商事法研究レポート
MJS税経システム研究所・商事法研究会の顧問・客員研究員による商事法関係の論説、重要判例研究や法律相談に関する各種リポートを掲載しています。
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2025/02/14 topics
従業員向け株式インセンティブ報酬制度! ~今後の法改正の動向と実務上の留意点~
1はじめに現在、公益社団法人商事法務研究会・会社法制研究会において、次期の会社法改正に向けた議論が行われています。同研究会のホームページで公開されている資料「会社法の見直しに向けた検討について」(注1)(以下、「会社法制研究会資料」とします)によりますと、「従業員等に対する株式の無償交付」が次の改正に向けた1つの検討項目として挙げられています。これは、2024年6月21日に閣議決定された「規制改革実施計画」(以下、「2024年規制改革実施計画(注2)」とします)において「・・・法務省は、会社法上、株式そのものを付与する株式報酬の無償交付は上場会社の取締役又は執行役の場合のみに限られ、当該会社の従業員または子会社の役職員(以下「従業員等」という。)には無償交付することが許されない現行法制について、企業が優秀な人材を円滑に確保しやすくする観点から、従業員等に対する無償交付が可能となるよう、会社法の改正を検討し、法制審議会への諮問等を行い、結論を得次第、法案を国会に提出する」(注3)とされたことを受けたものと思われます。すなわち、政府は、従業員等への報酬・給与の支払いとして自社の株式の交付という手段を今よりも活用していくことを考えているようです。従来、株式・新株予約権に関連した報酬といいますと、取締役などのいわゆる役員等に対し、下記に述べるストックオプションを付与するということが主流だったように思われます。しかし、近時では、従業員向けに株式・新株予約権に関連した報酬制度を設けている例も上場会社を中心に多く見られるようになってきています。具体的には、2024年6月末時点で、上場会社のうちの延べ1,216社(複数のスキームを導入している企業を1社として集計しますと、1,054社)、およそ30%の会社で従業員向けの株式・新株予約権に関連した何らかのインセンティブ報酬制度を導入しています(注4)。こうした状況を念頭に置きますと、2024年規制改革実施計画が言うように従業員等に対して直接的に株式を無償交付できないという状況は、従業員に対する労働対価の支払いの多様化の動きに対して、大きな障壁となっている可能性が高いといえます。では、このまま議論を進めて従業員等に対する直接的な株式の無償交付をストレートに認めるべきでしょうか?本稿では、前述の会社法の改正を見据えた現在の議論を紹介しながら、若干の検討を試みたいと思います。2役員・従業員等に対する株式関連のインセンティブ報酬インセンティブ報酬とは、一般に、一定のプラン等に基づいて事前に目標および支払額が設定され、その目標の達成の有無によって支払いが決定される報酬のことをいいます(注5)。インセンティブ報酬の中には、対象者に株式または新株予約権を付与し、付与後の株価の推移に連動させる仕組み、たとえば株価が上昇した際に多くの報酬がもらえるような仕組みをとるものがあり、そのように株式・新株予約権に関連したインセンティブ報酬の中でも従来から有名なものとして、ストックオプション(StockOption:SO)と呼ばれる報酬形態があります。このストックオプションは、一般的に役員や従業員等に対し、自社の株式をあらかじめ定められた権利行使価額で購入できることを内容とした新株予約権を与えるものであり、中には権利行使価額を1円などの低廉な価額とすることもあります(このような場合、株式報酬型ストックオプションとも呼ばれます)。これに加えて、とくに株式に関連したインセンティブ報酬としては、次のようなものがあります。すなわち、①(事前交付型)譲渡制限付株式報酬(RestrictedStock:RS–一定定期間の譲渡制限が付された現物株式が事前に役員や従業員に交付されるもの。付与条件としては、一定の勤務条件のみが付されていることが多く、業績・パフォーマンスは条件とされないことが多いようです)、②譲渡制限付株式ユニット(RestrictedStockUnit:RSU–在職・勤務期間等に応じて役員や従業員にユニットを与え、権利確定時にユニットの累積数に応じた現物株式を交付するもの。業績やパフォーマンスの達成の程度や度合いに応じてユニットを与えることもあり、その場合、パフォーマンス・シェア・ユニットなども呼ばれます)、③株式交付信託(報酬相当額を信託に拠出し、信託が当該資金を原資に市場等から株式を取得したうえで、一定期間経過後に役員に株式を交付するもの)、④持株会型報酬(会社が株式取得目的のために従業員等に対して一定の金銭を支給し、当該金銭を原資にいわゆる持株会を通じて自社株式を取得させるもの。同様のことを持株会ではなく、信託を通じて行う場合はESOPとも呼ばれます)、などです(注6)。これらのうち、上場会社において、多く利用されているのは①の譲渡制限付株式報酬(RS)です。この報酬形態は、役員向けについては2024年6月末時点で2,300社が利用していますし、従業員向けについても461社が利用しているとのことです(注7)。また、従業員向けに譲渡制限付株式報酬(RS)を利用している461社のうち、2023年7月から2024年6月にかけて従業員に対してインセンティブ報酬として自社株式を直接割り当てた138件における平均割当額は「10万円以上50万円未満」の区分に入るものが60件で最も多く、次いで「100万円以上500万円未満」の区分に入るものが38件、その次に「50万円以上100万円未満」の区分に入るものが26件であったとのことです(注8)。割り当てを行ったきっかけと割当額の関係については、従業員に一律に付与する場合や創立記念として付与された場合は50万円未満が多く、給与水準が比較的高い幹部社員や社長表彰として付与された場合は100万円以上の例もみられるようです(注9)。こうしてみますと、従業員向けのインセンティブ報酬として(譲渡制限付)株式を交付する例は、一定程度上場会社においてみられてはいるものの、通常の給与に対する付随的な報酬、またはいわば「おまけ」的なものとして、位置づけられている例が多く、本格的な報酬・給与の一部としての位置づけからはまだまだ遠いように思います。それでは仮に株式の交付を本格的な報酬・給与の一部として位置づけていくとした場合に、どのような法的な課題・問題点があるのでしょうか?以下では、「会社法制研究会資料」において示されている課題をもとに検討してみたいと思います。3会社法制研究会資料にみる従業員に対して自社株式を無償交付する際の課題・問題点会社法制研究会資料では、従業員に対して自社株式を無償交付する際の法的な課題・問題点について整理を行っています(注10)。以下、それらを要約して挙げていくとともに、必要に応じて解説やコメントを加えていきたいと思います。(1)検討の背景事情株式報酬については、令和元年の会社法改正により、上場会社において、取締役の報酬等として募集株式の発行または自己株式の処分をするときは、金銭の払込み等を要しないものとされています(会社法202条の2)。他方で、取締役ではない従業員等については同様の規律は設けられていません。このため、実務上、従業員等に株式を交付する際は、金銭債権を付与した上で当該金銭債権を現物出資させて株式を交付する方法(現物出資構成)によって株式を交付しています(注11)。しかし、この方法はあまりに技巧的であるため、端的に従業員または子会社役職員(従業員等)への株式の無償交付(金銭の払込み等を要しない募集株式の発行または自己株式の処分)を認めるべきではないか、という観点から検討するとしています。(2)既存株主の利益の保護のあり方金銭の払込み等を要しない形で募集株式を発行する場合、1株当たりの価値が下落(希釈化)し、既存株主の利益が害されるおそれがあり得るため、既存株主の利益に配慮する必要が生じてきます。この点、上場会社において取締役の報酬等として募集株式を発行する場合は、①株式が取締役の報酬等(職務執行の対価)として交付され、取締役は株式会社に対して職務執行により便益を提供するため、金銭の払込み等を要しないことが特に有利な条件に該当することは想定し難いこと、②株式を取締役の報酬等とする場合には、株主総会決議によって交付する株式の数の上限等を定めなければならず、株主総会決議によって許容される希釈化の限度について株主の意思が確認されることになる、といったことを踏まえ、既存株主の利益が不当に害されるおそれはなく、有利発行規制も適用されないようにする立法上の手当てがなされています(会社法202条の2参照)一方で、従業員等に対して株式を交付する場合、(ア)仮に賃金(労働の対償)として交付されるわけではないと整理されるとすれば(下記の「(7)労働法との関係」を参照)、金銭の払込み等を要しないことが特に有利な条件に該当しないといえるか否かについては慎重な検討を要するものと考えられること、(イ)公開会社では、募集株式の発行等をするにあたって株主総会決議を経る必要がないため、株主総会決議によって許容される希釈化の限度について株主の意思が確認されることはないこと、などを踏まえて規律を検討する必要があります。このため、有利発行規制を及ぼすか否かや、株主総会決議を要件とするか否か、といったことが検討事項となるものと考えられます(注12)。その際、たとえば、取締役会において従業員等に対する募集株式の割当てに関する事項等を定めなければならないものとしたうえで、株主総会決議までは不要としつつも有利発行規制が及ぶものとする考え方や、株主総会において従業員等に対する募集株式の割当てに関する事項等を定めなければならないものとしたうえで、有利発行規制は及ばないものとする考え方などもあり得る、としています。(3)株式の無償交付の対象者会社法制研究会資料は、株式の無償交付の対象者について、当該株式会社の従業員に加えて子会社の役員や従業員を含めることにつき、仮に認める場合においても、完全子会社の役員や従業員に限ることも含めて検討するものとしています。また、役員に関しても、当該株式会社およびその子会社の取締役に加えて、監査役および会計参与を対象者に含めることについても検討するものとしています。現状では、親会社のみが持株会社として上場し、その傘下に多くの子会社等を有しつつ事業を行っている企業グループも多いので、仮に従業員等に対する株式の無償交付について積極的に検討していくとすれば、子会社の役員や従業員をその対象に含めることは合理的であるように思います。なお、現行の会社法は、子会社が親会社の株式を取得することを原則として禁止しています(会社法135条)。そのため、子会社の役員や従業員を親会社株式の無償交付の対象に含めていくとした場合、親会社株式について子会社を介することなく、子会社の役員や従業員に親会社株式を直接的かつスムーズに交付する方法を開発していくか(なお、本稿の注⑾も参照ください)、または、子会社による親会社株式の取得が例外的に認められる場合について定める会社法135条2項または会社法施行規則23条を改正し、役員や従業員に無償交付する場合を子会社による親会社株式の取得が認められる例外事由とするなどの手当てが求められることになるでしょう。(4)対象となる株式会社令和元年の会社法改正では、上場会社以外の株式会社の株式については、市場株価が存在せず、その公正な価値を算定することが容易でないことから、株式の無償交付の制度が濫用され、不当な経営者支配を助長するおそれが高まるとの理由から、上場会社に限って取締役への株式の無償交付を認めることとされました。ただ、会社法制研究会資料は、非上場会社においても人材活用のために株式報酬を利用するニーズがあり得るとして、既存株主の利益の保護が十分に図られ、不当な経営者支配に利用されるなどの制度の濫用のおそれが低い場合には、非上場会社について従業員等に対する株式の無償交付を認めることも検討するとしています。この点につき、筆者は、既存株主の利益の保護や不当な経営者支配の助長に対する配慮が必要な点はもちろんのこと、それ以外にもいくつかの懸念点があるように思います。たとえば、近い将来に上場が予定されている非上場会社であればまだしも、一般的な非上場会社においては、無償交付された株式につき、それを譲渡したり、金銭に換金することは容易ではないですし、仮に株式の交付を受けた従業員が長期的に当該株式を保有するにしても、剰余金の配当・配当性向の傾向は会社によってまちまちであることを考えると、最終的に従業員にとっては労働の対価としては不十分な結果となるケースも頻発するように思います。仮に非上場会社についても従業員への株式の無償交付を認めるとすれば、こうした懸念に対して十分に手当てがなされることが必要になると思われます。(5)開示会社法制研究会資料は、株式の無償交付の透明性・公正性を担保するため、一定の事項について事業報告の記載事項とすることなどが考えられるとしています。そのうえで、従業員等に対する株式の無償交付に関する事項の開示の要否等について検討を要するとしています。(6)会計処理令和元年の会社法改正では、上場会社において取締役の報酬等として金銭の払込み等を要しないで募集株式を発行する場合における会計処理につき、会社法および法務省令において、「取締役がその職務の執行として当該株式会社に提供した役務の公正な評価額」をベースとして計算するなどとする新たな規定が設けられました(会社法第445条6項、会社計算規則第42条の2および第42条の3)。このことを踏まえ、会社法制研究会資料では、従業員等に対する株式の無償交付に関する規定を整備した場合の、新たな会計処理に関する規律についても検討するとしています。(7)労働法制との関係会社法制研究会資料は、従業員に対して株式の無償交付を行う場合、交付される株式が労働基準法上の「賃金」(労働基準法11条)に該当し、それによって「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」とする、いわゆる「賃金の通貨払いの原則」(同法24条)に抵触しないかが問題となり得るとしています。そのため、この点について整理を要するとしています。この点、これまでみられてきた一般的な整理の中には、次の(a)から(c)の要件を満たす場合、労働基準法第11条が「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と定めているところの「賃金」には該当せず、同法第24条の賃金の「通貨払いの原則」にも抵触しないとするものがみられます(注13)。すなわち、株式の無償交付が(a)通貨による賃金等を減額することなく付加的に付与されるものであること、(b)労働契約や就業規則において賃金等として支給されるものとされていないこと、および(c)通貨による賃金等の額を合算した水準と、株式の無償交付を含む報酬スキーム導入時点の株価を比較して、労働の対償全体において前者(通貨による賃金等)が労働者が受ける利益の主たるものであること、といった要件です。そして、これらの要件を満たす場合は、株式の無償交付は、仮にそれが労働契約上の義務づけに基づく、労働の対償としての給付であったとしても、労働法の観点からは「福利厚生施設(福利厚生給付)」に該当すると考えられるようです(注14)。しかし、こうした整理、とくに(a)の通貨による賃金等を減額しないことを要求する要件などは、株式の無償交付が労働の対価(対償)としてではなく、あくまで通常の賃金に付加的(オマケ的)として用いられている限りでは法的にも一応整合的であるといえるものの、今後、正面から賃金の代替の一形態として捉えたうえで、そうした形で積極的に利用を促していくとすれば、整合性がとれなくなっていくように思います。労働法の研究者からも「究極的には、株式報酬の有用性を労働者の賃金制度においても正面から認め、労働基準法上の賃金に該当するか否かにかかわりなく株式報酬が認められる適切な要件を定めていくべきであるように思われる」との見解もみられていますが(注15)、的確な問題提起であると考えます。4おわりに以上、会社法の改正に向けて現在議論がされている、従業員に対する株式の無償交付に向けたいくつかの論点について見てきました。従業員に対する株式の無償交付については、上述したように、仮にそれを認めていくにしても、いくつかの課題・問題点をクリアする必要がありますし、とくに労働法的な観点からの検討も重要となります。さらに、一連の課題・問題点について考えていく際には、従業員が労働の対価(対償)として支払われる賃金が、取締役等の役員報酬と比較して額が低廉であるということも意識する必要があるように思います。株式の無償交付が経営者らによって濫用的に用いられたり、交付を受けた従業員にとって実質的な経済的利得を十分に得られるものになっていなければ、賃金全体の額が低い分、その影響が従業員の生活の逼迫に直接的につながりやすくなるためです。そのため、会社法の範疇とするか、労働法の範疇とするかはさておき、いずれにしても従業員らが実質的に合意しているもとで、労働の対価(対償)として株式の無償交付が用いられる状況を作り出すことも重要であると考えます。さらに、株式・新株予約権が関わるインセンティブ報酬については、課税に関する観点からも、報酬プランやスキームごとに、課税のタイミング(繰延べの可否)、課税区分(優遇措置の有無)、税法上の損金算入の可否および可とする場合の要件なども問題となり得ます(注16)。このように様々な課題・問題点があるものの、株式を用いたインセンティブ報酬は、適切に利用がなされれば、従業員に対して会社の業績の向上や株式価値の上昇に関心を向かせ、それと同時に従業員の資産形成にも資する、労働の対価(報償)の支払となり得るものと考えます。そうした良い形での利用がなされるよう、今後検討がなされていくことが望まれます。<注釈>公益社団法人商事法務研究会・会社法制研究会資料1「会社法の見直しに向けた検討について」(2024年9月19日。https://www.shojihomu.or.jp/public/library/2770/shiryo1.pdf)。内閣府「規制改革実施計画」(2024年6月21日。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/publication/program/240621/01_program.pdf)。前掲注(2)2024年規制改革実施計画・82頁。橋本基美「従業員向け株式インセンティブ制度の導入動向と実務上の課題」商事法務2375号(2024年)9頁。畑山茂樹「株式を利用したインセンティブ報酬の収入計上時期に関する一考察」税務大学校論叢第92号(2018年)17頁参照。経済産業省産業組織課「『攻めの経営』を促す役員報酬~企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引~(2023年3月時点版)」(2023年3月31日。https://www.meti.go.jp/press/2022/03/20230331008/20230331008.html)18-19頁参照。なお、本文で紹介したもの以外にも、株価の上昇と関連づけられた報酬形態として、ファントム・ストック(仮想的に株式を付与し、一定期間経過後に株価相当の現金を役員に交付する)、パフォーマンス・キャッシュ(中長期の業績目標の達成度合いに応じて、金銭を役員に交付する)、SAR(StockAppreciationRight。一定期間経過後の対象株式の市場価格があらかじめ定められた価格を上回っている場合に、その差額部分の金銭を公布する)などがあります。橋本・前掲注(4)9-10頁参照。橋本・前掲注(4)10頁参照。橋本・前掲注(4)10頁参照。会社法制研究会資料2-6頁参照。子会社の従業員等に対しては、子会社が従業員等に金銭債権を付与し、親会社が当該金銭債権にかかる子会社の債務を併存的に引き受ける旨の契約を締結し、親会社は、子会社の従業員等に対し、親会社に対する履行請求権を現物出資財産として給付させることによって親会社の株式を交付した後、親会社が子会社に求償するという運用がされている、とのことです。会社法制研究会資料2頁。なお、アメリカでは、ニューヨーク証券取引所やNASDAQの規則で、それらの市場に上場する会社が従業員に対し、株式関連の報酬プランを提供する場合には株主総会の決議を要する旨が定められています(NYSEListedCompanyManual303A.08,THENASDAQSTOCKMARKETLLCRULES5635(c))。経済産業省産業組織課・前掲注(6)100-102頁参照。また、山下聖志「株式報酬の導入・運用における法務部門の役割」ビジネス法務2024年10月号67頁も参照。池田悠「従業員向け株式インセンティブ制度の導入に係る理論上の課題−労働法の知見から」商事法務2375号(2024年)16頁。池田・前掲注(14)18頁。山下・前掲注(13)67-68参照。提供:税経システム研究所
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2025/02/07 topics
副業・兼業時の形態について -フリーランス法の解説を中心に-
1はじめに労働者がそれぞれの事情に応じて多様な働き方を選択できる社会を実現するため「長時間労働の是正、多様で柔軟な働き方の実現、雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保等」に対して、2019年4月より様々な法規制がされています(いわゆる、働き方改革関連法の施行)。その中でも「多様で柔軟な働き方の実現」の一環として、近年では、副業や兼業を認める大手企業が多くなっており(注1)、中小企業においても、副業を禁止している割合は小さく、従業員に放任されている割合が高いと示唆(注2)され、我が国における新たな労働の担い手として、期待されています。そのような背景も相まって、個人(一人役員会社も含む、以下同じ。)が事業者として受託した業務に安定的に従事することができる環境を整備する「特定受託事業者にかかる取引の適正化等に関する法律(以下、「フリーランス法」といいます。)」が制定され、2024年11月1日から施行されました。本稿では、個人が事業者として業務を受託する副業・兼業時の形態として考えられる類型の特徴及びフリーランス法の内容を中心に解説していくこととします。なお、本稿におけるフリーランスは、フリーランス法におけるそれを念頭に置いており、業務委託を受ける事業者で従業員を使用しないものを指すこととします。2副業・兼業時に採りえる形態副業・兼業時に採りえる形態として、自らの労働力を提供するか否かで、以下のように大別することができます。まず、労働力を提供する例としては(1)他人からある業務を受託し、その成果に対して収入を得る事業主の形態、もしくは(2)本業以外の事業主に正社員又は非正規社員のいずれかとして雇用され、労働者として労働力を提供することで収入を得る被用者の形態があります。これに対し、自己の労働力を提供しない例としては、(3)自己が保有する資産を有効活用して収入を得るような投資(資産運用)による副業が考えられます。次に(1)の事業主して副業・兼業をする場合、①個人又は②会社組織のいずれかになりますが、①個人で副業・兼業を始める場合、税務関係の諸届けのみで、すぐに事業を始めることが可能です(ただし、各種業法で許可・認可等が求められている場合を除きます)。これに対し、②会社組織で副業・兼業を始める場合には、初めにいずれかの会社(法人)の設立手続が必要になり、税務や労務に関する諸届けが必要になるほか、個人と同様、各種業法で許可・認可等が求められている場合には、それらの対応を経て、ようやく事業を開始することができる状況になります。副業・兼業が営利を目的として会社の形態を選択する場合、株式会社又は合同会社のいずれかを選択する事例が多く、筆者の経験上は、自身の資産を基に副業・兼業を始める場合には、合同会社を選択する事例が多く、自身の能力を基に副業・兼業を始める場合には、株式会社を選択する事例が多いように感じています。株式会社・合同会社のいずれにおいても、1人のみで設立することができ、拠出する資本金の額もともに1円以上であれば法的に問題はありませんが、本業に対する副業として事業を始める場合は、簡易に始めることができる個人の形態から始め、副業から一歩進んで本業同様に本人の収入源となるような事業となった場合には、将来の事業展開も含め、会社(法人)組織を採用すればよいと考え、その点は実務においても同じように展開しているように感じます。【図1副業・兼業の類型】類型労働力提供名称属性事業主ありフリーランス(1)個人会社組織なし投資・資産運用(3)個人会社組織被用者あり社員・パート・アルバイト(2)個人3フリーランス法の概要及びフリーランス側からみた注意点(1)フリーランスの現状フリーランス法の正式名称は、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」であり、2024年11月1日から施行されています。内閣官房が実施した「フリーランス実態調査(2020年5月)」によれば、日本のフリーランス人口は462万人と試算されており、その内訳は、フリーランスを本業としている者が214万人(約46.3%)である一方で、副業としてフリーランスをしている者は248万人(約53.7%)と試算されています。ただし、総務省統計局が公表する「労働力調査(2022年)」において自営業者数が648万人とされていることからも、副業でフリーランスをしている者が試算されている以上に存在しても不思議ではなく、潜在的にフリーランスはより多く存在しているものと思慮します。そのような現状において、前述のフリーランス実態調査では、全体の37%のフリーランスが取引先とのトラブルを経験したことを明らかにしており、フリーランスに対する保護は、必要な施策の一つとされていました。(2)フリーランス法の全体像そのような背景からフリーランス法は制定されましたが、この法律は、フリーランスの募集、契約の締結、契約の履行、契約終了の各段階における「取引の適正化」と「就業環境の整備」をはかることを目的としており、規制対象は業務委託をする発注者で保護対象は特定受託事業者となります。ここでいう「業務委託」とは、事業者がその事業のために他の事業者に物品の製造(加工を含む。)、情報成果物の作成、又は役務の提供を委託することをいいます(法2条3項2号)が、特に業種の制限はありません。また、事業者から他の事業者に対する業務委託が本法の適用の前提となりますので、発注者として消費者はこの法律の適用対象外となります。次に、「特定受託事業者」とは、業務委託者の相手方である事業者であって①個人で従業員を使用していないもの、又は②法人であっても、1名の代表者以外に役員がおらず、かつ従業員を使用していないものをいいます(法2条1項)。仮に、複数の事業を行っているフリーランスが、一つの事業で従業員を雇用し、他の事業では従業員を雇用していない場合、全体としては従業員を雇用していることになり、「特定受託事業者」には該当しないと解されています(注3)。なお、ここでいう「従業員」の定義は雇用保険法の一般被保険者の要件を満たすような1週間の所定労働時間が20時間以上であり、かつ、継続して31日以上雇用されることが見込まれる労働者を指します。これに対し、同居の親族のみを使用している場合は、本法の従業員を使用には該当しません。また、フリーランス法の適用の有無は、業務の発注時にフリーランスが特定受託事業者に該当するか否かで決まります。その際、発注者に課される契約条件の明示義務(法3条、以下②)は全ての発注者に適用されますが、その他の規制(以下①及び③から⑦)については、「特定業務委託事業者」のみに適用され、特定業務委託事業者以外の業務委託事業者には適用されません。なお、ここでいう「特定業務委託事業者」とは、業務委託事業者であって、個人の場合は従業員を使用するものを指し、法人の場合は2人以上の役員が存在するか、又は従業員を使用するものを指します。(3)フリーランス法の義務規定①募集情報の的確表示(法12条)募集情報の的確表示義務は、1対1の関係で契約交渉を行う前段階である広告等により広くフリーランスを募集する際の義務を指し、具体的には(ⅰ)発注者の情報、(ⅱ)業務内容、(ⅲ)業務従事場所等、(ⅳ)報酬、及び(ⅴ)契約の解除・不更新等の募集情報について、虚偽の表示又は誤解を生じさせる表示をしてはならないとするものです(法12条1項)。なお、当該情報提供について、いつ時点で提供された情報であるかを明確にしなければならないとされており、掲載日自体を記載する必要があることに注意が必要です(法12条2項)。②契約条件の明示(法3条)業務委託事業者が、特定受託事業者に業務委託した場合には、直ちに、特定受託事業者に対し、書面又は電磁的方法により以下の内容を明示する必要があります(法3条1項)。ただし、業務委託時点でそれらの内容を定めることができないことに正当な理由がある場合には、「内容を定めることができない理由」及び「内容を定める予定日」を明示すれば足ります(法3条1項ただし書き)。なお、これらの明示事項については、原則として業務委託の都度明示する必要がありますが、複数の業務委託がされる場合には、共通する事項については、共通する部分を明示することで、都度明示する必要はなくなります(公取委規則3条)。【図2契約条件明示義務(3条通知)の内容】明示項目注意点成果物やサービスの内容知的財産権の譲渡・許諾をする場合には、それらの範囲も明示する報酬額・税込の有無等を含め具体的な金額を明示する(ただし、報酬額を明示することが困難な場合には、算定方法の明示で足りる)・知的財産権を譲渡等する場合には、その対価も明示する・発注者が材料費等の費用を負担する場合には、総額を明示する支払期日支払期日を定めなかった場合、成果物等の受領(提供)日が、直ちに支払期日になる発注者と受注者の名称互いが識別可能な名称・番号であればよい業務委託日合意した日をいい、業務委託の開始日ではない納品やサービスの提供を受ける期日(納期)期間を定める場合は、その期間を明示する納品やサービスの提供を受ける場所(インターネット等)場所の特定が不可能な場合は明示する必要はない(検品する場合)検査完了日明確な日付とする必要がある(ただし、「納入日から●日以内」とすることも可能)現金払い以外の方法による支払方法デジタル通貨払いも許容される➂支払期日(法4条)特定業務委託事業者は、特定受託事業者の給付を受領した日(又は役務の提供を受けた日)から起算して60日の期間内(注4)に報酬を支払わなければなりません(法4条1項参照)。前述のとおり、支払期日は、具体的な日付が特定できるように定める必要があり、納品後●日以内という定め方は認められていません(支払期日を定めなかった場合には、「給付受領日(役務提供日)」が支払期日とみなされます(法4条2項))。なお、ここでいう「給付受領日」とは、発注者が成果物を受け取った日をいい、成果物の検品完了日でありません(注5)。他方で、仮に特定受託事業者側の問題で委託業務のやり直しがあった場合には、やり直し後の物品受領又は情報成果物提供日が給付受領日になると解されています(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の1(1)エ)。もっとも、再委託の場合(元委託者→再委託者→フリーランス)においては、再委託者がフリーランスに対し再委託であること等を明示したときには、再委託者は、フリーランスに対し、元委託者が再委託者に報酬を支払う予定の日(元委託支払期日)から30日以内に報酬支払日を定めれば足りるとされています(法4条3項)。この特例は、「再委託の特例」と呼ばれ、元委託者から委託を受けてフリーランスに再委託する再委託者の支払いに配慮して、当該規定は設けられました。④1か月以上の期間行う業務委託時における禁止行為(法5条)フリーランス法では、契約期間が長くなればなるほど、フリーランスが発注者に経済的に依存することになり、発注者からの不利益な取扱いを受けやすくなる恐れを考慮して、1か月以上の期間継続する業務委託については、以下の行為を禁止行為と定めています(法5条1項)。ここでいう契約期間の考え方として、始期については、(ⅰ)業務委託契約締結日、又は(ⅱ)業務委託に関する基本契約締結日のいずれか早い日を指し、終期については、業務委託契約の終了日、又は基本契約終了日のいずれか遅い日を指しますので、契約期間としてカウントする場合、実際に業務委託に従事した期間だけではない点に注意が必要です。この点からも、相当多くの業務委託が本条の対象になると指摘されています(注6)。【図3禁止行為(法5条1項)の内容】禁止行為内容受領拒否フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、注文した物品又は情報成果物の全部又は一部の受領を拒む(納期の延期・契約解除も含む)こと報酬の減額フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、あらかじめ定めた報酬を減額する(違約金として徴収することも含む)こと返品フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、受け取った物品を返品(注7)すること買いたたき類似品等の価格又は市価(=フリーランスが属する地域において一般に支払われる対価)に比べて、著しく低い報酬を不当に定めること購入・利用強制正当な理由がないにも関わらず、指定する物・役務を強制的に購入・利用させること不当な経済上の利益の提供要請フリーランスの利益を不当に害するものでなく、かつ、フリーランスの自由意思によらずに、金銭、労務の提供等をさせること不当な給付内容の変更・やり直しフリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、費用を負担せずに注文内容を変更し、又は受領後にやり直しをさせること(フリーランスの利益を不当に害する場合に限る)なお、契約期間が1か月未満の場合であっても、発注者が、上記の禁止行為を行うことで、独占禁止法上の優越的地位の濫用に関する規制に違反する可能性もありますので、注意が必要です。➄ハラスメント防止措置の整備(法14条)発注者とフリーランスには労働契約関係が存在しないことから、ハラスメント防止に関する法律(=労働施策総合推進法)が適用されません。この点からフリーランス法では、フリーランスの就業環境の整備を目的として、発注者にハラスメント対策として必要な措置を講ずることを法的義務として定めています。具体的には、(ⅰ)ハラスメントを行ってはならない旨の方針の明確化と社内への周知・啓発、(ⅱ)相談窓口の設置とその周知(この点につき、新たな設置が必要ではなく、既存の門戸を開ければよいとされています)、(ⅲ)相談に対する適切な措置と配慮、(ⅳ)プライバシー保護のための必要な措置及び周知、及び(ⅴ)申出による不利益取扱いを行わない旨の周知・啓発を講じる必要があります。⑥妊娠・出産・育児・介護に対する配慮(法13条)前述のハラスメント防止措置の整備と同様に、発注者とフリーランスとの間に労使関係がないことから、育児介護休業法のように「妊娠・出産・育児・介護」を行う者を保護できる状況にないため、フリーランス法は、特定業務委託事業者に対し、6か月以上の継続的業務を委託している(以下、「継続的業務委託」といいます。)特定受託事業者の申出に応じて、妊娠・出産・育児・介護と両立して業務に従事することができるように配慮する義務を課しました(なお、6か月未満の場合は、努力義務となります)。ここでいう、6か月以上とは、契約期間が6か月以上となる時点を指し、複数回の契約更新により6か月以上の契約期間を有するに至った場合も含みます。フリーランス法上、特定受託事業者からの申出に応じて配慮する必要はありますが、業務の性質や会社の体制などにより配慮自体が困難である場合や、配慮を行うことで業務のほとんどが行えなくなる場合等、合理的な理由がある場合には、配慮自体を行わないことも認められています(注8)。➆中途解約時の事前予告・理由開示(法16条)フリーランス法は、継続的業務委託をしている場合、少なくとも契約解除の30日前までに、契約解除すること又は更新しないことについて、予告しなければならないと定めています(法16条1項)(注9)。ここでいう解除は、発注者側からの一方的な契約解除を指し、フリーランスとの間の合意解除は含まれません。これに対し、継続的業務委託以外の場合における契約解除においては、本条の規定が適用されませんが、フリーランス法上の禁止行為等(法5条)に抵触しないよう注意が必要です。なお、フリーランスが契約解除理由について開示請求をした場合には、発注者は、それに応じる必要があります(法16条2項)ので、将来的なトラブル回避のためにも、フリーランスに対し、きちんと説明をするなどの対応が望まれます。(4)フリーランス側が注意すべき事項及びトラブルの際に採るべき対応策フリーランス・トラブル110番(注10)に寄せられた相談内容として、報酬の支払いに関するものが最も多く、次いで契約条件の明示、受注者からの中途解除・不更新、発注者からの損害賠償、発注者からの中途解除・不更新、労働者性の順となっています。フリーランスが発注を受ける際には、事前にフリーランス法の適用の可否を知っておくことが望ましく(ⅰ)発注者の属性(特定業務委託事業者or業務委託事業者の別)や(ⅱ)委託業務の受注期間などについては、特に注意して確認をしておくべきです。また、報酬の支払いトラブルの次に多い「契約条件の明示に関するトラブルや受注者からの中途解除・不更新、発注者からの損害賠償」については、契約締結時点で契約条件(3条通知)の内容について細部まで明確にすることで、未然に防げるトラブルといえますので、受注する側も慎重に対応していくことが望まれます。その他のトラブルについては、フリーランス法でカバーされている部分が多くなりますので、トラブルに対する備えとしてもフリーランス法を熟知することは有用となります。上記のほか、実際に発注者との間でトラブルが生じたフリーランスが採るべき対応策としては、民事裁判等の司法制度を利用するほか、担当行政機関への申し出(取引適正化関連については経済産業省・中小企業庁、就労関連については厚生労働省)を行うことが可能です。フリーランスが当該申し出を理由に発注者は不利益取扱いをすれば、それ自体が行政機関からの勧告や命令の対象となりますので、発注者は真摯に対応することが望まれます。4おわりにフリーランス法の施行により、フリーランスに対しても一定の保護がされることに違いはありませんが、この法律が施行されても、フリーランスが優位になるというものではありません。他者との差別化を図れなければ、発注者にとって代替性のある発注先の一つとして認識されるのみであり、魅力的な発注先になるということはありません。以上からも、まずは発注者にとって魅力的なフリーランスになり、副業・兼業の範囲内でこの働き方を利用しながら、将来を見据えていくことは十分検討に値すると考えます。フリーランス法が、副業・兼業する側のQOLが向上し、ひいてはそれが本業の活性化につながるという好循環になることを願って、今後の動向に注視していきたいと思います。<注釈>「副業・兼業に関するアンケート調査結果(www.keidanren.or.jp/policy/2022/090.pdf)」川上淳之「中小企業における副業認可とその影響」45頁(2024年8月・日本政策金融公庫論集第64号)第二東京弁護士会労働問題検討委員会編著「ケーススタディでわかるフリーランス・事業者間取引適正化等法の実務対応」21頁(2024年・第一法規)仮に60日を超える日を支払期日として定めたとしても給付受領日等から起算して60日を経過する日が支払期日とみなされます(法4条2項)。他方、情報成果物については、事前に一定の水準を満たしていることを確認した時点を給付受領日とする旨の合意がされている場合には、その水準を確認した日が給付受領日となります(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の1(1)イ)。前掲注3・91頁別途保証期間として1年以内を定める場合を除き、6か月を超えた後の返品は認められません(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の(2)ウ)。特定業務委託事業者が募集情報の的確な表示、育児介護等に対する配慮及び業務委託に関して行われる言動に起因する問題に関して講ずべき措置等に関して適切に対処するための指針第3の2(1)契約解除の30日前までに解除通知をしなかった場合には、過去の労働判例を参考に30日の経過によって解除の効力が生じることになると解する余地はありますが、フリーランス法にはそれに関する規定がされていない点には注意が必要です。第二東京弁護士会が厚生労働省から依託を受け、2020年11月から設置された発注者から仕事の委託を受けるフリーランスの取引上のトラブルを解決するための相談窓口機関提供:税経システム研究所
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2025/01/31 topics
パワハラを理由とする退職金減額について 取締役会の裁量はどこまで及ぶか -釧路地帯広支判令和5年1月16日-
1.はじめにパワーハラスメント(パワハラ)は就業環境を悪化させるものであり、厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査(令和5年度)」によれば、労働者の5人に1人が「過去3年間にパワーハラスメントを受けたことがある」と回答しています(注1)。パワーハラスメント防止措置を執ることは、令和4(2022)年4月から全ての事業主に義務化されています(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律30条の2)。この規定によれば、パワハラとなるのは、同じ職場で働く者に対して、(1)「優越的な関係」を背景とした言動であって、(2)「業務上必要かつ相当な範囲」を超えたものにより、(3)労働者の就業環境が害されるものという3つの要素を全て満たす言動を指します(注2)。パワハラが会社の上司によって行われる場合には、その部下に与える影響は大きいものとなります。特に会社のトップ(社長)によるパワハラは、その会社に社長の言動を阻止できる者がいないため、部下に深刻な問題を与えるリスクが高まります。近時、パワハラを原因として代表取締役社長が辞任した場合に、株主総会で取締役会に一任された退職金を、取締役会の裁量で減額することが認められるか否かが争われた注目すべき裁判例が、釧路地帯広支判令和5年1月16日LEX/DB文献番号L07850594です。本稿ではこの裁判例を紹介しつつ、パワハラの問題を検討して行きます。2.釧路地帯広支判令和5年1月16日(1)事実の概要Y会社は、帯広市等において、食料品主体のスーパーマーケット事業等を行っている株式会社であり、取締役会設置会社です。Xは、昭和52年、Y会社に従業員として入社し、昭和61年11月からY会社の取締役に就任し、平成23年11月から令和2年11月5日までY会社の代表取締役を務めた者です。Y会社の取締役会は、令和2年11月5日に、Xを代表取締役から解職するとの議案を可決しました。Xは、そのことを知らされた後、Y会社宛てに辞任届を提出して、Y会社の取締役及び代表取締役を辞任しました。Y会社の取締役会は、一旦可決されたXの代表取締役の解職決議を撤回しました。Y会社は、令和2年12月22日に開催された株主総会(本件株主総会)において、Y会社の役員退職慰労金規程に従い、Xに対し、一定の基準で相当額の範囲内において退職慰労金を贈呈することおよびその具体的金額、贈呈の時期、方法等を取締役会に一任することを決議しました(本件株主総会決議)。Y会社の役員退職慰労金規程(注3)に基づき計算されるXの退職慰労金は、7897万5000円(退任時報酬月額325万円×0.9×27(年))でしたが、Y会社は、令和3年7月15日に開催された取締役会において、Xの退職慰労金を7000万円と決議し(本件取締役会決議)、同年7月28日、Xに対し、同額を支払いました。その後、Xは、Y会社に対して、(1)主位的に、退職慰労金支給の株主総会決議がなされてから、1か月以内に、Xの退職慰労金等の支給を取締役会において決議しなかったことは、取締役としての善管注意義務に違反すること、(2)予備的に、Y会社が、取締役会決議において考慮すべきでない事項を考慮するなどしてXの退職慰労金を減額し、また功労加算金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反すること(注4)等を理由に、支払われるべき退職慰労金7897万5000円、功労金相当額2000万円、弁護士費用相当額989万7500円、遅延損害金168万2302円の合計金額1億1055万4803円より、既払の7000万円を控除した4055万4803円を損害額として、その支払いを求めました。2.判旨前掲釧路地帯広支判令和5年1月16日は、Xの請求を棄却しました。(1)争点①退職慰労金の支給日について「Y会社の役員退職慰労金規程には、取締役会の退職慰労金の支給日について、株主総会の決議に従い取締役会が決定するとの定めがあるものの、退職慰労金贈呈の時期についての定めがないところ、本件株主総会においても、Xに対する退職慰労金の贈呈の時期等はY会社の取締役会に一任するとされていること…に照らすと、退職慰労金支給の具体的な時期については、Y会社の取締役会の裁量に委ねられていると解される。したがって、Y会社の取締役会に委ねられた裁量の範囲を逸脱又は濫用した場合に、各取締役につき善管注意義務違反が認められ得ると解するのが相当である。」「Y会社の取締役会は、本件株主総会決議の趣旨を踏まえ、Xに対する退職慰労金の支給の判断の前提となる、Xのパワーハラスメント行為の有無やその評価について、第三者委員会や弁護士といった専門家の助言を得た上で、慎重に判断していたのであり、本件株主総会決議から、本件取締役会決議がなされるまで、7か月程度を要しているとしても、取締役会の裁量の範囲の逸脱又は濫用に当たると評価することはできないから、Xの主張を採用することはできない。」(2)争点②退職慰労金の減額等について「Y会社においては、本件株主総会決議により、取締役会に対し、Xの退職慰労金等の具体的金額や支給時期の決定が一任するとされていることから、退職慰労金の減額をするかどうかや減額する場合にいくら減額するか、功労加算金の支給を行うかどうかや支給する場合にいくら支給するかについては、Y会社における役員退職慰労金規程に則り、取締役会に裁量があると解するのが相当である。」「Xによるパワーハラスメント…の事実は、パワーハラスメント行為を受けたY会社の役員や従業員に精神的な打撃を与えるだけでなく、これらの者以外のY会社の取締役や従業員の意欲の低下を招き得るものであること、Y会社の対外的イメージを悪化させ得るものであること、Y会社内部のコンプライアンスに対する悪影響を与えるものであることなど、決して軽視することはできないものであることに照らせば、Y会社が主張する退職慰労金の減額事由のうち一部については認められないものの、Xの退職慰労金を約12%減額し、Xに対し功労加算金を支給しないとのY会社の取締役会による判断は、その裁量の範囲を逸脱又は濫用したとはいえない。したがって、Y会社が、本件取締役会決議において、Xの退職慰労金を減額し、また功労加算金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反するものではない。」3.退職慰労金の決定方法(1)会社法の規制取締役の報酬規制について、指名委員会等設置会社では報酬委員会(会社法404条3項)が、それ以外の株式会社では定款の定めまたは株主総会の決議でその額を定めなければなりません(会社法361条1項)。もっとも、指名委員会等設置会社以外の株式会社の取締役の場合、実務上一般に退職慰労金については、通常の報酬等とは異なり、退職慰労金の総額(最高限度額)を明示せず、具体的な金額、支給時期、支給方法等を、取締役会設置会社では取締役会に、取締役会設置会社以外の会社では取締役の過半数による決定に一任する旨の総会決議がなされることがあります。勤続年数の長い取締役は退職慰労金の額が大きくなるところ、日本の取締役は報酬額の個別開示を好まない傾向があるためだと考えられています。判例の立場によれば、無条件に取締役会等に退職慰労金の決定を一任するのではなく、会社の業績、退任取締役の勤続年数、担当業務、功績等から算定された一定の支給基準に従い、それを株主が推知し得る状況において、決定すべきことを一任するのであれば無効とはいえないとしています(最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁)(注5)。(2)退職慰労金の具体的権利性退職慰労金の支給規定や支給基準がある会社であっても、会社法に定める報酬等に該当するため、退任取締役は定款または株主総会の決議によってその金額を定める等、会社法上の規定に基づく支給決議がなければ具体的報酬請求権は発生しないと解されています(最判昭和56年5月11日金判625号18頁)。そのため、株主総会決議がない場合には、会社についても取締役についても責任を否定する裁判例が多いです(東京地判平成27年7月21日金判1476号48頁、東京地判平成30年2月20日判タ1458号217頁)。(3)退職慰労金支給の株主総会決議後の取締役会による不支給・減額の可否これに対し、退職慰労金の支給を認める株主総会決議があったにもかかわらず取締役会で支給決議を行わなかったという事案については、退職慰労金相当額の損害賠償を認容しています(東京地判平成元年11月13日金判849号23頁、東京高判平成9年12月4日判時1657号141頁)。東京地判平成10年2月10日判タ1008号242頁は、株主総会において取締役の退職慰労金を取締役会に一任する旨の決議がなされた場合、退職慰労金請求権は、その金額を決定する取締役会の決議があって、初めて発生するものであり、一定の基準が存在しても株主総会の決議だけで当然に発生するものではないが、「一定の支給基準が存在して、その基準に従って定める趣旨で株主総会において取締役会に一任する旨の決議がなされたにもかかわらず、取締役会においてそれに反する決議をした場合には、決議をした取締役らは、退職慰労金を受給できる退任取締役に対して不法行為責任を負うことになる」と判示されています。東京高判平成20年9月24日判タ1294号154頁は、株主総会で退職慰労金内規に従い退職慰労金の支給を取締役会に一任する旨の決議がされた会社において、退職慰労金内規には基本的退職金部分について具体的に定められ、減額や不支給の定めはなく、支給時期は原則として総会決議後1か月以内と具体的に定められている場合には、基本的退職金部分の支給は株主総会の決議により確定的になったものということができると判示しています。また、弁護士等で構成される調査委員会が取りまとめた、退職慰労金支給内規に基づく特別減額事由に基づく退職慰労金を減額した取締役会には、その判断に当たり広い裁量権を有するというべきであり、取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られるとして、被上告人の請求を棄却した判例(最判令和6年7月8日(令和4年(受)第1780号)LEX/DB2557363)もあります。学説においても、株主総会で一定の支給基準に従い退職慰労金を支給すべき旨の決議をした場合にも、内規等の支給基準において不支給・減額事由が定められているときは、取締役会がそれに従い退職慰労金の不支給・減額を決めることはもとより可能であり、支給基準にそのような定めがないときでも、会社が支払不能に陥った場合や、退任取締役について会社財産の横領等刑事罰に相当する行為が発覚した場合には、不支給・減額することが株主総会の黙示の委任内容であるとして、取締役会が不支給・減額を決議することも許されると解するものもあります(注6)。4.本判決の検討判旨(1)では、Y会社の取締役が、本件株主総会決議がなされてから、1か月以内に、Xの退職慰労金等の支給を取締役会において決議しなかったことが、取締役としての善管注意義務に違反するかが争われています。退職慰労金の支給時期が定められていた前掲東京高判平成20年9月24日とは異なり、Y会社の役員退職慰労金規程には、退職慰労金贈呈の時期についての定めがなく、Y会社の取締役会の裁量に委ねられているところ、Xのパワーハラスメント行為の有無やその評価について専門家の助言を得て慎重に判断していたこと、本件株主総会決議から支給まで7か月程度であることは、取締役会の裁量範囲を逸脱したということはできないでしょう。判旨(2)では、Y会社が、本件取締役会決議において、Xの退職慰労金を減額し、また功労金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反するかが争われています。退職慰労金内規に減額や不支給の定めを置いていなかった前掲東京高判平成20年9月24日とは異なり、本件は、内規に特別減額を定める前掲最判令和6年7月8日と同様の裁判例です。学説でも、退職慰労金の減額等については、会社法361条のお手盛り防止の趣旨には反しないとして、その裁量の範囲を広く解して良いと解されています(注7)。そこで、本判決は、退職慰労金規程に則り、取締役会に裁量があるところ、減額事由として、Xによるパワーハラスメントの事実を認定しています。本判決は、職場におけるパワーハラスメントの判断基準として、職場において行われる、①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいうとされています。Y会社は、Xのパワハラとして、社長室内において従業員や取締役に対し長時間にわたって叱責したこと、Y会社の代表取締役専務に対してさまざまな会議の場で叱責したこと、叱責にあたり激しく机を叩きながら激高したこと等の20の事由を挙げました。本判決は、そのうちの11の事由を、人格的な非難を加えるものであって、業務上必要かつ相当な範囲を超えており、取締役や従業員の就業環境を害するものであるとしてパワハラがあると認定しました。これらは、Y会社内部のコンプライアンスに対する悪影響を与えるものであること等から、減額を認めた本判決の判断は妥当といえるでしょう。5.結びに代えて令和2年11月5日に開催されたY会社の取締役会において、取締役AからXを代表取締役から解職するとの議案が提出された際、Xは特別の利害関係を有する取締役(会社法369条2項)として、別室に移動することになりました。別室において、Xは、Y会社の代理人弁護士Bより、Y会社の役員や従業員に対するパワハラがあったことを理由に解職動議が提出されたとの説明を受けました。その後、取締役会においてXの解職議案が可決されたことを伝えられると、弁護士Bは、Xに対し、自ら代表取締役と取締役を辞任するということであれば、取締役A(次期代表取締役社長)は、他の取締役を説得して、解職動議を撤回して、辞任を受け入れるということで説得を試みるとして、Xに辞任を促しました。Bは、Xが解職されると退職慰労金の支払は難しくなるが、辞任であれば、退職慰労金支給を株主総会に付議する考えがあること、等を説明しました。これに応じてXはY会社の取締役及び代表取締役を辞任しました。こうした経緯から、退職慰労金の支払はあるものの、規定どおりに支給されるかどうかは明らかではないことは容易に予想されるものと思われます。本判決は、Y会社が行った、Xの退職慰労金の約12%の減額を肯定しています。これについて、なぜ減額幅が12%としたのか根拠が明示されているわけではありません(注8)が、パワハラに基づく減額は、退任役員と会社との間で紛争が起こりやすい要素であり、減額基準の具体的な算定が困難であるために行われたのでしょう。このように考えると本判決が減額を肯定したことも納得できます。パワハラは多くの会社で問題となっています。本判決で示された判断枠組みが今後同様の事案の解決にとって参考になれば幸いです。<注釈>厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査(令和5年度)」(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000165756.html参照)。厚生労働省「NOパワハラなくそう、職場のパワーハラスメント」(2024年10月3日・https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201304/1.html)。これによれば、「優越的な関係」とは、上司から部下に対しての言動だけでなく、先輩・後輩間や同僚間、さらには部下から上司に対して行われるなどの様々な職務上の地位や人間関係の優越性を背景に行われるケースが含まれるとし、「業務上必要かつ相当な範囲」とは、個人の受け止め方によって不満に感じる指示や注意・指導があっても「業務の適正な範囲」内であればパワーハラスメントに該当しないということになります。Y会社の定款28条には、取締役の報酬等は、株主総会の決議によって定めるとの定めがあります。Y会社の役員退職慰労金規程には、退職慰労金は、この規程に基づき計算すべき旨の株主総会の決議に従い、取締役会又は監査役の協議において決定した額の範囲内とすること(第3条2号)、退職慰労金の支給基準額は、「支給基準額=退任時の報酬月額×役員在任年数」により算出すること(4条)、退任役員のうち在任中特に功労のあったものに対しては、第4条により算出した金額に、その50%を超えない範囲で功労金を加算することができること(8条:功労加算金)、退任した役員が在任中特に重大な損害を会社に与えた場合、又は会社の業績が不振な場合等においては、第4条にて算出した額から相当額を減額することができること(9条:減額)、役員の退職慰労金の支給日及び支給方法等は、取締役の退職慰労金は、株主総会の決議に従い取締役会が決定すること(10条1号)が定められています。この他、Xが、Y会社に対し、Y会社の代表取締役らが、Xを含む関係者の事情聴取や意向確認等の事前調査を十分に行わないまま、Y会社代理人弁護士を通じ、Xに虚偽の内容を伝えて錯誤に陥らせ、Y会社の取締役を辞任させたことは、Y会社の取締役が善管注意義務に違反することも争っていますが、字数の関係から本稿では扱いません。ここにいう「株主が推知し得る状況」とは、①書面または電磁的方法による議決権行使がなされる会社(会社法301条・302条)では、株主総会参考書類に当該基準の内容を記載するか、または、②当該基準を記録した書面等を本店に備え置いて株主の閲覧に供する等、各株主が当該基準を知ることができるような適切な措置が講じられていることをいい(会規82条・82条の2)、それ以外の会社でも株主が本店で請求すれば基準の説明を受けられる措置を講じておかなければ、一任決議が無効になる可能性があります。なお、株主総会の議場で株主から支給基準について説明を求められた場合には、基準を閲覧できる状況になっていても、取締役は説明しなければなりません(東京地判昭和63年1月28日判時1263号3頁)。落合誠一編『会社法コンメンタール(8)機関(2)』(商事法務、2009年)205頁〔田中亘〕。尾形祥「本件判批」ジュリスト1591号(2023年)3頁。高橋均「本件判批」ジュリスト1602号(2024年)133頁。提供:税経システム研究所
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2025/01/24 topics
2024年下半期における東証上場会社の機関設計の選択状況
1.東京証券取引所及び株式会社の機関設計の変遷1878年(明治11年)5月15日に東京証券取引所の前身である「東京株式取引所」が創立され、翌6月には売買立会が開始されていますが、当時はまだ商法の制定前であり、1890(明治23)年商法(旧商法)施行後及び1899(明治32)年商法(新商法)施行後の株式会社には、株主総会・取締役・監査役の機関設計のみが法定されました。第二次世界大戦中の1943(昭和18)年6月30日には「日本証券取引所」に全国の11ヶ所の証券取引所が統合されましたが、広島・長崎に原爆が投下された後の1945(昭和20)年8月10日には売買立会は停止、戦後の1947(昭和22)年12月18日に「日本証券取引所」は解散し、同年に制定された「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(略称:独占禁止法)」(同年7月20日施行)による財閥解体により大量の株式が一般に再配分され、証券民主化運動等と相俟って、株式所有の大衆化が急速に進展しました。1949(昭和21)年4月1日には「東京証券取引所」(以下、東証とします)が証券会員制法人として設立され、翌5月には、東証での取引再開が認められてます。さらに1950(昭和25)年の商法改正により取締役会が法定され、株主総会・〔取締役会+代表取締役〕・監査役のみが株式会社の機関設計として法定されます。さらに同年の改正により、監査役の権限も会計監査権限のみに限定され、株式会社は全て公開会社とされました。その後の1966(昭和41)年商法改正により、定款で全株式の譲渡制限を定める会社(閉鎖会社:会社法下では公開会社でない株式会社)が許容された後も、暫くは全ての株式会社に同じ機関設計のみが法定されることになりました。なお、1968(昭和43)年1月以後、証券会社は免許制へ移行しています。規模に関わらず全ての株式会社が同じ機関設計で良いのかという問題から、1974(昭和49)年には「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(略称:商法特例法・監査特例法)」が制定され、同法により、資本金5億円以上の大会社に会計監査人の設置が義務付けられます。同時に資本金1億円を超える株式会社の監査役には業務監査権限が復活します。同法の1981(昭和56)年の改正により、大会社の概念が資本金5億円以上、又は負債総額200億円以上の会社と変更されるとともに、監査役には必ず1名以上の常勤者を置かなければならないことになります。1993(平成5)年の同法の改正では、大会社に監査役会の設置と社外監査役1名以上が義務付けられるようになります(これにより上場会社の大半が監査役会設置会社に占められることとなります)。さらに2001(平成13)年の同法の改正では、監査役会構成員の半数以上の社外監査役の選任が義務付けられました。2002(平成14)年の同法の改正では、委員会等設置会社(会社法施行時に委員会設置会社に改称、2014年改正法施行後は指名委員会等設置会社に改称)の機関設計が追加されます。2006(平成18)年5月1日の会社法施行により、「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律」は廃止され、同法の規定の多くは会社法に引き継がれます。会社法施行により、公開会社でない株式会社では、取締役会非設置会社も許容されましたが、公開会社の機関設計は、監査役設置会社(含む監査役会設置会社)と委員会設置会社(会社法で改称。現・指名委員会等設置会社)のままでした。東証は2001(平成13)年に株式会社化し、(株)東京証券取引所となります。2007(平成19)年8月1日には、持株会社となる(株)東京証券取引所グループが設立され、株式移転により、(株)東京証券取引所は、同社の完全子会社となっています。また、同年9月30日は、証券取引法が金融商品取引法に改称されています。2013(平成25)年1月1日には、(株)大阪証券取引所(存続会社)と(株)東京証券取引所グループ(消滅会社)の吸収合併により、(株)日本取引所グループ(JPX)が発足、同年7月16日に大阪証券取引所の現物市場は東証に統合されています(以降、現物市場のある証券取引所は、札証・東証・名証・福証の4ヶ所となりますが、各市場への単独上場は少ない為、東証が9割以上のシェアを占めます)。2014(平成26)年会社法改正により、監査等委員会設置会社が追加され、同時に委員会設置会社が指名委員会等設置会社と改称されます。2019(令和元)年の会社法改正では、会社法327条の2により、上場会社の大会社(注1)である監査役会設置会社に1名以上の社外取締役の選任が義務付けられます(東証の上場会社は大会社でなくなった場合にも東証上場規程により、社外取締役の選任が義務付けられます)。2022(令和4)年4月4日以降、それ以前の東証の一部・二部・マザーズ・JASDAQの市場区分は、プライム・スタンダード・グロース市場へと移行しています(名証も一部・二部・セントレックスからプレミア・メイン・ネクスト市場に移行しています)。2.近時の上場会社の機関設計の変遷2014(平成26)年改正による監査等委員会設置会社の制度は、翌2015(平成27)年5月1日に施行されましたが、その年度中に監査役設置会社(監査役会設置会社)から監査等委員会設置会社への移行を表明した上場会社は200社を超え(8月末の東証3,462社中、一部108社、二部31社、マザーズ11社、JASDAQ57社で計207社)、当時の上場会社の指名委員会等設置会社数(64社)の3.4倍に達していました(注2)。その後の2021(令和3)年10月8日の調査においては、東証3,734社中、監査役設置会社(監査役会設置会社)2,401社、監査等委員会設置会社1,249社、指名委員会等設置会社83社となっています(注3)。以下の表は2022(令和4)年の市場区分移行後の2022年7月29日(注4)、2024(令和6)年上半期(6月18日)、2024年下半期12月1日の独自調査(注5)の状況です。2024年度の下半期で上半期に比べ、監査役設置会社(監査役会設置会社)がかなり減り、監査等委員会設置会社がかなり増え、さらに指名委員会等設置会社も微増していることがわかります。3.機関設計の変更の理由監査役設置会社に対する懸念としては、そもそも英米には監査役という制度がなく、そうした国からすると一般に代表取締役より下位に属する印象がある役員に、代表取締役等を見張れるのかという懸念です(監査役は取締役会に参加しますが、代表取締役の選定・解職権がありません)。実際には、監査役の任期を4年とし、取締役の倍とするとともに、その解任には株主総会の特別決議を要することとし、その地位を強化していますが、他の機関設計への移行理由の第一に「経営監督機能の強化」を掲げる会社が多いようです。一方、その利点としては、監査役会には半数の社外監査役とともに、必ず常勤の監査役が必要であり、また、各監査役は監査役会の決定に必ずしも縛られることはなく、権限を行使できる等の機動力があります。長年、慣れ親しんだ機関設計として、この機関設計を好む会社も依然多いようです。実際には、ここ数年の監査役会設置会社の激減は、2014年会社法改正当時はコーポレートガバナンス・コード同様のコンプライ・オア・エクスプレイン形式であった会社法327条の2の上場会社の大会社の監査役会設置会社における社外取締役選任の努力義務が、2019年会社法改正施行により完全義務化されたことにもあると思われます。これにより、監査等委員会設置会社の監査委員会の過半数の社外取締役や指名委員会等設置会社の各委員会の過半数の社外取締役を兼任させた場合の社外役員の最低員数を、監査役会設置会社の社外役員の最低員数が上回っているからです。指名委員会等設置会社の利点は、本来は、執行役と取締役の分化にあるはずでしたが、我が国では兼任が明文をもって認められている為、実際には大半の指名委員会等設置会社では兼任状況がみられます。また、執行役との兼任が禁止される監査委員を取締役会が選定・解職できることも問題です。また、導入当時は役員の任期を1年以内とする新陳代謝がコーポレート・ガバナンス上優れているように言われていましたが、アメリカで著名だったエンロンが破綻した他、すぐに利益を求める投資家の干渉を受けやすいことから、その後我が国のコーポレートガバナンス・コードに取り入れられたSDGsの観点や、そのS(サスティナブル:継続性)の観点から多くの事業会社がこれを嫌い、純粋持株会社や政府がバックにつく元国営企業などが目立つようになっています。ピーク時に100社を超えた程度であり、元国営企業等の追加にも関わらず、現在は東証の上場企業で100社を下回り(他に名証ネクスト単独のガイアックス)、非上場では数社確認できる程度まで凋落しています。ただし、この機関設計を選択した会社は、コーポレートガバナンス・コードを全て遵守している会社が多いことから、コーポレート・ガバナンスを強化したイメージを抱かれる為、これが2024年下半期に指名委員会等設置会社が微増した理由と思われます。監査等委員会設置会社は、指名委員会等設置会社で問題とされた監査機関の地位の脆弱性を補い、非業務執行取締役である監査等委員の選任・解任権を株主総会の権限とし、任期を業務執行取締役の倍の2年とするとともに、その解任には監査役同様の株主総会の特別決議を要するとすることで地位の強化を図っています。他の機関設計から監査等委員会設置会社への移行理由に「意思決定の迅速化」、「経営監督機能の強化」、「経営透明性の向上」、「企業倫理の確立等」のいずれかを掲げる会社が大半です。監査等委員会設置会社では、任意に指名委員会・報酬委員会を置く会社も多く、厳しいコーポレートガバナンス・コードを全て遵守している会社もあります。一方で、監査等委員会設置会社には、社外取締役の選定に最後まで消極的であった会社や、コーポレートガバナンス・コードの遵守状態が監査役設置会社時代と変わらない会社も多く、市場や投資家に対するイメージや監査役設置会社における社外取締役選定義務が、監査等委員会設置会社への移行理由ではないかと推察される状態の会社も多く存在します。4.中小企業ないし公開会社でない株式会社における最適な機関設計もっとも公開会社でない株式会社においては、市場や投資家に対するイメージを気にする必要がない為、役員数が多く、社外取締役の選定を必要とし、かつ、役員の任期が短くなる指名委員会等設置会社や監査等委員会設置会社の機関設計を選択するメリットは殆どありません。会社法下では公開会社でない株式会社においては、取締役会非設置会社とすることで役員数を減らすこともできますし、公開会社でない株式会社においては、取締役(いれば会計参与)・監査役の任期を定款で10年まで伸長することや、株主限定とすることもできます。大会社の監査役会設置会社においても社外取締役の選定は必要ありません(社外監査役の選定で足ります)。また、会計監査人を置かない場合には、監査役の権限を定款で会計監査限定とすることもできます。その分、信用が下がりますが、親族等に監査役を任せている場合には、その責任を軽減する方法を選択することも考えられます(もともと会社法施行前の資本金1億円以下の株式会社では「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律」により監査役は会計監査限定とされていました。特例有限会社の監査役は会社法施行前と変わらず会計監査限定です)。一方、親族や親しい者に税理士や公認会計士がいる場合には、公開会社でない株式会社では、監査役に代えて会計参与を設置することも考えられます(会計参与設置会社、公開会社ではこの機関設計はできません)。会計参与の資格は、監査役と違い、税理士・税理士法人・公認会計士・監査法人といった専門家に限られますし、こうした専門家が経理を合法的に統制していることから、税務調査に入られる例が少ないようです(税務調査により多額の課徴金が科せられると会社が大きく傾く例が多いようです)。金融機関等の信用が断然高まることから、監査役を会計参与に代えた機関設計を採る公開会社でない株式会社は、それなりの数があります(注6)。<注釈>会社法下では、(イ)最終事業年度に係る貸借対照表(第439条前段の規定では、同条の規定により定時株主総会に報告された貸借対照表、株主総会の成立後最初の定時株主総会までの間においては、第435条1項の貸借対照表をいう(ロにおいて同じ))に資本金として計上した額が5億円以上、(ロ)最終事業年度に計上した貸借対照表の負債の部に計上した額が200億以上であること、のいずれかに該当する株式会社を大会社といいます。塚本秀臣・三菱UFJ信託銀行法人コンサルティング部会社法務コンサルティング室「監査等委員会設置会社移行会社の事例分析」(別冊商事法務No.399)(2015・(株)商事法務)、参照。拙稿「東京証券取引所上場会社企業における監査役会設置会社の現状」商事法研究レポート(本WebTopics2021.11.26)、参照。拙稿「東京証券取引所新区分移行直後の状況」商事法研究レポート(本Web論説2022.9.30)参照。2024年上半期・下半期とも東証コーポレート・ガバナンス情報サービス利用による独自調査です。帝国データバンクの会社年鑑等の会社データを参照してください。提供:税経システム研究所
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2025/01/17 論説
競業取引・利益相反取引における会社側の承認
一はじめに取締役は、会社業務の決定や執行に密接に関与しますから、当該会社の内部情報やノウハウあるいは顧客情報等を入手しやすい立場にあります。その取締役が、会社と競争する取引を、自らあるいは他の会社の取締役として、第三者あるいは当該会社と行う場合には、本来当該会社のために利用されるべき情報等が、取締役の行う競争的な事業のために使われるおそれがあります。このような取締役が会社の利益を犠牲にして自己または第三者の利益を図ろうとする危険性のある状況は、一般に利益相反あるいは利益衝突の状況とよばれています。そこで会社法は、このような事態を回避する策として、取締役に会社に対する忠実義務を課し、さらに競業避止義務および利益相反取引規制を設けています。すなわち、取締役は、取締役としての地位を悪用し、会社の犠牲において自己または第三者の利益を図ってはなりません(忠実義務、会355条)。また、(1)取締役が自己または第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき(競業取引、会356条1項1号)、(2)取締役が自己または第三者のために株式会社と取引をしようとするとき(直接取引・自己取引、同2号)、そして、(3)株式会社が、取締役の債務を保証することその他取締役以外の者との間において株式会社と当該取締役との利益が相反する取引をしようとするときには(間接取引・利益相反取引((1)(2)あわせて利益相反取引と総称する場合もあります。)、同3号)、当該取締役は、「株主総会」において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければなりません。この場合、会社が取締役会設置会社の場合には、「株主総会」の承認は「取締役会」の承認となり(会365条1項)、この取引をした取締役は、当該取引後、遅滞なく、当該取引に関する重要な事実を取締役会に報告しなければなりません(同2項)。ところで、一口に株式会社と取締役の利益が相反する状況といっても、実際には様々な場面があり、場合によっては利益が相反しない場合もあります。そのような場合には、株主総会ないし取締役会の承認(=会社の承認)は不要です。そこで、本稿では、取締役会設置会社に関し、いくつかの場合に分けて取締役会の承認の要否について検討してみようと思います。二競業取引1取締役を兼任している場合(1)A社の代表取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合1)YがB社の代表取締役として、A社の事業の部類に属する取引を第三者Cと行う場合には、YがA社の代表取締役として知った情報をB社の当該取引に利用してA社の利益を害するおそれがあるため、A社の取締役会の承認が必要です。同様に、YがA社を代表してB社の事業の部類に属する取引を第三者Dと行う場合には、B社の取締役会の承認が必要です。2)B社におけるY以外の代表取締役であるZが、A社の事業の部類に属する取引を第三者Cと行う場合には、YはB社の当該競業取引とは直接的に関係がないため、A社の取締役会の承認は不要です。ただし、YがB社の社長あるいは会長としてB社を統括する地位にあるときや、Zがわら人形的立場にあって、実質的にはYがB社を代表して当該競業取引をなすものと同一視されるような場合には、YがA社を害するおそれがあるためA社の取締役会の承認が必要です。(2)A社の平取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合1)A社がB社の事業の部類に属する取引を第三者Cと行う場合には、YはA社の平取締役にすぎませんから、特段の事情がない限り、B社の利益を害することはないので、B社の取締役会の承認は不要です。しかし、A社がこの競業取引を相当期間継続して行うことにより、この取引に関する一定程度のノウハウや取引先情報等が蓄積されると、Yはこれを流用して、A社の利益を犠牲にし、B社の利益をはかる行為に出るかもしれません。したがって、A社がB社と競業する取引を第三者Cと継続して行う見込みが生じた場合には、YがB社の代表取締役として第三者Dと当該取引をなすことにつきA社の承認が必要です(注1)。B社に複数の代表取締役がおり、社長・専務等により業務分担が定められている場合で、ある商品の製造販売業を行うA社の平取締役Yが、同種の商品の製造販売業と不動産業を行うB社の代表取締役専務として不動産業の取引業のみを担当する場合には、A社との間に個人的な利益相反関係はないので、この取引に関するA社の取締役会の承認は不要です。ただし、YがB社における商品の製造販売業を実際に行っている支配人Zを指揮監督している場合には、A社の取締役会の承認が必要です。Zを道具としてYが商品の製造販売業も行っていると解されるからです。2)A社の平取締役YがB社の代表取締役であって、A社とB社が競業関係にあっても、Yとは別のZもB社の代表取締役であり、Zが第三者Cと競業取引を行う場合には、特段の事情のない限り、両社の取締役会の承認は不要です。ただし、契約自体はB社の代表者としてZが締結していても、YがB社のためにこの契約の締結交渉を主導的に行っていて、Zと共同して当該取引をなしているとみられる場合には、A社の取締役会の承認が必要です。A社とB社の間に競業関係がなく、B社の完全子会社であるC社がA社の事業の部類に属する取引を第三者Dと行う場合、B社とC社とは実質的に一体化していますが、Yの行為はただちには競業規制に服すべきものとはなりません。C社の当該競業取引につきC社を代理・代表する者がA社とは関係のないZであって、Yがこの取引に直接的に一切関与していない場合には、YがC社の社長として全般を統括すべき地位にあるなどの特段の事情がある場合は別として、A社の取締役会の承認は不要です。(3)Yが親会社の平取締役と完全子会社の代表取締役を兼任する場合親会社A社と完全子会社B社が同種の事業を行っている場合、A社の平取締役YがB社の代表取締役としてA社の事業の部類に属する取引を第三者Cとなすときは、その経済的効果は実質的にA社に帰属するので、多数説は、この取引には競業取引規制は及ばず、どちらの会社の承認も不要と解しています(大阪地判昭和58年5月11日判タ502号189頁)。しかし完全子会社といえども、倒産した場合には、その財産は第一に子会社の債権者の担保財産となりますし、当該取引により完全子会社に利益が生じたとしても、親会社にそれ以上の損害が生ずる場合もありえます。子会社としても、親会社とは別個の法人格を有しており、子会社の債権者を保護する必要もあります。したがって、Yが100%子会社の代表取締役として第三者Cと競業取引をなすときも、原則として親会社A社の承認が必要と解されます(注2)。なおA社がB社の株式の全部は保有していない場合には、B社にはA社以外の株主が存在するため、A社とB社の利害が一致するわけではありません。したがってこの場合、YがB社の代表取締役として、A社から貸付けを受けるような場合には、YがA社の取締役であるかぎり、利益相反規制が及び、A社の承認が必要です。2取締役が他の会社の株式を保有する場合の競業取引(1)A社の取締役YがB社の株式の全部を保有する場合A社とB社の間において競業取引がなされる場合で、A社の取締役であるYがB社の代表取締役としてこの取引にあたる場合には、A社の取締役会の承認が必要です。しかし、そうでない場合には、形式的には、会社法356条1項1号所定の競業取引には該当せず、この承認は不要のようにも思われます。しかしB社の全株を保有するYとB社とは経済的には一体ですから、B社のなす競業取引は、Yが第三者(=B社)の名において自己(=Y)の計算で競業取引をなすものと解されるため、A社の取締役会の承認が必要と解されます。このことは、Yが配偶者や近親者の持株と合わせて実質的にB社の全株を保有しているときも同様と解されています(注3)。(2)A社の取締役YがB社の株式の一部を保有している場合YがB社の株式の全部ではなく過半数を保有する場合でも、YはB社を支配しているので、たとえY以外のZがB社を代表して第三者Cと競業取引をなす場合であっても、A社とB社の利害が衝突する可能性があります。したがって、この場合にもA社の承認が必要と解する説(実質説)と、競業取引規制(取締役会の承認・報告(会356条1項1号・365条)、損害額競業取引規制の推定(会423条2項)等)が明瞭かつ定型的に適用されるべき必要性から、A社の承認を否定する説(形式説)とに分かれています(注4)。競業取引規制が会社の利益保護のためにあることを考慮するならば、実質説を支持したいと思います。3取締役が他社の事実上の主宰者である場合A社の取締役Yが、B社の代表取締役でなくても、事実上の主宰者であるならば、形式的にはB社の代表取締役ZがA社との競合取引を第三者Cと行う場合であっても、実質的にはYがB社の利益のために、A社の事業の部類に属する取引をなすものと解されます。したがって、会社法356条1項1号の類推適用により、A社の取締役会の承認が必要と解されます(東京地判昭和56・3・26判時1015号27頁、大阪高判平成2・7・18判時1378号113頁)(注5)。三利益相反取引1兼任取締役関係にある会社間の取引(1)A社の代表取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合1)A社・B社間の取引においてYが両社を代表する場合A社・B社間の直接取引の場合、Yは意図的に一方の会社の利益をはかり、他社の不利益をもたらそうと考えるかもしれません。したがって、この直接取引は利益相反取引にあたり両社の取締役会の承認が必要です。YがA社を代表してB社の債権者Cに対しB社の債務を保証する間接取引の場合にも、A社の取締役会の承認が必要です。B社の債務をA社が保証することにより、B社が利得し、A社に不利益が生ずるかもしれないからです。2)A社・B社間の取引においてYが両社を代表しない場合A社・B社間の直接取引の場合で、両社においてYでない他の代表取締役が両社を代表する場合には、会社法356条1項2号は適用されず、特段の事情のない限り、この直接取引に関する両社の取締役会の承認は不要です。YがA社を代表し、B社はYでない他の代表取締役Zが代表する場合は、A社の取締役会の承認は不要ですが、B社の取締役会の承認は必要です。B社の平取締役としてのYが、A社の代表取締役として、A社に有利にB社に不利益をもたらす取引をなす懸念があるからです。(2)A社の平取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合両社間の直接取引において、B社の代表取締役のYが当該取引に関してはB社を代理・代表しない場合には、いずれの会社の取締役会の承認も不要です(通説)。A社がB社の債務に関し、債権者Cに対してこれを保証するなどの間接取引をなす場合で、A社の平取締役YがB社の代表取締役である場合には、当該取引に関しYがB社を代表するか否かを問わず、YがB社の代表取締役である以上は、両社間には利益衝突の危険性があるため、A社の取締役会の承認が必要と解されています(注6)。2取締役が株式を有する他の会社との取引(1)YがA社またはB社の全株式を保有する場合A社・B社間の取引において、A社の平取締役YがB社の代表取締役としてA社と取引しない限り、形式的には会社法356条1項2号の直接取引には該当しません。しかし、YがB社の全株式を保有する場合には、実質的にYとB社は経済的に一体化しているので、A社とY個人の取引の場合に準じて、A社の取締役会の承認が必要です。Yが家族等の持株と併せて実質的に全株を保有する場合も同様と解されます。なお、YがA社の全株式を保有する個人株主の場合、YとA社の間に利害相反関係はないので、A社がYに貸付をなすような直接取引の場合、A社の取締役会の承認は不要です(最判昭和45・8・20民集24巻9号1305頁)。(2)YがA社の平取締役とB社の代表取締役を兼任する場合で、B社がC社の全株式を保有する場合この場合、A社・C社間の取引に関しては、実質的にA社・B社間に利益の衝突があるものと解されます。しかし、この場合には、会社法356条の利益相反規制の適用範囲の明確化の要請から、A社の取締役会の承認は不要と解されています(注7)。(3)A社の平取締役YがB社の株式の過半数を保有する場合この場合、A社の平取締役YとB社が経済的に一体化しているとはいえないまでも、YがB社の支配を通じてB社の代表取締役Zに影響力を行使する危険があります。したがって、Y自身がB社を代表して行動する場合と実質的に同等と解し、A社・B社間の取引においては、これを直接取引としてA社の取締役会の承認が必要と解する説と反対する説とに分かれています(注8)。A社がB社の債務を保証・引受をなす場合にも、これを間接取引として、A社の取締役会の承認を必要と解する多数説と不要説とに分かれています(注9)。(4)A社の平取締役YがB社の過半数未満の株式を有する場合A社の平取締役YがB社の株式の過半数を保有していなくても、B社を支配しうる株式を有する場合には、実質的にA社とB社の利益が衝突する危険性を考慮して、A社の承認が必要とする解釈と利益相反規制の適用範囲の形式的明確性を重視して不要とする解釈に分かれています(注10)。3その他の場合(1)A社の平取締役Yと密接な親族関係にあるZ(配偶者その他の近親者等)がB社の株式の過半数を保有する場合この場合には、A社とYとの間には実質的に利益の衝突が生ずる危険性もありますが、利益相反規制の適用範囲の明確化の要請から、A社の取締役会の承認は不要と解されています(注11)。(2)取締役が事実上の主宰者である他社との取引A社の平取締役Yが、B社の代表取締役ではないが事実上の主宰者である場合には、実質的にA社・B社間には利益の衝突の危険があるため、A社の取締役会の承認が必要とされています(大阪高判平成2・7・18判時1378号113頁)。(3)親会社・完全子会社の場合親会社の代表取締役Yが完全子会社の取締役を兼任している場合で、親子会社間で直接取引が行われる場合、この取引で親会社が利益を得て、子会社が損をしても、子会社の損失は親会社の利益となるため、両社間に実質的な利害相反関係はありません。したがって利益相反規制は及びません(大阪地判昭和58・5・11判タ502号189頁)。ただし、子会社が倒産に瀕している場合には、子会社の財産は子会社債権者の担保財産となりますから、このような場合に子会社に親会社の資産を移転するような取引の場合には、親会社の株主保護のため、親会社の取締役会の承認が必要と解されています(注12)。親会社が完全子会社の債務を保証したり、完全子会社が親会社の債務を保証する間接取引の場合には、親会社と完全子会社とは経済的に一体化していて、利益衝突関係はありませんから、取締役会の承認は不要です。四会社による承認1競業取引の場合取締役が競業取引をなす場合には、会社法356条1項1号の「取引をしようとするとき」という文言から、事前に会社(=株主総会または取締役会)の承認を得る必要があります。それでは事後承認ではいかがでしょうか。事前承認がないまま競業取引行為がなされても取引の効果は有効と解されていますから、取引の効果との関係では、あえて事後承認を求める必要はありません。しかしたとえ事後承認がなされたとしても、取締役が具体的法令違反を犯した事実はかわらず、取締役は具体的法令違反という任務懈怠に基づく損害賠償責任(会423条1項)を負うことになり、損害額の推定規定(会423条2項)も働きます。その意味では、事後承認は認められないといえるでしょう。2直接取引・間接取引直接取引あるいは間接取引の場合の会社の承認は、必ずしも個々の取引につき逐一得る必要はなく、合理的な範囲内である程度包括的に得れば良いと解されています。この承認も、会社法356条1項2号3号の「取引をしようとするとき」という文言から、事前に得る必要があります。承認のない利益相反取引は原則として無効ですが(相対的無効)、結果的に会社に利益をもたらす場合もあります。そこで、事後承認は無権代理の追認のように(民116)、無効の取引をはじめに遡って有効にすると解されています(東京高判昭和34・3・30東高民事報10巻3号68頁)。だからといって、事前承認を得ていないという法令違反にかわりはなく、このことは取締役の解任の正当事由に該当し、会社への損害賠償責任をもたらします(注13)。<注釈>小林総合法律事務所編『取締役・従業員の義務と責任』69頁(中央経済社、2011)。畠田公明『企業グループの経営と取締役の法的責任』113頁(中央経済社、2019)158頁。同上110頁。同上111頁。同条112頁。同上152頁。同上154頁同上。同上155頁同上155頁。同上156頁。同上158頁。前掲(注1)133頁。提供:税経システム研究所
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2024/12/20 topics
上場企業に拡がる非公開化の波 ― 相次ぐマーケットからの退出とその理由 ―
1.はじめに―非公開化を選択する企業近時、上場企業の中に公開買付(TakeoverBid(TOB))等の手段によって非公開化を図る企業が増えてきています。かつては起業後、事業を成長拡大させ、最終的には株式を上場し、公開企業となることが企業経営者の目標の一つでもあったのですが、いまそのような状況が変わりつつあります。ここ数年で非公開化をした企業を見ても、東芝、ローソン、大正製薬、ベネッセホールディングスなど各業界を代表する著名企業が名を連ねています。このような公開企業の非公開化は、MBO(ManagementBuyout)といった手法が用いられることが比較的多いのですが、2023年度のMBO発表社数は前年度から6社増加した18社であり、13年ぶりの高水準となっているといわれています。【非公開化をした主な企業】上場廃止時期企業名非公開化事由(出資者)2020年11月ニチイ学館MBO(ベインキャピタル)2021年1月キリン堂HDMBO(ベインキャピタル)2023年12月東芝TOB(日本産業パートナーズ外)2024年3月シダックスMBO(志太ホールディングス)2024年4月大正製薬HDMBO(大手門株式会社)2024年5月ベネッセHDMBO(EQT)2024年6月アウトソーシングMBO(ベインキャピタル)2024年7月ローソンTOB(KDDI)2024年9月日本ハウズイングMBO(ゴールドマンサックス)2024年9月永谷園HDMBO(丸の内キャピタル)このように上場企業があえて上場廃止による非公開化を選択する理由はどこにあるのでしょうか。一般論としては、企業が上場することによるメリットを上場しないことのメリットが上回るときに、上場企業は上場廃止による非公開化を選択するということができますが、一度上場して公開企業となった企業が上場を廃止して非公開化することは、既に公開企業として多数の株主を擁することを念頭に置くだけでも、上場をする際に費やしたものの何倍もの費用と労力を費やすとも考えられます。しかし、それでもなお上場企業が上場廃止による非公開化を選択する場合にはより複雑な事情があるように思われます(注1)。これは上場をすることのメリット、デメリットをそれぞれ裏側から見るものということができます。2.上場のメリットとデメリット-非公開化の理由そこで、まず企業が上場し、公開企業となることのメリットについてです。上場のメリットについて、わが国の主要な市場である東京証券取引所(以下「東証」といいます)は、次の①から③をあげて説明をしています(注2)まず、①資金調達の円滑化・多様化です。上場会社は、取引所市場における株式の流動性を背景に、発行市場において、公募による時価発行増資、新株予約権・新株予約権付社債の発行など、直接金融の道が開かれ、資金調達能力が増大することにより、成長のための資金調達の円滑化・多様化を図ることができます。次に、②企業の知名度の向上です。上場会社となることによって、株式市況欄をはじめとする新聞報道などの機会が増えることにより、会社の知名度が向上するとともに、優秀な人材を確保できます。そして、③社内管理体制の充実と従業員の士気の向上です。企業情報の開示を行うこととなり、投資者をはじめとした第三者のチェックを受けることから、組織的な企業運営がなされ、会社の内部管理体制の充実が図られます。また、パブリックカンパニーとなることにより、役員・従業員のモチベーションが向上することにもなります。ところで、かつて西武鉄道(2004年12月上場廃止)やカネボウ(2005年6月上場廃止)といった大手企業の上場廃止が相次ぎ話題を集めましたが、いずれも取引所の上場廃止基準による上場廃止の事案でした。その意味で企業自らの意思による上場廃止ではありませんでした。しかし、前述の企業によって行われている非公開化は、企業自らの意思による非公開化である点が大きく異なります。この点、企業が自らの意思で非公開化を選択する理由としては、以下のものがあるといわれています。まず、株価が低迷し、株式の流動性が低い場合です。このような企業では資金調達という株式公開の主要な目的が達せらないばかりか、割安な株価がアクティビストによる同意なき買収の対象とされてしまうおそれが生じます。次に、上場維持に伴う取引所賦課金の支払や情報開示、多数の株主の出席を前提とする株主総会の開催などに伴うコスト負担への懸念があります。前述のように、一般的には、公開化によって、大規模な資金調達が可能となり、知名度の向上、融資条件や取引条件の改善、優秀な人材の集めやすさなどといったメリットが得られると言われていますが、その見返りともいえるこうした上場維持の負担に耐えかねて、あるいはコストが見合わないと判断する場合に上場廃止を選択する企業があります。さらに、現在の経営者等の特定の株主に経営支配権を集中させるために非公開化が行われる場合があります。公開企業は、幅広い株主による経営監視が行われ、コーポレート・ガバナンスが強化されるといわれていますが、株主は短期的収益力の向上に関心が向かいがちで、それが中長期的経営を志向する経営者の利害と必ずしも一致せず、経営の自由度の制約につながるとも言われています。この点、MBOを通じた非公開化によって経営者が自ら主要株主となれば、自由闊達な経営を実現することができるようになります。3.非公開化の2つのタイプ企業が自らの意思で非公開化する場合にも2つのタイプがあると言われています。一つは、将来の再上場を予定して非公開化が実施される場合ともう一つは将来の再上場を予定しない場合、すなわち将来に亘り永続的に非公開化を実施する場合です。前者の場合は、ファンドの支援を得て行われるMBOにおいて将来の再上場が前提とされることが比較的多いとされています。すなわち、ファンドは、その背後に最終的な資金拠出者である投資家が存在し、一定の期間内に相応の収益を上げることを期待されており、このようなファンドがMBO資金を拠出するのは投資分の回収の目途があってこそのことであり、その投資回収の一つの方策が再上場にほかなりません。その際、ファンドが非公開化した企業の体質を再上場が可能な状態にまで改善したうえで再上場に至ることが少なくありません。次に、再上場を予定しない非公開化の場合は、しばしば、まず株式併合を行って議決権を有する株主の数を減らし、取引所の上場基準が定める株主数を満たさないことを理由に、上場を廃止するという方法が取られることがあります。また、取引所は、上場企業の自主的な申請による上場廃止の可能性を認めています。4.上場企業数の推移の意味するもの企業が上場することには前述したような各種メリットがあることは否定できません。しかし、そのようなメリットのうち、①資金調達力については、非上場企業であっても、金融機関などから資金調達をすることは可能であり、上場企業が資金調達力の面で非上場企業に対して絶対的な優位性を有しているというわけではありません。また、②社内管理体制の充実と従業員の士気の向上についても、非上場企業が上場企業に必ずしも劣るということはなく、かえって独自の強い経営理念を掲げることで上場企業以上のしっかりとした経営を実現している非上場企業も少なくはありません。そのような意味で上場企業が非上場企業にあらゆる点において優っているということは必ずしも言えないように思われます。ところで、海外においては、非上場という選択肢がむしろ広がっていると言われています。実際に世界の上場企業数は微減する傾向にあり、国連統計によれば、世界には約43,000社の上場企業がありますが(2018年時点)、2011年をピークとして約14,000社が減少しているとのことです。地域的にはアジア地域では上場企業数は増加傾向にあるものの、欧米においては総じて減少傾向にあると言われています。その背景には、企業のカネ余りによる資金調達需要の低下、M&Aによる事業拡大と株主への資本還元(配当と自社株買い)などがあると指摘されています。特に米国においてもM&Aによる上場企業数の減少の傾向は看取されており、上場廃止を伴うM&Aの拡大の傾向があるということです。その要因として、上場維持に伴い増大するコストの忌避があるのは、わが国と同様です。やはり上場企業に対する各種規制の強化や株主からの短期的な収益確保の要請の強まりがコストとして意識されており、費用対効果の観点から上場が割に合わないと考える経営者が少なくないのもわが国と同様のようです。ところで、わが国では、全国の上場企業数は3,959社(2024年10月31日現在)になります(注3)。2013年に3000社を超えて以来、上場企業数は一貫して上昇する傾向を示しており、1999年の1,935社から倍増し、今や4,000社に迫る勢いです。他方、前述したとおり、新規上場企業が増える一方で、非公開化により市場から退出する企業が一定数存在することも事実です。わが国のベンチャー企業は事業を発展させて新規株式公開(IPO)をすることを最終的な目的にしている感がありますが、米国では、むしろプライベート・エクイティファンド(PE)が買い手となり、さらなる企業価値の増大を目指す動きが一般的であると言われています。こうしたベンチャーの「出口」観の違いが日米の上場企業数の変化の違いに繋がっているという指摘もあります。しかし、前述した近年における企業の非公開化の動きは、これまでのわが国の「上場神話」に対して「流れ」を変える可能性のある、一石を投じるものといえそうです。5.非公開化手続に絡む問題以上のとおり、近年、上場することの意味を問い自ら主体的に上場を廃止し非公開化の途を選ぶ企業が増えているのですが、非公開化すること自体には何ら問題はないのでしょうか(注4)。上場企業の非公開化は、まず第一段階として公開買付け(TOB)を行うことによって議決権保有比率を高め、その上で第二段階としてスクイーズ・アウト(SqueezeOut:株式併合ないし株式等売渡し請求の方法による残存株主の「締め出し」)を行うことによって対象企業の全株式を取得するという二段階買収の方法で行われることが比較的多いとされています。こういった方法が採られる理由は、公開買付によってスクイーズ・アウトに必要となる3分の2以上の議決権数を確保することで非公開化の確実性を図ることに加えて、公開買付手続によって十分な情報開示を行い、多数の株主の賛同を得ることでその後のスクイーズ・アウトの対価の公正性の確保することなどがあります。この点、スクイーズ・アウトには、従前から「強圧性」の問題があると指摘されています。すなわち、スクイーズ・アウトは、公開買付に応募せずに投資の継続を希望する株主の意思に反して「締め出す」ものであることから、株主の利益をいかに保護するかが問題となります。上場廃止が予想される状況では株主は公開買付に応募せざるを得ません。少数株主保護のための仕組みが十分ではないままで非公開化が行われれば、強圧的な買収と同様の効果を生じかねません。そこで、実務では、スクイーズ・アウトを実施する際の価格は公開買付価格と同一価格であることを基準とし、その旨を開示する事例が比較的多く見られます。また、株主保護の観点から、株主がスクイーズ・アウトの価格の公正さを裁判で争う手続を整備しています。すなわち、株式併合に反対する株主は、株式買取請求権を行使し、裁判所に株式の価格の決定を申し立てることができるとしており、株主等売渡請求についても、売渡株主等は裁判所に対して売買価格の決定の申立てをすることができるとしています。このような手続を通して株主には「公正な価格」によるスクイーズ・アウトが手続的に保障されているというわけです。さらに、MBOによる非公開化手続においては、構造的な利益相反の問題があることが指摘されています。すなわち、MBOにおいては、MBOにより非公開化を図る企業の経営者や取締役が買収者と一体であるという構造があり、当該企業の経営者、取締役が企業情報を利用して、一般株主に不利な条件でMBOを実施するおそれがあります。そこで、一般株主の利益を保護するため、MBO等の一環として行われる公開買付について金融商品取引法は、公開買付届出書において買付価格の公正性を担保するための措置及び利益相反を回避する措置の具体的な内容の記載や、買付価格の算定に当たって参考とした第三者評価書や意見書等を添付書類とすることなどの十分な開示をすることを求めています。また、東証の上場規程においても、同様の趣旨から十分な情報開示することを定めています。6.おわりに-問われる「上場することの意味」そして、近時MBOが増加している背景には、最近東証が実施した各種施策が影響していると言われています。まず東証は2022年4月に市場再編を行い、市場区分見直しと新市場への資金上場および上場維持に厳格な審査基準を設け(上場基準の厳格化)、サステナビリティ情報など開示の充実の要請などにより、企業が上場を維持することのコストが高まっていることに加え、物言う株主(アクティビスト)によるアクティビズムの高まりによって上場企業に対する投資家からのエンゲージメントや株主提案等によるプレッシャーが強まっている等の要因があります。また、2023年3月には、東証が「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を企業に要請していることも無関係ではありません。このように企業に課せられる上場による負担は増加する傾向にあります(注5)。前述のとおりMBOによる非公開化については、経営者のメリットとしては、上場に伴う負担がなくなることや、自由度の高い経営が行いやすくなり、中長期的な視点で経営改革に取り組むことができることなどがあります。この点、前述のとおり、非公開化を選択した企業には、その後、非公開企業として事業継続をするか、あるいは再上場をするかという選択肢があります。しかし、近時のMBO事案に見られるように、非公開化を行った企業が非公開化を選択した理由を見る限り、再上場を予定していないものが比較的多いように思われます。この点、わが国では、従前より上場をしない企業があり、サントリーホールディングス、YKK、ヤンマー、竹中工務店、エースコック、日立ソリューションズ、エネオス、NTTドコモなどといった著名な企業が名を連ねています。そして現在の非公開化の増加する状況を踏まえると、企業が上場することには真実メリットがあるのか、果たして上場することが企業としての一つの到達点と言って良いのかが問われる状況が生まれつつあり、あらためて既存の価値観が見直されることになって行くのかもしれません(注6)<注釈>「特集東芝の教訓非上場化は甘くない」日経ビジネス2024年5月20日号8頁以下https://www.jpx.co.jp/equities/listing-on-tse/ipo-benefits/index.htmlhttps://www.jpx.co.jp/listing/co/index.html内田修平ほか「特集非公開化取引における実務上の留意点」ビジネス法務2024年12月号65頁以下なお、東証は非公開化による上場会社数の減少を前向きに捉えるコメント(「東証の要請も含め、上場を維持するコストの増加の負担」が「上場しているメリットを上回るなら上場廃止も一つの選択肢だろう」、「我々は東証が成長力のある企業に国内外から投資資金が集まるようなマーケットになるべきだと思っており、上場企業の量より質を追い求めている」)を公表しています(「INTERVIEW日本取引所グループ山道裕巳グループCEOに聞く負担が重いなら上場廃止も」日経ビジネス2024年7月29日号21頁)吉田哲朗「上場しない選択とその有用性—融資担当者の立場から⑴‐上場可能でも上場しない企業(中島商会の視点)‐」信金中金月報2017年12月号18頁以下提供:税経システム研究所
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2024/12/06 論説
会社が譲渡制限株式の取得者からの譲渡等承認請求を承認せず自ら株式を買い取る場合の株主総会決議における譲渡株主の議決権行使の可否
1問題の所在譲渡制限株式(会社法2条17号)の譲渡による取得には、定款の定めるところに従い、会社の承認を得る必要があります。この場合、譲渡制限株式を他人(当該会社を除く。)に譲渡しようとする株主が、当該他人が当該譲渡制限株式を取得することについて承認をするか否かの決定をすることを請求できるだけでなく(会社法136条)、譲渡制限株式を取得した株式取得者も、当該譲渡制限株式を取得したことについて承認をするか否かの決定を請求することが可能です(同法137条1項)。いずれにせよ、譲渡株主または株式取得者は、当該請求(以下、この請求を「取得承認請求」という。)とともに、不承認の場合に当該会社または指定買取人(会社法140条4項)が当該譲渡制限株式を買い取ることも請求することができます(会社法138条1号ハ・2号イ・ロ)(以下、これら2つの請求を併せて「譲渡等承認請求」という。)。譲渡制限付株式の譲渡による取得についての譲渡等承認請求が譲渡株主または株式取得者から行われた場合、会社が、残存株主にとって株式を取得しようとする者(譲渡株主からの譲渡等承認請求の場合)または株式取得者(株式取得者からの譲渡等承認請求の場合)が好ましい者であるかどうかの観点から当該取得を承認しない旨を決定したときは、指定買取人による買取を選択(会社法140条4項)しない限り、当該会社が当該株式(以下、「対象株式」という。)を買い取ることを要します(同条1項前段)。これが株式会社による特定の株主からの自己株式の有償取得に当たるため、株主総会の特別決議によらなければなりませんが(同条1項・2項、会社法309条2項1号)、決議の公正を確保する観点(注1)から、譲渡株主が譲渡等承認請求者に当たるときは、当該譲渡株主以外に議決権を行使できる株主がいない場合を除き、当該譲渡株主は当該株主総会において議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。問題は、株式取得者から譲渡等承認請求が、利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合に該当するため、株式取得者が単独で当該請求を行うことができるときに(以下、「株式取得者からの単独譲渡等承認請求」という。)、譲渡株主が会社法140条2項に定める株主総会において議決権を行使できなくなるのかどうかです。というのは、同条3項で当該株主総会における議決権行使を制限されるのが「譲渡等承認請求者」とされているところ、譲渡等承認請求者は、譲渡等承認請求を「した」者と定義されているため(会社法139条2項)、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合には、譲渡株主が譲渡等承認請求者に該当しないこととなり、譲渡株主が不承認の場合の会社による対象株式買取のための株主総会決議(会社法140条2項)において議決権を行使できることになりそうだからです。そこで、本稿では、譲渡等承認請求の方法を確認して、議決権行使を制限される「譲渡等承認請求者」の該当者を整理した上で(2)、それを踏まえ、譲渡等承認請求者が対象株式の会社による買取のための株主総会決議で議決権行使を制限される趣旨を確認し(3)、本稿で指摘した上記問題について検討を加えます(4)。2譲渡等承認請求の方法と譲渡等承認請求者(1)譲渡株主からの請求の場合譲渡等承認請求が譲渡株主から行われる場合は、譲渡株主による単独請求となるため、譲渡株主が譲渡等承認請求者に当たります(会社法139条2項参照)。したがって、会社が不承認決定をして対象株式を買い取るときは、そのための決議を行う株主総会においては、譲渡株主は議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。(2)株式取得者からの請求の場合①請求方法-共同請求事例と単独請求事例これに対し、譲渡等承認請求が株式取得者から行われる場合は、利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合に該当する場合を除いて、譲渡株主またはその一般承継人と株式取得者との共同請求となるのに対し、法務省令により利害関係人の利益を害するおそれがないものとされる場合は、譲渡等承認請求は株式取得者による単独請求となります(会社法137条2項)。ここに「利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合に該当する場合」は、次のように規定されています(会社法施行規則24条)。株式取得者が、譲渡株主またはその一般承継人に対し、当該株式取得者が取得した譲渡制限株式に係る取得承認請求(会社法137条1項)をすべきことを命ずる確定判決を得た場合に、当該確定判決の内容を証する書面等を提供して請求をするとき(会社法施行規則24条1項1号)株式取得者が(Ⅰ)の確定判決と同一の効力を有するものの内容を証する書面等を提供して請求をするとき(同項2号)株式取得者が譲渡制限株式を競売により取得した場合に、そのことを証する書面等を提供して請求をするとき(同項3号、同条2項4号・5号)株式取得者が株式交換または株式移転により譲渡制限株式の全部を取得した株式会社が請求をするとき(注2)(同条1項4号・5号、2項2号・3号)株式取得者が所在不明株主の株式(会社法197条1項)を競売により取得した場合に、代金の全部を支払ったことを証する書面等を提供して請求をするとき(同条1項6号、同条2項4号)株式取得者が端数処理のために競売に代えて行われる譲渡制限株式の売却において当該譲渡制限株式を取得した場合に、代金の全部を支払ったことを証する書面等を提供して請求をするとき(同条1項8号、2項5号)株式取得者が株券喪失登録者である場合に、株券喪失登録日の翌日から1年を経過した日以降に請求をするとき(株券喪失登録が当該日前に抹消された場合を除く。)(同条1項7号)譲渡制限株式の発行会社が株券発行会社である場合において、株式取得者が株券を提示して取得を請求するとき(同条2項1号)②譲渡等承認請求者の該当者株式取得者が譲渡等承認請求を行う場合において、共同請求となるときは、譲渡株主も譲渡等承認請求を「した」者となることから、譲渡株主からの請求の場合と同様、会社が対象株式を買い取るために必要とされる株主総会決議において譲渡株主は議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。しかし、株式取得者の単独請求のときは、譲渡株主は譲渡等承認請求を「した」ことにならないため、当該株主総会決議における議決権を行使できることになりそうです。以下では、この点を検討しますが、会社の事前承認なしに譲渡制限株式が譲渡され株式取得者からの譲渡等承認請求が行われる場面が、株券発行会社以外では競売による取得等の限られた事例とされています(注3)。また、研究会の場で日本大学の金澤大祐先生から指摘を受けたところですが、上記①(Ⅰ)・(Ⅱ)のケースは、株式取得者による純然たる単独請求の場合とは言い切れない面があります。そのため、本稿で取り上げる問題については、株券発行会社における譲渡制限株式の任意譲渡または譲渡担保の場合と、株券発行会社以外の会社における譲渡制限株式の競売による取得の場合をケースとして想定し、検討を加えます。3譲渡等承認請求者の議決権制限の趣旨譲渡制限株式の譲渡による取得につき、譲渡等承認請求が譲渡株主または株式取得者から行われ、会社が当該取得を承認しない旨を決定した場合は、指定買取人の指定(会社法140条4項)が行われない限り、当該会社が対象株式を買い取らなければなりません(同条1項前段)。前述のように、これが株式会社による特定の株主からの自己株式の有償取得に当たるため、株主総会の特別決議により、当該会社が対象株式を買い取る旨と対象株式の数(種類株式発行会社では種類と数)を決定することを要します(同条1項・2項、会社法309条2項1号)。当該株主総会決議に関しては、決議の公正を確保する観点から、譲渡株主が譲渡等承認請求者に当たるときは、当該譲渡株主以外に議決権を行使できる株主がいない場合を除き、当該譲渡株主は当該株主総会(決議)における議決権の行使を制限されます(会社法140条3項本文)。その趣旨は、株主総会の決議の公正を確保すること(注4)、より具体的には、会社が譲渡等承認請求者から高値で株式を買い取ること等により他の株主が害されることを防止すること(注5)にあるとされ、この趣旨理解に異論はありません。4株式取得者による単独譲渡等承認請求の場合における譲渡株主の議決権行使の可否(1)譲渡等承認請求者の定義の当てはめ前述のように、株式取得者からの譲渡等承認請求が、共同請求である場合は、譲渡株主も譲渡等承認請求をした者となり、不承認の場合における会社による当該譲渡制限株式の買取りのための株主総会決議で議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。これに対し、株式取得者の単独譲渡等承認請求の場合は、譲渡等承認請求者に係る会社法の定義(会社法139条2項)を前提とする限り、譲渡株主は譲渡等承認請求者に該当しないこととなり、この定義が及ぶ会社法140条3項本文の適用対象とならないため、当該株主総会決議で議決権を行使することができそうです。しかし、譲渡等承認請求者が株主である場合の上記議決権制限の趣旨に鑑み、株式取得者の単独譲渡等承認請求の場合の譲渡株主の議決権行使を認めて良いのか、譲渡株主に議決権行使をさせることにより定款による株式譲渡制限の趣旨との関係でも問題がないのか、ということが、本稿の問題意識です。(2)譲渡株主の法的地位そこで、まず確認を要するのは、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が会社に対し行われ、会社が当該株式取得者による譲渡制限株式の取得を承認しないことを決定して、対象株式を取得することとなるという場面において、そもそも株主名簿に記載等されている譲渡株主が当該会社による対象株式の取得のための株主総会において議決権を行使することができるのか、ということです。この状況においては、譲渡株主から株式取得者への当該譲渡制限株式の譲渡は会社の承認を得ずに行われているため、会社の承認を得ずに譲渡制限株式の譲渡が行われたときに、会社が譲渡株主に株主としての権利を行使させる必要があるのかどうかがポイントとなります。このポイントについては、周知のように、最判昭和63年3月15日判時1273号124頁(以下、「昭和63年最判」という。)が、会社の承認を得ずに行われた譲渡制限株式の譲渡の私法上の効力を譲渡当事者間では有効としつつ株式譲渡制限の趣旨に鑑み会社に対する関係では無効と解する最判昭和48年6月15日民集27巻6号700頁(以下、「昭和48年最判」という。)を前提に、会社は譲渡人を株主として取り扱う義務があり、その反面として譲渡人が会社に対してはなお株主の地位を有するものというべきである旨、および、競売による譲渡制限株式の取得の場合にもこれと同様に解すべきである旨を判示しています。この立場は、最判平成9年9月9日判時1618号138頁(以下、「平成9年最判」という。)にも引き継がれており、判例法理として確立していると考えられるところ、学説上もこれと同旨の見解が会社法下でも多数説を構成しています(注6)。そこで、この昭和63年最判および多数説の立場を当てはめると、対象株式につき最終的な権利の帰属先が会社に対する関係で確定するまでは、譲渡株主が会社法140条2項に基づく会社による対象株式買取りのための株主総会決議において議決権を行使することができるということになります。もっとも、昭和63年最判が、譲渡制限株式の競落による取得者から譲渡等承認請求が行われていなかった事案について最高裁が判断を示したものであることを踏まえると、昭和63年最判の示した規範の射程は、本稿で問題とする株式取得者が単独で譲渡等承認請求を行った場合にまで及ばないと解することもできそうです。現に、多数学説の説明を注意深く観察すると、中には、「譲渡等承認請求がなされない場合」と場面を限定・明記して、会社が譲渡人を株主として扱う必要があるとの結論を導く論者(注7)があるからです。仮に昭和63年最判の射程をこのように譲渡等承認請求がされないケースに限定して解した上で、その帰結として、株式取得者からの譲渡等承認請求がされた場合は、会社は譲渡人を株主として扱う必要がないと解することができるのであれば、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合でも、会社が譲渡人の株主地位を否定したときは、譲渡株主は会社法140条2項に基づく会社による対象株式買取りのための株主総会決議において議決権を行使することができなくなるので、本稿が指摘する問題は解消します。しかしながら、昭和63年最判の立てた規範が、譲渡制限株式の譲渡による取得が会社により承認され株式取得者の株主たる地位が対会社関係でも確定するか、または、当該取得が会社により承認されず会社または指定買取人が当該株式を取得するまでの間は、当該譲渡制限株式の帰属関係が会社に対する関係で浮動的状態にあって未確定であることを実質的根拠とするものであり、それまでの間は会社には譲渡人を株主として扱う義務があるとするものであると考える(注8)と、結論が異なります。株式取得者からの譲渡等承認請求が行われた場合も、譲渡制限株式の最終的な帰属が当該会社との関係においても確定するまでは、会社は譲渡人を株主として扱わなければならず、その反射効果として、譲渡株主が会社法140条2項に基づく会社による対象株式買取りのための株主総会決議において議決権を行使することができることになるからです。仮に後者のように解する場合、当該株主総会決議における譲渡株主の議決権行使を認めてしまうと、株式取得者からの影響や指示を受けるなどして、決議の公正を阻害し、会社法140条3項に定める議決権制限の趣旨を損なうおそれがあります。しかし、それにとどまらず、当該譲渡株主の行使する議決権数や当該株主総会の出席株主の議決権の総数次第では、譲渡株主の議決参加が当該決議を否決に追い込み、不承認決定通知の日から40日以内に株主総会決議に基づく買取通知ができないようにして、会社が対象株式の取得を承認しなかった株式取得者による対象株式の取得が承認されたものとみなされる事態(会社法145条2号)を招来することができ、定款による株式譲渡制限の趣旨を没却しかねません。こうした問題があることを考えると、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合に譲渡等承認請求者の定義に含まれない譲渡株主についても、会社法140条3項本文の規律を及ぼして、議決権の行使を制限する必要があると考えられます。問題は、その方法または理論構成です。(3)株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合における譲渡株主の議決権行使の制限第1のアプローチは、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合に譲渡株主の議決権行使を認めると、譲渡等承認請求者が譲渡株主である場合と同様に、会社による対象株式取得のための株主総会決議の公正を損なうおそれがあることを踏まえ、会社法140条3項の類推適用によるというものです。昭和63年最判の射程を株式取得者からの譲渡等承認請求が行われた場合をも含む立場では、こうした立場が一つの解決方策となるといえます。もっとも、昭和63年最判の射程を譲渡等承認請求が行われない場合に限る立場では、当該請求後に行われる会社法140条2項所定の株主総会決議において、譲渡株主の議決権行使を否定し得ることとなるため、本稿が指摘する問題そのものが起きないといえますが、昭和63年最判の射程についてはこれまで必ずしもこのような観点から検討が行われているわけではなく、同最判の射程論だけで問題の解決を図ることには、法的な不明確さが残ります。第2のアプローチは、昭和63年最判も依拠する昭和48年最判の立場(相対的無効説)に立ちつつ、会社が承認を得ていない株式取得者はもちろん、実質的に株主の地位を失った譲渡株主についても、株主としての権利行使を否定し得ると解する立場(注9)です。しかし、この立場に立ちつつ、会社が譲渡株主と株式取得者の双方の権利行使を否定し権利行使者不在の状態を作出することは許されるべきでないとする観点から、会社が譲渡人の権利行使を拒んだ場合に矛盾する行動をとることは許されないとして、承認があった場合に準じて当該譲渡が会社に対する関係でも有効となり、株式取得者が会社法134条2号の類推適用によって会社に対し株主名簿の名義書換を請求できると解すべきとする論者が現にある(注10)ため、第2のアプローチが必ずしも問題の解決策になるものでないことに留意する必要があります。第3のアプローチは、譲渡制限株式の譲渡による取得が会社の承認を得ずに行われた場合、その私法上の効力を譲渡当事者間のみならず会社に対する関係でも有効であるとし、会社が株式取得者からの株主名簿の名義書換請求を拒絶できると解する有効説を前提とするものです。会社法の制定・施行前から学説では有効説が少数ながら有力に提唱されてきました(注11)が、会社法の制定に当たった立案担当者も同様の立場に立脚しており、現行の会社法の関連規定が有効説を前提としている旨を明らかにしています(注12)。これによれば、株式取得者からの譲渡等承認請求が行われた場合は、会社は、譲渡人を株主として扱わないことができると解することになる(注13)ため、そのことを通じて、当該請求後における会社法140条2項所定の株主総会決議での譲渡株主の議決権行使を否定し得ることとなります。しかし、有効説の論者の中には、名義書換未了の株式譲受人の権利行使を会社が認めてよいかの論点に関して、会社は名義書換が未了の株式譲受人の権利行使を認めることができず、株主名簿上の株主すなわち譲渡人を株主として扱わなければならないと解する論者がある(注14)ため、有効説の立場に立てば論理必然的に、本稿が指摘する問題の解決につながるわけでないことに注意を要します。また、会社法の制定・施行後も、譲渡制限株式の譲渡の効力を巡っては、昭和48年最判・昭和63年最判・平成9年最判により確立した相対的無効説をとる立場が通説であるとされていることから、有効説を前提とするアプローチが異論なく受け入れられるわけではありませんし、有効説の中でも会社による譲渡株主の取扱い方を巡り見解の違いが見られる以上、このアプローチが問題解決のための決め手となるとは限らないと言わざるを得ません。5おわりに以上のように、本稿で提起した問題については、様々な解釈論的アプローチを駆使し、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が行われた場合において、不承認決定をした会社が対象株式を買い取ることを株主総会で決議するときに、譲渡株主の議決権行使を制限する余地がありそうですが、いずれも解釈上の不明確さその他の課題を残していることも事実です。このことを踏まえた上で、当該株主総会決議について、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が行われた場合も共同請求の場合と同様に譲渡株主の議決権行使を制限すべきであると解することにコンセンサスが得られるのであれば、最終的には立法による解決を図ることが、法的安定性・明確性を確保するためにも望ましいと考えられます。こうした観点から、筆者としては、会社法140条3項を改正し、同項にいう「譲渡等承認請求者」に、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が行われた場合の譲渡株主を含む旨を明記すべきであると考える次第です。そもそも、本稿が懸念する事態が実際問題としてどの程度の頻度で生じるのかは明らかではありませんが、本稿がこの面に関する制度の見直しにとって一助となることがあれば、幸いです。<注釈>山下友信編『会社法コンメンタール3-株式[1]』(商事法務、2013年)400頁(山本爲三郎)、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)243頁(注10)、256頁(注2)。もっとも、この場合は、会社の承認は不要と解されています。山下編・前掲書(注1)388頁、389頁(山本爲三郎)。江頭・前掲書(注1)244頁~245頁(注14)。山下・前掲書(注1)400頁(山本爲三郎)、江頭・前掲書(注1)243頁(注10)、256頁(注2)。高橋美加ほか『会社法[第3版]』(弘文堂、2020年)84頁、田中亘『会社法[第4版]』(東京大学出版会、2023年)104頁。江頭・前掲書(注1)245頁、高橋ほか・前掲書(注5)83頁、江頭憲治郎・中村直人編著『論点体系会社法〈第2版〉1』(第一法規、2021年)519頁~520頁(小出一郎)。田中・前掲書(注5)106頁。酒巻俊雄「株式の譲渡制限の機能と限界」加藤勝郎ほか編『(服部栄三先生古稀記念)商法学における論争と省察』(商事法務研究会、1990年)452頁参照。また、江頭・前掲書(注1)245頁や、黒沼悦郎『会社法〔第2版〕』(商事法務、2020年)199頁から200頁も同旨か。京都地判昭和61年1月31日判時1198号147頁、大阪高判昭和61年5月30日金判794号5頁、戸川成弘「取締役会の承認のない譲渡制限株式の譲渡の効力について」富山大学経済論集40巻1号(2015年)98頁、酒巻俊雄/龍田節編集代表『逐条解説会社法第2巻』(中央経済社、2008年)307頁(齊藤真紀)。酒巻/龍田・前掲書(注9)307頁(齊藤真紀)。松田二郎『会社法概論』(1948年、岩波書店)173頁~174頁、川島いづみ「昭和63年最判判批」税経通信43巻13号(1988年)227頁、山本爲三郎「取締役会の承認のない譲渡制限株式の譲渡の効力と譲渡人・譲受人の地位」判タ808号(1993年)37頁。相澤哲編著『立案担当者による新・会社法の解説』(別冊商事法務No.295)(商事法務、2006年)25頁~26頁(相澤哲・岩崎友彦)。川島・前掲判批(注11)227頁。松田・前掲書(注11)167頁。提供:税経システム研究所
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2024/11/22 topics
代表取締役等住所非表示措置の実施とそれに伴う実務上の懸念点の考察
1はじめに本稿は、2024年10月1日から施行される商業登記規則等の一部改正に伴い導入される代表取締役等の住所非表示措置(以下、「本措置」といいます。)についての概要と実務上の懸念点について考察するものです。本措置は、株式会社の代表取締役、代表執行役又は代表清算人(以下、「代表取締役等」といいます。)の住所を登記記録上で開示しない措置であり、本人確認が求められる金融取引や不動産取引の実務に与える影響は小さくないと考えられます。そこで、本稿では、本措置について概観した上で、本措置を実施した場合の本人確認の具体的な方法について考察を試みたいと思います。2現行の登記制度に対する個人情報への配慮現行の登記制度は、一定の例外を除いて(注1)、それぞれの法律(注2)で定める登記事項をそのまま登記事項証明書に記載することになっており、会社や法人を代表する者(以下、「会社代表者等」といいます。)の住所及び氏名は登記事項(注3)とされています。この会社代表者等の住所が登記事項とされている理由としては、株式会社と取引関係に入る第三者にとって、取引の相手方として現れる者が代表権を有する者であるか否かを確認する方法を用意する必要があるためと解されております(注4)。また、会社代表者等の住所は、会社に事務所や営業所がない場合の当該会社の普通裁判籍を決する基準となる(民事訴訟法4条4項参照)ことから、登記記録において「公示」されることに重要な意味をもちます。以上により、現状は、個人情報の保護よりも、取引上の安全に対する配慮を優先していると言えますが、今回の改正では、インターネットの普及により登記記録に対し、容易にアクセス可能なこともあり、プライバシーの保護が求められることから、住所の公開に対する見直しが進められました。3住所非表示措置の概要(1)代表取締役等住所非表示措置の対象代表取締役等は、登記の申請と併せて、当該登記により登記簿に記録すべき住所について、登記事項証明書又は登記事項要約書、登記情報提供サービス(以下、「登記事項証明書等」といいます。)に、当該住所につき行政区画以外のものを記載しない措置を講ずるよう申し出ることができるものとされました(商業登記法施行規則31条の3第1項)。なお、ここでの対象となる会社は、株式会社(特例有限会社を除く)のみであり、その他の会社並びに各種の法人、投資事業有限責任組合、有限責任事業組合及び限定責任信託ついては対象外とされています。(2)申出を行うことができる登記の申請次に、本措置を実施するためには、登記の申請と併せて申し出ることが求められ、本措置の申出のみを行うことはできません。また、本措置の対象となる登記申請の類型としては、以下のように代表取締役等の住所を登記申請書に記載する登記に限られています。【本措置の対象となる登記の類型】設立の登記他の登記所への管轄区域内へ移転をした際の新本店の登記代表取締役等の就任若しくは住所変更の登記(重任の登記も含む)(3)申出の方法及びその際の添付書類株式会社が、本措置の申出をするには、(2)で示した登記の申請書に本措置を講ずべき旨及びその対象となる代表取締役等の氏名及び住所を記載し、併せて、以下の①から③のいずれかの書面を添付する必要があります。上場会社以外の株式会社であって、本措置が講じられていない場合株式会社の本店所在場所における実在性を証する書面本措置の申出をする株式会社の本店所在場所における実在性を証する書面として、当該申出と併せて行う登記の申請を受任した資格者代理人(ただし、登記の申請の代理を業として行うことができる代理人に限られます。)によって申出をする株式会社が本店の所在場所において実在することを確認した書面又は当該株式会社が受取人として記載された書面がその本店の所在場所に宛てて配達証明郵便若しくはこれに準ずるものとして法務大臣が定めるものにより送付されたことを証する書面の添付を要するとされました。代表取締役等の住所等を証する書面本措置の対象となる代表取締役等について、氏名及び住所が記載された市町村長その他の公務員が作成した証明書の添付を要するものとされました。なお、住民票の写しや戸籍の附票の写しではなく、運転免許証や個人番号カード等の写しであって、当該代表取締役等が原本と相違ない旨を記載し、記名したものでも代表取締役等の住所等を証する書面に該当するとされています。株式会社の実質的支配者の本人特定事項を証する書面本措置の申出をするには、株式会社の実質的支配者の本人特定事項を証する書面の添付を要することとされました。本書の提出理由として、法務省は、消費者被害対策として、会社の実質的支配者が本来の行為者である場合において、被害者等がその責任を追及することを可能とするためとしています(注5)。なお、以下の書面が該当することになります。登記の申請を受任した資格者代理人が犯罪収益移転防止法の規定に基づき確認を行った実質的支配者の本人特定事項に関する記録の写し実質的支配者の本人特定事項についての供述を記載した書面であって公証人法の規定に基づく認証を受けたもの(ただし、本措置の申出と併せて行う登記の申請の日の属する年度又はその前年度に認証を受けたものに限られます。)公証人法施行規則の規定に基づき定款認証に当たって申告した実質的支配者の本人特定事項についての申告受理及び認証証明書(ただし、本措置の申出と併せて行う登記の申請が当該株式会社の設立の日の属する年度又はその翌年度に行われる場合に限られます。)上場会社以外の株式会社であって、既に本措置が講じられている場合既に代表取締役等住所非表示措置が講じられている場合には、①のうちイ(代表取締役等の住所等を証する書面)のみが必要となります。上場会社であって、本措置が講じられていない場合金融商品取引所に当該株式会社の株式を上場している株式会社(以下、「上場会社」といいます。)については、上場会社であることを認めるに足りる書面の添付が必要となります。具体的には、当該株式会社の上場に係る情報が掲載された金融商品取引所のホームページの写し等が該当します。上場会社であって、既に本措置が講じられている場合上場会社であって、既に本措置が講じられている場合には、登記記録にて公開会社であることを確認することをもって、上記③の書類の添付は要しないとされました。(4)代表取締役等住所非表示措置の実施登記官は、本措置の申出があった場合において、当該申出を適当と認めるときは、本措置を講ずることになります(商業登記法施行規則第31条の3第2項)。なお、登記官が適当と認めるか否かの判断については、必要な書面が添付されるなど、規定された要件を満たしているかの観点から判断することを想定しており、登記官による恣意的な運用は想定されていないことが明らかにされています(注6)。【図1代表取締役への就任と同時に本措置を実施した場合の登記記録例(注7)】(5)代表取締役等住所非表示措置の終了登記官は、以下のいずれかに該当した場合には、職権で本措置を終了させることになります。代表取締役等住所非表示措置を希望しない旨の申出があった場合本措置を講じた株式会社は、いつでも本措置の実施を希望しない旨の申出をすることができ、当該希望しない旨の申出により、本措置は終了となります。この希望しない旨の申出は登記申請と同時である必要なく、単独で行うことが可能です。株式会社の本店所在場所における実在性が認められない場合本措置が講じられた株式会社について、その本店が登記上の所在場所において実在すると認められないとき(当該株式会社の登記記録が清算結了等により閉鎖されている場合を除きます。)には、登記官は、本措置を終了させることになります。上場会社でなくなったと認められる場合上場会社として本措置を講じた株式会社が上場会社でなくなったと認められるときには、登記官は、本措置を終了させることになります。なお、上場会社でなくなる登記と同時に再度本措置の申出がされた場合には、引き続き本措置を講じるものとされています。閉鎖された登記記録について復活すべき事由があると認められる場合本措置が講じられた株式会社の閉鎖された登記記録を復活する必要がある場合(注8)には、本措置を終了させるものとされました。4実務における懸念点(本措置に対する具体的な本人確認の方法)本措置が実施された株式会社の登記記録には、代表取締役等の住所が公示されないことから、犯罪収益移転防止法の規定に基づき本人確認を行うことが求められる金融取引や不動産取引の実務に与える影響は小さくないことが予想されます。この点については、法務省が公表するホームページ(注9)においても、注意喚起がされており、本措置の実施について、株式会社には慎重かつ十分な検討が求められています。以下では、本措置を実施した場合の具体的な本人確認の方法について検討していくこととします。(1)代表取締役等であることを選定した議事録を用いた証明本措置は、登記事項証明書等の世の中に公示されるものに代表取締役等の住所を記載しない措置ですが、代表取締役等の住所が登記事項から取り除かれたわけではありません。すなわち、登記申請時には何らかの書類には代表取締役等として選定された者の住所・氏名が記載されていることになります。具体的には、取締役会非設置会社においては、株主総会議事録又は定款(定款上で取締役の互選により代表取締役を選定することとされた場合は取締役の互選書)がそれに該当し、取締役会設置会社においては、取締役会議事録がそれに該当することになりますので、当該議事録等を用いて、代表取締役等に選定されたことを明らかにすることが可能です。なお、実務上の対応としては、当該議事録と選定された代表取締役等の運転免許証等の身分証明書をもって、代表取締役等の本人確認を行うことが考えられます。(2)代表取締役等による自己証明また、代表取締役等が自らの住所・氏名・生年月日等の本人確認事項を記載した文書に、登記所に届け出た印鑑の捺印をし、併せて当該株式会社の印鑑証明書を提示することをもって、本措置が適用されない状態と同様のものを作成し、それと代表取締役等の身分証明書をもって、代表取締役等の本人確認を行うことも想定されます。この方法により取引実務が成熟した場合には、この方法が最も簡便なものになると考えられます。(3)利害関係者による登記簿附属書類の閲覧商業登記法は、登記簿の附属書類(登記を申請した際の登記申請書や添付書面等)について利害関係を有する者は、手数料を納付して、その閲覧を請求することを認めています(商業登記法11条の2)。ただし、ここでいう利害関係は、事実上の利害関係ではなく、当該登記がされたことについて法律上の利害関係が必要と解されている(注10)ため、不特定の第三者が閲覧請求をすることができるわけではありません。したがって、この方法に用いて本人確認を行うということには実務上はならないと考えます。5.おわりに本措置が実務にどのくらいの影響を与えるか、現時点では定かではありませんが、見方によっては代表取締役等の住所が非表示になることで、必要な情報を得る手段が限られ、信頼関係の構築に影響を与えることが考えられます。また、上記4(3)利害関係者による登記簿附属書類の閲覧制度があるとしても、住所が非表示になることで、責任の所在が不明確になることにも注意が必要です。特に、企業が法的トラブルに巻き込まれた場合、代表取締役等の個人への連絡が難しくなることにより、法的な対応が遅延する可能性があります。さらには、本措置が悪用され、詐欺的な企業が役員の情報を隠すためにこの措置を利用する可能性もゼロではありません(もちろん、登記実務において、代表取締役の実在については代表取締役等の個人の印鑑証明書をもって確認しますので、架空の人物が登記されるということではありません)。本措置は、プライバシー保護の観点から重要な施策ですが、実務における懸念点も多く存在します。透明性の確保、責任の所在の明確化、悪用の防止といった課題に対して、適切な対策を講じることが求められ、今後の実務が展開されることが望まれます。<注釈>配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(いわゆるDV防止法)に規定する被害者やストーカー行為等の規制等に関する法律(いわゆるストーカー規制法)に規定するストーカー行為等に係る被害者等からの申出がある場合のみ、当該被害者等の住所を登記事項証明書に記載しない措置は現行においても存在します。会社に関する規定として商業登記規則30条があり、法人に関する規定として商業登記規則30条を準用した各種法人等登記規則5条があります。代表的なものとして、株式会社の代表取締役につき会社法911条3項14号、代表執行役につき同条同項23号、合同会社につき同法914条7号、一般社団法人につき一般社団法人及び一般財団法人に関する法律301条2項6号など。森本滋=山本克己編『会社法コンメンタール第20巻雑則(2)』(商事法務、2016年)272頁パブリックコメント回答15前段(https://public-comment.e-gov.go.jp/pcm/download?seqNo=0000273035)前掲注4・回答14商業登記規則等の一部を改正する省令の施行に伴う商業登記事務の取扱いについて(令和6年7月26日付け法務省民商第116号法務省民事局長通達)より一部抜粋前掲注6・8頁によれば、「閉鎖された登記記録について復活すべき事由があると認められるとき」として、第三者から当該株式会社を所有権の登記名義人とする不動産の登記事項証明書等を添付した上で当該株式会社の清算が未了である旨の情報提供が登記官に対してあった場合などが該当するとしています。代表取締役等住所非表示措置について(法務省ホームページ・https://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_00210.html)神﨑満治郎ほか編『論点解説商業登記コンメンタール』(金融財政事情研究会、2017年)270頁提供:税経システム研究所
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2024/11/08 論説
閉鎖的株式会社における株式の公正な価値
1はじめに近時、閉鎖的な非公開の株式会社における株式の公正な価値の測定・評価という「古くて新しい問題」について、学界において盛んに議論がなされています(注1)。ここで、何をもって「古い問題」かと言いますと、これまでわが国では、会社法の分野だけをみても、株式買取請求権が行使された場合の買取価格の決定(会社法182条の5第2項、470条2項など)や全部取得条項付種類株式の取得価格の決定(同法172条1項)、そして、なんといっても譲渡制限株式の売買価格の決定(同法144条2項)に関する申立てなどの事例が数多く積み重ねられてきていること踏まえています。また、何をもって「新しい問題」かと言いますと、閉鎖的な非公開会社における株式の評価のあり方、評価の際に考慮すべき視点等については、以下にみるように最近になっても様々な学説が唱えられていて決着を見ておらず、判例もいまだ確定的なスタンスを示していない状況にあるということを踏まえています。本稿では、このような「古くて新しい問題」について、主に譲渡制限株式の売買価格の決定を念頭に置きながら、現在の議論や判例の状況について紹介し、それらの今後の方向性について若干の検討を加えてみたいと思います。2譲渡制限株式に関する価値評価の方法閉鎖的な非公開会社の株式は、一般には譲渡制限株式(会社法2条17号)であることが多いですが、そのような株式は市場価格というものがないため、一般的にその価値評価や測定には困難が伴います。以下では、代表的な手法について述べたいと思います(注2)。(1)インカム・アプローチこれは、将来の収益・キャッシュフロー(現金の流れ)を適切な割引率によって割り引いて現在価値を求めるというアプローチです。割り引く収益・キャッシュフローの種類により、①配当還元法(過去の配当実績を踏まえ、それがそのまま継続するという仮定のもとで、将来の配当を現在価値に割り引き、その総和をもって株式の価値を算定する手法)、②ゴードン・モデル(企業が一定の割合で成長することを前提として、獲得した利益のうち配当に回されなかった内部留保額が再投資され、それによっても利益が生み出され、配当の増加が期待できるとして株式を評価する手法)、③収益還元法(会社が将来にあげるであろう会計上の純利益を現在価値に割り引き、その総和をもって株式の価値を算出する手法)、④ディスカウント・フリーキャッシュフロー法(DCF法とも呼ばれる、対象会社の資産全体が生み出すフリーキャッシュフロー(簡単に述べますと、企業経営者の判断で自由に使える余剰資金ことを言い、営業活動によって生み出されたお金から、設備投資や企業買収など、事業活動の将来を担うために使われたお金を差し引くことによって求められます)の期待値を予測し、それを加重平均コスト(注3)で割り引き、その総和をもって株式の価値を算出する手法(注4))、などがあります。(2)ネットアセット・アプローチこのアプローチは会社の1株あたりの純資産額から株式の価値を算出するというものです。このアプローチは、会計上の純資産額に基づいて評価を行う⑤簿価純資産法と、資産等を時価に弾き直して算定する⑥時価純資産法に大別されます。そして、とくに⑥の手法のうち、事業用資産を直ちに解体・処分したとすれば得られる対価の総和を求める方式を⑦解体価値方式ともいいます。この⑦の方式に関しては、仮に事業をゴーイング・コンサーンとして継続した場合に期待されるリターンの総和が解体価値を下回るケースにおいて、この⑦の方式によって得られる評価額が、対象会社株式の価値の最低限を示すものとして意義を有するとする学説もみられてます(注5)。(3)マーケット・アプローチこのアプローチは、当該会社に類似する業種の会社で市場価格のある会社の株価を参考にし、一定の算式で株式の価値を算出するというものです。下記に述べる相続税財産評価基本通達において定められている方法(⑧類似業種比準方式)がその代表例です。なお、同通達に基づく計算を行う際、最後に0.7を乗じますが、これは対象会社の株式が市場性を欠くことからくる減価を行っているものであり、いわゆる非流動性ディスカウント(後述)を行っているといえます。⑧の方式は、かつては会社法に関する裁判例でも参照されることがありましたが、理論的な根拠を欠くため、現在ではほとんど用いられていないようです(注6)。3株式評価をめぐる裁判例取引相場のない株式の評価に関する裁判例をみてみますと、従前には国税庁の相続税財産評価基本通達(昭和39年4月25日付直資56、直審(資)17最終改正令和6年5月22日付課評2-25(注7))が定める「取引相場のない株式」の評価の算定にかかる一連の規定(178から188-6)に影響を受けた判例、すなわち、同通達で定められた算定方法(会社を従業員数、総資産価額、取引金額に基づいて大・中・小の3種に分類し、それぞれ原則として類似業種比準価額、類似業種比準価額と純資産価額の組み合わせ、純資産価額による評価を行う)によって出された評価額を考慮に入れて評価を行ったものが多く見られました(たとえば、名古屋高決昭和54年10月4日判時949号121頁、東京高決昭和59年10月30日判時1136号141頁)。その後、平成に入ってからは、とくに譲渡制限株式の売買価格の決定に関する事案では、会社から得られる経済的利益に関し、基本的には配当しか期待できない立場である少数株主が売り手となるケースが多かったことから、主としてインカム・アプローチに属する手法が用いられてきており、かつ、多くの事例では、複数の評価手法を併用したうえで、各評価手法から得られた価格の加重平均をとるものが多かったようです。たとえば、近時の事例でいいますと、大阪地決平成25年1月判時2185号142頁は、売買価格について収益還元法を80%、配当還元法を20%の割合で加重平均して算定した価格としていますし、東京地決平成26年9月26日金判1463号44頁は、DCF法35%、純資産法(継続企業を前提とした再調達時価方式)35%、配当還元法30%の割合で加重平均して算定した価格としています。他方で、会社が行う事業形態に着目しつつ、事業会社の株式について売買の対象となる株式の数が議決権総数の0.06%にすぎず、買主である申立人が売買後に保有することとなる株式の数も議決権総数の1.68%にすぎない場合は配当還元法のみ、いわゆる資産管理会社の株式の売買価格については、純資産法のみによって算定を行った大阪地決平成27年7月16日金判1478号26頁のような判例もみられています。複数の評価方法を併用し、算出された額を何らかの割合で加重平均して算出するというこれまでの多くの判例で見られてきた手法については、信頼に値しない数値を複数寄せ集めたからといって、信頼できる数値が算出できるわけではない、といった批判がなされています(注8)。これに対し、これまでの多くの判例で見られてきた傾向について、売り手の立場と買い手の立場の双方を勘案したうえで当該取引にとって適切と考える評価方法を採用しようしてきたものとみたうえで、そのために株式価値の加重平均をとっていると評価する見解もあります(注9)。さらに、近時では、以下にみるように非上場会社の株式価値の算出に際して考慮すべき事項・観点についても様々な議論がなされています。たとえば、非流動性ディスカウント(株式の流動性がなく、一般に譲渡が困難であることを理由とした減価またはディスカウント)やマイノリティ・ディスカウント(少数株主の有する株式であることを理由にした減価またはディスカウント)を認めるか否か、といったことです。以下、関連する2つの最高裁決定についてみてみます。4非流動性ディスカウントに関する2つの最高裁決定近時、非流動性ディスカウントの取扱いについて注目すべき判示を行った2つの最高裁決定がみられています。1つは最決平成27年3月26日判時2256号88頁(以下、「平成27年最決」とします)です。この平成27年最決は、吸収合併に際してそれに反対する株主から買取請求がなされた事案についての決定ですが、最高裁は、収益還元法に基づく算定を行った後の非流動性ディスカウントにつき、次のように判示しました。「・・・非流動性ディスカウントは、非上場会社の株式には市場性がなく、上場株式に比べて流動性が低いことを理由として減価をするものであるところ、収益還元法は、当該会社において将来期待される純利益を一定の資本還元率で還元することにより株式の現在の価格を算定するものであって、同評価手法には、類似会社比準法等とは異なり、市場における取引価格との比較という要素は含まれていない。吸収合併等に反対する株主に公正な価格での株式買取請求権が付与された趣旨が、吸収合併等という会社組織の基礎に本質的変更をもたらす行為を株主総会の多数決により可能とする反面、それに反対する株主に会社からの退出の機会を与えるとともに、退出を選択した株主には企業価値を適切に分配するものであることをも念頭に置くと、収益還元法によって算定された株式の価格について、同評価手法に要素として含まれていない市場における取引価格との比較により更に減価を行うことは、相当でないというべきである・・・」以上の判示の内容からしますと、最高裁は、収益還元法には市場における取引価格との比較という要素がもともと含まれていないということを理由に、そうした算定手法を採る場合は非流動性ディスカウントを行うべきではない、とのスタンスを打ち出したように読めます。しかし、この事案において用いられた収益還元法の割引率には、上場会社の投資収益率およびβ値(株式市場全体が1変動した場合に当該株式がいくら変動するかを示す値)が用いられ、市場の存在を前提とした価格が算出されていました。そのため、平成27年最決に対しては、非流動性を考慮した減価を否定した判示部分は誤りである、といった指摘もなれていました(注10)。こうした中、より直近には、2つめの最決令和5年5月24日判時2582号95頁(以下、「令和5年最決」とします)がみられました。この事案は、譲渡制限株式の売買価格決定の申立てに関するものでしたが、最高裁は以下のように判示しました。「・・・譲渡制限株式の売買価格の決定をする場合において、当該譲渡制限株式に市場性がないことを理由に減価を行うことが相当と認められるときは、当該譲渡制限株式が任意に譲渡される場合と同様に、非流動性ディスカウントを行うことができるものと解される。このことは、上記譲渡制限株式の評価方法としてDCF法が用いられたとしても変わるところがないというべきである。もっとも、譲渡制限株式の評価額の算定過程において当該譲渡制限株式に市場性がないことが既に十分に考慮されている場合には、当該評価額から更に非流動性ディスカウントを行うことは、市場性がないことを理由とする二重の減価を行うこととなるから、相当ではない。しかし、前記事実関係によれば、本件各評価額の算定過程においては・・・類似する上場会社の株式に係る数値が用いられる一方で、本件各株式に市場性がないことが考慮されていることはうかがわれない。したがって、DCF法によって算定された本件各評価額から非流動性ディスカウントを行うことができると解するのが相当である」。令和5年最決の以上の判示は、マーケット・アプローチに属する算定手法のように市場価格を大きく考慮に入れるアプローチは格別、それ以外の算定手法において非流動性ディスカウントを行うことを否定したようにも捉えられる点について、学説等から指摘や批判を受けていた平成27年最決を修正したもの、という受け止め方もできるように読めます。他方で、仮に平成27年最決と令和5年最決の両決定を整合的に読むとしますと、(a)平成27年最決のような株式買取請求事件においは、何らかの手法によって算出された評価額に対し、非流動性ディスカウントを加えることは許されない(いずれのアプローチ・手法を用いるかに関わらない)、(b)譲渡制限株式の売買価格決定事件においては、株式評価額の算定過程において当該譲渡制限株式に市場性がないことが既に十分に考慮されている場合であれば、評価額に対して非流動性ディスカウントはゆるされない(市場性がないことを既に十分に考慮されていない場合であれば許される)、と捉えることができるのではないかという見方も示されています(注11)。以上の2つの最高裁決定の捉え方について考えるうえでは、組織再編その他の支配権の大きな変動がある際の株式買取請求の場面と、譲渡制限株式の売買価格決定の場面とで見方や取扱いを変えるべきか否かということを検討する必要があります。すなわち、前者は、ほぼ強制的に株式を会社や支配株主に譲渡しなければならないのに対し、後者は、株式を譲渡・売却しようとする株主が支配株主等から抑圧されていたような状況であれば別ですが(ただし、こうしたケースも世の中にはたくさんありあそうです)、そうでなければ、あくまで任意で株式を売却しようという局面といえます。こうしたことを考慮し、非流動性ディスカウントを認めるか否かということその他について、両者の間の差を所与のものとすべきか、そうでないかということに関しては、現在のところ、学界でも様々な見方がされています。5その他の問題上記のほか、近時は、閉鎖的な非公開株式会社における株式の公正な価値の測定・評価に関し、基本的なスタンスのあり方として大きく2つの考え方が示されています。1つは、プロ・ラタ(この言葉は「比例配分できる(Proratable)」という英単語の略です)価値説といわれる、少数株主か支配株主かを問うことなく、株主全体に帰属する企業価値に持株比率を乗じて算定される価値をもって売買価格等とすべきであるとする説です(注12)。このプロ・ラタ価値説に基づくとしますと、たとえば先述したマイノリティ・ディスカウントのように、売主が少数株主であることを根拠とした減価・ディスカウントを行うことは否定的に捉えられることになります。また、株式買取請求の場面と譲渡制限株式の売買価格決定の場面との間で算定方法の基本的な考え方に差異を設けるべきではないということが導かれます。これに対し、仮定交渉アプローチ(交換価値説)という考え方が示されています。この考え方の下では、裁判所における株式価値の測定・評価は、本来であれば売り手である株主と買い手である会社・指定買受人が十分な時間をかけて合理的に交渉を行ったとすれば合意されたであろう価格を求めることと捉えたうえ、売り手の留保価格と買い手の留保価格との間で両者の交渉力の強弱に応じて決めていくというものです(注13)。このアプローチに基づきますと、とくに、譲渡制限株式の売買価格決定の場面では、少数株主にとっての対象株式の価値と支配株主にとっての対象株式の価値との間に差が生じ得る、すなわち、マイノリティ・ディスカウントを行うこともあり得る、ということになりそうです(注14)。筆者は、まだ詳細な検討を行っていませんので、どちらの考え方が正しい、といったことを現時点で断言することはできません。おそらく、プロ・ラタ価値説の方が、少数株主保護という面では、一見望ましいように思われますが、それでも具体的にどのような算定手法を用いたり、計算式に割引率などを用いる場合に、当該割引率などをどのように設定するかで最終的に導きだされる株式の価値も変わってくるように思います。他方で、仮定交渉アプローチも、買い手と売り手の交渉力を1:0などと極端な形で設定せず、仮にそれらの当事者が支配株主と少数株主であったとしても、一定の割合で交渉力を有しているという設定のもとで算定を行えば、売り手になることの多い少数株主にとって特段不利な評価・算定が行われることもないように思います。そして、仮にこのように考えられるとしますと、どちらの考え方・アプローチに基づいていたとしても、運用次第では結論はそれほど変わらないような気もします。6おわりに以上のように、閉鎖的な非公開会社における株式の公正な価値の測定・評価については、現在、学界において様々な主張や見解が唱えられ、注目される最高裁判例もみられています。加えて、より近時では、中小企業のM&Aが活況を呈し、各事例のデータが収集されてきているなかで、優良な中小企業のM&Aでは「時価純資産価額+営業権(営業利益または経常利益の数年分)」という算定の仕方で売却や買収が行われていることに着目し、中小企業M&Aの対象となり得るような優良会社における株式価値の測定・評価手法として、これまでの具体的方式に加えて、「買収価格比準方式」(時価純資産価額+営業権−買収の場合であれば上乗せされるシナジー)といった手法を用いることも唱えられています(注15)。このように議論が活発になされ、新たな考え方も出てきている背景には様々な要因があろうかと思います。ただ、中でも大きな要因としては、中小企業における事業承継や株式の相続の件数の増加、さらには、それらがさらに増加していく蓋然性が高いということはほぼ間違いないように思います。本稿で紹介した議論の内容は、学術的・理論的なものが多く、理解しづらいものも多かったと思いますが、この問題の今後の帰趨は、将来的に中小企業の経営にも少なからず影響を及ぼすものかと思います。そのため、今後も議論の動向に注目して頂ければと思います。<注釈>たとえば、藤田友敬「譲渡制限株式の評価方法に関する一視点」岩原伸作先生・山下友信先生・神田秀樹先生古稀記念『商法学の再構築』(有斐閣、2023年)95頁、仲卓真「譲渡制限株式の売買価格決定における「売買価格」の解釈」民商159巻6号(2024年)38頁、久保田安彦「譲渡制限株式の売買価格−裁判例の分析・評価を中心として−」(上)商事2357号(2024年)4頁・(下)商事2358号(2024年)62頁、江頭憲治郎「中小企業M&Aが会社法理論に示唆するもの」商事2364号(2024年)4頁、宍戸善一「非公開株式の評価再再論〔上〕」商事2370号4頁など、近時では多くの関連論文等が公表されています。主に藤田・前掲注(1)96頁以下によります。加重平均資本コスト(WeightedAverageCostofCapital:WACCとよく略されます)とは、株主資本コスト(株主に対して支払うコスト)と負債コスト(社債発行や金融機関からの借入によって発生する、債権者に対して支払う利息等のコスト)を加重平均した、資本全体にかかるコストのことをいいます。概していいますと、資金全体を調達するのにいくら必要になるのかを示した数値といえます。なお、DCF法において、新興企業における予測キャッシュフローの分布には、成熟企業の場合と異なり、不確実性が大きいと考えられます。そこで、そうした会社におけるキャッシュフローの分布を推計するために、当該キャッシュフローに影響を与える諸要素(バリュー・ドライバー)を特定したうえで、各要素の将来の確率分布を推計し、当該確率分布に従った乱数を大量に発生させる形の実験(モンテカルロ・シミュレーション)を行う等の方法がとられるようです。江頭憲治郎『株式会社法』(有斐閣、第9版、2024年)19頁参照。江頭・前掲注(4)20頁参照。藤田・前掲注(1)98頁。財産評価基本通達は、国税庁のHP下記で参照することができます(2024年10月1日現在)。(https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/sisan/hyoka_Mnew、/01.htm)江頭・前掲注(4)16頁。藤田・前掲注(1)102頁以下参照。江頭・前掲注(4)19頁。藤田・前掲注(1)116頁。なお、令和5年最決の受け止め方については、川島いづみ「判批」新・判例解説WatchNo.179(https://www.lawlibrary.jp/pdf/z18817009-00-051792485_tkc.pdf)参照。たとえば、久保田・前掲注(1)4頁藤田・前掲注(1)104頁以下参照。仲・前掲注(1)44頁以下参照。江頭・前掲注(1)7頁以下参照.提供:税経システム研究所
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2024/10/11 法律相談
取締役会決議によって退職慰労金を減額支給できるか -近時の最高裁判例を踏まえて-
取締役会決議による退職慰労金の減額支給の可否について、以前「法律相談」として、第一審と控訴審の判例を検討しました(商事法研究リポート「取締役会決議によって退職慰労金を減額支給できるか」(2023年2月17日掲載))。本稿では、その後出された最高裁判例を踏まえてこの問題を再検討します。【質問】Y会社の代表取締役社長Xはワンマン社長で好き勝手に事業運営を行ってきました。Xは出張で社内規程を超過して高級ホテルに泊まってきました。しかし、それが税務調査で発覚し、その宿泊費に基づく源泉徴収税がXに課されました。Xはその税をY会社に転嫁するために、Xの役員報酬を増額したところ、それがマスコミで取り上げられてしまいました。そこで、Xは、次期定時株主総会をもって取締役を辞任することになりました。Y会社の定時株主総会では、Xが定款に基づいて議長となり、「退任取締役に対する慰労金贈呈の件」が審議されました。Xは、自らに対する退職慰労金については、金額の適正を確保するために中立かつ公正な調査委員会を設置し、その調査結果を踏まえ、取締役会で金額を決定してもらい、その決定に従うと説明し、その金額、支払方法、支払時期等は取締役会に一任するよう要請しました。同議案は、原案どおり可決されました。その後、Xの退職慰労金について、弁護士等で構成される調査委員会は、2億5000万円の特別減額事由があるとする調査報告書を取締役会に提出しました。これを受けて取締役会では、Xの退職慰労金の基準額(3億円)から特別減額事由相当額を控除した5000万円をXに支給することを決議しました。Y会社の取締役退職慰労金内規には、在任中特に重大な損害を与えた退任取締役についてはその退職慰労金を減額することができるとする「特別減額」条項があり、それに基づくものです。Y会社がXに5000万円の退職慰労金を支給したところ、Xは、Y会社に対し、株主総会で可決された基準額に相当する退職慰労金を支払うべきである、もしそれが支払われないのであれば、損害賠償を請求するとして、2億5000万円の支払を求めて訴えを提起しました。私は、X退職後にY会社の代表取締役社長に就任したAです。Xによる退職慰労金の支給請求に応じるべきでしょうか、御教示ください。【回答】1.はじめに株主総会で取締役の退職慰労金を支給する際、退職慰労金の支給基準に基づいて算定された金額を基とし、その金額や支払方法について、取締役会に一任する決議をする場合があります。取締役会の実質的審議に委ねる方が適正な金額の支給ができると考えられるからですが、取締役会の審議により、退職慰労金を前記算定金額から大幅に減額することは認められるでしょうか。上記ご質問の事例は、この問題に関する近時の注目すべき最高裁判例(最判令和6年7月8日(令和4年(受)第1780号)LEX/DB2557363)を基にしたものです。この事例では、株主総会において退職慰労金の支給決議があった後に取締役会で減額支給することができるか、これが認められない場合には退職慰労金を支給したY会社は損害賠償責任を負うか、ということが問題となります。この問題を検討するにあたり、退職慰労金の支給に関する会社法の規制を概観し、ご質問の事例に関連する裁判例をもとに検討してみましょう。2.取締役の報酬規制取締役の報酬規制について、会社法361条1項は、「報酬、賞与その他の職務執行の対価として株式会社から受ける財産上の利益」を「報酬等」と定義づけています。金銭報酬が典型ですが、業績連動型報酬やストック・オプション等のエクイティ報酬も規制の対象になります。報酬規制は委員会を設置する会社かそうでない会社かでも異なります。指名委員会等設置会社の場合は、報酬委員会の決定により「個人別の報酬等の内容」を決定することになります(会社法404条3項)が、それ以外の会社では定款の定めまたは株主総会の決議(会社法361条1項)になります(注1)。委員会を設置しない株式会社では、取締役の報酬等について①額が確定しているものについては、その額(同項1号)を、②額が確定していないものについては、その具体的な算定方法(同項2号)を、③エクイティ報酬については、募集株式・募集新株予約権の数の上限、払込みに充てるための金銭、等を(同項3号~5号)、④(③を除く)金銭でないものについては、その具体的な内容(同項6号)を定めることが必要です。退職慰労金を支給する会社もあります。退職慰労金は、終任した役員に対して役員の退任後に、その在任期間や役職位等に基づいて支給されるものです。在職中の職務執行の対価すなわち報酬の後払い的性質があることから、「報酬等」に含まれることになります(前記①額が確定しているもの:会社法361条1項1号)。3.退職慰労金の決定方法(一)退職慰労金に関する規制の概要2で述べたように指名委員会等設置会社では報酬委員会が、それ以外の株式会社では定款の定めまたは株主総会の決議でその額を定めなければなりません。もっとも、指名委員会等設置会社以外の株式会社の取締役の場合、実務上一般に退職慰労金については、通常の報酬等とは異なり、退職慰労金の総額(最高限度額)を明示せず、具体的な金額、支給時期、支給方法等を、取締役会設置会社では取締役会に、取締役会設置会社以外の会社では取締役の過半数による決定に一任する旨の総会決議がなされることがあります。勤続年数の長い取締役は退職慰労金の額が大きくなるところ、日本の取締役は報酬額の個別開示を好まない傾向があるためだと考えられています。判例の立場によれば、無条件に取締役会等に退職慰労金の決定を一任するのではなく、会社の業績、退任取締役の勤続年数、担当業務、功績等から算定された一定の支給基準に従い、それを株主が推知し得る状況において、決定すべきことを一任するのであれば無効とはいえないとしています(最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁)。ここにいう「株主が推知し得る状況」とは、①書面または電磁的方法による議決権行使がなされる会社(会社法301条・302条)では、株主総会参考書類に当該基準の内容を記載するか、または、②当該基準を記録した書面等を本店に備え置いて株主の閲覧に供する等、各株主が当該基準を知ることができるような適切な措置が講じられていることをいい(会規82条・82条の2)、それ以外の会社でも株主が本店で請求すれば基準の説明を受けられる措置を講じておかなければ、一任決議が無効になる可能性があります。なお、株主総会の議場で株主から支給基準について説明を求められた場合には、基準を閲覧できる状況になっていても、取締役は説明しなければなりません(東京地判昭和63年1月28日判時1263号3頁)。(二)退職慰労金の具体的権利性退職慰労金の支給規定や支給基準がある会社であっても、会社法に定める報酬等に該当するため、退任取締役は定款または株主総会の決議によってその金額を定める等、会社法上の規定に基づく支給決議がなければ具体的報酬請求権は発生しないと解されています(最判昭和56年5月11日金判625号18頁)。そのため、株主総会決議がない場合には、会社についても取締役についても責任を否定する裁判例が多いです(東京地判平成27年7月21日金判1476号48頁、東京地判平成30年2月20日判タ1458号217頁)。ただし、中小非公開会社において、株主総会の決議と同視できる株主の同意がある場合、上記報酬規制を形式的に適用して無効とする必要がないため、報酬の支給を認めることができる等として肯定する裁判例(大阪地判昭和46年3月29日判時645号102頁)もあります。取締役会や株主総会に退職慰労金支給議案を上程しなかったことについて、代表取締役の会社法429条1項に基づく責任を肯定する裁判例(福岡地判令和4年3月1日文献番号2022WLJPCA03019002(注2))もあります。(三)退職慰労金支給の株主総会決議後の取締役会による不支給・減額の可否これに対し、退職慰労金の支給を認める株主総会決議があったにもかかわらず取締役会で支給決議を行わなかったという事案については、退職慰労金相当額の損害賠償を認容しています(東京地判平成元年11月13日金判849号23頁、東京高判平成20年9月24日判タ1294号154頁)。例えば、東京地判平成10年2月10日判タ1008号242頁は、株主総会において取締役の退職慰労金を取締役会に一任する旨の決議がなされた場合、退職慰労金請求権は、その金額を決定する取締役会の決議があって、初めて発生するものであり、一定の基準が存在しても株主総会の決議だけで当然に発生するものではないが、「一定の支給基準が存在して、その基準に従って定める趣旨で株主総会において取締役会に一任する旨の決議がなされたにもかかわらず、取締役会においてそれに反する決議をした場合には、決議をした取締役らは、退職慰労金を受給できる退任取締役に対して不法行為責任を負うことになる」と判示されています。4.退職慰労金の減額支給に関する裁判例(一)事実と判旨ご質問の事例のように、株主総会決議後の退職慰労金について、取締役会決議によって退職慰労金を減額支給できるか否かが争われた注目すべき裁判例が、前掲最判令和6年7月8日です。前掲最判令和6年7月8日では、退職慰労金支給内規に基づく特別減額が行われています。これについては、弁護士等合計5名で構成される調査委員会が特別減額事由を取りまとめたものです。①本件行為1(コンプライアンス違反。Xの社内規程違反の宿泊費等の支出並びに本来負担すべき源泉所得税及び社内規程違反の宿泊費の補填を意図した増額報酬の支払)によるものが、3918万円余、②本件行為2(交際費等の過大な支出)が1億1075万円、③本件行為3(CSR事業等への過大な支出)が2億558万円、とされ、総額では3億5551万円が退職慰労金の減額可能額と算出されています。第一審(注3)・控訴審(注4))は、Xの請求を認めましたので、Y会社側が控訴しました。前掲最判令和6年7月8日は、第1審判決を取消し控訴審を破棄しました。Xの敗訴となります。その理由は、次のとおりです。「本件減額規定は、取締役会は、退任取締役が在任中Y会社に特に重大な損害を与えた場合、基準額を減額することができる旨を定めているところ、その趣旨は、取締役を監督する機関である取締役会が取締役の在任中の行為について適切な制裁を課すことにより、Y会社の取締役の職務執行の適正を図ることにあるものと解される。Y会社の株主総会が退任取締役の退職慰労金について本件内規に従って決定することを取締役会に一任する旨の決議をした場合、取締役会は、退任取締役が本件減額規定にいう『在任中特に重大な損害を与えたもの』に当たるか否か、これに当たる場合に減額をした結果として退職慰労金の額をいくらにするかの点について判断する必要があるところ、上記の本件減額規定の趣旨に鑑みれば、取締役会は、取締役の職務の執行を監督する見地から、当該退任取締役がY会社に特に重大な損害を与えたという評価の基礎となった行為の内容や性質、当該行為によってY会社が受けた影響、当該退任取締役のY会社における地位等の事情を総合考慮して、上記の点についての判断をすべきである。そして、これらの事情は、いずれも会社の業務執行の決定や取締役の職務執行の監督を行う取締役会が判断するのに適した事項であること、さらに、本件内規が本件減額規定による減額の範囲等について何らの定めも置いていないことに照らせば、取締役会は、上記の点について判断するに当たり広い裁量権を有するというべきであり、取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られると解するのが相当である」。(二)裁判例の検討Y会社においては、退任取締役の退職慰労金の算定基準等を定めた取締役退任慰労金内規(本件内規)が存在します。本件内規には、退任取締役の退職慰労金は、退任時の報酬月額等により一義的に定まる額を基準とする(この額を「基準額」といいます)旨の定めがある一方で、取締役会は、退任取締役のうち、「在任中特に重大な損害を与えたもの」に対し、基準額を減額することができる旨の定め(本件減額規定)がありました。なお、本件内規には、減額の範囲ないし限度についての定めは置かれていません。この規定の解釈について、退職慰労金支給内規に基づく特別減額事由は、(一)で述べたように、弁護士等合計5名で構成される調査委員会の調査によるものであり、①本件行為1、②本件行為2、③本件行為3となります。もっとも、Xが退職する契機となったのが①や②ですが、特別減額事由の多くが③です。第一審は、③について「『特に重大な』損害を与えたとは認められないのに…CSR費用等の支出についてまで特別減額をしたものであるから、本件株主総会決議で与えられた裁量を逸脱ないし濫用したものと認められる」と判示しています。これについては判断根拠・理由を適正に示さない点で適正手続違反と評価せざるを得ない(注5)とする批判もありました。そこで最高裁は、Y会社の取締役会が特別減額事由に基づいて本件取締役会決議をしたことについて次の事実を評価しています。①本件行為1は、Xが長期間にわたってY会社から社内規程所定の上限額を超過する額の宿泊費等を受領し、それに係る源泉徴収税相当額をY会社に転嫁するとともに、自らの報酬を増額し、このことが報道により社会一般に広く知れ渡ったことによって、Y会社の社会的信用が毀損されたことがうかがわれること。②Xと利害関係のない弁護士等で構成された本件調査委員会による本件調査報告書は、本件行為1は特別背任罪に該当する疑いがあり、本件行為2も正当化することができず、Xは両行為によりY会社に多大な損害を与えたとの指摘がされたこと。③本件調査委員会が調査等に当たって収集した情報に不足があったことはうかがわれないこと。④取締役会は、本件調査委員会が提示した本件行為1につき告訴をして退職慰労金を支給しないとする案も検討したが、審議の結果、最終的に、告訴をせずに退職慰労金を大幅に減額する旨の判断に至ったのであり、取締役会においては、相当程度実質的な審議が行われたということ、です。そして、「これらの事情を総合考慮すると、本件行為1及び本件行為2をY社に多大な損害を及ぼす性質のものと評価することは相応の合理的根拠に基づくものといえ、本件行為3がY会社に損害を与えるものであったか否かにかかわらず、Xが本件減額規定にいう『在任中特に重大な損害を与えたもの』に当たるとして減額をし…た取締役会の判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理であるということはできない」、「以上によれば、本件取締役会決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということはできない」と判示しました。第一審・控訴審は、減額幅の大きい本件行為3による減額の根拠がはっきりしない点で、本件調査委員会の判断に従った取締役会の審議を問題としたようにもみられます(注6)。これに対し、最高裁は、主に本件行為1と本件行為2について、本件調査委員会の本件調査報告書に基づいて取締役会が合理的な判断を示したのであれば、本件行為3について詳細な判断を示すまでもなく、全体として当該取締役会の判断を尊重することを示しました。退職慰労金の支給に関する取締役会への一任がされた場合の合理的な審議の仕方を明らかにした点で、最高裁の判断は今後の実務の参考になります。5.相談への回答Y会社の定時株主総会で承認された退職慰労金贈呈議案を調査委員会の調査報告書に基づいて減額したということですね。Y会社の取締役退任慰労金内規には、在任中特に重大な損害を与えた退任取締役については退任慰労金を減額できるとする「特別減額」条項があるということですので、減額がまったく認められないというわけではないでしょう。特別減額事由の大部分はXが独自に始めた新規事業への支出が過大であることを理由としているということですが、最判令和6年7月8日の判断によればXと利害関係のない弁護士等で構成された調査委員会による調査報告書を踏まえて取締役会で事実関係を判断した結果については、取締役会決議によって減額することも裁量権の範囲内であることが認定されています。退職慰労金を取締役会で減額することについては、調査委員会による調査を踏まえる等の手続をとり、慎重に判断することが必要になります。前掲東京地判平成10年2月10日にみるとおり、一定の支給基準に従って定める趣旨で株主総会において取締役会に一任する旨の決議があった場合は、取締役会でそれに反する決議をすると退任取締役に対する不法行為責任が発生することがあるからです。前掲最判令和6年7月8日を前提にすれば、調査委員会の調査を求めるといった対応をとっていれば、この判例でXは敗訴していることから、XによるY会社に対する退職慰労金の支給請求に応じなくとも良いということになるでしょう。このような対応をとることが望まれます。<注釈>監査等委員会設置会社の場合も定款の定めまたは株主総会の決議によりますが(会社法361条1項・2項)、定款または株主総会の決議により監査等委員以外の取締役の個人別の報酬等の内容が定められていない場合は、「報酬等の決定方針」を決定する必要があります(同条7項2号)。また、指名委員会等設置会社や監査等委員会設置会社以外の会社でも、公開会社・大会社・有価証券報告書提出会社である監査役会設置会社(定款または株主総会の決議により取締役の個人別の報酬等の内容が定められていない場合)について「報酬等の決定方針」を決定する必要がある(会社法361条7項1号)というように会社の機関設計により規制が異なる場合があることに注意が必要です。評釈として、弥永真生「判批」ジュリスト1574号(2022年)2頁、内藤裕貴「判批」法学セミナー815号(2022年)122頁。第一審(宮崎地判令和3年11月10日文献番号2021WLJPCA11106002)の評釈に得津晶「判批」ジュリスト1576号(2022年)142頁。控訴審(福岡高宮崎支判令和4年7月6日文献番号2022WLJPCA07066001)の評釈に船津浩司「判批」ジュリスト1578号(2022年)2頁。得津・前掲(注3)145頁。松嶋隆弘「ケーススタディお家騒動:判例から学ぶ同族会社トラブル回避事例集(第19回)報酬額の決定に際しての『委員会』の判断の独立性の尊重-福岡高裁宮崎支判令和4年7月6日金判1657号36頁を素材として-」税理67巻1号(2024年)248頁。提供:税経システム研究所
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