商事法研究レポート
MJS税経システム研究所・商事法研究会の顧問・客員研究員による商事法関係の論説、重要判例研究や法律相談に関する各種リポートを掲載しています。
457 件の結果のうち、 1 から 10 までを表示
-
2025/03/21 topics
企業不祥事発生時における役員の有事対応
1はじめに会社経営の過程においては、役員レベルのみならず業務執行取締役等の指揮下で会社業務に関わる従業員レベルでも法令等の違反、欠陥商品の製造販売、人権侵害行為その他の不祥事(以下、「企業不祥事」とも総称する。)を生じさせないための予防措置を講じることが、必要かつ重要であることはいうまでもありません。しかし、その種の措置が常に万全の効果を発揮するとは限らず、企業不祥事が現実化することも少なくありません。問題は、その場合に会社役員、特に業務執行を担当する取締役・執行役がどのような善後措置を講じるべきか、ということです。それは、某製薬会社が製造販売する健康食品が消費者の健康被害を生じさせた事案での後手後手の対応が当該会社の信用失墜および企業価値減少をもたらしている例からも明らかなように、問題認識後の不適切な対応が会社業務の大きな支障ともなるからです。企業不祥事そのものではないのかも知れませんが、某メディア会社について、出演タレントが引き起こした人権侵害行為に対し、会社役員がその事実を認識しながら適切な善後措置を講じなかったがために、当該会社そのものに対する社会的信頼が大きく揺らいでいる直近の事案を見ても、企業不祥事発生後に迅速かつ適切・的確な対応をとることがいかに重要かつ必要であるかは、明白です。この小稿では、こうした問題意識から、企業不祥事における役員の有事対応のあり方を、最近の裁判例をケーススタディの対象として、示すこととします。2ケーススタディ:大阪地判令和6年1月26日(1)ケースの概要今回の参考事例として取り上げるのは、大阪地判令和6年1月26日金判1697号21頁です(注1)。本件は、タイヤ・ゴム製品の製造販売業を営むA株式会社の取締役であったY1~Y4が、同社の完全子会社のB株式会社の製造した建築用免震積層ゴム(以下、「本件免震ゴム」という。)が建築基準法に基づく基準に適合しないことが判明したにもかかわらず本件免震ゴムを出荷させたこと等について、Y1らのA会社に対する任務懈怠責任(会社法423条1項)が追及された株主代表訴訟事件です。紙幅の関係から、ここでは本件事案の詳細な説明(注2)は省略して要点のみ挙げると、2014年4月以降にB会社が建設会社から発注を受け製造・出荷した免震ゴムについて、建築基準法に基づく性能評価基準に適合しないものが含まれている旨の報告が担当従業員から寄せられたことを受け、B会社での社内調査が実施されるとともに、完全親会社のA会社の社内会議でもB会社の担当役員から報告が行われ、A会社で免震ゴム事業を担当しB会社では担当取締役であったY1が、A会社で製品の品質管理等を担当する部署を統括する取締役Y2とともに対応に当たるようになります。Y1は、当該免震ゴムに基準不適合のものがあることを認識し、弁護士からは出荷停止を助言されていました。そのため、2014年9月16日午前に、Y1・Y2のほか、A会社で人事部の統括のほかにコンプライアンス関連業務を担当する取締役Y4および担当従業員が出席しA会社内で行われた会議では、免震ゴムの出荷停止の方針が採用され、国土交通省への報告を行うことが確認されました。しかし、同日午後にY1・Y2および担当従業員が出席しA会社内で行われた会議では、免震ゴムに関する技術的知識を持ちあわせないB会社担当従業員から、性能評価の基準数値に対し一定の補正等を行えば、出荷予定の免震ゴムを所定の性能評価基準に適合させることが可能であるとの報告が行われたため、出荷停止の方針が撤回され、3日後に出荷が実施されました。その後、出荷済みの免震ゴムの一部が、補正等された基準数値に基づき性能評価を実施し直した場合でも依然、性能評価基準に適合しないことが判明しますが、Y1がリコール不要との考えを示したため、これにY2~Y4が反対し、A会社の研究所が加わって社内調査が引き続き行われ、上記の基準数値の補正等が技術的根拠を欠く旨がY2に対し報告されるところとなりました。そこで、2015年2月2日に漸く免震ゴムの出荷停止が決定され、同月9日に国土交通省への報告が行われますが、A会社が、B会社を通じて製造・販売した免震ゴムの一部に性能評価基準に適合しないものがあった旨を公表したのは、翌月の2015年3月13日でした。こうした事実関係を背景にA会社の株主が、免震ゴムの出荷停止の判断と、国土交通省への報告および一般公表の遅れとに関するY1らの任務懈怠を理由に、A会社が回収費用等の負担や信用失墜により被った損害を賠償するようY1らに請求したのが、本件です。(2)裁判所の判断大阪地裁は、基準不適合の免震ゴムの出荷判断に関してはY1およびY2の善管注意義務違反を認め、改修工事費および不正問題への対応に係る人件費・旅費(合計1億3828万948円)を相当因果関係のあるA会社の損害と認定するとともに、国土交通省への報告・一般公表の遅れについてはY1~Y4の善管注意義務の違反を認め、A会社の損害を2000万円と認定し、原告の請求を一部認容しています。こうした判示を行うに当たり、大阪地裁は、まず基準不適合の製品の出荷(停止)判断に関し、製品出荷の判断は一般的に経営判断の問題としつつ、法令等により当該製品の性質・性能等につき一定の基準が定められている場合は、取締役には、基準不適合の製品について出荷停止による損失を考慮しても、出荷停止の判断をすることが求められる一方、当該判断を迅速に行う必要があることから、得られた情報からは出荷停止との判断に至らなかったものの、事後的に基準不適合が判明したときは、取締役の地位・担当職務等を踏まえ、当該判断に至る過程が合理的なものであるか否かという観点から、信頼の原則も踏まえ、任務懈怠の有無を判断することを基本的な判断枠組みとしつつ、所定の基準が製品等の安全性に関わるものであるときは、より慎重な検討が求められると判示します。その上で、本件では、免震ゴムの基準不適合の事実を認識したY1が弁護士から出荷停止の助言を受け、一旦は出荷停止方針を決定したにもかかわらず、技術的知識を有していない担当者から、基準数値の補正等を行えば基準不適合を回避できるとの報告を受けたことで、当該方針を撤回し出荷実施の判断を行ったことが、A会社・B会社の担当取締役としての善管注意義務に違反すると認定されます。大阪地裁は、Y2についても、担当役員としての権限を行使して基準不適合製品の出荷を止めさせるよう取り組むべき立場にあったのに、Y1とともに出荷停止の判断を覆し出荷実施の判断を行ったことが、取締役としての任務懈怠に当たると判示します。一方、Y3・Y4については、両者の担当業務等を踏まえ、A会社取締役としての任務懈怠が否定されています。なお、本件で基準不適合製品の製造・販売(出荷)を行っていたのはB会社ですが、完全親会社のA会社がB会社の事業方針等を指揮監督する関係にあったことや、製品出荷の意思決定も実質的にA会社の取締役Y1・Y2が行っていることから、B会社による基準不適合製品の出荷実施について、Y1・Y2のA会社に対する任務懈怠が認定されています。この点に関しては、異論がないものと思われます(注3)。次に、関連事実の関係機関への報告および一般公表に係るY1らの任務懈怠の有無について、大阪地裁は、出荷済み製品の基準不適合という事実については、可及的速やかに関係機関への報告および一般公表を行う必要があるところ、不確実情報の報告等による混乱を回避するためと称して長期に亘り報告等を行わないことは相当でなく、調査途中でも速やかに何らかの報告等を行うべき場合もあるとした上で、本件では、Y1らは、免震ゴムに基準不適合のものが含まれていることが明らかになっていた2014年10月23日の時点で報告等をすべき義務を負っていたのに、これを懈怠したと判示し、Y1・Y2のみならずY3・Y4にも報告等の義務違反を認定しました。3法令違反等の問題認識後の会社役員のあるべき対応(1)初動対応今回のケーススタディで取り上げた大阪地判令和6年1月26日は、会社が製造販売する製品の性能等に法令により一定の安全基準が設定されているところ、当該製品に基準不適合のおそれがある場合につき、当該製品の出荷停止の判断と出荷済み製品の基準不適合の事実の報告等に係る担当役員の善管注意義務違反の有無が争点となった事案です。事が取扱い製品の安全性に関わるだけに、本件は、担当役員のみならずその他の役員による対応の当否が会社の信頼性に対する評価に直結し、企業価値の低下・毀損をもたらすおそれが大きいケースですが、程度の差や問題となる不祥事の内容の違いこそあれ、一般論としても、企業価値の低下や毀損を含む損害を会社に被らせるおそれのある具体的な事実またはその兆候がある場合に、そのことを認識した会社役員が善管注意義務の観点からどのような措置を講じるべきかを示す好材料を示してくれているように思われます。第1に、こうした観点から、この裁判例から得られる示唆の一つが、企業不祥事またはそのおそれのあることを認識した会社役員がとるべき初動対応です。その第1は迅速かつ的確な事実調査であり、第2は、不祥事事実が判明した場合に被害拡大のための関連製品の出荷停止その他の適切な善後措置であるといえます(注4)。このうち、第1の事実調査については、的確性のみならず迅速性も求められるため、担当役員としては社内の関連部門や担当従業員からの調査報告等に依拠することが、そのことを躊躇させる特段の事情がない限り、基本的に許容されると考えられます。もっとも、担当役員が企業不祥事発生のおそれが疑われる兆候や事情を関知するに至ったときは、社内の担当部署等から上がってくる調査報告等に安易に依存することは問題であり、大阪地判令和6年1月26日は、こうしたケースで担当役員は「健全な懐疑心」をもって対応する必要がある(注5)ことを示唆しています。第2の善後措置の発動も、短期的に会社に損失を生じさせるとしても、中長期的に見れば当該会社の信頼性・評判の向上につながり得るため、企業価値にプラスの効果をもたらすといえることから、問題認識後に迅速にこれを行う必要があります(注6)。大阪地判令和6年1月26日は、この点でも担当役員の対応が後手に回った事案であり、事後対応の悪い見本例といえます。(2)関係機関等への報告および公表第2に、大阪地判令和6年1月26日の事案にも見られたように、企業不祥事は会社にとって不都合な事実であるために、担当役員等がこれを矮小化したり隠蔽したりするリスクがほぼ常に伴います(注7)。当該不祥事事実について、法令等により関係機関への報告義務や一般公表義務が課されている場合に、担当役員が必要な報告等を行わなかったときは、法令違反として、帰責事由がない限り任務懈怠の責を問われます。これに対し、法令等により報告等の義務が当該会社に課されていない場合は、当該不祥事の不公表が直ちに担当役員の善管注意義務違反を構成するわけではありませんが、当該不祥事を認識した担当役員はそれを可及的速やかに関係機関に報告し公表する必要があると解されています(注8)。大阪地判令和6年1月26日は、この点を法的教訓として会社役員に肝に銘じさせるものです。4おわりに企業不祥事の発生の蓋然性が高いと判断される場合、またはそれが具体化した場合に、迅速かつ的確・適切な有事対応を会社役員が行えるかが、会社の業績および将来の企業価値に大きな影響をもたらし、会社の存立をも揺るがしかねないことは、大阪地判令和6年1月26日のみならず最近の問題案件が如実に示しています。本稿が、その点に関し注意を喚起する一つのケーススタディとして、関係者の参考になれば、幸いです。<注釈>本件の先行評釈として、舩津浩司「本件判批」資料版商事法務483号(2024年)144頁、山本正成「本件半壊」邦楽教室528号(2024年)117頁参照。事案の詳細な概要説明は、中村信男「〔Lawの論点〕不祥事発生後における役員の善管注意義務」ビジネス法務24巻12号(2024年)102頁~104頁参照。舩津浩司「本件判解」ジュリスト1598号(2024年)3頁。竹内朗=笹本雄司郎=中村信男編著『リスクマネジメント実務の法律相談』(青林書院、2014年)38頁(笹本雄司郎)。竹内ほか・前掲(注4)248頁(竹内朗)。竹内ほか・前掲(注4)6頁~7頁(青島健二)。竹内ほか・前掲(注4)77頁(中村信男)。山中修「不祥事発覚後の対応に関する役員責任」野村修也=松井秀樹編『実務に効くコーポレート・ガバナンス判例精選』(有斐閣、2013年)120頁。提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/03/07 論説
カーボンニュートラルと独占禁止法
1グリーン成長戦略の宣言2020(令和2)年、当時の菅義偉総理大臣は、第203回臨時国会において、「2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言しました。経済と環境の好循環を成長戦略の柱に掲げて、グリーン社会の実現に最大限注力するとし、政府が環境投資で大胆な一歩を踏み出すことを表明しました。そして、経済産業省、環境省、消費者庁など多くの省庁がグリーン成長戦略を推進するための施策を公表し、国、地方公共団体、事業者、消費者等の多様な主体が連携し、国民運動として取り組むことをうたいました(注1)。それに対して、石油化学コンビナートの構成事業者によるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為に関して、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」)に抵触しないかという相談が公正取引委員会(以下「公取委」)に寄せられました。以下では、この相談事例を紹介して、独占禁止法の趣旨を考えてみたいと思います。2石油化学コンビナートからの相談公取委は、山口県周南市に所在する石油化学コンビナート(以下「周南コンビナート」)において石油化学製品等の製造販売を行っている5社(注2)から、周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為について相談を受けました。それに対して、公取委は、独占禁止法上問題がない旨の回答を行いましたが、他の事業者及び事業者団体にも参考になると考えられることから、2024(令和6)年2月15日、当該相談の概要を公表しました(注3)。なおカーボンニュートラルとは、人の活動に伴って発生する温室効果ガスの排出量と吸収作用の保全及び強化により吸収される温室効果ガスの吸収量との間の均衡が保たれることをいい、我が国における2050年までの実現を旨とするとされています(地球温暖化対策の推進に関する法律2条の2)。(1)相談の概要上記5社は、2050年の周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けて、以下の①~③の取組みを共同で行うこととしています。このような共同での取組が独占禁止法に抵触しないか、というのが相談の内容です。①二酸化炭素の大幅な削減を見込んで、製品の製造に必要となる電力を得るための発電設備等で使用する燃料について、化石燃料から燃焼時に二酸化炭素の排出がないアンモニア等を燃料とする共同の発電設備等の設置及び利用等、②製品の原材料について、化石燃料を原材料に用いたエチレン、プロピレン等の基礎化学品から、バイオマス等の二酸化炭素の排出が少ない原材料を用いたバイオエチレン、バイオプロピレン等のバイオ基礎化学品等に転換するための原材料の共同購入等、③製品の製造の際に排出される二酸化炭素の共同での回収、燃料・原材料への再利用又は貯留。3公取委からの回答の要旨(令和6年2月15日)これに対して、公取委は、上記5社が実施する①~③の共同行為については、周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現が目的であって、共同行為によって上記5社の製品の製造販売市場における競争の実質的制限が生じることはなく、また、上記5社が共同購入等するアンモニア等及びバイオマス等の購入市場における競争の実質的制限が生じることもないことから、いずれも独占禁止法上問題となるものではないと回答しています。また、前記①~③の共同行為以外の共同行為であっても、上記5社が実施する周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為は、製品の販売価格のカルテルといった競争制限行為に該当する場合を除いて、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはないと考えられるため、独占禁止法上問題となるものではないと回答しています。4公取委の示す独占禁止法上の考え方公取委は、この回答をするにあたって、その理由を詳細に述べていますので、それを紹介します。(1)独占禁止法の禁止行為事業者が、契約、協定その他何らの名義をもってするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することは、不当な取引制限(独占禁止法2条6項)に該当し、独占禁止法上問題となります(独占禁止法3条)。(2)競争促進効果と競争制限効果グリーン社会の実現に向けた事業者等の取組は、多くの場合、事業者間の公正かつ自由な競争を制限するものではなく、新たな技術や優れた商品を生み出す等の競争促進効果を持つものであり、温室効果ガス削減等の利益を一般消費者にもたらすことが期待されるものでもあります。そのため、グリーン社会の実現に向けた事業者等の取組は基本的に独占禁止法上問題とならない場合が多いでしょう。一方、事業者等の取組が、個々の事業者の価格・数量、顧客・販路、技術・設備等を制限することなどにより、事業者間の公正かつ自由な競争を制限する効果(「競争制限効果」)のみを持つ場合、新たな技術等のイノベーションが失われたり、商品又は役務の価格の上昇や品質の低下が生じたりすることにより一般消費者の利益が損なわれることになり、それが名目上はグリーン社会の実現に向けた事業者等の取組であったとしても、原則として、独占禁止法上問題となります。そして、ある具体的な事業者等の取組に競争制限効果が見込まれるとともに、競争促進効果も見込まれる場合には、より制限的でない他の代替的手段があるか等、当該取組の目的の合理性及び手段の相当性を勘案しつつ、当該取組から生じる競争制限効果と競争促進効果を総合的に考慮して、当該取組が独占禁止法上問題となるか否か判断されることとなります。競争制限効果が見込まれない行為としては、価格等の重要な競争手段である事項に影響を及ぼさない、新たな事業者の参入を制限しない、及び既存の事業者を排除しないといった要素を満たす事業者等の共同の取組のほとんどがこれに該当します。グリーン社会の実現に向けた事業者等の共同の取組の多くは、独占禁止法上問題とならない形で実施することが可能です。(3)相談事例の検討周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた上記5社が実施する前記①~③を主とした取組は、共同行為によって二酸化炭素の大幅な削減が見込まれるなど、グリーン社会の実現に向けた取組であることが認められます。(ア)前記①~③を主とした取組は、上記5社が周南コンビナートにおいて製造する製品のコストに影響を与える取組ですが、当該製品のうち、多くの製品については、上記5社間に競合関係がなく、共同行為による競争制限効果が見込まれないため、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはなく、独占禁止法上問題となりません。また、上記5社が周南コンビナートにおいて製造する製品のうち、競合する製品については、共同行為による競争制限効果が見込まれるものの、地理的範囲が「日本全国」として画定されることなどから、上記5社以外に有力な競争事業者が存在したり、当該製品の需要者から競争圧力が働いていたりするなどの市場の状況にあるため、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはなく、独占禁止法上問題とはなりません。(イ)前記①の取組で行うアンモニア等の共同購入及び前記②の取組で行うバイオマス等の共同購入によって、アンモニア等及びバイオマス等の購入市場における競争に与える影響について検討すると、アンモニア等を燃料とした発電及びバイオマス等を原材料としたバイオ基礎化学品等の製造は、現在、確立されていない技術であるため、将来的なアンモニア等及びバイオマス等の需要量と供給量は不明です。しかし、アンモニア等及びバイオマス等は、世界的なカーボンニュートラルの動きによって需要及び供給が拡大される見込みであることから、今後、アンモニア等及びバイオマス等の購入市場の競争は活発になることが見込まれます。また、共同行為によって購入されることが想定されるアンモニア等及びバイオマス等の量は供給量に比して限定的です。(ウ)上記5社が実施する前記①~③を主とした取組は、いずれも一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはなく、独占禁止法上問題となるものではないと結論付けています。5共同研究開発に関する独占禁止法上の指針最近の技術革新の一つの特徴として、技術が極めて高度で複雑なものとなり、多くの分野にまたがるものとなっています。その研究開発に必要な費用や時間が膨大になり、それに必要な技術も多様なものとなることがあります。そのため、単独の事業者による研究開発や他の事業者からの技術導入に加えて、複数の事業者による共同研究開発が増加しています。共同研究開発は、(1)研究開発のコスト軽減、リスク分散又は期間短縮、(2)異分野の事業者間での技術等の相互補完等、により研究開発活動を活発で効率的なものとし、技術革新を促進するものであって、多くの場合競争促進的な効果をもたらすものと考えられます。他方、共同研究開発は複数の事業者による行為であることから、研究開発の共同化によって市場における競争が実質的に制限される場合もあり得ます。また、研究開発を共同して行うことには問題がない場合であっても、共同研究開発の実施に伴う取決めによって、参加者の事業活動を不当に拘束し、共同研究開発の成果である技術の市場やその技術を利用した製品の市場における公正な競争を阻害するおそれのある場合も考えられます。公取委は、このような認識の下に、共同研究開発に関し、研究開発の共同化及びその実施に伴う取決めについて公取委の一般的な考え方を明らかにして、共同研究開発が競争を阻害することなく、競争を一層促進するものとして実施されることを期待して、1993年に「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」を公表しました。その後この指針は何回か改定されています(最終改定2017年)(注4)。(1)この指針の適用範囲及び判断時点この指針が適用される「共同研究開発」は、複数の事業者が参加して研究開発を共同で行うことです。すなわち、この指針は、共同研究開発の参加者に着目すれば、「複数の事業者」が参加するものに適用されますし、我が国市場に影響が及ぶ限りにおいて、参加者が国内事業者であると外国事業者であるとを問わず適用されます。また、この指針により共同研究開発に関する独占禁止法上の問題が判断されるのは、原則として共同研究開発契約締結時点ですが、共同研究開発の成果の取扱い等について、その時点においては定められない場合には、それらが取り決められた時点で独占禁止法上の問題が判断されます。(2)研究開発の共同化に対する独占禁止法の適用研究開発の共同化によって参加者間で研究開発活動が制限され、技術市場又は製品市場における競争が実質的に制限されるおそれがある場合には、その研究開発の共同化は独占禁止法3条(不当な取引制限)の問題となることが考えられます。共同研究開発が事業者団体で行われる場合には独占禁止法8条(事業者団体に対する規制)の、また、共同出資会社が設立される場合には独占禁止法10条(会社による株式の取得・所有の規制)の問題となることがあります。研究開発の共同化が独占禁止法上主として問題となるのは、競争関係にある事業者間で研究開発を共同化する場合です。競争関係にない事業者間で研究開発を共同化する場合には、通常は、独占禁止法上問題となることは少ないでしょう。事業者は、その製品、製法等についての研究開発活動を通じて、技術市場又は製品市場において競争することが期待されますが、競争関係にある事業者間の共同研究開発は、研究開発を共同化することによって、技術市場又は製品市場における競争に影響を及ぼすことがあります。共同研究開発は、多くの場合少数の事業者間で行われており、独占禁止法上問題となるものは多くないと考えられますが、例外的に問題となる場合としては、例えば、寡占産業における複数の事業者が又は製品市場において競争関係にある事業者の大部分が、各参加事業者が単独でも行い得るにもかかわらず、当該製品の改良又は代替品の開発について、これを共同して行うことにより、参加者間で研究開発活動を制限し、技術市場又は製品市場における競争が実質的に制限される場合を挙げることができます。研究開発の共同化の問題については、個々の事案について、競争促進的効果を考慮しつつ、技術市場又は製品市場における競争が実質的に制限されるか否かによって判断されますが、その際には、以下の各事項が総合的に勘案されます。①参加する事業者の数、市場シェア、市場における地位等が考慮されますが、一般的に参加者の市場シェアが高く、技術開発力等の事業能力において優れた事業者が参加者に多いほど、独占禁止法上問題となる可能性は高くなります。②研究開発は、段階的に基礎研究、応用研究及び開発研究に類型化でき、共同研究開発が製品市場における競争に及ぼす影響が直接的か、間接的かを判断する際の要因として重要です。特定の製品開発を対象としない基礎研究について共同研究開発が行われたとしても、通常は、製品市場における競争に影響が及ぶことは少なく、独占禁止法上問題となる可能性は低いでしょう。③研究にかかるリスクやコストが膨大であり単独で負担することが困難な場合、自己の技術的蓄積、技術開発能力等からみて他の事業者と共同で研究開発を行う必要性が大きい場合等には、研究開発の共同化は研究開発の目的を達成するために必要なものと認められるので、独占禁止法上問題となる可能性は低いでしょう。④共同研究開発の対象範囲、期間等が明確に画定されている場合には、それらが必要以上に広汎に定められている場合に比して、市場における競争に及ぼす影響は小さいので、独占禁止法上問題となる可能性は低いでしょう。6公取委への相談事業者等がグリーン社会の実現に向けた取組を実施するに際して、独占禁止法上問題となるか否かについて、グリーンガイドライン、本件相談等を参考にして自ら判断するのが難しい場合もあります。そこで事業者等は、実施しようとする具体的な行為に関して、公取委に事前に相談することができます。公取委としても、グリーン社会の実現に向けた事業者等の取組を後押ししていくためにも、グリーンガイドライン、本件相談等の内容に照らしつつ、事業者等との意思疎通を重ねながら、積極的に相談への対応を行っていくことを表明しています(注5)。<注釈>首相官邸「グリーン社会の実現」(令和2年10月26日)https://www.kantei.go.jp/jp/headline/tokushu/green.html周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為について相談した5社は、出光興産株式会社、東ソー株式会社、株式会社トクヤマ、日鉄ステンレス株式会社及び日本ゼオン株式会社です。公取委「石油化学コンビナートの構成事業者によるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為に係る相談事例について」(令和6年2月15日)https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2024/feb/240215shunan.html公取委「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/kyodokenkyu.htmlグリーン事前相談窓口:公正取引委員会事務総局経済取引局取引部相談指導室http://www.jftc.go.jp/提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/02/21 重要判例紹介
再生手続におけるスポンサー契約の落とし穴 ~募集株式の発行の撤回を認めた事例を参考に~
1はじめに再生型の倒産手続である民事再生手続においては、実務上、スポンサーからの支援を受けて事業再生を行うために、減資を行い、スポンサーに募集株式の発行を行うことがあります。近時、再生手続におけるスポンサーへの募集株式の発行に関して、東京高判令和5年3月9日2023WLJPCA03096001(以下「本判決」といいます)がスポンサーに不測の損害をあたえかねない募集株式の発行の撤回を許容する注目すべき判断を下しました。本判決は、民事再生手続において、再生債務者がスポンサーに対し募集株式を発行し、スポンサーから出資を受けて事業再生を図るべく、再生計画にも募集株式の発行に関する定めを設けたにも関わらず、再生債務者が取締役会決議によってスポンサーへの募集株式の発行を撤回し、再生債務者の代表者へ募集株式の発行を行ったという事案で、出資の履行前の募集株式の発行の撤回を認めました。本判決によって、再生手続においてスポンサーが不測の損害を被ることも考えられ、実務上、対処が必要となります。そこで、本稿では、前提として、募集株式の発行等の手続と募集株式の発行の撤回に関する学説、民事再生手続における再生計画と募集株式の発行の手続を確認した上で、本判決の事案と判旨をご紹介し、おわりにで、実務上の留意点について述べることといたします。2募集株式の発行等の手続と募集株式の発行の撤回に関する学説(1)募集株式の発行等の手続会社法においては、新株の発行と自己株式の処分を合わせて募集株式の発行等と定義し(会社199①)、規制を課しています。募集株式の発行等の手続は、①募集事項の決定、②募集株式の引受け、③出資の履行、④効力発生という流れになっています。募集事項の決定株式会社は、募集株式の発行等をしようとする場合には、その都度、募集事項を決定しなければなりません(会社199①)。非公開会社においては、株主は通常持株比率の維持に強い関心を有しているため、募集事項の決定について、原則として株主総会の特別決議が必要とされています(会社199②・309②五)。また、有利発行の場合には、取締役は、株主総会において、当該払込金額でその者の募集をすることを必要とする理由を説明しなければなりません(会社199③)。非公開会社においては、株主総会決議によって、募集事項の決定を取締役(取締役会設置会社にあっては、取締役会)に委任することができます(会社200①前段・309②五)。また、非公開会社において、株主割当てを行う場合、定款の定めにより、取締役(取締役会設置会社では、取締役会)が募集事項を決定することができます(会社202③一二)。公開会社においては、株主は通常持株比率に強い関心を有しないため、原則として取締役会が募集事項の決定を行います(会社201①・199②)。もっとも、有利発行の場合には株主総会の特別決議が必要となり(会社201①・199③)、支配権の異動を伴う場合には株主総会の普通決議が必要となることがあります(会社206の2)。募集株式の割当て募集株式の発行等においては、募集事項の決定をした後には、募集株式を割り当てることになります。株式会社は、募集株式の引受けの申込みをしようとする者に対し、必要事項の通知をし(会社203①)、申込みをする者は、必要事項を記載した書面を株式会社に交付します(会社203②)。株式会社は、申込者の中から募集株式の割当てを受ける者を定め、かつ、その者に割り当てる募集株式の数を定め(会社204①)、払込期日(払込期間の場合には、期間の初日)の前日までに、申込者に対し、割り当てる募集株式の数を通知しなければなりません(会社204③)。もっとも、募集株式を引き受けようとする者がその総数の引受けを行う契約(総数引受契約)を締結する場合には、会社との相対の交渉によって引受けの条件が定められるため(注1)、申込み及び割当てに関する規定(会社203・204)は、適用されません(会社205)。募集株式の割当て又は総数引受契約がなされると、募集株式の引受人となります(会社206)。出資の履行募集株式の引受人(現物出資財産を給付する者を除く)は、払込期日又は払込期間内に、株式会社が定めた銀行等の払込みの取扱いの場所において、それぞれの募集株式の払込金額の全額を払い込まなければなりません(会社208①)。効力発生出資の履行をした募集株式の引受人は、払込期日を定めた場合には当該期日に、払込期間を定めた場合には出資の履行をした日に、募集株式の株主となります(会社209①)。(2)募集株式の発行等の撤回学説上、募集株式の発行等の撤回は、払込期日経過前は可能であるが、会社は引受人に対して債務不履行による損害賠償責任を負うと解されています(注2)。3民事再生手続における再生計画と募集株式の発行(1)再生計画の意義民事再生手続における再生計画は、再生債権者の権利の全部又は一部を変更する条項その他再生債務者の事業又は経済生活の再生を図るための基本事項(民再154)を定める(民再2三)再生手続の根本規範です(注3)。再生計画の条項には、記載がないと再生計画が不適法なものとして不認可の理由(民再174②一)となる絶対的必要的記載事項、再生計画に記載しなければ効力が生じない相対的必要的記載事項、それ以外の事項であり、再生計画外でも定めることができる任意的記載事項とがあります。再生計画における募集株式を引き受ける者の募集に関する定めは、任意的記載事項となります。(2)再生計画における募集株式の発行会社法上、募集株式の発行に際して、募集事項の決定には株主総会の特別決議が必要とされることがあります。もっとも、民事再生手続においては、会社が債務超過に陥り、株主の持分が実質的意義を失っており、特別決議が必要となると、資金調達が困難になることから(注4)、再生計画において、株主総会の特別決議ではなく、取締役の決定(取締役会設置会社では、取締役会決議)によって、募集事項の決定が可能となっています(民再183の2①)。募集株式の発行を含む再生計画案の提出は、再生債務者のみが提出でき(民再166の2①)、再生債務者が債務超過にあり、かつ、募集株式を引き受ける者の募集が再生債務者の事業の継続に欠くことのできないものであると認める場合に、裁判所の許可を得て行うことになります(民再166の2③)。(3)募集株式を引き受ける者の募集に関する定めの不履行と再生計画取消し再生計画は、決議で可決(民再172の3①)されることによって成立し、裁判所の認可決定(民再174①)によって効力が生じます。もっとも、①再生計画が不正の方法により成立したこと、②再生債務者等が再生計画の履行を怠ったこと、③再生債務者が許可や同意を得ずに、要許可・要同意事項に該当する行為を行ったことのいずれかに該当する場合に、再生債権者が申立てを行うと、再生計画取消しの決定がなされることになります(民再189①)。募集株式を引き受ける者の募集に関する定めの不履行については、②再生債務者等が再生計画の履行を怠ったことに該当しないと解されています(注5)。4裁判例(1)事案の概要Y株式会社(被告、被控訴人、被上告人。以下「Y社」といいます)は、昭和59年に設立された建物総合管理等を目的とする株式会社(取締役会設置会社、監査役設置会社)です。株式会社X(原告、控訴人、上告人。以下「X社」といいます)は、不動産の所有、賃貸、管理等を目的とする株式会社です。Y社は、令和3年に、東京地裁に再生手続開始の申立てをし、再生手続開始決定が下されました。同年6月23日、X社とY社は、監督委員の同意を得て、Y社を再生債務者とするスポンサー契約(以下「本件スポンサー契約」といいます)を締結しました。本件スポンサー契約には、再生計画案に記載する事項を以下の内容とすることを合意する旨の定めが含まれていました。①全額減資Y社は、民事再生法166条1項の裁判所の許可を得た再生計画案の認可決定確定後、速やかに、再生計画案に従い、資本金の全額を減少する。②増資Y社は、民事再生法166条の2第2項の裁判所の許可を得て、再生計画案に従い、再生計画案の認可決定確定後、速やかに、X社が出資として拠出する金額として4000万円を合計発行価額とする募集株式の発行等を行い、新たに発行する株式の全てをX社に割り当て、X社はこれを引き受ける。③弁済Y社は、②の増資に基づくX社からの払込金(Y社の手元資金及びX社からの貸付金)をもって、Y社の負債等(共益債権、優先債権、残余の別除権及び再生債権に係る債務その他の債務)に対する弁済資金に充てるものとする。なお、再生債権の弁済時期は、再生計画案の認可決定確定後1か月以内を予定している。令和3年8月5日、Y社から東京地裁に募集株式を引き受ける者の募集に関する条項が定められていた再生計画案が提出され、同年11月25日に、東京地裁による再生計画認可決定が確定しました。令和3年12月17日、Y社は、取締役会を開催し、募集株式の発行について、以下の事項について決議をしました。募集株式の種類及び数普通株式40株募集株式の払込金額募集株式1株につき100万円金銭の払込期間令和3年11月25日から1か月以内増加する資本金の額増加する資本準備金の額4000万円0円払込取扱金融機関東京都杉並区(以下略)A銀行西荻窪支店募集株式の引受人(割当先)X普通株式40株ところが、令和3年12月23日午後3時、Y社は、取締役会を開催し、上述のX社への募集株式の発行についての取締役会決議について全部撤回する旨を決議しました。さらに、同日の午後3時15分、Y社は、取締役会を開催し、Y社代表取締役Bを引受人とする以下の事項について決議し、午後3時30分散会しました。募集株式の種類及び数普通株式40株募集株式の払込金額募集株式1株につき100万円金銭の払込期間令和3年11月25日から1か月以内増加する資本金の額増加する資本準備金の額4000万円0円払込取扱金融機関東京都杉並区(以下略)A銀行西荻窪支店募集株式の引受人(割当先)B普通株式40株令和3年12月23日午後3時15分からのY社取締役会議事録には、議長は、募集株式の引受人として、当初X社を予定していたが、払込期限が迫ったため、急遽変更した旨を詳細に説明した旨の記載がされていました。Y社の再生手続における代理人は、令和3年12月23日午後7時37分頃、X社代理人に対し、Y社の判断として、同月24日に予定していたX社に対する増資は見合わせることを決定した旨記載した「減増資延期のご連絡」と題する書面を、ファクシミリによる方法により送付しました。X社は、令和3年12月24日、Y社に対し、A銀行西荻窪支店のY社名義の口座に振り込む方法により、4000万円を支払ったが、同日中に、Y社からX社へ同額の送金がされました。そこで、X社が、Y社に対し、Y社の株式を引き受け、出資の履行をしたためY社の株式を有する株主となった旨主張して、X社がY社の普通株式40株を有する株主であることの確認を求めるとともに、会社法132条1項に基づき、会社法121条の株主名簿記載事項として、株主名簿にX社の名称等を記載することを求めて提訴しました。東京地裁は、払込期間を定めて募集株式の発行をする場合において、募集株式の引受けの申込みがされ、申込者に対し募集株式の割当てをしたとき又は総数引受契約を締結したときであっても、引受人が出資の履行をする前、すなわち募集株式の株主となる前においては、当該株式会社は募集株式の発行を取りやめることができる旨を判示し、募集株式の発行の撤回を認め、X社の請求を棄却しました。(2)判旨東京高裁は、まず、以下のように判示し、募集株式の発行の撤回を認めました。「Y社の募集株式発行に係る決定機関は、Y社の取締役会である(会社法201条1項、弁論の全趣旨)ところ、Y社が、X社との間の総数引受契約(本件スポンサー契約)を当然には一方的に解除することができないために上記契約に基づく債務不履行責任を負う可能性がある(もっとも、本件各証拠上、同責任の有無は明らかではない。)としても、Y社の取締役会が、出資の履行がされる前に、上記の決定機関として、上記の総数引受契約において予定されていた募集株式の発行を取りやめる(発行しない)ことができない状況にあったと解すべき法的根拠は見出し難く(なお、X社は、会社法203条、204条、206条、208条等の条文構成からX社の主張が裏付けられるなどと主張するが、総数引受契約が締結された本件において同法203条、204条の適用はなく(同法205条)、同法206条又は208条によりX社の主張が裏付けられているということもできず、X社の上記主張は採用の限りでない。)、本件全証拠及び弁論の全趣旨に照らしても、上記のような状況にあったと認めることはできない。」また、東京高裁は、以下のように、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行の効力が否定されたとしても、X社への募集株式の発行を撤回するY社取締役会決議の効力には影響を及ぼさない旨を判示し、控訴を棄却しました。「X社を引受人とする募集株式の発行を取りやめる(発行しない)旨の取締役会決議…と、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行についての取締役会決議…とは、法的にも実質的にも別個のものであり、仮に後者に瑕疵等があったとしても、前者の効力が失われるものではない。そして、①Y社が、X社を引受人とする募集株式の発行を取りやめたことにつき、X社に対して総数引受契約(本件スポンサー契約)に基づく債務不履行責任を負う可能性があり、②手続的瑕疵等を理由として、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行の効力が否定される可能性があり、又は可能性があった(もっとも、本件各証拠上、上記①及び②の結論は明らかではない。)としても、前記1で指摘した本件における事実経緯に照らし、上記①又は②の帰趨いかんによって、X社がY社名義の口座に4000万円を振り込んだ事実をもって出資の履行(会社法209条1項2号、208条1項)がされたとは認められないとの認定判断は左右されないというべきである。」(注6)(3)本判決に対する学説上の評価本判決に対しては、出資の履行の前であれば、決定機関で募集株式の発行の撤回をすることを認めた点(注7)、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行の効力が否定されたとしても、X社への募集株式の発行を撤回するY社取締役会決議の効力には影響を及ぼさない点(注8)のいずれも、肯定的に捉えられています。そして、募集株式の発行の撤回による不利益を被る者の救済としては、債務不履行による損害賠償請求では損害額の立証が困難であることから、違約金等を定めておくこと対処すべきとの指摘がなされています(注9)。もっとも、再生手続においては、多額の違約金はそれが現実化した場合に開始後債権(民再123①)として他の再生債権者に対する弁済に重大な影響をもたらすため、多額の違約金条項が規定されたスポンサー契約に監督委員の同意を取り付けることは現実的には相当困難であるとの指摘もなされています(注10)。5おわりに本稿では、募集株式の発行等の手続と募集株式の発行の撤回に関する学説、民事再生手続における再生計画と募集株式の発行の手続を確認した上で、再生手続における募集株式の発行の撤回を認めた本判決の事案と判旨をご紹介してきました。本判決及び学説上の議論を前提とすると、再生手続において募集株式の発行が再生計画に定めがあったとしても、その不履行は、再生計画の取消事由には該当せず、募集株式の発行は撤回することは可能であることから、再生債務者が募集株式の発行を撤回することができ、それによってスポンサーは不測の損害を被るという事態が生じることになります。スポンサーの救済については、本判決で示されている債務不履行責任の追及では損害額の立証が困難であることから、学説上は、事前に募集株式の発行の撤回について違約金の定めによって対処すべきとされていますが、実務上は、多額の違約金の定めは困難であるとの指摘もなされています。そのため、本判決を前提とすると、再生手続において、スポンサーとなろうとする者は、募集株式の発行の撤回の可能性があることに十分に留意し、本判決を示し、違約金の定め以外には十分な救済手段がないことを丁寧に説明した上で、可能な限り、スポンサー契約において違約金条項を盛り込めるように、交渉すべきでしょう。<注釈>田中亘『会社法〔第4版〕』(東京大学出版会、2023年)515頁上柳克郎ほか編代『新版注釈会社法(7)新株の発行』(有斐閣、1987年)22-23頁〔森本滋〕、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)789頁伊藤眞『破産法・民事再生法〔第5版〕』(有斐閣、2022年)1076頁伊藤・前掲(注3)1091頁伊藤・前掲(注3)1169-1170頁本判決に対しては、上告、上告受理申立てがされましたが、令和5年9月14日に上告棄却、上告不受理となっています。笠原武朗「判批」ジュリ1590号(2023年)3頁、舩津浩司「判批」ジュリ1595号(2024年)130、高谷裕介・宇田聖「判批」ビジネス法務2024年8月号(2024年)81頁舩津・前掲(注7)131頁笠原・前掲(注7)3頁、高谷(注7)81頁木下岳人弁護士の2024年9月28日開催の企業法実務研究会でのご報告レジュメ参照提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/02/14 topics
従業員向け株式インセンティブ報酬制度! ~今後の法改正の動向と実務上の留意点~
1はじめに現在、公益社団法人商事法務研究会・会社法制研究会において、次期の会社法改正に向けた議論が行われています。同研究会のホームページで公開されている資料「会社法の見直しに向けた検討について」(注1)(以下、「会社法制研究会資料」とします)によりますと、「従業員等に対する株式の無償交付」が次の改正に向けた1つの検討項目として挙げられています。これは、2024年6月21日に閣議決定された「規制改革実施計画」(以下、「2024年規制改革実施計画(注2)」とします)において「・・・法務省は、会社法上、株式そのものを付与する株式報酬の無償交付は上場会社の取締役又は執行役の場合のみに限られ、当該会社の従業員または子会社の役職員(以下「従業員等」という。)には無償交付することが許されない現行法制について、企業が優秀な人材を円滑に確保しやすくする観点から、従業員等に対する無償交付が可能となるよう、会社法の改正を検討し、法制審議会への諮問等を行い、結論を得次第、法案を国会に提出する」(注3)とされたことを受けたものと思われます。すなわち、政府は、従業員等への報酬・給与の支払いとして自社の株式の交付という手段を今よりも活用していくことを考えているようです。従来、株式・新株予約権に関連した報酬といいますと、取締役などのいわゆる役員等に対し、下記に述べるストックオプションを付与するということが主流だったように思われます。しかし、近時では、従業員向けに株式・新株予約権に関連した報酬制度を設けている例も上場会社を中心に多く見られるようになってきています。具体的には、2024年6月末時点で、上場会社のうちの延べ1,216社(複数のスキームを導入している企業を1社として集計しますと、1,054社)、およそ30%の会社で従業員向けの株式・新株予約権に関連した何らかのインセンティブ報酬制度を導入しています(注4)。こうした状況を念頭に置きますと、2024年規制改革実施計画が言うように従業員等に対して直接的に株式を無償交付できないという状況は、従業員に対する労働対価の支払いの多様化の動きに対して、大きな障壁となっている可能性が高いといえます。では、このまま議論を進めて従業員等に対する直接的な株式の無償交付をストレートに認めるべきでしょうか?本稿では、前述の会社法の改正を見据えた現在の議論を紹介しながら、若干の検討を試みたいと思います。2役員・従業員等に対する株式関連のインセンティブ報酬インセンティブ報酬とは、一般に、一定のプラン等に基づいて事前に目標および支払額が設定され、その目標の達成の有無によって支払いが決定される報酬のことをいいます(注5)。インセンティブ報酬の中には、対象者に株式または新株予約権を付与し、付与後の株価の推移に連動させる仕組み、たとえば株価が上昇した際に多くの報酬がもらえるような仕組みをとるものがあり、そのように株式・新株予約権に関連したインセンティブ報酬の中でも従来から有名なものとして、ストックオプション(StockOption:SO)と呼ばれる報酬形態があります。このストックオプションは、一般的に役員や従業員等に対し、自社の株式をあらかじめ定められた権利行使価額で購入できることを内容とした新株予約権を与えるものであり、中には権利行使価額を1円などの低廉な価額とすることもあります(このような場合、株式報酬型ストックオプションとも呼ばれます)。これに加えて、とくに株式に関連したインセンティブ報酬としては、次のようなものがあります。すなわち、①(事前交付型)譲渡制限付株式報酬(RestrictedStock:RS–一定定期間の譲渡制限が付された現物株式が事前に役員や従業員に交付されるもの。付与条件としては、一定の勤務条件のみが付されていることが多く、業績・パフォーマンスは条件とされないことが多いようです)、②譲渡制限付株式ユニット(RestrictedStockUnit:RSU–在職・勤務期間等に応じて役員や従業員にユニットを与え、権利確定時にユニットの累積数に応じた現物株式を交付するもの。業績やパフォーマンスの達成の程度や度合いに応じてユニットを与えることもあり、その場合、パフォーマンス・シェア・ユニットなども呼ばれます)、③株式交付信託(報酬相当額を信託に拠出し、信託が当該資金を原資に市場等から株式を取得したうえで、一定期間経過後に役員に株式を交付するもの)、④持株会型報酬(会社が株式取得目的のために従業員等に対して一定の金銭を支給し、当該金銭を原資にいわゆる持株会を通じて自社株式を取得させるもの。同様のことを持株会ではなく、信託を通じて行う場合はESOPとも呼ばれます)、などです(注6)。これらのうち、上場会社において、多く利用されているのは①の譲渡制限付株式報酬(RS)です。この報酬形態は、役員向けについては2024年6月末時点で2,300社が利用していますし、従業員向けについても461社が利用しているとのことです(注7)。また、従業員向けに譲渡制限付株式報酬(RS)を利用している461社のうち、2023年7月から2024年6月にかけて従業員に対してインセンティブ報酬として自社株式を直接割り当てた138件における平均割当額は「10万円以上50万円未満」の区分に入るものが60件で最も多く、次いで「100万円以上500万円未満」の区分に入るものが38件、その次に「50万円以上100万円未満」の区分に入るものが26件であったとのことです(注8)。割り当てを行ったきっかけと割当額の関係については、従業員に一律に付与する場合や創立記念として付与された場合は50万円未満が多く、給与水準が比較的高い幹部社員や社長表彰として付与された場合は100万円以上の例もみられるようです(注9)。こうしてみますと、従業員向けのインセンティブ報酬として(譲渡制限付)株式を交付する例は、一定程度上場会社においてみられてはいるものの、通常の給与に対する付随的な報酬、またはいわば「おまけ」的なものとして、位置づけられている例が多く、本格的な報酬・給与の一部としての位置づけからはまだまだ遠いように思います。それでは仮に株式の交付を本格的な報酬・給与の一部として位置づけていくとした場合に、どのような法的な課題・問題点があるのでしょうか?以下では、「会社法制研究会資料」において示されている課題をもとに検討してみたいと思います。3会社法制研究会資料にみる従業員に対して自社株式を無償交付する際の課題・問題点会社法制研究会資料では、従業員に対して自社株式を無償交付する際の法的な課題・問題点について整理を行っています(注10)。以下、それらを要約して挙げていくとともに、必要に応じて解説やコメントを加えていきたいと思います。(1)検討の背景事情株式報酬については、令和元年の会社法改正により、上場会社において、取締役の報酬等として募集株式の発行または自己株式の処分をするときは、金銭の払込み等を要しないものとされています(会社法202条の2)。他方で、取締役ではない従業員等については同様の規律は設けられていません。このため、実務上、従業員等に株式を交付する際は、金銭債権を付与した上で当該金銭債権を現物出資させて株式を交付する方法(現物出資構成)によって株式を交付しています(注11)。しかし、この方法はあまりに技巧的であるため、端的に従業員または子会社役職員(従業員等)への株式の無償交付(金銭の払込み等を要しない募集株式の発行または自己株式の処分)を認めるべきではないか、という観点から検討するとしています。(2)既存株主の利益の保護のあり方金銭の払込み等を要しない形で募集株式を発行する場合、1株当たりの価値が下落(希釈化)し、既存株主の利益が害されるおそれがあり得るため、既存株主の利益に配慮する必要が生じてきます。この点、上場会社において取締役の報酬等として募集株式を発行する場合は、①株式が取締役の報酬等(職務執行の対価)として交付され、取締役は株式会社に対して職務執行により便益を提供するため、金銭の払込み等を要しないことが特に有利な条件に該当することは想定し難いこと、②株式を取締役の報酬等とする場合には、株主総会決議によって交付する株式の数の上限等を定めなければならず、株主総会決議によって許容される希釈化の限度について株主の意思が確認されることになる、といったことを踏まえ、既存株主の利益が不当に害されるおそれはなく、有利発行規制も適用されないようにする立法上の手当てがなされています(会社法202条の2参照)一方で、従業員等に対して株式を交付する場合、(ア)仮に賃金(労働の対償)として交付されるわけではないと整理されるとすれば(下記の「(7)労働法との関係」を参照)、金銭の払込み等を要しないことが特に有利な条件に該当しないといえるか否かについては慎重な検討を要するものと考えられること、(イ)公開会社では、募集株式の発行等をするにあたって株主総会決議を経る必要がないため、株主総会決議によって許容される希釈化の限度について株主の意思が確認されることはないこと、などを踏まえて規律を検討する必要があります。このため、有利発行規制を及ぼすか否かや、株主総会決議を要件とするか否か、といったことが検討事項となるものと考えられます(注12)。その際、たとえば、取締役会において従業員等に対する募集株式の割当てに関する事項等を定めなければならないものとしたうえで、株主総会決議までは不要としつつも有利発行規制が及ぶものとする考え方や、株主総会において従業員等に対する募集株式の割当てに関する事項等を定めなければならないものとしたうえで、有利発行規制は及ばないものとする考え方などもあり得る、としています。(3)株式の無償交付の対象者会社法制研究会資料は、株式の無償交付の対象者について、当該株式会社の従業員に加えて子会社の役員や従業員を含めることにつき、仮に認める場合においても、完全子会社の役員や従業員に限ることも含めて検討するものとしています。また、役員に関しても、当該株式会社およびその子会社の取締役に加えて、監査役および会計参与を対象者に含めることについても検討するものとしています。現状では、親会社のみが持株会社として上場し、その傘下に多くの子会社等を有しつつ事業を行っている企業グループも多いので、仮に従業員等に対する株式の無償交付について積極的に検討していくとすれば、子会社の役員や従業員をその対象に含めることは合理的であるように思います。なお、現行の会社法は、子会社が親会社の株式を取得することを原則として禁止しています(会社法135条)。そのため、子会社の役員や従業員を親会社株式の無償交付の対象に含めていくとした場合、親会社株式について子会社を介することなく、子会社の役員や従業員に親会社株式を直接的かつスムーズに交付する方法を開発していくか(なお、本稿の注⑾も参照ください)、または、子会社による親会社株式の取得が例外的に認められる場合について定める会社法135条2項または会社法施行規則23条を改正し、役員や従業員に無償交付する場合を子会社による親会社株式の取得が認められる例外事由とするなどの手当てが求められることになるでしょう。(4)対象となる株式会社令和元年の会社法改正では、上場会社以外の株式会社の株式については、市場株価が存在せず、その公正な価値を算定することが容易でないことから、株式の無償交付の制度が濫用され、不当な経営者支配を助長するおそれが高まるとの理由から、上場会社に限って取締役への株式の無償交付を認めることとされました。ただ、会社法制研究会資料は、非上場会社においても人材活用のために株式報酬を利用するニーズがあり得るとして、既存株主の利益の保護が十分に図られ、不当な経営者支配に利用されるなどの制度の濫用のおそれが低い場合には、非上場会社について従業員等に対する株式の無償交付を認めることも検討するとしています。この点につき、筆者は、既存株主の利益の保護や不当な経営者支配の助長に対する配慮が必要な点はもちろんのこと、それ以外にもいくつかの懸念点があるように思います。たとえば、近い将来に上場が予定されている非上場会社であればまだしも、一般的な非上場会社においては、無償交付された株式につき、それを譲渡したり、金銭に換金することは容易ではないですし、仮に株式の交付を受けた従業員が長期的に当該株式を保有するにしても、剰余金の配当・配当性向の傾向は会社によってまちまちであることを考えると、最終的に従業員にとっては労働の対価としては不十分な結果となるケースも頻発するように思います。仮に非上場会社についても従業員への株式の無償交付を認めるとすれば、こうした懸念に対して十分に手当てがなされることが必要になると思われます。(5)開示会社法制研究会資料は、株式の無償交付の透明性・公正性を担保するため、一定の事項について事業報告の記載事項とすることなどが考えられるとしています。そのうえで、従業員等に対する株式の無償交付に関する事項の開示の要否等について検討を要するとしています。(6)会計処理令和元年の会社法改正では、上場会社において取締役の報酬等として金銭の払込み等を要しないで募集株式を発行する場合における会計処理につき、会社法および法務省令において、「取締役がその職務の執行として当該株式会社に提供した役務の公正な評価額」をベースとして計算するなどとする新たな規定が設けられました(会社法第445条6項、会社計算規則第42条の2および第42条の3)。このことを踏まえ、会社法制研究会資料では、従業員等に対する株式の無償交付に関する規定を整備した場合の、新たな会計処理に関する規律についても検討するとしています。(7)労働法制との関係会社法制研究会資料は、従業員に対して株式の無償交付を行う場合、交付される株式が労働基準法上の「賃金」(労働基準法11条)に該当し、それによって「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」とする、いわゆる「賃金の通貨払いの原則」(同法24条)に抵触しないかが問題となり得るとしています。そのため、この点について整理を要するとしています。この点、これまでみられてきた一般的な整理の中には、次の(a)から(c)の要件を満たす場合、労働基準法第11条が「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と定めているところの「賃金」には該当せず、同法第24条の賃金の「通貨払いの原則」にも抵触しないとするものがみられます(注13)。すなわち、株式の無償交付が(a)通貨による賃金等を減額することなく付加的に付与されるものであること、(b)労働契約や就業規則において賃金等として支給されるものとされていないこと、および(c)通貨による賃金等の額を合算した水準と、株式の無償交付を含む報酬スキーム導入時点の株価を比較して、労働の対償全体において前者(通貨による賃金等)が労働者が受ける利益の主たるものであること、といった要件です。そして、これらの要件を満たす場合は、株式の無償交付は、仮にそれが労働契約上の義務づけに基づく、労働の対償としての給付であったとしても、労働法の観点からは「福利厚生施設(福利厚生給付)」に該当すると考えられるようです(注14)。しかし、こうした整理、とくに(a)の通貨による賃金等を減額しないことを要求する要件などは、株式の無償交付が労働の対価(対償)としてではなく、あくまで通常の賃金に付加的(オマケ的)として用いられている限りでは法的にも一応整合的であるといえるものの、今後、正面から賃金の代替の一形態として捉えたうえで、そうした形で積極的に利用を促していくとすれば、整合性がとれなくなっていくように思います。労働法の研究者からも「究極的には、株式報酬の有用性を労働者の賃金制度においても正面から認め、労働基準法上の賃金に該当するか否かにかかわりなく株式報酬が認められる適切な要件を定めていくべきであるように思われる」との見解もみられていますが(注15)、的確な問題提起であると考えます。4おわりに以上、会社法の改正に向けて現在議論がされている、従業員に対する株式の無償交付に向けたいくつかの論点について見てきました。従業員に対する株式の無償交付については、上述したように、仮にそれを認めていくにしても、いくつかの課題・問題点をクリアする必要がありますし、とくに労働法的な観点からの検討も重要となります。さらに、一連の課題・問題点について考えていく際には、従業員が労働の対価(対償)として支払われる賃金が、取締役等の役員報酬と比較して額が低廉であるということも意識する必要があるように思います。株式の無償交付が経営者らによって濫用的に用いられたり、交付を受けた従業員にとって実質的な経済的利得を十分に得られるものになっていなければ、賃金全体の額が低い分、その影響が従業員の生活の逼迫に直接的につながりやすくなるためです。そのため、会社法の範疇とするか、労働法の範疇とするかはさておき、いずれにしても従業員らが実質的に合意しているもとで、労働の対価(対償)として株式の無償交付が用いられる状況を作り出すことも重要であると考えます。さらに、株式・新株予約権が関わるインセンティブ報酬については、課税に関する観点からも、報酬プランやスキームごとに、課税のタイミング(繰延べの可否)、課税区分(優遇措置の有無)、税法上の損金算入の可否および可とする場合の要件なども問題となり得ます(注16)。このように様々な課題・問題点があるものの、株式を用いたインセンティブ報酬は、適切に利用がなされれば、従業員に対して会社の業績の向上や株式価値の上昇に関心を向かせ、それと同時に従業員の資産形成にも資する、労働の対価(報償)の支払となり得るものと考えます。そうした良い形での利用がなされるよう、今後検討がなされていくことが望まれます。<注釈>公益社団法人商事法務研究会・会社法制研究会資料1「会社法の見直しに向けた検討について」(2024年9月19日。https://www.shojihomu.or.jp/public/library/2770/shiryo1.pdf)。内閣府「規制改革実施計画」(2024年6月21日。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/publication/program/240621/01_program.pdf)。前掲注(2)2024年規制改革実施計画・82頁。橋本基美「従業員向け株式インセンティブ制度の導入動向と実務上の課題」商事法務2375号(2024年)9頁。畑山茂樹「株式を利用したインセンティブ報酬の収入計上時期に関する一考察」税務大学校論叢第92号(2018年)17頁参照。経済産業省産業組織課「『攻めの経営』を促す役員報酬~企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引~(2023年3月時点版)」(2023年3月31日。https://www.meti.go.jp/press/2022/03/20230331008/20230331008.html)18-19頁参照。なお、本文で紹介したもの以外にも、株価の上昇と関連づけられた報酬形態として、ファントム・ストック(仮想的に株式を付与し、一定期間経過後に株価相当の現金を役員に交付する)、パフォーマンス・キャッシュ(中長期の業績目標の達成度合いに応じて、金銭を役員に交付する)、SAR(StockAppreciationRight。一定期間経過後の対象株式の市場価格があらかじめ定められた価格を上回っている場合に、その差額部分の金銭を公布する)などがあります。橋本・前掲注(4)9-10頁参照。橋本・前掲注(4)10頁参照。橋本・前掲注(4)10頁参照。会社法制研究会資料2-6頁参照。子会社の従業員等に対しては、子会社が従業員等に金銭債権を付与し、親会社が当該金銭債権にかかる子会社の債務を併存的に引き受ける旨の契約を締結し、親会社は、子会社の従業員等に対し、親会社に対する履行請求権を現物出資財産として給付させることによって親会社の株式を交付した後、親会社が子会社に求償するという運用がされている、とのことです。会社法制研究会資料2頁。なお、アメリカでは、ニューヨーク証券取引所やNASDAQの規則で、それらの市場に上場する会社が従業員に対し、株式関連の報酬プランを提供する場合には株主総会の決議を要する旨が定められています(NYSEListedCompanyManual303A.08,THENASDAQSTOCKMARKETLLCRULES5635(c))。経済産業省産業組織課・前掲注(6)100-102頁参照。また、山下聖志「株式報酬の導入・運用における法務部門の役割」ビジネス法務2024年10月号67頁も参照。池田悠「従業員向け株式インセンティブ制度の導入に係る理論上の課題−労働法の知見から」商事法務2375号(2024年)16頁。池田・前掲注(14)18頁。山下・前掲注(13)67-68参照。提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/02/07 topics
副業・兼業時の形態について -フリーランス法の解説を中心に-
1はじめに労働者がそれぞれの事情に応じて多様な働き方を選択できる社会を実現するため「長時間労働の是正、多様で柔軟な働き方の実現、雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保等」に対して、2019年4月より様々な法規制がされています(いわゆる、働き方改革関連法の施行)。その中でも「多様で柔軟な働き方の実現」の一環として、近年では、副業や兼業を認める大手企業が多くなっており(注1)、中小企業においても、副業を禁止している割合は小さく、従業員に放任されている割合が高いと示唆(注2)され、我が国における新たな労働の担い手として、期待されています。そのような背景も相まって、個人(一人役員会社も含む、以下同じ。)が事業者として受託した業務に安定的に従事することができる環境を整備する「特定受託事業者にかかる取引の適正化等に関する法律(以下、「フリーランス法」といいます。)」が制定され、2024年11月1日から施行されました。本稿では、個人が事業者として業務を受託する副業・兼業時の形態として考えられる類型の特徴及びフリーランス法の内容を中心に解説していくこととします。なお、本稿におけるフリーランスは、フリーランス法におけるそれを念頭に置いており、業務委託を受ける事業者で従業員を使用しないものを指すこととします。2副業・兼業時に採りえる形態副業・兼業時に採りえる形態として、自らの労働力を提供するか否かで、以下のように大別することができます。まず、労働力を提供する例としては(1)他人からある業務を受託し、その成果に対して収入を得る事業主の形態、もしくは(2)本業以外の事業主に正社員又は非正規社員のいずれかとして雇用され、労働者として労働力を提供することで収入を得る被用者の形態があります。これに対し、自己の労働力を提供しない例としては、(3)自己が保有する資産を有効活用して収入を得るような投資(資産運用)による副業が考えられます。次に(1)の事業主して副業・兼業をする場合、①個人又は②会社組織のいずれかになりますが、①個人で副業・兼業を始める場合、税務関係の諸届けのみで、すぐに事業を始めることが可能です(ただし、各種業法で許可・認可等が求められている場合を除きます)。これに対し、②会社組織で副業・兼業を始める場合には、初めにいずれかの会社(法人)の設立手続が必要になり、税務や労務に関する諸届けが必要になるほか、個人と同様、各種業法で許可・認可等が求められている場合には、それらの対応を経て、ようやく事業を開始することができる状況になります。副業・兼業が営利を目的として会社の形態を選択する場合、株式会社又は合同会社のいずれかを選択する事例が多く、筆者の経験上は、自身の資産を基に副業・兼業を始める場合には、合同会社を選択する事例が多く、自身の能力を基に副業・兼業を始める場合には、株式会社を選択する事例が多いように感じています。株式会社・合同会社のいずれにおいても、1人のみで設立することができ、拠出する資本金の額もともに1円以上であれば法的に問題はありませんが、本業に対する副業として事業を始める場合は、簡易に始めることができる個人の形態から始め、副業から一歩進んで本業同様に本人の収入源となるような事業となった場合には、将来の事業展開も含め、会社(法人)組織を採用すればよいと考え、その点は実務においても同じように展開しているように感じます。【図1副業・兼業の類型】類型労働力提供名称属性事業主ありフリーランス(1)個人会社組織なし投資・資産運用(3)個人会社組織被用者あり社員・パート・アルバイト(2)個人3フリーランス法の概要及びフリーランス側からみた注意点(1)フリーランスの現状フリーランス法の正式名称は、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」であり、2024年11月1日から施行されています。内閣官房が実施した「フリーランス実態調査(2020年5月)」によれば、日本のフリーランス人口は462万人と試算されており、その内訳は、フリーランスを本業としている者が214万人(約46.3%)である一方で、副業としてフリーランスをしている者は248万人(約53.7%)と試算されています。ただし、総務省統計局が公表する「労働力調査(2022年)」において自営業者数が648万人とされていることからも、副業でフリーランスをしている者が試算されている以上に存在しても不思議ではなく、潜在的にフリーランスはより多く存在しているものと思慮します。そのような現状において、前述のフリーランス実態調査では、全体の37%のフリーランスが取引先とのトラブルを経験したことを明らかにしており、フリーランスに対する保護は、必要な施策の一つとされていました。(2)フリーランス法の全体像そのような背景からフリーランス法は制定されましたが、この法律は、フリーランスの募集、契約の締結、契約の履行、契約終了の各段階における「取引の適正化」と「就業環境の整備」をはかることを目的としており、規制対象は業務委託をする発注者で保護対象は特定受託事業者となります。ここでいう「業務委託」とは、事業者がその事業のために他の事業者に物品の製造(加工を含む。)、情報成果物の作成、又は役務の提供を委託することをいいます(法2条3項2号)が、特に業種の制限はありません。また、事業者から他の事業者に対する業務委託が本法の適用の前提となりますので、発注者として消費者はこの法律の適用対象外となります。次に、「特定受託事業者」とは、業務委託者の相手方である事業者であって①個人で従業員を使用していないもの、又は②法人であっても、1名の代表者以外に役員がおらず、かつ従業員を使用していないものをいいます(法2条1項)。仮に、複数の事業を行っているフリーランスが、一つの事業で従業員を雇用し、他の事業では従業員を雇用していない場合、全体としては従業員を雇用していることになり、「特定受託事業者」には該当しないと解されています(注3)。なお、ここでいう「従業員」の定義は雇用保険法の一般被保険者の要件を満たすような1週間の所定労働時間が20時間以上であり、かつ、継続して31日以上雇用されることが見込まれる労働者を指します。これに対し、同居の親族のみを使用している場合は、本法の従業員を使用には該当しません。また、フリーランス法の適用の有無は、業務の発注時にフリーランスが特定受託事業者に該当するか否かで決まります。その際、発注者に課される契約条件の明示義務(法3条、以下②)は全ての発注者に適用されますが、その他の規制(以下①及び③から⑦)については、「特定業務委託事業者」のみに適用され、特定業務委託事業者以外の業務委託事業者には適用されません。なお、ここでいう「特定業務委託事業者」とは、業務委託事業者であって、個人の場合は従業員を使用するものを指し、法人の場合は2人以上の役員が存在するか、又は従業員を使用するものを指します。(3)フリーランス法の義務規定①募集情報の的確表示(法12条)募集情報の的確表示義務は、1対1の関係で契約交渉を行う前段階である広告等により広くフリーランスを募集する際の義務を指し、具体的には(ⅰ)発注者の情報、(ⅱ)業務内容、(ⅲ)業務従事場所等、(ⅳ)報酬、及び(ⅴ)契約の解除・不更新等の募集情報について、虚偽の表示又は誤解を生じさせる表示をしてはならないとするものです(法12条1項)。なお、当該情報提供について、いつ時点で提供された情報であるかを明確にしなければならないとされており、掲載日自体を記載する必要があることに注意が必要です(法12条2項)。②契約条件の明示(法3条)業務委託事業者が、特定受託事業者に業務委託した場合には、直ちに、特定受託事業者に対し、書面又は電磁的方法により以下の内容を明示する必要があります(法3条1項)。ただし、業務委託時点でそれらの内容を定めることができないことに正当な理由がある場合には、「内容を定めることができない理由」及び「内容を定める予定日」を明示すれば足ります(法3条1項ただし書き)。なお、これらの明示事項については、原則として業務委託の都度明示する必要がありますが、複数の業務委託がされる場合には、共通する事項については、共通する部分を明示することで、都度明示する必要はなくなります(公取委規則3条)。【図2契約条件明示義務(3条通知)の内容】明示項目注意点成果物やサービスの内容知的財産権の譲渡・許諾をする場合には、それらの範囲も明示する報酬額・税込の有無等を含め具体的な金額を明示する(ただし、報酬額を明示することが困難な場合には、算定方法の明示で足りる)・知的財産権を譲渡等する場合には、その対価も明示する・発注者が材料費等の費用を負担する場合には、総額を明示する支払期日支払期日を定めなかった場合、成果物等の受領(提供)日が、直ちに支払期日になる発注者と受注者の名称互いが識別可能な名称・番号であればよい業務委託日合意した日をいい、業務委託の開始日ではない納品やサービスの提供を受ける期日(納期)期間を定める場合は、その期間を明示する納品やサービスの提供を受ける場所(インターネット等)場所の特定が不可能な場合は明示する必要はない(検品する場合)検査完了日明確な日付とする必要がある(ただし、「納入日から●日以内」とすることも可能)現金払い以外の方法による支払方法デジタル通貨払いも許容される➂支払期日(法4条)特定業務委託事業者は、特定受託事業者の給付を受領した日(又は役務の提供を受けた日)から起算して60日の期間内(注4)に報酬を支払わなければなりません(法4条1項参照)。前述のとおり、支払期日は、具体的な日付が特定できるように定める必要があり、納品後●日以内という定め方は認められていません(支払期日を定めなかった場合には、「給付受領日(役務提供日)」が支払期日とみなされます(法4条2項))。なお、ここでいう「給付受領日」とは、発注者が成果物を受け取った日をいい、成果物の検品完了日でありません(注5)。他方で、仮に特定受託事業者側の問題で委託業務のやり直しがあった場合には、やり直し後の物品受領又は情報成果物提供日が給付受領日になると解されています(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の1(1)エ)。もっとも、再委託の場合(元委託者→再委託者→フリーランス)においては、再委託者がフリーランスに対し再委託であること等を明示したときには、再委託者は、フリーランスに対し、元委託者が再委託者に報酬を支払う予定の日(元委託支払期日)から30日以内に報酬支払日を定めれば足りるとされています(法4条3項)。この特例は、「再委託の特例」と呼ばれ、元委託者から委託を受けてフリーランスに再委託する再委託者の支払いに配慮して、当該規定は設けられました。④1か月以上の期間行う業務委託時における禁止行為(法5条)フリーランス法では、契約期間が長くなればなるほど、フリーランスが発注者に経済的に依存することになり、発注者からの不利益な取扱いを受けやすくなる恐れを考慮して、1か月以上の期間継続する業務委託については、以下の行為を禁止行為と定めています(法5条1項)。ここでいう契約期間の考え方として、始期については、(ⅰ)業務委託契約締結日、又は(ⅱ)業務委託に関する基本契約締結日のいずれか早い日を指し、終期については、業務委託契約の終了日、又は基本契約終了日のいずれか遅い日を指しますので、契約期間としてカウントする場合、実際に業務委託に従事した期間だけではない点に注意が必要です。この点からも、相当多くの業務委託が本条の対象になると指摘されています(注6)。【図3禁止行為(法5条1項)の内容】禁止行為内容受領拒否フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、注文した物品又は情報成果物の全部又は一部の受領を拒む(納期の延期・契約解除も含む)こと報酬の減額フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、あらかじめ定めた報酬を減額する(違約金として徴収することも含む)こと返品フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、受け取った物品を返品(注7)すること買いたたき類似品等の価格又は市価(=フリーランスが属する地域において一般に支払われる対価)に比べて、著しく低い報酬を不当に定めること購入・利用強制正当な理由がないにも関わらず、指定する物・役務を強制的に購入・利用させること不当な経済上の利益の提供要請フリーランスの利益を不当に害するものでなく、かつ、フリーランスの自由意思によらずに、金銭、労務の提供等をさせること不当な給付内容の変更・やり直しフリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、費用を負担せずに注文内容を変更し、又は受領後にやり直しをさせること(フリーランスの利益を不当に害する場合に限る)なお、契約期間が1か月未満の場合であっても、発注者が、上記の禁止行為を行うことで、独占禁止法上の優越的地位の濫用に関する規制に違反する可能性もありますので、注意が必要です。➄ハラスメント防止措置の整備(法14条)発注者とフリーランスには労働契約関係が存在しないことから、ハラスメント防止に関する法律(=労働施策総合推進法)が適用されません。この点からフリーランス法では、フリーランスの就業環境の整備を目的として、発注者にハラスメント対策として必要な措置を講ずることを法的義務として定めています。具体的には、(ⅰ)ハラスメントを行ってはならない旨の方針の明確化と社内への周知・啓発、(ⅱ)相談窓口の設置とその周知(この点につき、新たな設置が必要ではなく、既存の門戸を開ければよいとされています)、(ⅲ)相談に対する適切な措置と配慮、(ⅳ)プライバシー保護のための必要な措置及び周知、及び(ⅴ)申出による不利益取扱いを行わない旨の周知・啓発を講じる必要があります。⑥妊娠・出産・育児・介護に対する配慮(法13条)前述のハラスメント防止措置の整備と同様に、発注者とフリーランスとの間に労使関係がないことから、育児介護休業法のように「妊娠・出産・育児・介護」を行う者を保護できる状況にないため、フリーランス法は、特定業務委託事業者に対し、6か月以上の継続的業務を委託している(以下、「継続的業務委託」といいます。)特定受託事業者の申出に応じて、妊娠・出産・育児・介護と両立して業務に従事することができるように配慮する義務を課しました(なお、6か月未満の場合は、努力義務となります)。ここでいう、6か月以上とは、契約期間が6か月以上となる時点を指し、複数回の契約更新により6か月以上の契約期間を有するに至った場合も含みます。フリーランス法上、特定受託事業者からの申出に応じて配慮する必要はありますが、業務の性質や会社の体制などにより配慮自体が困難である場合や、配慮を行うことで業務のほとんどが行えなくなる場合等、合理的な理由がある場合には、配慮自体を行わないことも認められています(注8)。➆中途解約時の事前予告・理由開示(法16条)フリーランス法は、継続的業務委託をしている場合、少なくとも契約解除の30日前までに、契約解除すること又は更新しないことについて、予告しなければならないと定めています(法16条1項)(注9)。ここでいう解除は、発注者側からの一方的な契約解除を指し、フリーランスとの間の合意解除は含まれません。これに対し、継続的業務委託以外の場合における契約解除においては、本条の規定が適用されませんが、フリーランス法上の禁止行為等(法5条)に抵触しないよう注意が必要です。なお、フリーランスが契約解除理由について開示請求をした場合には、発注者は、それに応じる必要があります(法16条2項)ので、将来的なトラブル回避のためにも、フリーランスに対し、きちんと説明をするなどの対応が望まれます。(4)フリーランス側が注意すべき事項及びトラブルの際に採るべき対応策フリーランス・トラブル110番(注10)に寄せられた相談内容として、報酬の支払いに関するものが最も多く、次いで契約条件の明示、受注者からの中途解除・不更新、発注者からの損害賠償、発注者からの中途解除・不更新、労働者性の順となっています。フリーランスが発注を受ける際には、事前にフリーランス法の適用の可否を知っておくことが望ましく(ⅰ)発注者の属性(特定業務委託事業者or業務委託事業者の別)や(ⅱ)委託業務の受注期間などについては、特に注意して確認をしておくべきです。また、報酬の支払いトラブルの次に多い「契約条件の明示に関するトラブルや受注者からの中途解除・不更新、発注者からの損害賠償」については、契約締結時点で契約条件(3条通知)の内容について細部まで明確にすることで、未然に防げるトラブルといえますので、受注する側も慎重に対応していくことが望まれます。その他のトラブルについては、フリーランス法でカバーされている部分が多くなりますので、トラブルに対する備えとしてもフリーランス法を熟知することは有用となります。上記のほか、実際に発注者との間でトラブルが生じたフリーランスが採るべき対応策としては、民事裁判等の司法制度を利用するほか、担当行政機関への申し出(取引適正化関連については経済産業省・中小企業庁、就労関連については厚生労働省)を行うことが可能です。フリーランスが当該申し出を理由に発注者は不利益取扱いをすれば、それ自体が行政機関からの勧告や命令の対象となりますので、発注者は真摯に対応することが望まれます。4おわりにフリーランス法の施行により、フリーランスに対しても一定の保護がされることに違いはありませんが、この法律が施行されても、フリーランスが優位になるというものではありません。他者との差別化を図れなければ、発注者にとって代替性のある発注先の一つとして認識されるのみであり、魅力的な発注先になるということはありません。以上からも、まずは発注者にとって魅力的なフリーランスになり、副業・兼業の範囲内でこの働き方を利用しながら、将来を見据えていくことは十分検討に値すると考えます。フリーランス法が、副業・兼業する側のQOLが向上し、ひいてはそれが本業の活性化につながるという好循環になることを願って、今後の動向に注視していきたいと思います。<注釈>「副業・兼業に関するアンケート調査結果(www.keidanren.or.jp/policy/2022/090.pdf)」川上淳之「中小企業における副業認可とその影響」45頁(2024年8月・日本政策金融公庫論集第64号)第二東京弁護士会労働問題検討委員会編著「ケーススタディでわかるフリーランス・事業者間取引適正化等法の実務対応」21頁(2024年・第一法規)仮に60日を超える日を支払期日として定めたとしても給付受領日等から起算して60日を経過する日が支払期日とみなされます(法4条2項)。他方、情報成果物については、事前に一定の水準を満たしていることを確認した時点を給付受領日とする旨の合意がされている場合には、その水準を確認した日が給付受領日となります(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の1(1)イ)。前掲注3・91頁別途保証期間として1年以内を定める場合を除き、6か月を超えた後の返品は認められません(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の(2)ウ)。特定業務委託事業者が募集情報の的確な表示、育児介護等に対する配慮及び業務委託に関して行われる言動に起因する問題に関して講ずべき措置等に関して適切に対処するための指針第3の2(1)契約解除の30日前までに解除通知をしなかった場合には、過去の労働判例を参考に30日の経過によって解除の効力が生じることになると解する余地はありますが、フリーランス法にはそれに関する規定がされていない点には注意が必要です。第二東京弁護士会が厚生労働省から依託を受け、2020年11月から設置された発注者から仕事の委託を受けるフリーランスの取引上のトラブルを解決するための相談窓口機関提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/01/31 topics
パワハラを理由とする退職金減額について 取締役会の裁量はどこまで及ぶか -釧路地帯広支判令和5年1月16日-
1.はじめにパワーハラスメント(パワハラ)は就業環境を悪化させるものであり、厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査(令和5年度)」によれば、労働者の5人に1人が「過去3年間にパワーハラスメントを受けたことがある」と回答しています(注1)。パワーハラスメント防止措置を執ることは、令和4(2022)年4月から全ての事業主に義務化されています(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律30条の2)。この規定によれば、パワハラとなるのは、同じ職場で働く者に対して、(1)「優越的な関係」を背景とした言動であって、(2)「業務上必要かつ相当な範囲」を超えたものにより、(3)労働者の就業環境が害されるものという3つの要素を全て満たす言動を指します(注2)。パワハラが会社の上司によって行われる場合には、その部下に与える影響は大きいものとなります。特に会社のトップ(社長)によるパワハラは、その会社に社長の言動を阻止できる者がいないため、部下に深刻な問題を与えるリスクが高まります。近時、パワハラを原因として代表取締役社長が辞任した場合に、株主総会で取締役会に一任された退職金を、取締役会の裁量で減額することが認められるか否かが争われた注目すべき裁判例が、釧路地帯広支判令和5年1月16日LEX/DB文献番号L07850594です。本稿ではこの裁判例を紹介しつつ、パワハラの問題を検討して行きます。2.釧路地帯広支判令和5年1月16日(1)事実の概要Y会社は、帯広市等において、食料品主体のスーパーマーケット事業等を行っている株式会社であり、取締役会設置会社です。Xは、昭和52年、Y会社に従業員として入社し、昭和61年11月からY会社の取締役に就任し、平成23年11月から令和2年11月5日までY会社の代表取締役を務めた者です。Y会社の取締役会は、令和2年11月5日に、Xを代表取締役から解職するとの議案を可決しました。Xは、そのことを知らされた後、Y会社宛てに辞任届を提出して、Y会社の取締役及び代表取締役を辞任しました。Y会社の取締役会は、一旦可決されたXの代表取締役の解職決議を撤回しました。Y会社は、令和2年12月22日に開催された株主総会(本件株主総会)において、Y会社の役員退職慰労金規程に従い、Xに対し、一定の基準で相当額の範囲内において退職慰労金を贈呈することおよびその具体的金額、贈呈の時期、方法等を取締役会に一任することを決議しました(本件株主総会決議)。Y会社の役員退職慰労金規程(注3)に基づき計算されるXの退職慰労金は、7897万5000円(退任時報酬月額325万円×0.9×27(年))でしたが、Y会社は、令和3年7月15日に開催された取締役会において、Xの退職慰労金を7000万円と決議し(本件取締役会決議)、同年7月28日、Xに対し、同額を支払いました。その後、Xは、Y会社に対して、(1)主位的に、退職慰労金支給の株主総会決議がなされてから、1か月以内に、Xの退職慰労金等の支給を取締役会において決議しなかったことは、取締役としての善管注意義務に違反すること、(2)予備的に、Y会社が、取締役会決議において考慮すべきでない事項を考慮するなどしてXの退職慰労金を減額し、また功労加算金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反すること(注4)等を理由に、支払われるべき退職慰労金7897万5000円、功労金相当額2000万円、弁護士費用相当額989万7500円、遅延損害金168万2302円の合計金額1億1055万4803円より、既払の7000万円を控除した4055万4803円を損害額として、その支払いを求めました。2.判旨前掲釧路地帯広支判令和5年1月16日は、Xの請求を棄却しました。(1)争点①退職慰労金の支給日について「Y会社の役員退職慰労金規程には、取締役会の退職慰労金の支給日について、株主総会の決議に従い取締役会が決定するとの定めがあるものの、退職慰労金贈呈の時期についての定めがないところ、本件株主総会においても、Xに対する退職慰労金の贈呈の時期等はY会社の取締役会に一任するとされていること…に照らすと、退職慰労金支給の具体的な時期については、Y会社の取締役会の裁量に委ねられていると解される。したがって、Y会社の取締役会に委ねられた裁量の範囲を逸脱又は濫用した場合に、各取締役につき善管注意義務違反が認められ得ると解するのが相当である。」「Y会社の取締役会は、本件株主総会決議の趣旨を踏まえ、Xに対する退職慰労金の支給の判断の前提となる、Xのパワーハラスメント行為の有無やその評価について、第三者委員会や弁護士といった専門家の助言を得た上で、慎重に判断していたのであり、本件株主総会決議から、本件取締役会決議がなされるまで、7か月程度を要しているとしても、取締役会の裁量の範囲の逸脱又は濫用に当たると評価することはできないから、Xの主張を採用することはできない。」(2)争点②退職慰労金の減額等について「Y会社においては、本件株主総会決議により、取締役会に対し、Xの退職慰労金等の具体的金額や支給時期の決定が一任するとされていることから、退職慰労金の減額をするかどうかや減額する場合にいくら減額するか、功労加算金の支給を行うかどうかや支給する場合にいくら支給するかについては、Y会社における役員退職慰労金規程に則り、取締役会に裁量があると解するのが相当である。」「Xによるパワーハラスメント…の事実は、パワーハラスメント行為を受けたY会社の役員や従業員に精神的な打撃を与えるだけでなく、これらの者以外のY会社の取締役や従業員の意欲の低下を招き得るものであること、Y会社の対外的イメージを悪化させ得るものであること、Y会社内部のコンプライアンスに対する悪影響を与えるものであることなど、決して軽視することはできないものであることに照らせば、Y会社が主張する退職慰労金の減額事由のうち一部については認められないものの、Xの退職慰労金を約12%減額し、Xに対し功労加算金を支給しないとのY会社の取締役会による判断は、その裁量の範囲を逸脱又は濫用したとはいえない。したがって、Y会社が、本件取締役会決議において、Xの退職慰労金を減額し、また功労加算金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反するものではない。」3.退職慰労金の決定方法(1)会社法の規制取締役の報酬規制について、指名委員会等設置会社では報酬委員会(会社法404条3項)が、それ以外の株式会社では定款の定めまたは株主総会の決議でその額を定めなければなりません(会社法361条1項)。もっとも、指名委員会等設置会社以外の株式会社の取締役の場合、実務上一般に退職慰労金については、通常の報酬等とは異なり、退職慰労金の総額(最高限度額)を明示せず、具体的な金額、支給時期、支給方法等を、取締役会設置会社では取締役会に、取締役会設置会社以外の会社では取締役の過半数による決定に一任する旨の総会決議がなされることがあります。勤続年数の長い取締役は退職慰労金の額が大きくなるところ、日本の取締役は報酬額の個別開示を好まない傾向があるためだと考えられています。判例の立場によれば、無条件に取締役会等に退職慰労金の決定を一任するのではなく、会社の業績、退任取締役の勤続年数、担当業務、功績等から算定された一定の支給基準に従い、それを株主が推知し得る状況において、決定すべきことを一任するのであれば無効とはいえないとしています(最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁)(注5)。(2)退職慰労金の具体的権利性退職慰労金の支給規定や支給基準がある会社であっても、会社法に定める報酬等に該当するため、退任取締役は定款または株主総会の決議によってその金額を定める等、会社法上の規定に基づく支給決議がなければ具体的報酬請求権は発生しないと解されています(最判昭和56年5月11日金判625号18頁)。そのため、株主総会決議がない場合には、会社についても取締役についても責任を否定する裁判例が多いです(東京地判平成27年7月21日金判1476号48頁、東京地判平成30年2月20日判タ1458号217頁)。(3)退職慰労金支給の株主総会決議後の取締役会による不支給・減額の可否これに対し、退職慰労金の支給を認める株主総会決議があったにもかかわらず取締役会で支給決議を行わなかったという事案については、退職慰労金相当額の損害賠償を認容しています(東京地判平成元年11月13日金判849号23頁、東京高判平成9年12月4日判時1657号141頁)。東京地判平成10年2月10日判タ1008号242頁は、株主総会において取締役の退職慰労金を取締役会に一任する旨の決議がなされた場合、退職慰労金請求権は、その金額を決定する取締役会の決議があって、初めて発生するものであり、一定の基準が存在しても株主総会の決議だけで当然に発生するものではないが、「一定の支給基準が存在して、その基準に従って定める趣旨で株主総会において取締役会に一任する旨の決議がなされたにもかかわらず、取締役会においてそれに反する決議をした場合には、決議をした取締役らは、退職慰労金を受給できる退任取締役に対して不法行為責任を負うことになる」と判示されています。東京高判平成20年9月24日判タ1294号154頁は、株主総会で退職慰労金内規に従い退職慰労金の支給を取締役会に一任する旨の決議がされた会社において、退職慰労金内規には基本的退職金部分について具体的に定められ、減額や不支給の定めはなく、支給時期は原則として総会決議後1か月以内と具体的に定められている場合には、基本的退職金部分の支給は株主総会の決議により確定的になったものということができると判示しています。また、弁護士等で構成される調査委員会が取りまとめた、退職慰労金支給内規に基づく特別減額事由に基づく退職慰労金を減額した取締役会には、その判断に当たり広い裁量権を有するというべきであり、取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られるとして、被上告人の請求を棄却した判例(最判令和6年7月8日(令和4年(受)第1780号)LEX/DB2557363)もあります。学説においても、株主総会で一定の支給基準に従い退職慰労金を支給すべき旨の決議をした場合にも、内規等の支給基準において不支給・減額事由が定められているときは、取締役会がそれに従い退職慰労金の不支給・減額を決めることはもとより可能であり、支給基準にそのような定めがないときでも、会社が支払不能に陥った場合や、退任取締役について会社財産の横領等刑事罰に相当する行為が発覚した場合には、不支給・減額することが株主総会の黙示の委任内容であるとして、取締役会が不支給・減額を決議することも許されると解するものもあります(注6)。4.本判決の検討判旨(1)では、Y会社の取締役が、本件株主総会決議がなされてから、1か月以内に、Xの退職慰労金等の支給を取締役会において決議しなかったことが、取締役としての善管注意義務に違反するかが争われています。退職慰労金の支給時期が定められていた前掲東京高判平成20年9月24日とは異なり、Y会社の役員退職慰労金規程には、退職慰労金贈呈の時期についての定めがなく、Y会社の取締役会の裁量に委ねられているところ、Xのパワーハラスメント行為の有無やその評価について専門家の助言を得て慎重に判断していたこと、本件株主総会決議から支給まで7か月程度であることは、取締役会の裁量範囲を逸脱したということはできないでしょう。判旨(2)では、Y会社が、本件取締役会決議において、Xの退職慰労金を減額し、また功労金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反するかが争われています。退職慰労金内規に減額や不支給の定めを置いていなかった前掲東京高判平成20年9月24日とは異なり、本件は、内規に特別減額を定める前掲最判令和6年7月8日と同様の裁判例です。学説でも、退職慰労金の減額等については、会社法361条のお手盛り防止の趣旨には反しないとして、その裁量の範囲を広く解して良いと解されています(注7)。そこで、本判決は、退職慰労金規程に則り、取締役会に裁量があるところ、減額事由として、Xによるパワーハラスメントの事実を認定しています。本判決は、職場におけるパワーハラスメントの判断基準として、職場において行われる、①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいうとされています。Y会社は、Xのパワハラとして、社長室内において従業員や取締役に対し長時間にわたって叱責したこと、Y会社の代表取締役専務に対してさまざまな会議の場で叱責したこと、叱責にあたり激しく机を叩きながら激高したこと等の20の事由を挙げました。本判決は、そのうちの11の事由を、人格的な非難を加えるものであって、業務上必要かつ相当な範囲を超えており、取締役や従業員の就業環境を害するものであるとしてパワハラがあると認定しました。これらは、Y会社内部のコンプライアンスに対する悪影響を与えるものであること等から、減額を認めた本判決の判断は妥当といえるでしょう。5.結びに代えて令和2年11月5日に開催されたY会社の取締役会において、取締役AからXを代表取締役から解職するとの議案が提出された際、Xは特別の利害関係を有する取締役(会社法369条2項)として、別室に移動することになりました。別室において、Xは、Y会社の代理人弁護士Bより、Y会社の役員や従業員に対するパワハラがあったことを理由に解職動議が提出されたとの説明を受けました。その後、取締役会においてXの解職議案が可決されたことを伝えられると、弁護士Bは、Xに対し、自ら代表取締役と取締役を辞任するということであれば、取締役A(次期代表取締役社長)は、他の取締役を説得して、解職動議を撤回して、辞任を受け入れるということで説得を試みるとして、Xに辞任を促しました。Bは、Xが解職されると退職慰労金の支払は難しくなるが、辞任であれば、退職慰労金支給を株主総会に付議する考えがあること、等を説明しました。これに応じてXはY会社の取締役及び代表取締役を辞任しました。こうした経緯から、退職慰労金の支払はあるものの、規定どおりに支給されるかどうかは明らかではないことは容易に予想されるものと思われます。本判決は、Y会社が行った、Xの退職慰労金の約12%の減額を肯定しています。これについて、なぜ減額幅が12%としたのか根拠が明示されているわけではありません(注8)が、パワハラに基づく減額は、退任役員と会社との間で紛争が起こりやすい要素であり、減額基準の具体的な算定が困難であるために行われたのでしょう。このように考えると本判決が減額を肯定したことも納得できます。パワハラは多くの会社で問題となっています。本判決で示された判断枠組みが今後同様の事案の解決にとって参考になれば幸いです。<注釈>厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査(令和5年度)」(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000165756.html参照)。厚生労働省「NOパワハラなくそう、職場のパワーハラスメント」(2024年10月3日・https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201304/1.html)。これによれば、「優越的な関係」とは、上司から部下に対しての言動だけでなく、先輩・後輩間や同僚間、さらには部下から上司に対して行われるなどの様々な職務上の地位や人間関係の優越性を背景に行われるケースが含まれるとし、「業務上必要かつ相当な範囲」とは、個人の受け止め方によって不満に感じる指示や注意・指導があっても「業務の適正な範囲」内であればパワーハラスメントに該当しないということになります。Y会社の定款28条には、取締役の報酬等は、株主総会の決議によって定めるとの定めがあります。Y会社の役員退職慰労金規程には、退職慰労金は、この規程に基づき計算すべき旨の株主総会の決議に従い、取締役会又は監査役の協議において決定した額の範囲内とすること(第3条2号)、退職慰労金の支給基準額は、「支給基準額=退任時の報酬月額×役員在任年数」により算出すること(4条)、退任役員のうち在任中特に功労のあったものに対しては、第4条により算出した金額に、その50%を超えない範囲で功労金を加算することができること(8条:功労加算金)、退任した役員が在任中特に重大な損害を会社に与えた場合、又は会社の業績が不振な場合等においては、第4条にて算出した額から相当額を減額することができること(9条:減額)、役員の退職慰労金の支給日及び支給方法等は、取締役の退職慰労金は、株主総会の決議に従い取締役会が決定すること(10条1号)が定められています。この他、Xが、Y会社に対し、Y会社の代表取締役らが、Xを含む関係者の事情聴取や意向確認等の事前調査を十分に行わないまま、Y会社代理人弁護士を通じ、Xに虚偽の内容を伝えて錯誤に陥らせ、Y会社の取締役を辞任させたことは、Y会社の取締役が善管注意義務に違反することも争っていますが、字数の関係から本稿では扱いません。ここにいう「株主が推知し得る状況」とは、①書面または電磁的方法による議決権行使がなされる会社(会社法301条・302条)では、株主総会参考書類に当該基準の内容を記載するか、または、②当該基準を記録した書面等を本店に備え置いて株主の閲覧に供する等、各株主が当該基準を知ることができるような適切な措置が講じられていることをいい(会規82条・82条の2)、それ以外の会社でも株主が本店で請求すれば基準の説明を受けられる措置を講じておかなければ、一任決議が無効になる可能性があります。なお、株主総会の議場で株主から支給基準について説明を求められた場合には、基準を閲覧できる状況になっていても、取締役は説明しなければなりません(東京地判昭和63年1月28日判時1263号3頁)。落合誠一編『会社法コンメンタール(8)機関(2)』(商事法務、2009年)205頁〔田中亘〕。尾形祥「本件判批」ジュリスト1591号(2023年)3頁。高橋均「本件判批」ジュリスト1602号(2024年)133頁。提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/01/24 topics
2024年下半期における東証上場会社の機関設計の選択状況
1.東京証券取引所及び株式会社の機関設計の変遷1878年(明治11年)5月15日に東京証券取引所の前身である「東京株式取引所」が創立され、翌6月には売買立会が開始されていますが、当時はまだ商法の制定前であり、1890(明治23)年商法(旧商法)施行後及び1899(明治32)年商法(新商法)施行後の株式会社には、株主総会・取締役・監査役の機関設計のみが法定されました。第二次世界大戦中の1943(昭和18)年6月30日には「日本証券取引所」に全国の11ヶ所の証券取引所が統合されましたが、広島・長崎に原爆が投下された後の1945(昭和20)年8月10日には売買立会は停止、戦後の1947(昭和22)年12月18日に「日本証券取引所」は解散し、同年に制定された「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(略称:独占禁止法)」(同年7月20日施行)による財閥解体により大量の株式が一般に再配分され、証券民主化運動等と相俟って、株式所有の大衆化が急速に進展しました。1949(昭和21)年4月1日には「東京証券取引所」(以下、東証とします)が証券会員制法人として設立され、翌5月には、東証での取引再開が認められてます。さらに1950(昭和25)年の商法改正により取締役会が法定され、株主総会・〔取締役会+代表取締役〕・監査役のみが株式会社の機関設計として法定されます。さらに同年の改正により、監査役の権限も会計監査権限のみに限定され、株式会社は全て公開会社とされました。その後の1966(昭和41)年商法改正により、定款で全株式の譲渡制限を定める会社(閉鎖会社:会社法下では公開会社でない株式会社)が許容された後も、暫くは全ての株式会社に同じ機関設計のみが法定されることになりました。なお、1968(昭和43)年1月以後、証券会社は免許制へ移行しています。規模に関わらず全ての株式会社が同じ機関設計で良いのかという問題から、1974(昭和49)年には「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(略称:商法特例法・監査特例法)」が制定され、同法により、資本金5億円以上の大会社に会計監査人の設置が義務付けられます。同時に資本金1億円を超える株式会社の監査役には業務監査権限が復活します。同法の1981(昭和56)年の改正により、大会社の概念が資本金5億円以上、又は負債総額200億円以上の会社と変更されるとともに、監査役には必ず1名以上の常勤者を置かなければならないことになります。1993(平成5)年の同法の改正では、大会社に監査役会の設置と社外監査役1名以上が義務付けられるようになります(これにより上場会社の大半が監査役会設置会社に占められることとなります)。さらに2001(平成13)年の同法の改正では、監査役会構成員の半数以上の社外監査役の選任が義務付けられました。2002(平成14)年の同法の改正では、委員会等設置会社(会社法施行時に委員会設置会社に改称、2014年改正法施行後は指名委員会等設置会社に改称)の機関設計が追加されます。2006(平成18)年5月1日の会社法施行により、「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律」は廃止され、同法の規定の多くは会社法に引き継がれます。会社法施行により、公開会社でない株式会社では、取締役会非設置会社も許容されましたが、公開会社の機関設計は、監査役設置会社(含む監査役会設置会社)と委員会設置会社(会社法で改称。現・指名委員会等設置会社)のままでした。東証は2001(平成13)年に株式会社化し、(株)東京証券取引所となります。2007(平成19)年8月1日には、持株会社となる(株)東京証券取引所グループが設立され、株式移転により、(株)東京証券取引所は、同社の完全子会社となっています。また、同年9月30日は、証券取引法が金融商品取引法に改称されています。2013(平成25)年1月1日には、(株)大阪証券取引所(存続会社)と(株)東京証券取引所グループ(消滅会社)の吸収合併により、(株)日本取引所グループ(JPX)が発足、同年7月16日に大阪証券取引所の現物市場は東証に統合されています(以降、現物市場のある証券取引所は、札証・東証・名証・福証の4ヶ所となりますが、各市場への単独上場は少ない為、東証が9割以上のシェアを占めます)。2014(平成26)年会社法改正により、監査等委員会設置会社が追加され、同時に委員会設置会社が指名委員会等設置会社と改称されます。2019(令和元)年の会社法改正では、会社法327条の2により、上場会社の大会社(注1)である監査役会設置会社に1名以上の社外取締役の選任が義務付けられます(東証の上場会社は大会社でなくなった場合にも東証上場規程により、社外取締役の選任が義務付けられます)。2022(令和4)年4月4日以降、それ以前の東証の一部・二部・マザーズ・JASDAQの市場区分は、プライム・スタンダード・グロース市場へと移行しています(名証も一部・二部・セントレックスからプレミア・メイン・ネクスト市場に移行しています)。2.近時の上場会社の機関設計の変遷2014(平成26)年改正による監査等委員会設置会社の制度は、翌2015(平成27)年5月1日に施行されましたが、その年度中に監査役設置会社(監査役会設置会社)から監査等委員会設置会社への移行を表明した上場会社は200社を超え(8月末の東証3,462社中、一部108社、二部31社、マザーズ11社、JASDAQ57社で計207社)、当時の上場会社の指名委員会等設置会社数(64社)の3.4倍に達していました(注2)。その後の2021(令和3)年10月8日の調査においては、東証3,734社中、監査役設置会社(監査役会設置会社)2,401社、監査等委員会設置会社1,249社、指名委員会等設置会社83社となっています(注3)。以下の表は2022(令和4)年の市場区分移行後の2022年7月29日(注4)、2024(令和6)年上半期(6月18日)、2024年下半期12月1日の独自調査(注5)の状況です。2024年度の下半期で上半期に比べ、監査役設置会社(監査役会設置会社)がかなり減り、監査等委員会設置会社がかなり増え、さらに指名委員会等設置会社も微増していることがわかります。3.機関設計の変更の理由監査役設置会社に対する懸念としては、そもそも英米には監査役という制度がなく、そうした国からすると一般に代表取締役より下位に属する印象がある役員に、代表取締役等を見張れるのかという懸念です(監査役は取締役会に参加しますが、代表取締役の選定・解職権がありません)。実際には、監査役の任期を4年とし、取締役の倍とするとともに、その解任には株主総会の特別決議を要することとし、その地位を強化していますが、他の機関設計への移行理由の第一に「経営監督機能の強化」を掲げる会社が多いようです。一方、その利点としては、監査役会には半数の社外監査役とともに、必ず常勤の監査役が必要であり、また、各監査役は監査役会の決定に必ずしも縛られることはなく、権限を行使できる等の機動力があります。長年、慣れ親しんだ機関設計として、この機関設計を好む会社も依然多いようです。実際には、ここ数年の監査役会設置会社の激減は、2014年会社法改正当時はコーポレートガバナンス・コード同様のコンプライ・オア・エクスプレイン形式であった会社法327条の2の上場会社の大会社の監査役会設置会社における社外取締役選任の努力義務が、2019年会社法改正施行により完全義務化されたことにもあると思われます。これにより、監査等委員会設置会社の監査委員会の過半数の社外取締役や指名委員会等設置会社の各委員会の過半数の社外取締役を兼任させた場合の社外役員の最低員数を、監査役会設置会社の社外役員の最低員数が上回っているからです。指名委員会等設置会社の利点は、本来は、執行役と取締役の分化にあるはずでしたが、我が国では兼任が明文をもって認められている為、実際には大半の指名委員会等設置会社では兼任状況がみられます。また、執行役との兼任が禁止される監査委員を取締役会が選定・解職できることも問題です。また、導入当時は役員の任期を1年以内とする新陳代謝がコーポレート・ガバナンス上優れているように言われていましたが、アメリカで著名だったエンロンが破綻した他、すぐに利益を求める投資家の干渉を受けやすいことから、その後我が国のコーポレートガバナンス・コードに取り入れられたSDGsの観点や、そのS(サスティナブル:継続性)の観点から多くの事業会社がこれを嫌い、純粋持株会社や政府がバックにつく元国営企業などが目立つようになっています。ピーク時に100社を超えた程度であり、元国営企業等の追加にも関わらず、現在は東証の上場企業で100社を下回り(他に名証ネクスト単独のガイアックス)、非上場では数社確認できる程度まで凋落しています。ただし、この機関設計を選択した会社は、コーポレートガバナンス・コードを全て遵守している会社が多いことから、コーポレート・ガバナンスを強化したイメージを抱かれる為、これが2024年下半期に指名委員会等設置会社が微増した理由と思われます。監査等委員会設置会社は、指名委員会等設置会社で問題とされた監査機関の地位の脆弱性を補い、非業務執行取締役である監査等委員の選任・解任権を株主総会の権限とし、任期を業務執行取締役の倍の2年とするとともに、その解任には監査役同様の株主総会の特別決議を要するとすることで地位の強化を図っています。他の機関設計から監査等委員会設置会社への移行理由に「意思決定の迅速化」、「経営監督機能の強化」、「経営透明性の向上」、「企業倫理の確立等」のいずれかを掲げる会社が大半です。監査等委員会設置会社では、任意に指名委員会・報酬委員会を置く会社も多く、厳しいコーポレートガバナンス・コードを全て遵守している会社もあります。一方で、監査等委員会設置会社には、社外取締役の選定に最後まで消極的であった会社や、コーポレートガバナンス・コードの遵守状態が監査役設置会社時代と変わらない会社も多く、市場や投資家に対するイメージや監査役設置会社における社外取締役選定義務が、監査等委員会設置会社への移行理由ではないかと推察される状態の会社も多く存在します。4.中小企業ないし公開会社でない株式会社における最適な機関設計もっとも公開会社でない株式会社においては、市場や投資家に対するイメージを気にする必要がない為、役員数が多く、社外取締役の選定を必要とし、かつ、役員の任期が短くなる指名委員会等設置会社や監査等委員会設置会社の機関設計を選択するメリットは殆どありません。会社法下では公開会社でない株式会社においては、取締役会非設置会社とすることで役員数を減らすこともできますし、公開会社でない株式会社においては、取締役(いれば会計参与)・監査役の任期を定款で10年まで伸長することや、株主限定とすることもできます。大会社の監査役会設置会社においても社外取締役の選定は必要ありません(社外監査役の選定で足ります)。また、会計監査人を置かない場合には、監査役の権限を定款で会計監査限定とすることもできます。その分、信用が下がりますが、親族等に監査役を任せている場合には、その責任を軽減する方法を選択することも考えられます(もともと会社法施行前の資本金1億円以下の株式会社では「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律」により監査役は会計監査限定とされていました。特例有限会社の監査役は会社法施行前と変わらず会計監査限定です)。一方、親族や親しい者に税理士や公認会計士がいる場合には、公開会社でない株式会社では、監査役に代えて会計参与を設置することも考えられます(会計参与設置会社、公開会社ではこの機関設計はできません)。会計参与の資格は、監査役と違い、税理士・税理士法人・公認会計士・監査法人といった専門家に限られますし、こうした専門家が経理を合法的に統制していることから、税務調査に入られる例が少ないようです(税務調査により多額の課徴金が科せられると会社が大きく傾く例が多いようです)。金融機関等の信用が断然高まることから、監査役を会計参与に代えた機関設計を採る公開会社でない株式会社は、それなりの数があります(注6)。<注釈>会社法下では、(イ)最終事業年度に係る貸借対照表(第439条前段の規定では、同条の規定により定時株主総会に報告された貸借対照表、株主総会の成立後最初の定時株主総会までの間においては、第435条1項の貸借対照表をいう(ロにおいて同じ))に資本金として計上した額が5億円以上、(ロ)最終事業年度に計上した貸借対照表の負債の部に計上した額が200億以上であること、のいずれかに該当する株式会社を大会社といいます。塚本秀臣・三菱UFJ信託銀行法人コンサルティング部会社法務コンサルティング室「監査等委員会設置会社移行会社の事例分析」(別冊商事法務No.399)(2015・(株)商事法務)、参照。拙稿「東京証券取引所上場会社企業における監査役会設置会社の現状」商事法研究レポート(本WebTopics2021.11.26)、参照。拙稿「東京証券取引所新区分移行直後の状況」商事法研究レポート(本Web論説2022.9.30)参照。2024年上半期・下半期とも東証コーポレート・ガバナンス情報サービス利用による独自調査です。帝国データバンクの会社年鑑等の会社データを参照してください。提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2025/01/17 論説
競業取引・利益相反取引における会社側の承認
一はじめに取締役は、会社業務の決定や執行に密接に関与しますから、当該会社の内部情報やノウハウあるいは顧客情報等を入手しやすい立場にあります。その取締役が、会社と競争する取引を、自らあるいは他の会社の取締役として、第三者あるいは当該会社と行う場合には、本来当該会社のために利用されるべき情報等が、取締役の行う競争的な事業のために使われるおそれがあります。このような取締役が会社の利益を犠牲にして自己または第三者の利益を図ろうとする危険性のある状況は、一般に利益相反あるいは利益衝突の状況とよばれています。そこで会社法は、このような事態を回避する策として、取締役に会社に対する忠実義務を課し、さらに競業避止義務および利益相反取引規制を設けています。すなわち、取締役は、取締役としての地位を悪用し、会社の犠牲において自己または第三者の利益を図ってはなりません(忠実義務、会355条)。また、(1)取締役が自己または第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき(競業取引、会356条1項1号)、(2)取締役が自己または第三者のために株式会社と取引をしようとするとき(直接取引・自己取引、同2号)、そして、(3)株式会社が、取締役の債務を保証することその他取締役以外の者との間において株式会社と当該取締役との利益が相反する取引をしようとするときには(間接取引・利益相反取引((1)(2)あわせて利益相反取引と総称する場合もあります。)、同3号)、当該取締役は、「株主総会」において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければなりません。この場合、会社が取締役会設置会社の場合には、「株主総会」の承認は「取締役会」の承認となり(会365条1項)、この取引をした取締役は、当該取引後、遅滞なく、当該取引に関する重要な事実を取締役会に報告しなければなりません(同2項)。ところで、一口に株式会社と取締役の利益が相反する状況といっても、実際には様々な場面があり、場合によっては利益が相反しない場合もあります。そのような場合には、株主総会ないし取締役会の承認(=会社の承認)は不要です。そこで、本稿では、取締役会設置会社に関し、いくつかの場合に分けて取締役会の承認の要否について検討してみようと思います。二競業取引1取締役を兼任している場合(1)A社の代表取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合1)YがB社の代表取締役として、A社の事業の部類に属する取引を第三者Cと行う場合には、YがA社の代表取締役として知った情報をB社の当該取引に利用してA社の利益を害するおそれがあるため、A社の取締役会の承認が必要です。同様に、YがA社を代表してB社の事業の部類に属する取引を第三者Dと行う場合には、B社の取締役会の承認が必要です。2)B社におけるY以外の代表取締役であるZが、A社の事業の部類に属する取引を第三者Cと行う場合には、YはB社の当該競業取引とは直接的に関係がないため、A社の取締役会の承認は不要です。ただし、YがB社の社長あるいは会長としてB社を統括する地位にあるときや、Zがわら人形的立場にあって、実質的にはYがB社を代表して当該競業取引をなすものと同一視されるような場合には、YがA社を害するおそれがあるためA社の取締役会の承認が必要です。(2)A社の平取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合1)A社がB社の事業の部類に属する取引を第三者Cと行う場合には、YはA社の平取締役にすぎませんから、特段の事情がない限り、B社の利益を害することはないので、B社の取締役会の承認は不要です。しかし、A社がこの競業取引を相当期間継続して行うことにより、この取引に関する一定程度のノウハウや取引先情報等が蓄積されると、Yはこれを流用して、A社の利益を犠牲にし、B社の利益をはかる行為に出るかもしれません。したがって、A社がB社と競業する取引を第三者Cと継続して行う見込みが生じた場合には、YがB社の代表取締役として第三者Dと当該取引をなすことにつきA社の承認が必要です(注1)。B社に複数の代表取締役がおり、社長・専務等により業務分担が定められている場合で、ある商品の製造販売業を行うA社の平取締役Yが、同種の商品の製造販売業と不動産業を行うB社の代表取締役専務として不動産業の取引業のみを担当する場合には、A社との間に個人的な利益相反関係はないので、この取引に関するA社の取締役会の承認は不要です。ただし、YがB社における商品の製造販売業を実際に行っている支配人Zを指揮監督している場合には、A社の取締役会の承認が必要です。Zを道具としてYが商品の製造販売業も行っていると解されるからです。2)A社の平取締役YがB社の代表取締役であって、A社とB社が競業関係にあっても、Yとは別のZもB社の代表取締役であり、Zが第三者Cと競業取引を行う場合には、特段の事情のない限り、両社の取締役会の承認は不要です。ただし、契約自体はB社の代表者としてZが締結していても、YがB社のためにこの契約の締結交渉を主導的に行っていて、Zと共同して当該取引をなしているとみられる場合には、A社の取締役会の承認が必要です。A社とB社の間に競業関係がなく、B社の完全子会社であるC社がA社の事業の部類に属する取引を第三者Dと行う場合、B社とC社とは実質的に一体化していますが、Yの行為はただちには競業規制に服すべきものとはなりません。C社の当該競業取引につきC社を代理・代表する者がA社とは関係のないZであって、Yがこの取引に直接的に一切関与していない場合には、YがC社の社長として全般を統括すべき地位にあるなどの特段の事情がある場合は別として、A社の取締役会の承認は不要です。(3)Yが親会社の平取締役と完全子会社の代表取締役を兼任する場合親会社A社と完全子会社B社が同種の事業を行っている場合、A社の平取締役YがB社の代表取締役としてA社の事業の部類に属する取引を第三者Cとなすときは、その経済的効果は実質的にA社に帰属するので、多数説は、この取引には競業取引規制は及ばず、どちらの会社の承認も不要と解しています(大阪地判昭和58年5月11日判タ502号189頁)。しかし完全子会社といえども、倒産した場合には、その財産は第一に子会社の債権者の担保財産となりますし、当該取引により完全子会社に利益が生じたとしても、親会社にそれ以上の損害が生ずる場合もありえます。子会社としても、親会社とは別個の法人格を有しており、子会社の債権者を保護する必要もあります。したがって、Yが100%子会社の代表取締役として第三者Cと競業取引をなすときも、原則として親会社A社の承認が必要と解されます(注2)。なおA社がB社の株式の全部は保有していない場合には、B社にはA社以外の株主が存在するため、A社とB社の利害が一致するわけではありません。したがってこの場合、YがB社の代表取締役として、A社から貸付けを受けるような場合には、YがA社の取締役であるかぎり、利益相反規制が及び、A社の承認が必要です。2取締役が他の会社の株式を保有する場合の競業取引(1)A社の取締役YがB社の株式の全部を保有する場合A社とB社の間において競業取引がなされる場合で、A社の取締役であるYがB社の代表取締役としてこの取引にあたる場合には、A社の取締役会の承認が必要です。しかし、そうでない場合には、形式的には、会社法356条1項1号所定の競業取引には該当せず、この承認は不要のようにも思われます。しかしB社の全株を保有するYとB社とは経済的には一体ですから、B社のなす競業取引は、Yが第三者(=B社)の名において自己(=Y)の計算で競業取引をなすものと解されるため、A社の取締役会の承認が必要と解されます。このことは、Yが配偶者や近親者の持株と合わせて実質的にB社の全株を保有しているときも同様と解されています(注3)。(2)A社の取締役YがB社の株式の一部を保有している場合YがB社の株式の全部ではなく過半数を保有する場合でも、YはB社を支配しているので、たとえY以外のZがB社を代表して第三者Cと競業取引をなす場合であっても、A社とB社の利害が衝突する可能性があります。したがって、この場合にもA社の承認が必要と解する説(実質説)と、競業取引規制(取締役会の承認・報告(会356条1項1号・365条)、損害額競業取引規制の推定(会423条2項)等)が明瞭かつ定型的に適用されるべき必要性から、A社の承認を否定する説(形式説)とに分かれています(注4)。競業取引規制が会社の利益保護のためにあることを考慮するならば、実質説を支持したいと思います。3取締役が他社の事実上の主宰者である場合A社の取締役Yが、B社の代表取締役でなくても、事実上の主宰者であるならば、形式的にはB社の代表取締役ZがA社との競合取引を第三者Cと行う場合であっても、実質的にはYがB社の利益のために、A社の事業の部類に属する取引をなすものと解されます。したがって、会社法356条1項1号の類推適用により、A社の取締役会の承認が必要と解されます(東京地判昭和56・3・26判時1015号27頁、大阪高判平成2・7・18判時1378号113頁)(注5)。三利益相反取引1兼任取締役関係にある会社間の取引(1)A社の代表取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合1)A社・B社間の取引においてYが両社を代表する場合A社・B社間の直接取引の場合、Yは意図的に一方の会社の利益をはかり、他社の不利益をもたらそうと考えるかもしれません。したがって、この直接取引は利益相反取引にあたり両社の取締役会の承認が必要です。YがA社を代表してB社の債権者Cに対しB社の債務を保証する間接取引の場合にも、A社の取締役会の承認が必要です。B社の債務をA社が保証することにより、B社が利得し、A社に不利益が生ずるかもしれないからです。2)A社・B社間の取引においてYが両社を代表しない場合A社・B社間の直接取引の場合で、両社においてYでない他の代表取締役が両社を代表する場合には、会社法356条1項2号は適用されず、特段の事情のない限り、この直接取引に関する両社の取締役会の承認は不要です。YがA社を代表し、B社はYでない他の代表取締役Zが代表する場合は、A社の取締役会の承認は不要ですが、B社の取締役会の承認は必要です。B社の平取締役としてのYが、A社の代表取締役として、A社に有利にB社に不利益をもたらす取引をなす懸念があるからです。(2)A社の平取締役YがB社の代表取締役を兼任する場合両社間の直接取引において、B社の代表取締役のYが当該取引に関してはB社を代理・代表しない場合には、いずれの会社の取締役会の承認も不要です(通説)。A社がB社の債務に関し、債権者Cに対してこれを保証するなどの間接取引をなす場合で、A社の平取締役YがB社の代表取締役である場合には、当該取引に関しYがB社を代表するか否かを問わず、YがB社の代表取締役である以上は、両社間には利益衝突の危険性があるため、A社の取締役会の承認が必要と解されています(注6)。2取締役が株式を有する他の会社との取引(1)YがA社またはB社の全株式を保有する場合A社・B社間の取引において、A社の平取締役YがB社の代表取締役としてA社と取引しない限り、形式的には会社法356条1項2号の直接取引には該当しません。しかし、YがB社の全株式を保有する場合には、実質的にYとB社は経済的に一体化しているので、A社とY個人の取引の場合に準じて、A社の取締役会の承認が必要です。Yが家族等の持株と併せて実質的に全株を保有する場合も同様と解されます。なお、YがA社の全株式を保有する個人株主の場合、YとA社の間に利害相反関係はないので、A社がYに貸付をなすような直接取引の場合、A社の取締役会の承認は不要です(最判昭和45・8・20民集24巻9号1305頁)。(2)YがA社の平取締役とB社の代表取締役を兼任する場合で、B社がC社の全株式を保有する場合この場合、A社・C社間の取引に関しては、実質的にA社・B社間に利益の衝突があるものと解されます。しかし、この場合には、会社法356条の利益相反規制の適用範囲の明確化の要請から、A社の取締役会の承認は不要と解されています(注7)。(3)A社の平取締役YがB社の株式の過半数を保有する場合この場合、A社の平取締役YとB社が経済的に一体化しているとはいえないまでも、YがB社の支配を通じてB社の代表取締役Zに影響力を行使する危険があります。したがって、Y自身がB社を代表して行動する場合と実質的に同等と解し、A社・B社間の取引においては、これを直接取引としてA社の取締役会の承認が必要と解する説と反対する説とに分かれています(注8)。A社がB社の債務を保証・引受をなす場合にも、これを間接取引として、A社の取締役会の承認を必要と解する多数説と不要説とに分かれています(注9)。(4)A社の平取締役YがB社の過半数未満の株式を有する場合A社の平取締役YがB社の株式の過半数を保有していなくても、B社を支配しうる株式を有する場合には、実質的にA社とB社の利益が衝突する危険性を考慮して、A社の承認が必要とする解釈と利益相反規制の適用範囲の形式的明確性を重視して不要とする解釈に分かれています(注10)。3その他の場合(1)A社の平取締役Yと密接な親族関係にあるZ(配偶者その他の近親者等)がB社の株式の過半数を保有する場合この場合には、A社とYとの間には実質的に利益の衝突が生ずる危険性もありますが、利益相反規制の適用範囲の明確化の要請から、A社の取締役会の承認は不要と解されています(注11)。(2)取締役が事実上の主宰者である他社との取引A社の平取締役Yが、B社の代表取締役ではないが事実上の主宰者である場合には、実質的にA社・B社間には利益の衝突の危険があるため、A社の取締役会の承認が必要とされています(大阪高判平成2・7・18判時1378号113頁)。(3)親会社・完全子会社の場合親会社の代表取締役Yが完全子会社の取締役を兼任している場合で、親子会社間で直接取引が行われる場合、この取引で親会社が利益を得て、子会社が損をしても、子会社の損失は親会社の利益となるため、両社間に実質的な利害相反関係はありません。したがって利益相反規制は及びません(大阪地判昭和58・5・11判タ502号189頁)。ただし、子会社が倒産に瀕している場合には、子会社の財産は子会社債権者の担保財産となりますから、このような場合に子会社に親会社の資産を移転するような取引の場合には、親会社の株主保護のため、親会社の取締役会の承認が必要と解されています(注12)。親会社が完全子会社の債務を保証したり、完全子会社が親会社の債務を保証する間接取引の場合には、親会社と完全子会社とは経済的に一体化していて、利益衝突関係はありませんから、取締役会の承認は不要です。四会社による承認1競業取引の場合取締役が競業取引をなす場合には、会社法356条1項1号の「取引をしようとするとき」という文言から、事前に会社(=株主総会または取締役会)の承認を得る必要があります。それでは事後承認ではいかがでしょうか。事前承認がないまま競業取引行為がなされても取引の効果は有効と解されていますから、取引の効果との関係では、あえて事後承認を求める必要はありません。しかしたとえ事後承認がなされたとしても、取締役が具体的法令違反を犯した事実はかわらず、取締役は具体的法令違反という任務懈怠に基づく損害賠償責任(会423条1項)を負うことになり、損害額の推定規定(会423条2項)も働きます。その意味では、事後承認は認められないといえるでしょう。2直接取引・間接取引直接取引あるいは間接取引の場合の会社の承認は、必ずしも個々の取引につき逐一得る必要はなく、合理的な範囲内である程度包括的に得れば良いと解されています。この承認も、会社法356条1項2号3号の「取引をしようとするとき」という文言から、事前に得る必要があります。承認のない利益相反取引は原則として無効ですが(相対的無効)、結果的に会社に利益をもたらす場合もあります。そこで、事後承認は無権代理の追認のように(民116)、無効の取引をはじめに遡って有効にすると解されています(東京高判昭和34・3・30東高民事報10巻3号68頁)。だからといって、事前承認を得ていないという法令違反にかわりはなく、このことは取締役の解任の正当事由に該当し、会社への損害賠償責任をもたらします(注13)。<注釈>小林総合法律事務所編『取締役・従業員の義務と責任』69頁(中央経済社、2011)。畠田公明『企業グループの経営と取締役の法的責任』113頁(中央経済社、2019)158頁。同上110頁。同上111頁。同条112頁。同上152頁。同上154頁同上。同上155頁同上155頁。同上156頁。同上158頁。前掲(注1)133頁。提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2024/12/20 topics
上場企業に拡がる非公開化の波 ― 相次ぐマーケットからの退出とその理由 ―
1.はじめに―非公開化を選択する企業近時、上場企業の中に公開買付(TakeoverBid(TOB))等の手段によって非公開化を図る企業が増えてきています。かつては起業後、事業を成長拡大させ、最終的には株式を上場し、公開企業となることが企業経営者の目標の一つでもあったのですが、いまそのような状況が変わりつつあります。ここ数年で非公開化をした企業を見ても、東芝、ローソン、大正製薬、ベネッセホールディングスなど各業界を代表する著名企業が名を連ねています。このような公開企業の非公開化は、MBO(ManagementBuyout)といった手法が用いられることが比較的多いのですが、2023年度のMBO発表社数は前年度から6社増加した18社であり、13年ぶりの高水準となっているといわれています。【非公開化をした主な企業】上場廃止時期企業名非公開化事由(出資者)2020年11月ニチイ学館MBO(ベインキャピタル)2021年1月キリン堂HDMBO(ベインキャピタル)2023年12月東芝TOB(日本産業パートナーズ外)2024年3月シダックスMBO(志太ホールディングス)2024年4月大正製薬HDMBO(大手門株式会社)2024年5月ベネッセHDMBO(EQT)2024年6月アウトソーシングMBO(ベインキャピタル)2024年7月ローソンTOB(KDDI)2024年9月日本ハウズイングMBO(ゴールドマンサックス)2024年9月永谷園HDMBO(丸の内キャピタル)このように上場企業があえて上場廃止による非公開化を選択する理由はどこにあるのでしょうか。一般論としては、企業が上場することによるメリットを上場しないことのメリットが上回るときに、上場企業は上場廃止による非公開化を選択するということができますが、一度上場して公開企業となった企業が上場を廃止して非公開化することは、既に公開企業として多数の株主を擁することを念頭に置くだけでも、上場をする際に費やしたものの何倍もの費用と労力を費やすとも考えられます。しかし、それでもなお上場企業が上場廃止による非公開化を選択する場合にはより複雑な事情があるように思われます(注1)。これは上場をすることのメリット、デメリットをそれぞれ裏側から見るものということができます。2.上場のメリットとデメリット-非公開化の理由そこで、まず企業が上場し、公開企業となることのメリットについてです。上場のメリットについて、わが国の主要な市場である東京証券取引所(以下「東証」といいます)は、次の①から③をあげて説明をしています(注2)まず、①資金調達の円滑化・多様化です。上場会社は、取引所市場における株式の流動性を背景に、発行市場において、公募による時価発行増資、新株予約権・新株予約権付社債の発行など、直接金融の道が開かれ、資金調達能力が増大することにより、成長のための資金調達の円滑化・多様化を図ることができます。次に、②企業の知名度の向上です。上場会社となることによって、株式市況欄をはじめとする新聞報道などの機会が増えることにより、会社の知名度が向上するとともに、優秀な人材を確保できます。そして、③社内管理体制の充実と従業員の士気の向上です。企業情報の開示を行うこととなり、投資者をはじめとした第三者のチェックを受けることから、組織的な企業運営がなされ、会社の内部管理体制の充実が図られます。また、パブリックカンパニーとなることにより、役員・従業員のモチベーションが向上することにもなります。ところで、かつて西武鉄道(2004年12月上場廃止)やカネボウ(2005年6月上場廃止)といった大手企業の上場廃止が相次ぎ話題を集めましたが、いずれも取引所の上場廃止基準による上場廃止の事案でした。その意味で企業自らの意思による上場廃止ではありませんでした。しかし、前述の企業によって行われている非公開化は、企業自らの意思による非公開化である点が大きく異なります。この点、企業が自らの意思で非公開化を選択する理由としては、以下のものがあるといわれています。まず、株価が低迷し、株式の流動性が低い場合です。このような企業では資金調達という株式公開の主要な目的が達せらないばかりか、割安な株価がアクティビストによる同意なき買収の対象とされてしまうおそれが生じます。次に、上場維持に伴う取引所賦課金の支払や情報開示、多数の株主の出席を前提とする株主総会の開催などに伴うコスト負担への懸念があります。前述のように、一般的には、公開化によって、大規模な資金調達が可能となり、知名度の向上、融資条件や取引条件の改善、優秀な人材の集めやすさなどといったメリットが得られると言われていますが、その見返りともいえるこうした上場維持の負担に耐えかねて、あるいはコストが見合わないと判断する場合に上場廃止を選択する企業があります。さらに、現在の経営者等の特定の株主に経営支配権を集中させるために非公開化が行われる場合があります。公開企業は、幅広い株主による経営監視が行われ、コーポレート・ガバナンスが強化されるといわれていますが、株主は短期的収益力の向上に関心が向かいがちで、それが中長期的経営を志向する経営者の利害と必ずしも一致せず、経営の自由度の制約につながるとも言われています。この点、MBOを通じた非公開化によって経営者が自ら主要株主となれば、自由闊達な経営を実現することができるようになります。3.非公開化の2つのタイプ企業が自らの意思で非公開化する場合にも2つのタイプがあると言われています。一つは、将来の再上場を予定して非公開化が実施される場合ともう一つは将来の再上場を予定しない場合、すなわち将来に亘り永続的に非公開化を実施する場合です。前者の場合は、ファンドの支援を得て行われるMBOにおいて将来の再上場が前提とされることが比較的多いとされています。すなわち、ファンドは、その背後に最終的な資金拠出者である投資家が存在し、一定の期間内に相応の収益を上げることを期待されており、このようなファンドがMBO資金を拠出するのは投資分の回収の目途があってこそのことであり、その投資回収の一つの方策が再上場にほかなりません。その際、ファンドが非公開化した企業の体質を再上場が可能な状態にまで改善したうえで再上場に至ることが少なくありません。次に、再上場を予定しない非公開化の場合は、しばしば、まず株式併合を行って議決権を有する株主の数を減らし、取引所の上場基準が定める株主数を満たさないことを理由に、上場を廃止するという方法が取られることがあります。また、取引所は、上場企業の自主的な申請による上場廃止の可能性を認めています。4.上場企業数の推移の意味するもの企業が上場することには前述したような各種メリットがあることは否定できません。しかし、そのようなメリットのうち、①資金調達力については、非上場企業であっても、金融機関などから資金調達をすることは可能であり、上場企業が資金調達力の面で非上場企業に対して絶対的な優位性を有しているというわけではありません。また、②社内管理体制の充実と従業員の士気の向上についても、非上場企業が上場企業に必ずしも劣るということはなく、かえって独自の強い経営理念を掲げることで上場企業以上のしっかりとした経営を実現している非上場企業も少なくはありません。そのような意味で上場企業が非上場企業にあらゆる点において優っているということは必ずしも言えないように思われます。ところで、海外においては、非上場という選択肢がむしろ広がっていると言われています。実際に世界の上場企業数は微減する傾向にあり、国連統計によれば、世界には約43,000社の上場企業がありますが(2018年時点)、2011年をピークとして約14,000社が減少しているとのことです。地域的にはアジア地域では上場企業数は増加傾向にあるものの、欧米においては総じて減少傾向にあると言われています。その背景には、企業のカネ余りによる資金調達需要の低下、M&Aによる事業拡大と株主への資本還元(配当と自社株買い)などがあると指摘されています。特に米国においてもM&Aによる上場企業数の減少の傾向は看取されており、上場廃止を伴うM&Aの拡大の傾向があるということです。その要因として、上場維持に伴い増大するコストの忌避があるのは、わが国と同様です。やはり上場企業に対する各種規制の強化や株主からの短期的な収益確保の要請の強まりがコストとして意識されており、費用対効果の観点から上場が割に合わないと考える経営者が少なくないのもわが国と同様のようです。ところで、わが国では、全国の上場企業数は3,959社(2024年10月31日現在)になります(注3)。2013年に3000社を超えて以来、上場企業数は一貫して上昇する傾向を示しており、1999年の1,935社から倍増し、今や4,000社に迫る勢いです。他方、前述したとおり、新規上場企業が増える一方で、非公開化により市場から退出する企業が一定数存在することも事実です。わが国のベンチャー企業は事業を発展させて新規株式公開(IPO)をすることを最終的な目的にしている感がありますが、米国では、むしろプライベート・エクイティファンド(PE)が買い手となり、さらなる企業価値の増大を目指す動きが一般的であると言われています。こうしたベンチャーの「出口」観の違いが日米の上場企業数の変化の違いに繋がっているという指摘もあります。しかし、前述した近年における企業の非公開化の動きは、これまでのわが国の「上場神話」に対して「流れ」を変える可能性のある、一石を投じるものといえそうです。5.非公開化手続に絡む問題以上のとおり、近年、上場することの意味を問い自ら主体的に上場を廃止し非公開化の途を選ぶ企業が増えているのですが、非公開化すること自体には何ら問題はないのでしょうか(注4)。上場企業の非公開化は、まず第一段階として公開買付け(TOB)を行うことによって議決権保有比率を高め、その上で第二段階としてスクイーズ・アウト(SqueezeOut:株式併合ないし株式等売渡し請求の方法による残存株主の「締め出し」)を行うことによって対象企業の全株式を取得するという二段階買収の方法で行われることが比較的多いとされています。こういった方法が採られる理由は、公開買付によってスクイーズ・アウトに必要となる3分の2以上の議決権数を確保することで非公開化の確実性を図ることに加えて、公開買付手続によって十分な情報開示を行い、多数の株主の賛同を得ることでその後のスクイーズ・アウトの対価の公正性の確保することなどがあります。この点、スクイーズ・アウトには、従前から「強圧性」の問題があると指摘されています。すなわち、スクイーズ・アウトは、公開買付に応募せずに投資の継続を希望する株主の意思に反して「締め出す」ものであることから、株主の利益をいかに保護するかが問題となります。上場廃止が予想される状況では株主は公開買付に応募せざるを得ません。少数株主保護のための仕組みが十分ではないままで非公開化が行われれば、強圧的な買収と同様の効果を生じかねません。そこで、実務では、スクイーズ・アウトを実施する際の価格は公開買付価格と同一価格であることを基準とし、その旨を開示する事例が比較的多く見られます。また、株主保護の観点から、株主がスクイーズ・アウトの価格の公正さを裁判で争う手続を整備しています。すなわち、株式併合に反対する株主は、株式買取請求権を行使し、裁判所に株式の価格の決定を申し立てることができるとしており、株主等売渡請求についても、売渡株主等は裁判所に対して売買価格の決定の申立てをすることができるとしています。このような手続を通して株主には「公正な価格」によるスクイーズ・アウトが手続的に保障されているというわけです。さらに、MBOによる非公開化手続においては、構造的な利益相反の問題があることが指摘されています。すなわち、MBOにおいては、MBOにより非公開化を図る企業の経営者や取締役が買収者と一体であるという構造があり、当該企業の経営者、取締役が企業情報を利用して、一般株主に不利な条件でMBOを実施するおそれがあります。そこで、一般株主の利益を保護するため、MBO等の一環として行われる公開買付について金融商品取引法は、公開買付届出書において買付価格の公正性を担保するための措置及び利益相反を回避する措置の具体的な内容の記載や、買付価格の算定に当たって参考とした第三者評価書や意見書等を添付書類とすることなどの十分な開示をすることを求めています。また、東証の上場規程においても、同様の趣旨から十分な情報開示することを定めています。6.おわりに-問われる「上場することの意味」そして、近時MBOが増加している背景には、最近東証が実施した各種施策が影響していると言われています。まず東証は2022年4月に市場再編を行い、市場区分見直しと新市場への資金上場および上場維持に厳格な審査基準を設け(上場基準の厳格化)、サステナビリティ情報など開示の充実の要請などにより、企業が上場を維持することのコストが高まっていることに加え、物言う株主(アクティビスト)によるアクティビズムの高まりによって上場企業に対する投資家からのエンゲージメントや株主提案等によるプレッシャーが強まっている等の要因があります。また、2023年3月には、東証が「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を企業に要請していることも無関係ではありません。このように企業に課せられる上場による負担は増加する傾向にあります(注5)。前述のとおりMBOによる非公開化については、経営者のメリットとしては、上場に伴う負担がなくなることや、自由度の高い経営が行いやすくなり、中長期的な視点で経営改革に取り組むことができることなどがあります。この点、前述のとおり、非公開化を選択した企業には、その後、非公開企業として事業継続をするか、あるいは再上場をするかという選択肢があります。しかし、近時のMBO事案に見られるように、非公開化を行った企業が非公開化を選択した理由を見る限り、再上場を予定していないものが比較的多いように思われます。この点、わが国では、従前より上場をしない企業があり、サントリーホールディングス、YKK、ヤンマー、竹中工務店、エースコック、日立ソリューションズ、エネオス、NTTドコモなどといった著名な企業が名を連ねています。そして現在の非公開化の増加する状況を踏まえると、企業が上場することには真実メリットがあるのか、果たして上場することが企業としての一つの到達点と言って良いのかが問われる状況が生まれつつあり、あらためて既存の価値観が見直されることになって行くのかもしれません(注6)<注釈>「特集東芝の教訓非上場化は甘くない」日経ビジネス2024年5月20日号8頁以下https://www.jpx.co.jp/equities/listing-on-tse/ipo-benefits/index.htmlhttps://www.jpx.co.jp/listing/co/index.html内田修平ほか「特集非公開化取引における実務上の留意点」ビジネス法務2024年12月号65頁以下なお、東証は非公開化による上場会社数の減少を前向きに捉えるコメント(「東証の要請も含め、上場を維持するコストの増加の負担」が「上場しているメリットを上回るなら上場廃止も一つの選択肢だろう」、「我々は東証が成長力のある企業に国内外から投資資金が集まるようなマーケットになるべきだと思っており、上場企業の量より質を追い求めている」)を公表しています(「INTERVIEW日本取引所グループ山道裕巳グループCEOに聞く負担が重いなら上場廃止も」日経ビジネス2024年7月29日号21頁)吉田哲朗「上場しない選択とその有用性—融資担当者の立場から⑴‐上場可能でも上場しない企業(中島商会の視点)‐」信金中金月報2017年12月号18頁以下提供:税経システム研究所
続きを読む
-
2024/12/06 論説
会社が譲渡制限株式の取得者からの譲渡等承認請求を承認せず自ら株式を買い取る場合の株主総会決議における譲渡株主の議決権行使の可否
1問題の所在譲渡制限株式(会社法2条17号)の譲渡による取得には、定款の定めるところに従い、会社の承認を得る必要があります。この場合、譲渡制限株式を他人(当該会社を除く。)に譲渡しようとする株主が、当該他人が当該譲渡制限株式を取得することについて承認をするか否かの決定をすることを請求できるだけでなく(会社法136条)、譲渡制限株式を取得した株式取得者も、当該譲渡制限株式を取得したことについて承認をするか否かの決定を請求することが可能です(同法137条1項)。いずれにせよ、譲渡株主または株式取得者は、当該請求(以下、この請求を「取得承認請求」という。)とともに、不承認の場合に当該会社または指定買取人(会社法140条4項)が当該譲渡制限株式を買い取ることも請求することができます(会社法138条1号ハ・2号イ・ロ)(以下、これら2つの請求を併せて「譲渡等承認請求」という。)。譲渡制限付株式の譲渡による取得についての譲渡等承認請求が譲渡株主または株式取得者から行われた場合、会社が、残存株主にとって株式を取得しようとする者(譲渡株主からの譲渡等承認請求の場合)または株式取得者(株式取得者からの譲渡等承認請求の場合)が好ましい者であるかどうかの観点から当該取得を承認しない旨を決定したときは、指定買取人による買取を選択(会社法140条4項)しない限り、当該会社が当該株式(以下、「対象株式」という。)を買い取ることを要します(同条1項前段)。これが株式会社による特定の株主からの自己株式の有償取得に当たるため、株主総会の特別決議によらなければなりませんが(同条1項・2項、会社法309条2項1号)、決議の公正を確保する観点(注1)から、譲渡株主が譲渡等承認請求者に当たるときは、当該譲渡株主以外に議決権を行使できる株主がいない場合を除き、当該譲渡株主は当該株主総会において議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。問題は、株式取得者から譲渡等承認請求が、利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合に該当するため、株式取得者が単独で当該請求を行うことができるときに(以下、「株式取得者からの単独譲渡等承認請求」という。)、譲渡株主が会社法140条2項に定める株主総会において議決権を行使できなくなるのかどうかです。というのは、同条3項で当該株主総会における議決権行使を制限されるのが「譲渡等承認請求者」とされているところ、譲渡等承認請求者は、譲渡等承認請求を「した」者と定義されているため(会社法139条2項)、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合には、譲渡株主が譲渡等承認請求者に該当しないこととなり、譲渡株主が不承認の場合の会社による対象株式買取のための株主総会決議(会社法140条2項)において議決権を行使できることになりそうだからです。そこで、本稿では、譲渡等承認請求の方法を確認して、議決権行使を制限される「譲渡等承認請求者」の該当者を整理した上で(2)、それを踏まえ、譲渡等承認請求者が対象株式の会社による買取のための株主総会決議で議決権行使を制限される趣旨を確認し(3)、本稿で指摘した上記問題について検討を加えます(4)。2譲渡等承認請求の方法と譲渡等承認請求者(1)譲渡株主からの請求の場合譲渡等承認請求が譲渡株主から行われる場合は、譲渡株主による単独請求となるため、譲渡株主が譲渡等承認請求者に当たります(会社法139条2項参照)。したがって、会社が不承認決定をして対象株式を買い取るときは、そのための決議を行う株主総会においては、譲渡株主は議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。(2)株式取得者からの請求の場合①請求方法-共同請求事例と単独請求事例これに対し、譲渡等承認請求が株式取得者から行われる場合は、利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合に該当する場合を除いて、譲渡株主またはその一般承継人と株式取得者との共同請求となるのに対し、法務省令により利害関係人の利益を害するおそれがないものとされる場合は、譲渡等承認請求は株式取得者による単独請求となります(会社法137条2項)。ここに「利害関係人の利益を害するおそれがないものとして法務省令で定める場合に該当する場合」は、次のように規定されています(会社法施行規則24条)。株式取得者が、譲渡株主またはその一般承継人に対し、当該株式取得者が取得した譲渡制限株式に係る取得承認請求(会社法137条1項)をすべきことを命ずる確定判決を得た場合に、当該確定判決の内容を証する書面等を提供して請求をするとき(会社法施行規則24条1項1号)株式取得者が(Ⅰ)の確定判決と同一の効力を有するものの内容を証する書面等を提供して請求をするとき(同項2号)株式取得者が譲渡制限株式を競売により取得した場合に、そのことを証する書面等を提供して請求をするとき(同項3号、同条2項4号・5号)株式取得者が株式交換または株式移転により譲渡制限株式の全部を取得した株式会社が請求をするとき(注2)(同条1項4号・5号、2項2号・3号)株式取得者が所在不明株主の株式(会社法197条1項)を競売により取得した場合に、代金の全部を支払ったことを証する書面等を提供して請求をするとき(同条1項6号、同条2項4号)株式取得者が端数処理のために競売に代えて行われる譲渡制限株式の売却において当該譲渡制限株式を取得した場合に、代金の全部を支払ったことを証する書面等を提供して請求をするとき(同条1項8号、2項5号)株式取得者が株券喪失登録者である場合に、株券喪失登録日の翌日から1年を経過した日以降に請求をするとき(株券喪失登録が当該日前に抹消された場合を除く。)(同条1項7号)譲渡制限株式の発行会社が株券発行会社である場合において、株式取得者が株券を提示して取得を請求するとき(同条2項1号)②譲渡等承認請求者の該当者株式取得者が譲渡等承認請求を行う場合において、共同請求となるときは、譲渡株主も譲渡等承認請求を「した」者となることから、譲渡株主からの請求の場合と同様、会社が対象株式を買い取るために必要とされる株主総会決議において譲渡株主は議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。しかし、株式取得者の単独請求のときは、譲渡株主は譲渡等承認請求を「した」ことにならないため、当該株主総会決議における議決権を行使できることになりそうです。以下では、この点を検討しますが、会社の事前承認なしに譲渡制限株式が譲渡され株式取得者からの譲渡等承認請求が行われる場面が、株券発行会社以外では競売による取得等の限られた事例とされています(注3)。また、研究会の場で日本大学の金澤大祐先生から指摘を受けたところですが、上記①(Ⅰ)・(Ⅱ)のケースは、株式取得者による純然たる単独請求の場合とは言い切れない面があります。そのため、本稿で取り上げる問題については、株券発行会社における譲渡制限株式の任意譲渡または譲渡担保の場合と、株券発行会社以外の会社における譲渡制限株式の競売による取得の場合をケースとして想定し、検討を加えます。3譲渡等承認請求者の議決権制限の趣旨譲渡制限株式の譲渡による取得につき、譲渡等承認請求が譲渡株主または株式取得者から行われ、会社が当該取得を承認しない旨を決定した場合は、指定買取人の指定(会社法140条4項)が行われない限り、当該会社が対象株式を買い取らなければなりません(同条1項前段)。前述のように、これが株式会社による特定の株主からの自己株式の有償取得に当たるため、株主総会の特別決議により、当該会社が対象株式を買い取る旨と対象株式の数(種類株式発行会社では種類と数)を決定することを要します(同条1項・2項、会社法309条2項1号)。当該株主総会決議に関しては、決議の公正を確保する観点から、譲渡株主が譲渡等承認請求者に当たるときは、当該譲渡株主以外に議決権を行使できる株主がいない場合を除き、当該譲渡株主は当該株主総会(決議)における議決権の行使を制限されます(会社法140条3項本文)。その趣旨は、株主総会の決議の公正を確保すること(注4)、より具体的には、会社が譲渡等承認請求者から高値で株式を買い取ること等により他の株主が害されることを防止すること(注5)にあるとされ、この趣旨理解に異論はありません。4株式取得者による単独譲渡等承認請求の場合における譲渡株主の議決権行使の可否(1)譲渡等承認請求者の定義の当てはめ前述のように、株式取得者からの譲渡等承認請求が、共同請求である場合は、譲渡株主も譲渡等承認請求をした者となり、不承認の場合における会社による当該譲渡制限株式の買取りのための株主総会決議で議決権を行使することができません(会社法140条3項本文)。これに対し、株式取得者の単独譲渡等承認請求の場合は、譲渡等承認請求者に係る会社法の定義(会社法139条2項)を前提とする限り、譲渡株主は譲渡等承認請求者に該当しないこととなり、この定義が及ぶ会社法140条3項本文の適用対象とならないため、当該株主総会決議で議決権を行使することができそうです。しかし、譲渡等承認請求者が株主である場合の上記議決権制限の趣旨に鑑み、株式取得者の単独譲渡等承認請求の場合の譲渡株主の議決権行使を認めて良いのか、譲渡株主に議決権行使をさせることにより定款による株式譲渡制限の趣旨との関係でも問題がないのか、ということが、本稿の問題意識です。(2)譲渡株主の法的地位そこで、まず確認を要するのは、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が会社に対し行われ、会社が当該株式取得者による譲渡制限株式の取得を承認しないことを決定して、対象株式を取得することとなるという場面において、そもそも株主名簿に記載等されている譲渡株主が当該会社による対象株式の取得のための株主総会において議決権を行使することができるのか、ということです。この状況においては、譲渡株主から株式取得者への当該譲渡制限株式の譲渡は会社の承認を得ずに行われているため、会社の承認を得ずに譲渡制限株式の譲渡が行われたときに、会社が譲渡株主に株主としての権利を行使させる必要があるのかどうかがポイントとなります。このポイントについては、周知のように、最判昭和63年3月15日判時1273号124頁(以下、「昭和63年最判」という。)が、会社の承認を得ずに行われた譲渡制限株式の譲渡の私法上の効力を譲渡当事者間では有効としつつ株式譲渡制限の趣旨に鑑み会社に対する関係では無効と解する最判昭和48年6月15日民集27巻6号700頁(以下、「昭和48年最判」という。)を前提に、会社は譲渡人を株主として取り扱う義務があり、その反面として譲渡人が会社に対してはなお株主の地位を有するものというべきである旨、および、競売による譲渡制限株式の取得の場合にもこれと同様に解すべきである旨を判示しています。この立場は、最判平成9年9月9日判時1618号138頁(以下、「平成9年最判」という。)にも引き継がれており、判例法理として確立していると考えられるところ、学説上もこれと同旨の見解が会社法下でも多数説を構成しています(注6)。そこで、この昭和63年最判および多数説の立場を当てはめると、対象株式につき最終的な権利の帰属先が会社に対する関係で確定するまでは、譲渡株主が会社法140条2項に基づく会社による対象株式買取りのための株主総会決議において議決権を行使することができるということになります。もっとも、昭和63年最判が、譲渡制限株式の競落による取得者から譲渡等承認請求が行われていなかった事案について最高裁が判断を示したものであることを踏まえると、昭和63年最判の示した規範の射程は、本稿で問題とする株式取得者が単独で譲渡等承認請求を行った場合にまで及ばないと解することもできそうです。現に、多数学説の説明を注意深く観察すると、中には、「譲渡等承認請求がなされない場合」と場面を限定・明記して、会社が譲渡人を株主として扱う必要があるとの結論を導く論者(注7)があるからです。仮に昭和63年最判の射程をこのように譲渡等承認請求がされないケースに限定して解した上で、その帰結として、株式取得者からの譲渡等承認請求がされた場合は、会社は譲渡人を株主として扱う必要がないと解することができるのであれば、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合でも、会社が譲渡人の株主地位を否定したときは、譲渡株主は会社法140条2項に基づく会社による対象株式買取りのための株主総会決議において議決権を行使することができなくなるので、本稿が指摘する問題は解消します。しかしながら、昭和63年最判の立てた規範が、譲渡制限株式の譲渡による取得が会社により承認され株式取得者の株主たる地位が対会社関係でも確定するか、または、当該取得が会社により承認されず会社または指定買取人が当該株式を取得するまでの間は、当該譲渡制限株式の帰属関係が会社に対する関係で浮動的状態にあって未確定であることを実質的根拠とするものであり、それまでの間は会社には譲渡人を株主として扱う義務があるとするものであると考える(注8)と、結論が異なります。株式取得者からの譲渡等承認請求が行われた場合も、譲渡制限株式の最終的な帰属が当該会社との関係においても確定するまでは、会社は譲渡人を株主として扱わなければならず、その反射効果として、譲渡株主が会社法140条2項に基づく会社による対象株式買取りのための株主総会決議において議決権を行使することができることになるからです。仮に後者のように解する場合、当該株主総会決議における譲渡株主の議決権行使を認めてしまうと、株式取得者からの影響や指示を受けるなどして、決議の公正を阻害し、会社法140条3項に定める議決権制限の趣旨を損なうおそれがあります。しかし、それにとどまらず、当該譲渡株主の行使する議決権数や当該株主総会の出席株主の議決権の総数次第では、譲渡株主の議決参加が当該決議を否決に追い込み、不承認決定通知の日から40日以内に株主総会決議に基づく買取通知ができないようにして、会社が対象株式の取得を承認しなかった株式取得者による対象株式の取得が承認されたものとみなされる事態(会社法145条2号)を招来することができ、定款による株式譲渡制限の趣旨を没却しかねません。こうした問題があることを考えると、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合に譲渡等承認請求者の定義に含まれない譲渡株主についても、会社法140条3項本文の規律を及ぼして、議決権の行使を制限する必要があると考えられます。問題は、その方法または理論構成です。(3)株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合における譲渡株主の議決権行使の制限第1のアプローチは、株式取得者からの単独譲渡等承認請求の場合に譲渡株主の議決権行使を認めると、譲渡等承認請求者が譲渡株主である場合と同様に、会社による対象株式取得のための株主総会決議の公正を損なうおそれがあることを踏まえ、会社法140条3項の類推適用によるというものです。昭和63年最判の射程を株式取得者からの譲渡等承認請求が行われた場合をも含む立場では、こうした立場が一つの解決方策となるといえます。もっとも、昭和63年最判の射程を譲渡等承認請求が行われない場合に限る立場では、当該請求後に行われる会社法140条2項所定の株主総会決議において、譲渡株主の議決権行使を否定し得ることとなるため、本稿が指摘する問題そのものが起きないといえますが、昭和63年最判の射程についてはこれまで必ずしもこのような観点から検討が行われているわけではなく、同最判の射程論だけで問題の解決を図ることには、法的な不明確さが残ります。第2のアプローチは、昭和63年最判も依拠する昭和48年最判の立場(相対的無効説)に立ちつつ、会社が承認を得ていない株式取得者はもちろん、実質的に株主の地位を失った譲渡株主についても、株主としての権利行使を否定し得ると解する立場(注9)です。しかし、この立場に立ちつつ、会社が譲渡株主と株式取得者の双方の権利行使を否定し権利行使者不在の状態を作出することは許されるべきでないとする観点から、会社が譲渡人の権利行使を拒んだ場合に矛盾する行動をとることは許されないとして、承認があった場合に準じて当該譲渡が会社に対する関係でも有効となり、株式取得者が会社法134条2号の類推適用によって会社に対し株主名簿の名義書換を請求できると解すべきとする論者が現にある(注10)ため、第2のアプローチが必ずしも問題の解決策になるものでないことに留意する必要があります。第3のアプローチは、譲渡制限株式の譲渡による取得が会社の承認を得ずに行われた場合、その私法上の効力を譲渡当事者間のみならず会社に対する関係でも有効であるとし、会社が株式取得者からの株主名簿の名義書換請求を拒絶できると解する有効説を前提とするものです。会社法の制定・施行前から学説では有効説が少数ながら有力に提唱されてきました(注11)が、会社法の制定に当たった立案担当者も同様の立場に立脚しており、現行の会社法の関連規定が有効説を前提としている旨を明らかにしています(注12)。これによれば、株式取得者からの譲渡等承認請求が行われた場合は、会社は、譲渡人を株主として扱わないことができると解することになる(注13)ため、そのことを通じて、当該請求後における会社法140条2項所定の株主総会決議での譲渡株主の議決権行使を否定し得ることとなります。しかし、有効説の論者の中には、名義書換未了の株式譲受人の権利行使を会社が認めてよいかの論点に関して、会社は名義書換が未了の株式譲受人の権利行使を認めることができず、株主名簿上の株主すなわち譲渡人を株主として扱わなければならないと解する論者がある(注14)ため、有効説の立場に立てば論理必然的に、本稿が指摘する問題の解決につながるわけでないことに注意を要します。また、会社法の制定・施行後も、譲渡制限株式の譲渡の効力を巡っては、昭和48年最判・昭和63年最判・平成9年最判により確立した相対的無効説をとる立場が通説であるとされていることから、有効説を前提とするアプローチが異論なく受け入れられるわけではありませんし、有効説の中でも会社による譲渡株主の取扱い方を巡り見解の違いが見られる以上、このアプローチが問題解決のための決め手となるとは限らないと言わざるを得ません。5おわりに以上のように、本稿で提起した問題については、様々な解釈論的アプローチを駆使し、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が行われた場合において、不承認決定をした会社が対象株式を買い取ることを株主総会で決議するときに、譲渡株主の議決権行使を制限する余地がありそうですが、いずれも解釈上の不明確さその他の課題を残していることも事実です。このことを踏まえた上で、当該株主総会決議について、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が行われた場合も共同請求の場合と同様に譲渡株主の議決権行使を制限すべきであると解することにコンセンサスが得られるのであれば、最終的には立法による解決を図ることが、法的安定性・明確性を確保するためにも望ましいと考えられます。こうした観点から、筆者としては、会社法140条3項を改正し、同項にいう「譲渡等承認請求者」に、株式取得者からの単独譲渡等承認請求が行われた場合の譲渡株主を含む旨を明記すべきであると考える次第です。そもそも、本稿が懸念する事態が実際問題としてどの程度の頻度で生じるのかは明らかではありませんが、本稿がこの面に関する制度の見直しにとって一助となることがあれば、幸いです。<注釈>山下友信編『会社法コンメンタール3-株式[1]』(商事法務、2013年)400頁(山本爲三郎)、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)243頁(注10)、256頁(注2)。もっとも、この場合は、会社の承認は不要と解されています。山下編・前掲書(注1)388頁、389頁(山本爲三郎)。江頭・前掲書(注1)244頁~245頁(注14)。山下・前掲書(注1)400頁(山本爲三郎)、江頭・前掲書(注1)243頁(注10)、256頁(注2)。高橋美加ほか『会社法[第3版]』(弘文堂、2020年)84頁、田中亘『会社法[第4版]』(東京大学出版会、2023年)104頁。江頭・前掲書(注1)245頁、高橋ほか・前掲書(注5)83頁、江頭憲治郎・中村直人編著『論点体系会社法〈第2版〉1』(第一法規、2021年)519頁~520頁(小出一郎)。田中・前掲書(注5)106頁。酒巻俊雄「株式の譲渡制限の機能と限界」加藤勝郎ほか編『(服部栄三先生古稀記念)商法学における論争と省察』(商事法務研究会、1990年)452頁参照。また、江頭・前掲書(注1)245頁や、黒沼悦郎『会社法〔第2版〕』(商事法務、2020年)199頁から200頁も同旨か。京都地判昭和61年1月31日判時1198号147頁、大阪高判昭和61年5月30日金判794号5頁、戸川成弘「取締役会の承認のない譲渡制限株式の譲渡の効力について」富山大学経済論集40巻1号(2015年)98頁、酒巻俊雄/龍田節編集代表『逐条解説会社法第2巻』(中央経済社、2008年)307頁(齊藤真紀)。酒巻/龍田・前掲書(注9)307頁(齊藤真紀)。松田二郎『会社法概論』(1948年、岩波書店)173頁~174頁、川島いづみ「昭和63年最判判批」税経通信43巻13号(1988年)227頁、山本爲三郎「取締役会の承認のない譲渡制限株式の譲渡の効力と譲渡人・譲受人の地位」判タ808号(1993年)37頁。相澤哲編著『立案担当者による新・会社法の解説』(別冊商事法務No.295)(商事法務、2006年)25頁~26頁(相澤哲・岩崎友彦)。川島・前掲判批(注11)227頁。松田・前掲書(注11)167頁。提供:税経システム研究所
続きを読む
457 件の結果のうち、 1 から 10 までを表示