いて懲戒処分の事由とされています。なお、信用失墜行為を理由に税理士が懲戒処分を受けている事例は、上記の信用失墜行為の各類型(調査妨害を除く。)に応じそれぞれ公表されており、看過はできません。4税理士におけるコンプライアンス確保に向けた施策(1)故意による不真正税務書類の作成事案に対する施策税理士が税理士法に違反し懲戒処分を受けた事例として公表されているところを見ると、上記のように、故意による不真正税務書類の作成事案が最多かつ深刻で、それに次いで非税理士に対する税理士の名義貸し事例や信用失墜行為事例の件数の多さが注目されます。そうすると、税理士におけるコンプライアンスの確保を図る上では、これらの事案を要留意事案と考え、その抑止に向けた施策を重点的に実施する必要があると思われます。第1に、故意による不真正税務書類の作成事案については、当該事案に係る公表懲戒処分事案を反面教師とし、また今一度、法1条に謳われる税理士の使命を認識し、意図的な不真正税務書類の作成を行わないよう自覚することを、税理士会等の定期的研修とその履修を通じ確保することが求められます。この種の事案は、懲戒処分の中でも最も重い業務禁止となるだけでなく刑事罰の対象ともなり得ることを、税理士に改めて認識させる必要があり、それには定期的な意識づけが必要であるからです。(2)委嘱者(顧客)からの不正申告要求等に対する施策第2に、故意による不真正税務書類の作成事案は、その多くが委嘱者側からの依頼・要請・指示に基づくものであったことは前述しました。この種の事案は、2015年9月22日の日本経済新聞での報道でも問題として指摘されており、税理士間の顧客獲得競争が激しくなる中、委嘱者(顧客)の要求を断り切れないという事情があることが背景原因として指摘されていました(注5)が、当該事案の発生件数の公表懲戒処分事案に占める割合の大きさを見ると、現在も同様の問題が依然残っているといえそうです。そのことを踏まえると、この種の事案の抑制には、税理士個人だけの努力等だけでは足りず、委嘱先(顧客)の対応改善も併せ図る必要があります。もちろん、これは、「言うは易く行うは難し」ということですが、税理士としては、法41条の3により、税理士業務を行うにあたり、委嘱者が不正に国税もしくは地方税の賦課もしくは徴収を免れている事実、不正に国税もしくは地方税の還付を受けている事実または国税もしくは地方税の課税標準等の計算の基礎となるべき事実の全部もしくは一部を隠蔽し、もしくは仮装している事実があることを知ったときは、直ちに、その是正をするよう助言しなければならないとされていることを銘記することが必要です。また、法36条が、税理士に対し、不正に国税等の賦課・徴収を免れること、または不正に国税等の還付を受けることについて、指示はもちろん、相談に応じること、その他これらに類似する行為をすることを禁止し、同法が、その違反に対し、業務禁止を含む懲戒処分のみならず税理士法上最も重い3年以下の懲役または200万円以下の罰金という刑事罰を科していることの趣旨を、税理士として改めて認識し、税理士の使命を全うする観点から、委嘱者(顧客)に対し毅然とした態度で臨むことが肝要です。(3)非税理士に対する税理士の名義貸し事案に対する施策第3に、懲戒処分事案の中で比較的件数が多い非税理士に対する税理士の名義貸しという税理士法違反行為も、従来、後を絶たない事案であることが指摘されていましたが、これが現在も同様であることは、国税庁による税理士等の懲戒処分事案から明らかであり、依然、根が深い問題です。これは、税理士自身の認識の問題であるといえることから、特効薬といえる施策は見当たりませんが、税理士法がこの種の事案に対しても、国税庁による懲戒処分だけでなく2年以下の懲役または100万円以下の罰金を以て禁圧しようとする趣旨を税理士会での研修等を通じて税理士自身に改めて認識させるとともに、税理士自身としても税理士としての使命に鑑み、この種の行為に手を染めないことの強い自覚を持つことが必要であると思われます。5おわりに税理士がその業務を独立した公正な立場で遂行し、納税者の適正な納税義務の実現に寄与することは、納税義務者間の実質的公平を確保し、国民に税制に対する信頼感を抱いてもらい納税義務を適切に尽くしてもらうためにも必要不可欠です。それだけに、税理士自身の関連法令のコンプライアンス確保は、極めて重要な課題です。本レポートでは、必ずしも具体的な施策を示しているわけではありませんが、税理士のコンプライアンス確保にとって多少なりとも参考になれば幸いです。<注釈>日本経済新聞2015年9月22日付朝刊31頁。国税庁「税理士等に対する処分等https://www.nta.go.jp/taxes/zeirishi/chokai/chokai.htm国税庁「税理士等・税理士法人に対する懲戒処分等の考え方(令和5年4月1日以後にした不正行為に係る懲戒処分等に適用)」https://www.nta.go.jp/taxes/zeirishi/chokai/shobun/230401.htm国税庁「税理士制度のQ&A」の「6税理士法違反行為」問6-16から問6-22参照。https://www.nta.go.jp/taxes/zeirishi/zeirishiseido/qa/index.htm日本経済新聞・前掲(注1)31頁。提供:税経システム研究所
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2025/05/23 論説
不祥事発生時における株主総会運営の留意点
1.はじめに-相次ぐ企業不祥事と困難に直面する株主総会運営近時、企業不祥事が相次いでいます。実際にも大手中古自動車販売業者、芸能事務所、さらには損害保険会社などの企業不祥事が連日報道されるに至っています。企業が不祥事を起こした場合、企業の製品やサービスの売上が低下するなど、企業の業績に直接影響が出るとともに、企業の風評(レピュテーション)にも影響が及び、間接的にも事業活動や社会的信用にも傷がつき、企業価値を大きく下げることにもなりかねません。そして、企業不祥事が当該企業の株主総会の直前に発生した場合は、当該企業不祥事が株主総会において取り上げられることともなり、当該企業の株主総会運営において困難な場面に直面することにもなります。このように不祥事を起こした企業の株主総会運営において直面する困難な問題としては、まず、決議事項の決議に関するものとして、①役員選任議案など会社提案議案が否決される危険性の増加の問題、また、②株主総会においてアクティビスト等による株主提案が行われた場合の問題、さらに、③企業不祥事に関する取締役の説明義務の問題、④不祥事の説明などを求める出席株主の増加への対応の問題などを考えることができます(注1)。2.企業不祥事により株主総会において会社提案議案が否決される危険性の増加(1)機関投資家の議決権行使方針の厳格化や投票動向の変化とアクティビスト株主の活動の変化の傾向ISSやグラスルイスなどの議決権行使助言会社や機関投資家の議決権行使基準が厳格化し、会社提案議案の賛成率が低下する事例が増加しています。このような動向は、株主提案議案の賛成率にも影響があり、株主提案議案であっても、それが企業価値向上やガバナンス改善に資すると判断された場合には、株主提案議案が賛成票を集める事例も増加する傾向にあります。また、アクティビスト株主も、単に株主還元の強化を求める議案から、ガバナンス関連の議案を提案する比率が高まっている傾向が見られるといわれています。(2)支配権獲得を意図した役員選任議案が提案された場合の問題点①定款の員数上限を超える役員選任議案が上程された場合の対応方法定款上、取締役や監査役の員数について上限が設けられている場合(例えば、「当会社の取締役は、〇名以内とする」)に、会社提案議案と株主提案議案の候補者の総数が、定款の員数上限を超える場合の対応については議論のあるところです。実務上は、a)得票数が上位の者から定款上の員数上限までの人数を当選とし、定款の員数上限を超える人数の候補者が過半数の賛成を得ていた場合でも、残りは落選とする方法、b)あらかじめ定款の員数上限(から非改選の取締役等を控除した人数)の候補者にしか賛成票を投じられないこととし、定款の員数上限を超えて賛成票を投じた場合には全候補者について無効扱いとするという方法のいずれかが採用されてきましたが、近時は、a)の方法が支配的となりつつあります。②委任状一体型議決権行使書を巡る議論また、経営支配権をめぐり委任状勧誘戦(プロキシーファイト)が行われる株主総会において、議決権行使書と委任状用紙を一体の書面(以下「委任状一体型議決権行使書」といいます。)として用いることが実務で行われています。このような委任状一体型議決権行使書が利用されるのは、株式取扱規程において委任状に本人確認資料として添付が求められている議決権行使書用紙を確実に提出させることで集めた委任状をできる限り有効にすることや、議決権行使書用紙の回収によって議決権行使書と委任状による議決権の重複行使を回避することなどといったものがあります。しかし、委任状一体型議決権行使書については、議決権行使書に会社提案に反対とし、株主提案に賛成と記載して、議決権行使書による議決権行使を意図して返送したにも関わらず委任状を切り離し忘れてしまうと、白紙委任状と扱われて、株主の意図とは逆に、会社提案に賛成、株主提案に反対と扱われてしまうなどの問題があるため、実務上用いられなくなりつつあります。③株主提案議案が可決されることを条件とする剰余金配当議案提案株主から株主提案議案が可決されることを条件とする剰余金配当議案が提案された場合、条件付の剰余金配当議案は適法と解されていることから、株主総会決議に基づいて剰余金の配当がなされる場合、当該配当が株主からの要求や株主提案に起因するものであっても、利益供与(会社法120条1項)に該当しないと考えられています。しかし、このような剰余金配当議案は、実質的に見ると、会社財産を用いて、株主提案にかかる取締役候補者への賛成の議決権行使を誘引するものであり、株主の議決権行使を歪めるという側面があることは否定できません。3.企業不祥事発生時の株主総会の運営(1)不祥事対応時の株主総会の特殊性上場会社にとって、企業不祥事は会社の存続に影響する重大な危機であり、対応を誤れば事業活動やグループの信用を大きく毀損することになりかねません。特に不祥事が定時株主総会に近接したタイミングで生じた場合、当該不祥事について一般株主からの追及がされるなど、株主総会運営にも大きな影響をもたらします。そこで、不祥事が生じた場合の株主総会には以下のような特徴が指摘されます。①会社経営への影響まず、定時株主総会では取締役・監査役の選任議案が上程されているため、不祥事の内容次第では、会社提案候補者が落選したり、株主提案候補者が当選したりする可能性が否定できません。また、株主総会において取締役等には説明義務(会社法314条本文)が課されており、説明義務違反は決議方法の法令違反として株主総会決議取消事由(会社法831条1項1号)となります。②運営面での留意点まず、株主には原則として株主総会への出席権(総会参与権)があり、会社は株主総会に参加する株主を選ぶことはできません。また、定時株主総会の開催時期を大きく変更することは原則としてできないため、不祥事の調査が完了していない段階で総会を迎えてしまうこともありえます。さらに、株主総会の運営は、通常は代表取締役社長等である議長自身が行う必要があり、社長等が不祥事にかかわっている場合には対応に困難を来します。また、不祥事に関する質疑応答以外にも、監査報告、事業報告、他の議案についての質疑応答、採決といった手続を全て完了して、法的に瑕疵のない総会運営をする必要があります。③情報開示上の問題まず、不祥事の内容次第では、定時株主総会に際して開示される事業報告等の書面に記載する必要があります。次に、取締役等の株主総会での発言内容は、株主総会議事録に記録されます。(2)企業不祥事に関する取締役等の説明義務の範囲取締役、会計参与、監査役および執行役は、株主総会において、株主から特定の事項について説明を求められた場合には、当該事項について必要な説明をしなければならないこととされています(説明義務。会社法314条本文)。ただし、株主総会の目的事項に関しないものである場合や説明をすることにより株主共同の利益を著しく害する場合等には説明義務が生じません(同条ただし書、施行規則71条)。なお、説明義務の範囲について、一般的には、決議事項については、株主総会参考書類の記載事項を敷衍する程度の説明でよく、報告事項については、計算書類および事業報告の内容を補足、敷衍する程度、具体的には、附属明細書の記載事項を説明しておけば足りると解されています(注2)。ただし、違法行為のチェックという観点からは、相当な根拠をもって違法ではないかと指摘された事項については説明義務が生じうると解されています。そのため、企業不祥事については、事業報告等に記載があれば株主総会の目的事項に関連することは明らかですが、記載がなかったとしても、企業不祥事が違法行為である場合には、実務的には、説明義務の範囲に含まれるという立場に立って対応する必要があり、また違法行為には当たらないとしても、会社の信用に影響し、営業上の支障が生じているような場合や会社が財産的損害を被るような事態に至っているような場合には、取締役の職務執行状況に関する質問または(当該取締役の選任議案が株主総会に上程されている場合には)取締役選任議案に関連する質問として、説明義務の範囲に含まれると解されています(注3)。もっとも、企業不祥事の発覚が株主総会の直前であるなど、まだ調査が進行中であるような場合には、「現在調査中であり、詳細は回答できないが、調査が完了次第、情報開示をする」旨の回答にとどめ、調査に支障のない範囲で、その段階でわかっていることを回答することを検討することとなると解されます。(3)企業不祥事が生じた場合の総会運営の問題点①取締役等役員選任議案への影響企業不祥事の内容が、株主総会で選任を予定していた取締役等役員個人のスキャンダルであったり、当該役員候補者が企業不祥事に直接関与していたりする場合には、当該候補者に係る取締役等役員選任議案の賛成率が低下する可能性が高まります。そのため、取締役等役員選任議案の公表前に企業不祥事が発覚した場合には、同議案への賛成率への影響も見極めて、役員候補者の見直しも含めて検討をする必要があり、同議案の公表後に企業不祥事が発覚した場合には、当該候補者が役員として適任であると判断した理由を具体的かつ明確に説明し、株主の理解を求めたうえで、それでもなお事前の議決権行使結果から否決の可能性が高いと見込まれるような場合には、やむを得ず議案の取下げをも検討せざるを得ないこととなります。②企業不祥事が生じた場合の株主総会の議事運営上の留意点株主想定問答の準備前述したとおり、企業不祥事については取締役等に説明義務が生じ得ますが、説明義務違反は株主総会決議取消事由(会社法831条1項1号)であるため、株主総会において企業不祥事に関して株主との質疑応答が予想される場合には、企業不祥事に関する株主想定問答の準備が必要となります。そして、企業不祥事においては、株主による株主代表訴訟の提起(会社法847条3項)による責任追及の対象となる可能性もあることから、株主総会における企業不祥事に関する取締役等と株主との質疑応答のやり取りは、事後的に訴訟で証拠とされる可能性も視野に入れて、株主想定問答の準備を進めて行く必要があります。議事進行シナリオの準備企業不祥事発生後の株主総会においては、企業不祥事に関する質問が多数出されることが予想されます。そのため、企業不祥事がマスコミ等で話題となり、株主総会の質疑応答で取り上げられることが強く予想される場合には、むしろ株主の質疑応答に入る前のタイミングで、会社側から企業不祥事を説明する場を設けて、企業不祥事について積極的に説明を行うことも実務において比較的よくみられる対応です。このような対応を行うことで、会社側が企業不祥事に真摯に対応している姿勢を示すことができるとともに、その後の株主との質疑応答時においても、既に説明済みの事項に関する質問が株主からなされた場合には、既に説明済みである旨を回答することも可能となります。このような対応を行う場合には、冒頭の企業不祥事に関する説明を必要十分で簡潔なものとするために、事前の答弁シナリオの準備が重要となります。しかし、企業不祥事を起こした企業としては、当該企業不祥事についても株主に対して説明義務を負っている以上、一定の説明をすることはどうしても避けられず、事前の答弁原稿に腐心してそこに安易に逃げ込むような対応では、かえって企業が不祥事に真摯に向き合っていないという印象を株主に与えてしまいかねない危険性があります。リハーサルの重要性以上述べたとおり、企業不祥事に関する質問には、慎重かつ適切な対応が必要となりますが、議長はもちろん、答弁者となる取締役等があらかじめ想定問答をよく読んで十分に消化しておくことが大切です。そして、企業不祥事が株主総会で取り上げられる可能性がある場合には、株主との質疑応答も、通常の総会と比べて緊迫感のあるものとなる可能性があるため、その対応のために株主総会のリハーサルを通例以上に入念に行うことが大切です。このように企業不祥事が起こった場合の株主総会では、様々な事態に対応できるように、通常の株主総会よりも周到かつ入念な準備が必要とされます。③出席株主の増加への対応出席株主の増加の可能性企業不祥事が起こった場合、マスコミ報道等により社会的な関心が高まり、当該不祥事を起こした企業の株主総会においては、平時よりも出席株主が増加することがあります。特に不祥事への社会的注目度が高いような場合には大幅に出席株主が増加する傾向があります。そこで、このような場合に備えて、不祥事を起こした企業においては、あらかじめ平時の株主総会におけるよりも出席株主数が増加することを見積もって収容人員数が多めの総会会場を準備するなどの対応を取ることが行われます。しかし、実際上、当日の出席株主数を事前に正確に把握することは困難であると言わざるを得ません。株主の出席権の保障と総会の決議取消事由の関係これまで株主には株主総会への出席権が保障されるとして株主総会の開催にあたって会社は合理的な出席株主を予測し、それに見合った会場を確保することが必要であると考えられてきました。しかし、会社が合理的に予想した以上の数の株主が来場した場合に、結果的に一部の株主の入場を拒むことになってしまいます。これが総会決議取消事由に該当するかについては争いがあり、招集手続または決議方法の法令違反として決議取消事由に該当するという見解と、直ちに決議取消事由に該当するものではないという見解があります。そこで、実務においては、一定数以上の株主が入場できず議事に参加できない場合に決議取消事由になり得る見解を踏まえて、第二会場、さらに第三会場を用意すること等を含め、合理的に予想した来場株主数にある程度余裕を加えた収容人員の会場を確保し、できる限り株主全員を収容できるように努めるという対応が取られてきました(注4)。なお、これに関して、会場の定員1,110名前後の株主は会場に入場できたものの入場できなかった株主が少なくとも約300名いたという事案について、裁判所は、何らかの方法で入場できない株主に対し議決権行使の機会を与えるべきであり、当日それが不可能なときには株主総会の期日を変更、延期、または続行等の措置をとならなければならないとして決議取消事由があると判示した裁判例(大阪地判昭和49年3月28日判時736号20頁)があります(注5)。入場制限や定員制の採用の可否この点、新型コロナウイルス感染拡大期において、経済産業省「株主総会運営に係るQ&A」(注6)は、「新型コロナウイルスの感染拡大防止に必要な対応をとるために、やむを得ないと判断される場合には、合理的な範囲内において、自社会議室を活用するなど、例年より会場の規模を縮小することや、会場に入場できる株主の人数を制限することも可能」であり、また「入場できる株主の人数の制限に当たり、株主総会に出席を希望する者に事前登録を依頼し、事前登録をした株主を優先的に入場させる等の措置をとることも可能」であるとして、入場制限や事前登録をした株主を優先的に入場させる措置が可能である旨を示していたところです。それでは、特段の事情のない平時において新型コロナ感染症拡大時のような入場制限や定員制を採用することは可能なのでしょうか(注7)。まず、コロナ禍の下での人数制限は、感染予防、参加者の健康維持のためということで、信義則や公共の福祉の観点から正当化することができるとされていますが、一般論としては株主の株主総会出席権を最大限保障する会場設定をする必要があると解されます。この点、従前の実務では、当日、会場に収容し切れなかった株主にはその場で帰ってもらうことを伝えなければならなかったところ、定員制・事前登録制を採用することで、事前に来場しても席がない旨を伝えることができるようになります。これまでの総会実務においても、当然には決議取消事由にならず、少なくとも裁量棄却の余地があると解されていました。そのため、会場に収容し切れなかった株主の入場を拒否しても決議取消しにはならないといえる程度の収容力のある会場を用意した上で、定員制および事前登録制を設け、定員を超える株主について出席を拒否したとしても決議取消しのリスクは必ずしも高まるとはいえないと考えられます。たとえば定員が500人の場合(ただし、500人という設定には合理性が必要)、早い者勝ちで事前登録が500番までの人は必ず入場できるが、それを超えた人は入場できない、席に余裕があった場合にのみ入場できるというものであれば、違法とはいえないと考えられます。一方、事前登録時に定員を超えたため入場できない扱いとされ、余裕があった場合に入場できる旨の告知もないような場合は、実際に会場に来た株主が500人に満たなかった場合に総会が事後的にどう判断されるかというリスクがあります(注8)。また、バーチャル株主総会を実施し、オンライン出席の方法を認めることにより、実会場の定員を大きく減らすという措置が認められるのでしょうか。この点、合理的な範囲の定員を定めた事前登録制にし、定員を超えた場合には、当日あふれた株主の出席を拒絶することがあることを警告した上で、それでも株主が株主総会に来たときは拒絶することができるという見解が示されています(注9)。しかし、ハイブリッド型総会が普及し、会場への来場者数が減少すれば、それを踏まえた規模の会場を用意すれば足りるとはいえますが、オンライン出席が可能であるという理由で実会場の大きさを過度に縮小することには、実際の出席者数を正確に見積もることが困難な状況下では企業側は相当のリスクを伴うことになります。その一方で、全株主が出席可能な会場を用意することは事実上不可能であり、実際の総会は一部の株主しか出席しないという前提で運営されている以上、出席型バーチャル株主総会などの実際の出席に替わる方法を設けた上で、あらかじめ入場できる人数を限定することは会社の裁量として認められるという見解もあります。ただし、その場合の会社の裁量も合理的な範囲で行使されるべきであり、ことさらに狭い会場を用意して来場者を限定したり、あるいは特定の株主を恣意的に入場させないといったことがあれば、それは決議の方法の著しい不公正として決議取消事由に該当する可能性があることは否定できません(注10)。4.おわりに以上述べたように、企業不祥事が発生した場合の株主総会運営には、通常以上に周到な準備と慎重な対応が求められます。企業における不祥事対応の適切さが、企業の信用回復や株主の信頼獲得に直結するため、まさに株主総会担当者の叡智が試される場面といえます。<注釈>生方紀裕『株主総会有事対応の理論と実務』(中央経済社・2023年)1頁中村直人編著「株主総会ハンドブック〔第5版〕」(商事法務・2023年)461頁桃尾・松尾・難波法律事務所編著「Q&A株主総会の実務」(商事法務・2012年)266頁渡辺邦広=若林功晃「コロナ後の株主総会運営の実務―株主総会Q&A更新を踏まえて―」商事法務2326号33頁なお、同控訴審判決(大阪高判昭和54年9月27日判時945号23頁)は、入場制限の瑕疵は修正動議無視に比べそれほど重大視すべきものではないと判断しています。https://www.meti.go.jp/covid-19/kabunushi_sokai_qa.html北村雅史ほか「座談会会社法における会議体とそのあり方〔Ⅰ〕─株主総会編─」商事法務2326号21~24頁なお、事前登録制の抽選により限定された株主のみ入場を認める方式で行われようとした株主総会に対し、株主が総会開催禁止仮処分命令を申し立てた事案(スルガ銀行事件・静岡地沼津支決令和4年6月27日金融・商事判例1652号37頁)においては、「株主総会開催にあたっては会場の規模や時間的制約等により出席株主数を無制限とすることはできず、株主が総会参与権を有するとしても、希望すれば必ず株主総会に出席できる権利であるとは認めることはできない」と判示されています。倉橋雄作「特集バーチャル株主総会のさらなる活用Ⅱハイブリッド型バーチャル株主総会における会場規模の縮小とWEBでの質問受付」商事法務2296号31~32頁松井秀征=斎藤誠「『〈座談会〉株主総会実務の将来展望』を読んで(1)―研究者へのインタビュー―」商事法務2324号7頁提供:税経システム研究所
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2025/05/16 topics
区分所有法制の改正要綱案から見るマンション管理における課題
1はじめに令和6年1月16日、法務省法制審議会区分所有法制部会において「区分所有法制の見直しに関する要綱案」が取りまとめられ、令和7年3月4日に「老朽化マンション等の管理及び再生の円滑化を図るための建物の区分所有等に関する法律等の一部を改正する法律案」として、区分所有法だけでなく被災マンション法、マンション建替え等円滑化法、マンション管理適正化法その他の関連法規をまとめた改正案が閣議決定され国会に提出されました。この一連の流れは、高経年マンションの増加と区分所有者の高齢化という「2つの老い」を端緒に生じる所有者不明化や、非居住化の進行によって生じるマンションの管理不全や再生の妨げとなる問題に対応するものです。国土交通省が公表する資料によれば、令和5年末時点のマンションストック総数は約704.3万戸とされており、推計で約1,500万人(注1)(国民の1割超に相当)がマンションに居住していると想定されています。この点だけをとらえれば、上述の問題は、マンションに居住している者の問題であり、日本全体の問題と考えにくいかもしれませんが、マンションの多くは首都圏に存在している(注2)ため、この問題が日本経済に与える影響は小さくないと言えます。以上により本稿では、日本社会に与える影響が大きいこの問題について、法律改正が行われていない要綱案の段階ですが、改正予定の内容を概観し、マンション管理上の課題を整理していくこととします。2改正案の概要(1)改正の背景と必要性戸建住宅における建物の改修や建替えは、建物の所有者のみで決定することができますが、マンション等の区分所有建物においては、区分所有者の頭数と集会における多数決決議(注3)が必要になり(区分所有法39条)、合意形成に至るまでに様々な利害を乗り越えていかなければなりません。令和5年度のマンション総合調査(注4)によると、管理組合運営における将来の不安として「区分所有者の高齢化」を挙げる管理組合が全体の57.6%、「居住者の高齢化」を挙げる管理組合が全体の46.1%を占めており、所有者等の高齢化が進むことにより合意形成が困難になる(=管理組合運営に支障をきたす)と懸念されています(注5)。これら2つの老いは「耐震不足マンション」の問題と「管理不全マンション」の問題に行き着くことになり、近い未来に高い確率で起こるといわれる南海トラフ巨大地震又は首都直下型地震の前に対策を講じようとするのは当然の流れといえます。(2)改正の概要今回の区分所有法制の改正は、以下の①から④までの4つの方策が予定されており、この内容は、法務大臣の諮問の内容である「区分所有建物の管理の円滑化」、「建替えの実施を始めとする区分所有建物の再生の円滑化」、「大規模な災害により重大な被害を受けた区分所有建物の再生の円滑化」に沿うものです。なお、本稿では①と②に絞って概要を紹介するものとします。【区分所有法制の改正予定】区分所有建物の管理の円滑化を図る方策区分所有建物の再生の円滑化を図る方策団地の管理・再生の円滑化を図る方策被災区分所有建物の再生の円滑化を図る方策①区分所有建物の管理の円滑化を図る方策集会決議の円滑化集会決議の円滑化を図る方策として、所在等不明区分所有者を集会の母数から除外する制度の創設や出席者の多数決による決議を可能とする制度の新設が予定されています。いずれも決議の成立可能性を高めるための規定と考えられます。このほか、専有部分が共有の場合の議決権行使者の定め方として、各共有持分の価格に従い過半数を持って定めることが明確になる予定です。区分所有建物の管理に特化した財産管理制度また令和3年民法(物権法)改正と趣旨を同じくする所有者不明専有部分管理制度や管理不全専有部分管理制度、管理不全共用部分管理制度が新設される予定です。共用部分の変更決議及び復旧決議の多数決要件の緩和さらに共用部分の変更決議や復旧決議の多数決割合を基本的には現行法どおり4分の3以上とした上で、下記のいずれかの場合には、多数決割合を出席した区分所有者及びその議決権の各3分の2とすることが可能になる予定です。共用部分の設置又は保存に瑕疵があることによって他人の権利又は法律上保護される利益が侵害され、又は侵害されるおそれがある場合において、その瑕疵の除去に関して必要となる共用部分の変更高齢者、障害者等の移動又は施設の利用に係る身体の負担を軽減することにより、その移動上又は施設の利用上の利便性及び安全性を向上させるために必要となる共用部分の変更管理に関する区分所有者の義務(区分所有者の責務)区分所有建物の管理に関するプログラム規定が創設される予定です。専有部分の保存管理の円滑化管理組合法人が、建物並びにその敷地及び附属施設の管理を行うために必要な場合には、集会の特別決議を経ることで、当該建物の区分所有権又は区分所有者が当該建物及び当該建物が所在する土地と一体として管理又は使用をすべき土地を取得することができるようになる点や区分所有者が国外にいる場合における国内に住所又は居所を有する者のうちから国内管理人を選任することができるようになる予定です。共用部分等に係る請求権の行使の円滑化現行法では、管理者の権限として、共用部分等の損害保険契約を締結することは明記されていますが、さらに進み区分所有者を代理して、保険金等の請求及び受領の権限が明記される予定です。管理に関する事務の合理化規約の閲覧について、電磁的方法(=デジタル)によることも可能になる予定です。区分所有建物が全部滅失した場合における敷地等の管理の円滑化区分所有建物が全部滅失した場合には、管理組合は解散し、敷地の共有状態だけが残ることになりますが、今後は、共有関係を円滑に解消するべく区分所有建物が全部滅失した時から起算して5年が経過するまでの間は、集会を開き、規約を定め、及び管理者を置くことができるようになる予定です。②区分所有建物の再生の円滑化を図る方策建替え決議を円滑化するための仕組み建替え決議については、現行法どおり区分所有者及び議決権の5分の4以上を原則としながら、一定の事由(耐震性能不足、火災安全性基準不適合、外壁剥離の危険性等)がある場合、従来の5分の4以上から4分の3以上に緩和し、また、建替え決議があったときには、専有部分の賃借人に対し、賃貸借(使用貸借や配偶者居住権も含む)の終了を請求することができるようになる予定です。多数決による区分所有建物の再生、区分所有関係の解消現行法において、区分所有建物及び敷地の一括売却や区分所有建物の取壊しを行うには、区分所有者全員の同意が必要であり、事実上困難であると指摘されています。そこで、集会の決議(建替え決議と同様に5分の4以上の賛成が必要)を経ることで、区分所有関係の解消及び区分所有建物の再生のための新たな制度として、以下のような規律が設けられる予定です。建物敷地売却制度建物取壊し敷地売却制度取壊し制度再建制度敷地売却制度また、建物の構造上主要な部分の効用の維持又は回復のために共用部分の形状の変更をし、かつ、これに伴い全ての専有部分の形状、面積又は位置関係の変更をすること目的とした「建物の更新」という概念が創設され、建替え決議と同様の賛成によって実施できることも予定されています。3期待される改正の効果と今後の課題本改正が成立することにより、所在等不明区分所有者や管理不全状態が存在する場合にも管理組合はそれらの問題に対して対応がしやすくなることが期待されます。ただし、管理組合として問題意識や当事者意識を持てなければ、このような制度も有効活用されません。実務上の問題として、高齢者が多く住むマンションはその傾向になりやすく、高齢者等に配慮した合意形成手続の在り方も今後の検討課題になると考えます。また、現状において建替え決議が進まない多くの理由として、建替えにかかる費用をマンションデベロッパーの保留床だけでは捻出できず、住民に負担が生じる点にあるとされており、今後もその傾向は変わらないと考えられています。このことからも(建替えではなく)高経年マンションの「長寿命化」に向けた管理を行う方が建替え等を選択するよりも現実的とされています。今回の要綱案においても、建替えを促進していくという観点ではなく、一定の問題を抱えるマンションに対して老朽化等の対策を行うことが期待されています。今後は、マンションの長寿命化に向けて、耐震診断の法的義務付けの検討や建替えにおける費用負担問題への対応が検討課題になると考えます。4最後に本改正は、マンションの管理・再生に関する諸課題に対して一定の解決策を示すものであり、今後のマンション管理の適正化に向けた重要な一歩となることが期待されますが、マンション管理自体は、そのマンションに居住する住民が行うものです。マンションに居住する方が一人でも多く今回の改正動向に注視して、自分ごとと捉える契機になることを願って、本稿を締め、今後の実務動向に注目していきたいと思います。<注釈>令和2年国勢調査による1世帯当たり平均人員2.2人をかけた計算民間事業者の公表データによれば、一都三県で全体の51.8%のマンションが存在するとされています(https://www.kantei.ne.jp/wp-content/uploads/2025/02/121karitsu-stock.pdf)原則としては過半数の賛成が必要ですが、共用部分の変更については、4分の3以上の賛成が必要となり、建替え決議については5分の4以上の賛成が必要となります。国土交通省が管理組合や区分所有者のマンション管理の実態を把握するために5年に1度行っている調査で管理組合に向けた調査項目や区分所有者に向けた調査項目が存在します。建替えが進んでいない事実(2024年4月1日現在、建替え実績はマンション総戸数704.3万戸のうち2.4万戸に過ぎない)により、高経年マンションの増加が加速度的に進むことも懸念に拍車をかけています)。提供:税経システム研究所
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2025/05/09 重要判例紹介
医療法人の社員による社員総会開催の可否 ~医療法人もガバナンスが問われる時代へ~
1はじめに近時、医療法上の社団医療法人に関する判例、裁判例が散見されます。近時の判例、裁判例においては、従前より、争いになることが多かった社団医療法人の出資持分のみならず、医療法人のガバナンスが問われる事例が増加してきました。最決令和6年3月27日民集78巻1号252頁(以下「本決定」といいます)は、医療法上の社団医療法人において、社員が理事長に社員総会の招集を請求したにもかかわらず、理事長が社員総会を招集しない場合に、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(以下「一般社団法人法」といいます)37条2項を類推適用することにより、社員自身で社員総会を開催できるかが問題となりました。本決定は、一般社団法人法の規定の類推適用の問題のみならず、社団医療法人におけるガバナンスの在り方が問題となった事例といえ、参照する価値があります。そこで、本稿では、2で、医療法における社団医療法人の意義と社員総会に関する規定について確認し、3で本決定の事案と判旨、本決定に対する学説上の評価をご紹介した上で、4のおわりにで、本稿のまとめを行うことといたします。2医療法における社団医療法人の意義と社員総会に関する規定(1)医療法における社団医療法人の意義医療法は、医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項、医療の安全を確保するために必要な事項、病院、診療所及び助産所の開設及び管理に関し必要な事項並びにこれらの施設の整備並びに医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携を推進するために必要な事項を定める法律です(医療1)。医療法における医療法人制度は、医療事業の経営主体に対し、法人格取得の途を拓き、資金集積の方法を容易にすることにより、私人による病院経営の経済的困難を緩和するために設けられました(注1)。医療法人は、剰余金の配当をしてはならず(医療54)、その違反には罰則があり(医療93八)、医療法人は営利法人ではないと解されています(注2)。医療法の医療法人に関する規定においては、一般社団法人法の規定が多く準用されています。もっとも、医療法における医療法人においては、病院等の管理者が理事に加えられなければならず(医療46の5⑥)、医療法人を代表する理事長は、原則として、医師又は歯科医師である理事から選出するものとされ(医療46の6①)、都道府県知事の関与が予定されている(医療44①、46の5の3②等)点で、一般社団法人とは異なっています(注3)。医療法における医療法人は、社団医療法人、財団医療法人、一人医師医療法人、地域連携推進法人とに大別されますが、そのうち社団医療法人が99.4%を占めています(注4)。社団医療法人は、その主たる事務所の所在地の都道府県知事の認可を受けて設立されます(医療44①)。社団医療法人は、持分の定めのある社団医療法人と持分の定めのない社団医療法人とに分類することができます。持分の定めのある社団医療法人においては、出資者は出資額に応じて出資持分を有し、退社又は解散に際し、持分の払戻しを受けることができますが、社団医療法人が非営利法人であることとの関係が問題となります。持分の定めのある社団医療法人は、全医療法人の63.5%を占めています(注5)。持分ありの社団医療法人は、平成18年の医療法改正により、平成19年4月1日以後は設立することができなくなっています。(2)社団医療法人における社員総会の開催社員総会の意義社団医療法人においては、社員総会、理事、理事会及び監事の設置が義務付けらえています(医療46の2①)。社員総会は、社員により構成される会議体であり、医療法に規定する事項及び定款で定めた事項について決議をすることができます(医療46の3②)。医療法の規定により社員総会の決議を必要とする事項について、理事、理事会その他の社員総会以外の機関が決定することができることを内容とする定款の定めは、無効となります(医療46の3②)。社員総会の決議事項社員総会における法定決議事項としては、役員の選解任(医療46の5)、役員の報酬等(理事につき医療46の6の4、一般法人89、監事につき医療46の8の3、一般法人105)、役員の責任の一部免除(医療47の2②、一般法人113①)、貸借対照表及び損益計算書の承認(医療51の2③)、定款変更(医療54の9)、解散(医療55①三・②)です。また、厚生労働省は、社団医療法人の定款例を公表しており、かかる定款例においては、重要な資産の処分、社員の入社及び除名なども、社員総会の決議事項とされています(定款例19条)(注6)。社員総会の種類定時社員総会は、少なくとも毎年1回は開催されなければなりません(医療46の3の2②)。これに対して、臨時社員総会は、理事長が必要であると認めたとき(医療46の3の2③)、社員からの請求があったとき(医療46の3の2④)、監事が医療法人の法令定款違反等の報告をするために必要があるとき(医療法46の8四・五)に開催されます。社員総会の招集手続社員総会の招集通知は、社員総会の日より少なくとも5日前に、社員総会の目的である事項を示し、定款で定めた方法に従って行わなければなりません(医療46の3の2⑤)。また、社員総会における決議事項は、定款に別段の定めがない限り、招集通知に記載された事項についてのみとなります(医療46の3の2⑥)。定時社員総会における招集権者は、理事長になります(医療46の3の2②)。理事長は、総社員の5分の1(定款でこれを下回る割合を定めることが可能)以上の社員から社員総会の目的である事項を示して臨時社員総会の招集を請求された場合には、請求日から20日以内に、臨時社員総会を招集しなければなりません(医療46の3の2④)。もっとも、一般社団法人法と異なり、医療法には、裁判所の許可を得た社員自身による社員総会招集の手続の規定は置かれていません(一般社団37②)。監事は、医療法人の業務・財産の状況を監査した結果、医療法人の業務・財産に関し不正の行為又は法令定款違反の重大な事実があることを発見したときは、社員総会を招集することとなります(医療46の8四・五)。社員総会の運営社員総会の議長は、社員総会において選任されます(医療46の3の5①)。議長は、秩序維持権等を有しています(医療46の3の5②③)。理事及び監事は、社員総会において、社員に対し社員総会の目的である事項について説明義務を負っています(医療46の3の4)。社員総会の決議社員は、社員総会において、各1個の議決権を有しています(医療46の3の3①)。また、社員総会に出席しない社員は、定款に別段の定めがある場合を除き、書面又は代理人によって議決をすることができます(医療46の3の3⑤)。社員総会の定足数は、定款に別段の定めがある場合を除き、総社員の過半数の出席です(医療46の3の3②)。社員総会の評決数は、定款に別段の定めがある場合を除き、原則として、出席者の議決権の過半数です(医療46の3の3③)。議長は社員であっても議決に加わることができませんが(医療46の3の3④)、可否同数のときは、議長が決することになります(医療46の3の3③)。また、特別利害関係社員も議決権を行使できません(医療46の3の3⑥)。社員総会決議に瑕疵がある場合、医療法には決議取消しの訴えや決議無効確認の訴えに関する規定はないことから、社員総会決議の無効の主張又は無効確認訴訟を提起することができます(注7)。社員総会の議事録社員総会の議事については、議事録を作成しなければなりません(医療46の3の6、一般法人57①)。社員総会の議事録は一定期間の保存が必要であり(医療46の3の6、一般法人57②③)、社員及び債権者は、議事録の閲覧謄写請求権を有しています(医療46の3の6、一般法人57④)。3本決定の事案と判旨、学説上の評価(1)事案の概要医療法人であるZの総社員の5分の1以上に当たるX(申立人・抗告人・抗告人)らがZの理事長に対して理事選任及び理事報酬決定の件を付議事項とする臨時社員総会の招集を請求しましたが、招集の手続が行われないと主張して、一般社団法人法37条1項の準用により、社員総会招集の許可を求めた事案です。1審はXらの申立てを却下し、原審もXらの抗告を棄却したことから、Xらは抗告許可の申立てをし、原審が抗告を許可しました。最高裁においては、医療法人の社員が一般法人法37条2項の類推適用により裁判所の許可を得て社員総会を招集することができるか否かが争われました。(2)判旨最高裁の法廷意見は、以下のように判示し、抗告を棄却しました。「一般法人法は、一般社団法人の適切な運営のために、37条1項において、一定の割合以上の議決権を有する社員が理事に対して社員総会の招集を請求することができる旨規定し、同条2項において、その請求の後遅滞なく招集の手続が行われない場合などには、当該社員は、裁判所の許可を得て、社員総会を招集することができる旨規定する。これに対し、医療法46条の3の2第4項は、医療法人の理事長は、一定の割合以上の社員から臨時社員総会の招集を請求された場合にはこれを招集しなければならない旨規定するが、同法は、理事長が当該請求に応じない場合について、一般法人法37条2項を準用しておらず、また、何ら規定を設けていない。このような医療法の規律は、社員総会を含む医療法人の機関に関する規定が平成18年法律第84号による改正をはじめとする数次の改正により整備され、その中では一般法人法の多くの規定が準用されることとなったにもかかわらず、変更されることがなかったものである。他方、医療法は、医療法人について、都道府県知事による監督(第6章第9節)を予定するなど、一般法人法にはない規律を設けて医療法人の責務を踏まえた適切な運営を図ることとしている。以上によれば、医療法人について、一般法人法37条2項は類推適用されないと解するのが相当である。そうすると、医療法人の社員が同項の類推適用により裁判所の許可を得て社員総会を招集することはできないというべきである。」また、渡邉惠理子裁判官の補足意見では、以下のような判示がなされ、医療法人の社員は、訴訟手続により理事長に対して臨時社員総会の招集を命ずる旨の判決を得て臨時社員総会の招集が可能であるとしつつ、臨時社員総会の招集を命ずる旨の判決を得た場合の執行方法の可否等については今後の議論に委ねられているとしました。「医療法が、その現行規定上、社員に社員総会の招集権限それ自体を付与していない理由には、医療法人の責務や役割に照らし、社員による当該招集権限の濫用を防止する必要があるということが挙げられる。その一方で、医療法人の規模や経営形態、社員から臨時社員総会の招集を請求された理事長がこれに応じない理由や状況等は様々であり、社員において臨時社員総会の招集を実現させる法的手段を保障することが医療法人の適切な運営に必要である場合があることも否定できない。そして、医療法は、46条の3の2第4項において、理事長は、一定の割合以上の社員から臨時社員総会の招集を請求された場合にはこれを招集しなければならない旨を規定することによって、社員による社員総会の招集権限の濫用防止との調和を図りつつも、上記のような場合には社員が医療法人の運営に直接関与することを認めることによりその適切な運営を確保する趣旨に出たものと解される。このような同項の趣旨に照らすと、同項は、社員が医療法人の運営に関与する必要性があるというべき場合には、社員において理事長に対して臨時社員総会の招集を請求することができることとしたものと解することが相当であり、社員において臨時社員総会の招集を図るために採り得る法的手段として、訴訟手続により理事長に対して臨時社員総会の招集を命ずる旨の判決を得ることが考えられる。」(3)学説上の評価本決定の調査官は、医療法は、医療現場の意向が医療法人の経営に反映させるよう制度的に手当てをするなど、一般社団法人にはみられない規律を設け、医療法人の運営について都道府県知事の指導監督による是正が図られることを予定しているとして、社員からの請求にもかかわらず、理事長が社員総会を開かない場合については、裁判所の許可の申立てによる社員の権限行使よりも、医療法人の実情等に通じた監督官庁による監督権限行使等に委ねた方が適切である旨を指摘しています(注8)。本決定に対しては、濫用の予防を優先するため、結論としては一定の許可を得て総会を招集することを認めないことには十分な理由があるとする見解(注9)、渡邉裁判官の補足意見を前提に、社員が訴訟により社員総会の開催を理事長に求める際には、保全手続の利用が可能であることを指摘する見解があります(注10)。4おわりに本稿においては、医療法における社団医療法人の意義と社員総会に関する規定について確認したうえで、医療法上の社団医療法人において、社員が理事長に社員総会の招集を請求したにもかかわらず、理事長が社員総会を招集しない場合に、一般社団法人法37条2項を類推適用することにより、社員自身で社員総会を開催できるかが問題となった本決定の事案と判旨をご紹介してきました。本決定においては、医療法上の社団医療法人においては、一般社団法人と異なり、都道府県知事の関与があることから、一般社団法人法37条2項の類推適用を否定し、渡邉裁判官の補足意見で、訴訟によって社員総会の招集を求めることが可能である旨が示されました。本決定や学説の議論を踏まえると、社員が理事長に社員総会の招集を請求したにもかかわらず、理事長が社員総会を招集しない場合には、社員は、都道府県知事にその是正を求め、理事長に対し、訴訟によって社員総会の開催を求めることになります。本決定の背後には、理事長に対する監督等は、社員ではなく、都道府県知事が行うべきという考えがあるように思われます。もっとも、医療法人においては、都道府県知事による監督が必ずしも十分に機能していないとの指摘もされています(注11)。また、訴訟や仮処分による社員総会の開催には、一般社団法人法37条2項の手続に比べて、費用や時間もかかります(注12)。それらの指摘を踏まえますと、社団医療法人において、理事長に対する監督等を行うのが、都道府県知事のみでよいのか、それとも、一般社団法人の理事長に対する監督につき社員の関与をより一層認めていくべきなのかは、今後も注視していく必要があります。<注釈>昭和25年8月2日発医第98号各都道府県知事あて厚生事務次官通達厚生事務次官通達・前掲(注1)松嶋隆弘「社団たる医療法人のガバナンスの実効性に関する一考察」日法88巻4号(2023年)319-320頁今川嘉文『激変する医療法人の運営・資金調達・承継の法律実務』(日本加除出版、2023年)7頁今川・前掲注(4)7頁厚生労働省ウェブサイト(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000135131.html)(最終閲覧:令和7年3月24日)今川・前掲注(4)22-23頁一藤哲志「判解」ジュリ1606号(2025)91頁鳥山泰志「判批」法教531号(2024)113頁吉垣実「判批」新・判例解説watch民事訴訟法165号(2024)3頁(https://lex.lawlibrary.jp/commentary/pdf/z18817009-00-061652514_tkc.pdf)(最終閲覧:令和7年3月24日)松嶋隆弘「医療法人社員による社員総会招集申立ての可否」税理68巻4号(2025)112頁鳥山・前掲注(9)113頁提供:税経システム研究所
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